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紅月夜話-妖女と呼ばれ婚約破棄された令嬢、年下殿下に溺愛される-  作者: 豆渓ありさ
二章 皇太孫殿下とおでかけ、でも、元許婚とはちあわせてしまいました。
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2-2 馬車の中

 (しょう)国の皇都(こうと)盈祥(えいしょう)(まち)を取り囲む城壁(じょうへき)を出て、しばらく南へ行ったところには、泗水(しすい)という大河が流れている。


 その河に、かなり大型の船も停泊できるような(みなと)があるが、これが隆昌(りゅうしょう)と呼ばれる、皇都から最も近い(とまり)だった。


 隆昌は、南部や沿岸地域などから、海上を()て河を遡上(そじょう)する形で、日々、多くの荷が運び込まれている場所だ。朗輝(ろうき)は今日、その(みなと)の様子を見に行きたいらしかった。



 馬車の中で、紅月(こうげつ)はいま、朗輝の隣に並んで座っている。


 まだここは皇都の中、(まち)を南北に貫く大通りの石畳(いしだたみ)の上を、城門へ向けて進んでいる途中だった。


 車輪がごろごろと重たい音を立てながら回り、車駕(しゃが)はそれに合わせてわずかに揺れる。先日、皇宮へ向かうためにひとりで乗っているときにはちっとも気にならなかったその揺れが、けれども、今日はなんとも気にかかってしまっていた。


 理由はわかっている。


 車駕が揺れる度に身体が(かし)ぎ、そのせいで、時に、朗輝の肩に触れてしまいそうになるからだ。


 そんなふうになる度に、紅月ははっと息を()んで、身を固くすることを繰り返していた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」


 ちいさくなって身をこわばらせている紅月に、隣にいる朗輝が苦笑した。


 こちらを覗き込むようにした黒い眸が、すぅっと細められる。まだ少年らしいまろみをわずかに残した頬に浮かぶやわらかな笑みを前に、紅月は、ですが、と、躊躇(ためら)いがちに言った。


「身体がぶつかって、殿下にご迷惑をおかけしそうで」


 きゅうっと肩を(すぼ)めて、恥じ入るようにうつむき、はたはた、と、二度ほど瞬く。


 おずおずと口にした言葉に、けれども朗輝は、きょん、と、不思議そうにした。


「別に僕は迷惑だなんて思わないけど。――でも、あなたが身体が触れるのを不快に思うのなら、僕も気をつけるから言って?」


「ふ、不快だなんて……!」


 とんでもない、と、紅月は首を振った。


「そう? なら、よかった」


 朗輝が息をついたそのとき、不意に、馬車が停まった。


 急なことに、紅月の身体は前のめりに倒れそうになる。


「紅月どのっ」


 即座に、朗輝はこちらの肩を抱いて紅月を支えてくれた。


「城門かな。――平気?」


 どうやらいつの間にか、馬車は皇都を囲む城壁のところまで来ていたらしい。そこからしばし、ごくゆっくりと進むのは、そこだけ道幅が狭くなった門の下を(くぐ)るためなのに違いなかった。


 この門の向こうは、もう、皇都の外だ。


 なんとなくそんなことを考えたとき、紅月はふと、いま自分が相手の胸に手をつく恰好(かっこう)になって、ほとんど相手に()()まれるような体勢になっていることに気がついた。


「あっ」


 はっとして、まずは慌てて手を離す。


 こちらの反応に気付いた朗輝がすっと腕をほどいてくれたので、紅月は気まずく目を伏せつつ、体勢を立て直した。


「す、すみません。失礼を」


「ん。さっきも言ったけど、僕は平気だよ。――城門を抜けたら道がもうすこし悪くなるかもしれないから、気をつけて。昨日の雨で、まだぬかるんでいるだろうし」


 そうこちらを気遣い、相手はちらりと紅月に視線をくれた。


「なんならいっそのこと、ずっと僕にもたれかかってくれててもいいよ? 湊に着くまであなたを抱きしめていられるのだったら、僕にとっては、役得だ」


 冗談めかして言って口の端を持ち上げ、軽く両腕を開いてみせる。


「ほら、おいで」


 いっそ愛らしい仕草で小首を傾げて、朗輝はこちらを促した。


「と、とんでもないっ……そんなこと、でき、ません」


 できるわけがない、と、紅月は頬を染めて(かぶり)を振った。


「ちえっ、ざんねん。――でも、それってもしかして……僕がの身体がまだ小さくて、頼るに値しないってこと?」


 遠慮する紅月を前に、朗輝はつまらなさそうに舌打ちしてみせ、ちいさくくちびるを尖らせる。


 ただ、その目は笑っていて、だからもちろん、相手が本気でそんなことを言っているわけではないことは紅月にもすぐにわかった。


 それでも慌てて首を左右に振り、朗輝の言葉を否定する。


「そういことでは、なくて、ですね」


 そんな()れ馴れしい態度を、皇太孫殿下を相手にとることなどできるはずがない、と、そういうことだ。紅月が困ったように眉を寄せると、朗輝は(こら)えかねたように、ふっ、と、笑み声をもらした。


