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紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
二章 皇太孫殿下とおでかけ、でも、元許婚とはちあわせてしまいました。
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2-3 殿下は寛大です

江棟(こうとう)の四県からは、先行して、すでに陸路で租税が運ばれてきておりますね」


 紅月(こうげつ)朗輝(ろうき)の真っ直ぐな眼差しを受け、ようやく意を決して、そう口にした。


「うん」


 朗輝はまだ真剣な視線を紅月に向けたままで、紅月の言葉にひとつうなずいた。


「たしかに……数日前に国府(こくふ)穀倉(こくそう)へ運び込まれたって、聴いた気がする」


「朝議で報告があったと、我が父も申しておりました」


 紅月は言う。


「江棟四県からの租賦(そぜい)の運搬ですが、内陸三県からは車で、沿岸部の()県のみ、海路からこの泗水(しすい)を上って隆昌(りゅうしょう)に至る船便を使うのが通例です」


「うん」


「今年、三県が出した車はあわせて六千六百七十六。車一台で運べるのは二十五(こく)ですから、納められた租賦は、しめて十六万六千九百斛にのぼる計算です。江棟四県が納めるべき租税は、均輸(きんゆ)法に基づき、それぞれの県の戸数、皇都(こうと)からの距離に応じて、負担が比率的におおよそ均等になるように割り振られていますから、他三県からの租賦の量がわかれば、緯県の納める税の量も割り出すことができます。――すなわち、八万三千百斛です」


 実際に紅月は、父から聴いた情報をもとに、緯県が今年納めるであろう租賦の量を計算し、更にそれを運搬するために仕立てるだろう船数の見積もりをも行っていた。


「船一台に積めるのはおよそ三万斛。ならば、十分に、三隻に収まります」


 たしかに河を往来する船では、やや積み荷を(ひか)え気味にする場合はある。泗水(しすい)は世に聴こえた大河とはいえ、海ほどの水深があるわけではないからだ。積載(せきさい)した荷の重さで船底が沈み過ぎれば、それだけ座礁(ざしょう)の危険が大きくなってしまうし、そのために事故が起きて船を荷ごと失うようなことになっては、元も子もなかった。


 だが、それを考えに入れ、余裕を持って船を仕立てたとしても、緯県の租税量は四隻にするほどでもないはずだ。


 だからこそ紅月は、四隻と聴いて、釈然(しゃくぜん)としないものを感じたのだった。


「わざわざ荷を分けて、船を多く仕立てる意味はないよね。だって、船数がかさめば、そのぶんだけ、運搬にかかる費用負担が増えるんだから。一隻でも少ないほうがいい」


(おっしゃ)るとおりです」


 朗輝の言葉に紅月はうなずいた。


 紅月の説明を聞き終わるった朗輝は、ふと黙り込み、ちいさく眉を(ひそ)めてしまう。それはどこか、奥に不愉快を押し隠したような表情にも見えた。


 なにか不興を買っただろうか、と、紅月は俄かにちいさな不安に襲われた。


「お祖父さまが言ってたのは……そういうことか」


 けれども続けて朗輝がつぶやいたのは、紅月にはまるで意味のわからない言葉だった。


 とはいえ、紅月がそれに対して何らかの疑問を差し挟む余地はなく、朗輝はそのまま、ひとり、思案のうちに沈んでしまう。そのまましばらく、ぶつぶつと独り言をつぶやくように言葉を続けていた。


「もしも、四隻ともが間違いなく江棟から運ばれた租賦の船なのだとしたら、運搬されてきた麦の量は、おそらく十万を下らないってわけか……でも、国庫に納められるのは、八万三千強……だったら、差分は、なんだ? どこへ運ばれる? 規定を越えた税が徴収されて、誰か、(わたくし)(ふところ)に入っている可能性があるということなのか……?」


