【第4話 城壁の外】
ダイトとリルは、ギルドから城壁を目指す馬車に乗り込んだ。
木製の座席はごつごつと固く、車輪が石畳を踏むたびに軋む音と振動が腹に響く。
窓の外では「エスタ通り」と刻まれた看板が後方へと流れ、やがて郊外の景色へと移り変わっていった。
(エスタ通り……文字は完全に日本語。やはり、ここは異世界。いや、【四つ柱の球体】の中か――あのジジイめ。化け物だとは思っていたが、まさかここまでの力とは)
眉間にしわを寄せたまま、ダイトは長く息を吐く。
胸の奥に微かな緊張が残っていた。
(どんな世界であれ、生きるには金がいる。そして金を得るには仕事が要る。……リルと出会えたのは、運が良かったのかもしれない。仕組まれたものでなければ、だが)
車窓から見える建物の数が減っていき、遠くの空に灰色の巨大な城壁がそびえ始める。
その圧迫感に、胸の奥がじわりと重くなる。
「リル。これからどう動くつもりなんだ?」
「ん? 今から城壁の外にある湖まで行くんだよ!」
「そこに目的の薬の材料があるのか?」
「んー、あるっていうか……正確には、水を求めてそこに現れるモンスターを狩るんだ」
軽く言い放たれた言葉に、ダイトは思わず額に手を当てた。
吐き出す息が、わずかに低くなる。
(……モンスターまでいるのか。もう、なんでもアリだな)
そんな皮肉めいた思いとは裏腹に、目の前のリルは揺れる馬車の中で足をぶらぶらさせ、目を輝かせながら話を続けていた。
「でね、狙ってるのは“ルーナコーン”ってモンスター。四つ足の生き物なんだけど、でっかくて力も強いんだ。僕ひとりじゃ、ちょっと不安だったんだよね。
でも! さっきのダイトの強さがあれば余裕でしょ? これはもう楽勝の依頼だよ、ニシシ!」
「……そのルーナコーンの革とかが必要なのか?」
「えっ!? まさか、そこも知らないの!? ダイトって、ほんとどこから来たのさー」
リルはからかうように笑いながら、首をかしげる。
無邪気な笑顔の奥で、ほんのり好奇心が光っていた。
(リルには、どこまで話すべきか……だが、黙っていては不都合も出る)
「リル、ひとつ……大事なことを言っておく。驚くなよ?」
「ん? なになに?」
「――どうやら、俺は異世界から来たみたいなんだ」
「ふぇっ!? 異世界!? えぇーーーっ!?」
リルは目を見開き、両手で顔を覆う。
その指の隙間から、きらきらした瞳がのぞいた。
「黙ってたわけじゃない。ただ……さっき確信したんだ。それまでは俺にも分からなかった」
「ダイト、すごく遠いところから来たんだね……。でも、どうやって?」
「……それはまだ分かってない。突然、気づいたらこっちにいた」
「そっかー。じゃあ、すぐ帰っちゃうの?」
リルの声が少し沈み、視線が膝の上に落ちる。頬の線に、ほんのわずか寂しさが滲んでいた。
ダイトは思わず、その表情に胸がざわつく。
(……このリルが【作り物】だとは思えない。何なんだ、この世界は?)
