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紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
二章 皇太孫殿下とおでかけ、でも、元許婚とはちあわせてしまいました。
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2-5 殿下はすこしいじわるです

「人を傷つけるようなことなら、そりゃあ、言わないほうがいいだろうけどね」


 驚いて目をぱちぱちさせる紅月(こうげつ)を前に、朗輝(ろうき)はそっと溜め息をつくような調子で言った。


 それから、すぅっと目を(すが)めて、こちらに向かって微笑みかけてくる。


「でもさ、さっきあなたが僕にしてくれた説明みたいなのは、なんで言っちゃ駄目なの? だって、役に立つことでしょう? だったら、自分を押さえないでいい。あなたを開いて、あなたはあなたらしくいればいいよ。――僕はあなたを否定しないから」


「でも、その……(ぶん)は、(わきま)えるべきではないでしょうか」


「なに、それ? 大人の分別(ふんべつ)ってこと? ――ちえっ、どうせあなたから見たら、僕はまだ小童(こども)かもね。小童(こども)っぽい考え方だって思ってるんだ?」


「そ、そんなことは、申しておりません!」


 むしろ、と、紅月は思う。


 いまの朗輝の言葉は、紅月にとっては、とてもうれしいものだった。まるで自分が無条件に認めてもらえたような、そんな満たされたきもちを感じさせるものだったのだ。


 いままで誰も、そんなふうには言ってくれなかった。


 それなのに、九歳(ここのつ)も年が下の、出逢ったばかりのこの少年だけが、いまの紅月をありのままに真っ直ぐに受けとめようとしてくれている。


「そんなつもりで、言ったのでは……ありません」


 紅月が重ねて否定すると、朗輝はやがて、そ、と、息をそいた。


「ごめん。変にむきになった。――なんていうか……ちょっと、(あせ)ってしまって」


「焦る?」


 朗輝の言葉を怪訝(けげん)に思って、紅月は鸚鵡(おうむ)返しに訊ねた。


 二十五歳にもなって()き遅れているような紅月ならばともかく、朗輝はまだまだ若くて、これから自分の未来(さき)をどうとでもしていけるはずだ。何かに焦りを感じる必要などないだろうに、と、紅月はことりと首を(かた)げた。


 が、対する相手は、ふと、自嘲するような苦笑いをくちびるに()いて見せた。


「だってさ、年齢は追いつけないから。あなたは大人の女の人で、僕は成人したばかりのひよっこで。陛下だって、僕をまだ半人前扱いだし、きっとあなたにとっても、頼りなくて、ぜんぜん眼中にない相手なんだろうなぁって、そう思うと……焦るんだ。すごく」


「殿下……?」


「あのね。僕はずっと、はやく大人になりたくて、じりじりしてたんだ。で、ようやく成人して、実際にあなたに逢うことができて……そしたら、もっともっと、あなたにふさわしくなりたいって、ならなきゃって、思うようになった。――いま、すごく、あせってるよ」


 言われて紅月は目を(みは)った。


 身の丈に合わない、ふさわしくない、と、それは紅月のほうこそ思うべきことではないのか。


 朗輝の身分、年頃であれば、縁談の相手は、それこそ掃いて捨てるほどいるはずだ。わざわざ紅月でなくともいいはずなのに、どうして、朗輝のほうがそんなことを言うのだろう。