 朗輝がふとこぼした言葉に、紅月は息を呑んだ。


 それは横領、すなわち、何者かが税の徴発(ちょうはつ)において不正を行っている可能性があるということである。


 税制は国の(かなめ)だ。路をつくるにも、堤を築くにも、大規模な灌漑をして農地を広げるにも、なんにせよ、税がなければ出来なかった。


 その税制に関わる問題であれば、それは決して軽い罪では済まない。重罪である。


 そのためか、朗輝はまだ難しい顔をしていた。


「――紅月どの」


 やがて、ふとこちらを呼んだ声は、わずかに低められたものである。


 相手が厳しい表情をしているのを見て取って、紅月ははっとする。そして、その瞬間には、己が口にした一連の言葉を悔いていた。


「す、すみません……! 私、その、差し出口を、申しましたね……」


 求められてのことだったとはいえ、つい、(さか)しらな口をきいてしまった。


 (まつりごと)に、女子(おなご)は関与したりしないのだ。普通、租賦の話などするものではない。


 それを、無遠慮にぺらぺらと喋ってしまって、あるいはそれが朗輝を不愉快にさせたかもしれない、と、ここにきて、ようやくそう思い至った。


「……ご不快に、させてしまいましたか?」


 朗輝の表情を窺うように言うと、え、と、相手は驚いて声をあげた。


 その刹那、それまで(ひそ)めていた眉根を開き、黒い眸をぱちりと(みは)る。


「いや、ぜんぜん。――というか、いまの流れで、僕があなたの何に不快になるっていうの?」


「その……租賦云々(うんぬん)と、女子(おなご)が発言するものでは、ないですから」


 紅月が恥じ入るようにうつむいてしまうと、しばらくして、朗輝は、ふう、と、大きく溜め息をついた。


 馬車の中に響いたその音に、紅月はちいさく肩をふるわせる。


 やはり朗輝は呆れているのだろうか、と、相手を恐る恐る見ると、意外にも、彼はくちびるにどこか大人びた(かげ)のある微苦笑を()いていた。


「そんなこと、言わないで」


「え?」


「そんなふうに、自分を()えて(おとし)めてしまわないでよ」


 相手の声は、どこか、さびしげな、かなしげな色を帯びていた。


 そしてまた朗輝は、ふ、と、ひとつ吐息する。


「あなたは、この前、僕に言ったよね。何かを好きなのに、男も女もないって。それと同じじゃない? 国を(うれ)うのに、男も女も、本来、ないでしょう? むしろ、いま話を聞かせてもらって、僕はあなたをすごく頼もしく感じたし、逆に、緯県からの船が四隻と聴いていても、あなたに言われるまで何の疑問も持たなかった自分が、情けなくなったくらいだ。僕だって、先行して運ばれてきた税のことも知っていたのに」


 だからちっとも不快に思ったりはしていない、と、朗輝はしずかに繰り返した。


「ね、紅月どの……顔を上げて」


 伸びてきたてのひらが、紅月の頬に触れる。


「ちゃんと、僕を見て」


 相手は請うように口にしながら、真っ直ぐに紅月を見据えた。


「不快なんかじゃない。あなたが謝る必要も、(うつむ)いてしまう必要も、ない」


 だから、と、もう片方の手もこちらへと伸びて、朗輝はやさしく、けれどもやや強引に紅月に顔をあげさせた。


 そっと(すが)まった黒い眸が、間近から紅月を覗き込む。今度はその近さに戸惑って、紅月は視線を泳がせた。


「あ、の……可愛くない物言いだと……お思いに、ならないのですか?」


「ん? べつに」


「それなら……よかった、です」


 ほう、と、息をつく。しどろもどろな言葉は、自分でも、いったい何が言いたいのかわからないものだった。


 が、紅月の胸の中は、なんだか、ほんのりとあたたかくなっていた――……これはたぶん、うれしさだ。


 自分を認めてくれたような朗輝の言葉が、なんとも、嬉しい。(くすぐ)ったい。思わず、ふわ、と、頬をゆるめていた。


「……よかった」


 もう一度つぶやくと、朗輝もそっと笑った。


 ただ、相手は紅月の言葉になにか返してくることはなく、だから会話はそこで途切れた。


 紅月の笑顔に安堵したかのように、相手のてのひらが、こちらの頬から離れていく。


 そのことを、すこしだけ、名残(なごり)惜しい、と、思ってしまう自分がいる。


 紅月は長い睫の縁どる目を伏せ気味にしたが、それは、己の胸のうちにある何とも甘やかなざわめきを、誤魔化(ごまか)してしまいたかったからだった。


 しばらく車駕(しゃが)の中には沈黙(もだ)が落ちる。


 けれども、その静寂は決して張り詰めたものではなく、なんともむず(がゆ)いような甘い空気を(まと)っていて、紅月を困らせた。

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