「うん、わかってるよ。冗談。――でも……あなたは、困り顔も可愛いね」


「で、殿下……!」


 それこそご冗談を、と、紅月はちいさく朗輝を(なじ)った。


 まったく、年上を良いようにからかわないでほしい、と、思う。


 頬を染め、朗輝の視線から逃げるみたいに、紅月はまたうつむいてしまった。が、朗輝は目を細めてそんな紅月を見つめるばかりで、こちらの口にした文句に対しては、素知らぬ振りを貫いていた。


「そ、そういえば」


 沈黙が居たたまれなくなって、紅月は話題を変えた。


「湊へお越しになりたいとは……船で荷が入る様子をご覧になるために、でしょうか?」


 朗輝にそんなことを訊ねてみる。


 皇都の南に位置する隆昌(りゅうしょう)(とまり)には、大小さまざまの船が入ってくる。


 そういえばいまはちょうど各地で集められた租賦(そぜい)が都へと運ばれる時期だから、あるいは、朗輝が見たいと思っているのはその船なのかもしれなかった。


「うん、そう。お祖父(じい)さま……っと、陛下に、言われて」


 祖父と呼んでしまったあとで、しまったという顔を見せ、朗輝は慌てて言い直した。


 それを聴いた紅月は、ふと、ああそうか、と、思う。


 紅月にとって、(しょう)国の国主である皇帝は、雲の上のような人だった。けれども朗輝にとって、皇帝という人は――当たり前といえば当たり前なのだが――血の(つな)がった祖父でもあるのだ。


 それなのにわざわざ陛下と言い直したのは、成人して、朝廷(ちょう)の一角を占める者となったという自覚が、朗輝にそうさせるのかもしれなかった。


 先程まで見せていたくつろいだ雰囲気は(なり)を潜め、彼はすこしだけ大人びた表情を見せた。


昨日(きのう)今日あたりで、江棟(こうとう)から租賦(そぜい)を運んでくる船が四隻入る予定だと聴いてる。税収は国を動かす基盤だから、我が目で見て、確かめてこいと」


 そう、朗輝は祖父・皇帝から告げられているらしかった。


 だが、そんなふうに口にされた朗輝の言葉に、かすかに、紅月は妙な引っかかりを覚えた。


「……四、隻?」


 相手の言葉を聞き咎めて、つい、声を上げている。


「どうかした?」


「いえ……なにも」


 言葉を(にご)すが、気が付くといつもの癖で、無意識に顎に手を当てて思案してしまっている。


「どうしたの?」


 朗輝が(いぶか)って、改めて、今度はやや声を低めて訊ねてきた。


 こちらの様子から何かを感じ取ったのか、相手の黒眸(こくぼう)には、強い、真摯(しんし)な光が宿っている。


 そんなふうに真っ直ぐに見据えられたのでは、紅月のほうも、なんでもないのだ、と、重ねて曖昧(あいまい)誤魔化(ごまか)してしまうことが躊躇(ためら)われてしまった。


「その……多い、気がして」


 躊躇(ちゅうちょ)しつつも、結局は、そう口にしている。


「多い? 四隻が?」


「はい」


 うなずくと、どういうこと、と、朗輝はこちらに説明を求めた。


 紅月は、けれどそこで、二の足を踏む。このまま口にして良いものかどうか、ひどく迷った。


 否、迷うまでもなく――たとえば、父・英俊(えいしゅん)などに言わせるならば――まったく言うべきではない(たぐい)のことであろう。


 家ではいいが余所(よそ)では(つつし)んでおくように、と、そう溜め息をつかれるようなことだと判断が働くから、朗輝を前に、紅月は思わず口()もった。


「紅月どの。――思うことがあるなら、教えてほしい」


 ()を呼ばれ、真っ直ぐに見つめられる。


 それでもまだ、すぐには、口を開けない。


「おねがいだから」


 重ねて請われて、そこでようやく、紅月はひとつ深く息を吸って、はいた。

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