「リル。今のところ、俺にも分からない。何の前触れもなく、いきなり飛ばされてきただけだから」
「うーん……じゃあさ、こっちにいる間は、僕がしっかり面倒見てあげるよ!」
「……いや、どっちかって言うと、俺が面倒を見ることになりそうだが?」
小さく漏らした独り言に、リルがぴたりと動きを止める。
ゆっくり顔を上げ、じわりと笑みを広げた。
「ん〜? いま何か言った〜? ダ・イ・ト・く・ん?」
首をかしげ、わざと語尾を引き延ばす声。軽い挑発の色に、ダイトは鼻を鳴らした。
「いや、何も」
そっけなく返しつつも、ふと窓の外へ視線を向ける。
青空を横切る白鳥の群れ――その中に、一羽だけ明らかに場違いな鳩の姿があった。
(……鳩? なぜこんな場所に)
目を凝らしかけたその時、向かいのリルが身を乗り出した。
「ねーねー、ダイト! さっきの話の続きだけど――モンスターを倒すと“アイテムをドロップ”するんだよ!」
「……ドロップ?」
「そう! でね、依頼がない時は、そのドロップ素材を売って生活するの。だって、オーラ武器を持ってないと城壁の外には出られないでしょ? だからモンスターが落とすアイテムって、すっごく高値で売れるの!」
「なるほどな。で、今日はその“ルーナコーン”のドロップアイテムが目的ってことか」
「そー! お姫様の治療薬に必要な素材が二つあってね――。一つが【妖精の滴】、もう一つがルーナコーンがドロップする【ルナの角】! この二つを調合屋さんに持っていけば薬になるんだ。それを王様の側近、ムーア様に届けるの!」
リルは一息にまくし立てると、肩をすくめて息をつく。
「……僕ね。この依頼が成功したら、たぶんAランクに昇格できるんだ。そしたら、国家間の移動が自由になるんだよ」
「Aランクになるのが夢なのか?」
「ううん、ちがうの。……本当はね、他の町に行って、お姉ちゃんを探したいんだ。五年前に旅に出たきり、帰ってきてなくて……」
「お姉さんも、冒険者だったのか?」
リルは小さく頷く。まぶたが少し震え、視線が膝の上に落ちる。
馬車の揺れに合わせて、沈黙がわずかに長く伸びた。
――その沈黙を破ったのは、リルの弾む声だった。
「……あっ! ダイト、見て! 湖が見えてきたよ!」
顔を上げたリルの瞳は、さっきまでの陰りを忘れたように輝いていた。
指差す先――どこまでも透き通った蒼い湖が広がっている。
水面は太陽の光を受け、無数の宝石をちりばめたようにきらきらと瞬き、幻想的な輝きを放っていた。
***
湖岸の茂みに身を潜め、ダイトとリルはひっそりと肩を並べていた。
水面から吹き寄せる涼やかな風が、葉をわずかに揺らす。
モンスター「ルーナコーン」を待つ、張り詰めた時間。
隣のリルが息を殺して前を見据えるのに釣られ、ダイトの肩にも自然と力がこもる。
(……まだ何も起きてない。だが、この静けさは逆に落ち着かないな)
そのとき――
「ねーねー、ダイト。見て見てっ」
リルが不意に、頬が触れそうな距離までぐいっと顔を寄せてきた。
甘い草の香りがふわりと鼻をかすめ、ダイトの眉がわずかに動く。
「……近い。声、もう少し落としてくれ」
「ふふ、ごめんごめん。でも、見てよあれ!」
リルが指さす先――
湖のほとり、湿った地面に、ぷるぷると揺れる半透明の“何か”が鎮座していた。
「……液体か? いや、生きてる……?」
「うん、スライム! ちょうどいいや、ダイトに僕の戦い方を見せてあげる! ダイトはそこにいて!」
リルはニシシと笑い、腰のベルトに指を掛ける。
ショートパンツに吊るしたホルダーから短剣をひと振り――ためらいなく抜き放つ。
次の瞬間、獣のような速さで茂みを飛び出し、スライムへと駆けた。
踏み込みと同時に、刃に橙色のオーラがぱっと走る。