 わけがわからなくて言葉を失っていると、相手は、き、と、強い視線を紅月に向けた。


「――言っておいて、いい?」


「え?」


「あのね。僕はたしかに年下だけど。でも、だからこそ、物わかりのいい大人の恋なんて、僕にはまだ、無理だから」


「こ、い……?」


 朗輝の中でどういう脈絡(みゃくらく)があったものか、急に恋だなどと言い出されて、紅月は面食らった。


 けれどもこちらの戸惑いなど知らぬ振りで、朗輝が、ぐい、と、紅月に迫る。


 揺れて不安定な車駕(しゃが)の中は、ただでさえ狭い。それなのに、頬に手を添えられ、身体ごと距離を詰められては、もはや逃げる場がなかった。


 吐息の混ざるような距離に、朗輝の端正に整った顔がある。


 紅月は思わず、ぎゅっと目を(つむ)ってしまっていた。


 更に相手の顔が近づく気配がして、耳許に、吐息(いき)がふれた。


「あなたを、僕は、手に入れるよ……全力で」


 朗輝は紅月の耳朶(じだ)のあたりに(ささや)きかけてくる。


 その吐息(いき)が、年齢に似合わぬ熱っぽさを帯びている気がした。


「好きな人がしあわせならそれを見守るだけでいいなんて思えるほど、僕はまだ、大人じゃないから……紅月どの」


 相手の親指がこちらのくちびるをなぞる。吃驚(びっくり)して反射的に瞼を持ち上げると、切なげに目を(すが)めた朗輝に、熱っぽく間近から見つめられていた。


 見なければ良かった――……だって、こんな熱に絡められては、動けなくなってしまう。


 無意識に、また目を瞑ってしまっていた。今度は朗輝の熱い吐息を頬に感じて、心臓が破裂しそうにうるさくなった。


「……ど、うして……わたしなんか、を」


 かろうじて、それだけを問う。


「だめ。ひみつだよ。――わたしなんか、なんていう人には、教えてあげない」


 朗輝はわずかに(かす)れた囁き声で言った。


 紅月はふるえる。きっといま、自分は耳殻まで真っ赤なのにちがいない。


「……殿下、は……意地悪です」


 再び瞼を持ち上げた。相手のきれいな顔が、ほんの目の前だ。


 けれども、熱に(ひとみ)はうるんでしまって、紅月の視界はすこしだけぼやけていた。


 それがさらに気恥ずかしさを呼び込んで、紅月はきゅっと眉根を寄せつつ、ちいさく朗輝を(なじ)っている。ただ、その声音すらもが、どこか甘さを帯びてしまっていた。


 だからなのか、朗輝は、ふ、と、わらった。


「意地悪、か。――でも、それはね、僕があなたを好きだからだよ。ね、紅月どの。意地悪ついでに、もうひとつ、ひどいことを言っても良い?」


「殿、下……?」


「僕はね、あなたがいままで結婚せずにいてくれたことを、幸運だったって思ってしまうんだ」


「え……?」


「ごめんね。ひどいよね。でももし、あなたが人妻……たとえば、(こう)家の嫡男に嫁いでいたりしたら、僕はあなたを(めと)るために、ありもしない罪をでっちあげでもなんでもして、相手からあなたを奪わなきゃならなかったかもしれない。――それをせずにすんだのは、幸いだった」


 朗輝は目を細めた。かすかに(かげ)のある大人びた表情は、隠せぬ本気を滲ませているように見える。


 あ、と、声を出したきり、紅月は継ぐべき言葉を探し(あぐ)んだ。


 どうしよう、と、おもう。


 自分の何が彼にここまで言わせるのか、まるでわからないながらも、それでも、そんなふうに求められるのを――……うれしい、と、おもってしまう。


 でも、朗輝だって、いつ心変わりするかもしれない。かつて許婚(いいなずけ)がそうだったように、たったひとつのことで、紅月を見る目が変わってしまうのかもしれない。


 そして、それでなくとも、朗輝は知らないのだ――……紅月の、〈紅月〉という()のこと、を。


 かたん、と、馬車が揺れて止まった。


 その瞬間、はっとした紅月は、残った欠片(かけら)ほどの理性で、朗輝の肩をそっと押した。相手から顔を背けると、それで朗輝も我に返ったようだ。


「……着いた、みたいだね」


 わずかに()まり悪そうに言うと、紅月から身を離して、車駕の扉を開けた。

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