(ターゲット、スライム一体。短剣にオーラを流して――斬る)
一閃。迷いのない軌道がスライムの核を正確に断ち切った。
ぷしゅっ、と小さく弾ける音。
スライムの身体は崩れ落ち、空中に細かい光の粒を散らしながら【スライム玉】へと変わる。
リルはくるりと振り返り、ダイトに向かってピースサインを決めた。
その得意げな笑みに、ダイトは小さく息をつき、茂みから静かに姿を現す。
「……リル。意外と動けるんだな」
「意外と!? “意外と”は余計だよ、ダイトくん!」
ほっぺをぷくっと膨らませるリルに、ダイトは鼻で笑う。
足元の【スライム玉】を拾い上げ、光にかざしてしげしげと眺めた。
「本当に……物に変わるんだな」
「そっちの世界じゃ、こういうの無いの? 僕にとっては当たり前なんだけどなー」
「……当たり前、か」
ダイトは黙って【スライム玉】を握り締める。
指先に感じる硬質な感触が、現実感をじわりと押し寄せさせた。
「だ、大丈夫? 急に黙るから……」
「いや、さっき“常識とは世界の思い込みに過ぎない”って言われてさ。癪だけど、今それを実感してる」
「思い込み……?」
「ああ。でも、その言葉を素直に飲み込めるほど、俺も大人じゃないけどな」
ふっと力を抜き、スライム玉を握る手を下ろす。
リルは心配そうにその横顔を覗き込んだ。
「で、リル」
「ん、なに?」
「……あれが、ルーナコーンか?」
ダイトの視線の先――湖岸に、一体の魔獣が佇んでいた。
銀白の体毛を風に揺らし、額には漆黒の螺旋角。
水面に映るその姿は、神話から抜け出たかのように幻想的で、息を呑むほど美しい。
それでいて、どこか神聖な気配すら漂わせていた。
「んっ!?!?」
リルは思わず声を上げかけたが、慌てて両手で口を塞ぐ。
肩越しに見えるその瞳は、興奮と緊張が入り混じって輝いていた。
「ダイト……そう。あれが、ルーナコーンだよ」
「了解。――栄断流鍼灸術、補法。足三里」
低く呟くと同時に、ダイトは静かに姿勢を落とし、脛骨外側――膝蓋骨へ向かう一点へ鍼を打ち込む。
“速刺速抜”――特製の鍼が前脛骨筋を貫き、骨間膜へと到達。
流し込まれた気が下腿を駆け抜け、熱が走った瞬間――
リルが瞬きした刹那、ダイトの姿はもう湖岸から消えていた。
(……四足歩行でも、脊柱があるなら“そこ”は狙える)
「――栄断流鍼灸術。殺鍼・大椎!」
鋭く放たれた鍼が、ルーナコーンの首元――頸椎七番の下へ吸い込まれるように突き刺さる。
寸分違わぬ正確さで経穴を貫かれた瞬間、魔獣は甲高い悲鳴を上げた。
「ヒィぃーーん!!」
銀白の体が淡い光に包まれ、霧のように粒子へと変わり――
まるで夢がほどけるように、その姿は空へと溶けて消えていった。
ダイトは無音で着地し、足元に転がった【ルナの角】を拾い上げる。
「……暗殺、成功」
振り返ると、リルは口をぽかんと開けたまま固まっていた。
驚きのあまり、金魚のように口をパクパクと動かしている。
「リル。これで材料は揃ったな」
淡々と告げ、【ルナの角】を差し出すダイト。
「ダイト! すごいよ! 今の何!? それ……ハリでやったの!?!?」
「ああ。“栄断流”っていう流派の鍼灸術だ」
「しん……きゅう?」
「ああ。鍼灸は、本来この鍼とお灸を使って、人を癒やす技術なんだ。だが――」
そこで、ダイトの表情が一瞬で険しくなる。
耳を澄ますと、周囲の空気が……静かすぎる。
後書き
【師匠のひと言】
ふぉふぉふぉ……何やら、ダイトは“気配”を察したようじゃのぉ。
これくらい分からねば、暗殺鍼灸師とは言えん!
……ま、まだまだ甘いがの。
次回、静けさの先。
ワシも……出るかもしれん! 多分、出る!
更新は【月・金】じゃ。忘れるでないぞー。