【第2話 コルト中央ギルド】
「リル。どこに向かうんだ?」
「ダイト、僕はこのブツを手に入れたって、ギルドに報告しに行くんだ!」
リルは得意げにショルダーバッグをまさぐり、掌にすっぽり収まる小瓶を取り出した。
中では、とろみのある緑色の液体が、光を反射してゆっくりと揺れている。
(……何の液体だ? 見たこともない。嫌な予感しかしないな)
警戒心を隠さないダイトの横顔をよそに、リルは胸を張った。
「これはね、お姫様を救う特別な薬の材料なんだよ! ズラークの連中が盗んだのを、僕が盗み返してきたの!」
「……」
「すごいでしょ? 自分で言うのも何だけど、僕って結構やるシーフなんだ。ギルドでも――なんと、Bランク!」
ピースサインを掲げるリルを、ダイトは冷めた目で見やる。
「それは……凄いのか?」
何の感情も乗らない声に、リルは「えっ」と目を丸くする。
「凄いよ!? もしかして、ダイトってギルドとかランク制度、知らないの?」
「ああ。残念ながら、まったく分からない」
「マジで!? えー……ギルドとランクって、世界共通だと思ってたのに……知らない国があるなんて、世界って広いなあ」
(この世界では常識ってことか。なら、今のうちに覚えておかないとな)
「リル、悪いが簡単に教えてくれないか?」
「しょうがないなー。じゃあまずギルドからね! ギルドっていうのは、冒険者の案内所みたいなところで、お仕事の斡旋とかお給料の支払いをしてくれるの」
指を立てて説明するリルは、妙に誇らしげで、ほんの少し鼻も高くなっていた。
「でね、ランクっていうのは、その人の貢献度や仕事の実績に応じて決まるの。つまり――ちゃんと活躍すれば上がる!」
「ランクは……Aが最高か?」
「違う違う! 一番上はSS、その下にS、A、B、C……って続いて、一番下がFランク。ね? 僕のBランクって、結構すごいでしょ?」
「ふむ。つまりBは……真ん中くらいか?」
「違ーーうっ!!」
ぷくぅっと頬を膨らませたリルが、むくれたまま腕を組み、足をぴたりと止めた。
「Bランク以上は、全体の上位一割なんだよ!? 僕って実は、めちゃくちゃ優秀なんだから!」
頬を膨らませ、腕を組んでふんぞり返るリル。その姿は、まるで自分が世界の中心だと言わんばかりだ。
ダイトは眉ひとつ動かさず、その様子を眺めた。
「で、そのランクBのリル様は、その液体をギルドに届けるわけだな」
「もう! そうだよ。僕にしかできない仕事だったんだから!」
「……捕まりかけてたけどな」
「ムキーー! それは言わないでってば!」
「それをギルドに渡せば、依頼は終わりか?」
「んー……渡したら、もう一個だけ素材を集めに行かなきゃなんだ」
「つまり、それを俺に手伝えと」
「そう! ダイトって話が早くて助かるよ! 街の外に出る必要があるし、危ない場所なんだ。だから、腕利きじゃないと無理でさ。その点、ダイトなら――」
リルの瞳が、いたずらっ子のように輝きながらダイトを射抜く。
ダイトは腕を組み、しばし視線を伏せた。
(このリルという少女についていけば、この世界のルールは多少なりとも見えてくる。情報も装備も不十分な今、無闇に動くのは得策じゃない。……それにしても、あのジジイ。俺をここに放り込んで、何をさせたいんだ)
「……分かった。協力しよう」
「やったーっ! ダイトがいれば、次の素材も楽勝だよ~。ニシシ!」
リルは嬉しさを隠さず拳を握りしめる。
その勢いを横目に、ダイトは淡々と口を開いた。
「で、報酬は?」
「ん~、今日の晩ごはんと……ギルドへの紹介状ってことでどう? 仕事、欲しいでしょ?」
「……なるほど。悪くない。それで手を打とう」
「よっし! じゃあ、さっそくギルドに入るよ!」
リルは背後の石造りの建物を親指で示した。
よく見ると、それは重厚な柱と彫刻が並ぶ、まるで神殿のような造りだ。
「ん? ここがギルドか?」
「そ! ここがグロアニア王国最大のギルド――コルト中央ギルド!」
リルは小走りで扉の前に立ち、くるりと振り返って手招きする。
その笑顔に何の迷いもないことを感じ取り、ダイトは静かに後を追った。
***
ギルドの扉をくぐった瞬間、ダイトは思わず足を止めた。
石造りの荘厳な外観からは想像もつかない――そこは、温かな木の温もりに包まれた空間だった。
床も柱もテーブルも、すべて分厚い木材でできており、刃こぼれの跡や焦げ跡が刻まれたその肌は、長年の歴史を静かに物語っている。
奥のカウンター前では、冒険者風の男たちが酒を片手に笑い合い、壁には剣や槍、斧といった武器が無造作に掛けられていた。依頼掲示板の前では、数人の冒険者が真剣な眼差しで紙を見比べている。
(なるほど……酒場兼ギルドってやつか。重厚な見た目の割に、中はやけに居心地が良さそうだ)
木の香りと香辛料の匂いが鼻をくすぐる。
騒がしすぎず、静かすぎず――人の息遣いと活気が心地よい空間。
その時、カウンター奥のゴツい腕の男がリルの姿を見つけ、声を張り上げた。
「おー! リルじゃねーか!! 生きてたか?」
「そりゃ大丈夫だよ! 僕を誰だと思ってるだい?」
「ハハッ! ズラークの手下が赤髪の《・》女を探してるって言ってたぞ? ミスったんじゃねえか?」
冗談交じりの声に、周囲の視線が一瞬リルへと集まる。
リルは大げさに肩を怒らせた。
「キィー! ミスってないよ! ほら、ちゃんと持ってきたよ! 【妖精の滴】!」
「ほう……見つかったのに、よく逃げ切ったな」
「そりゃあ、凄腕のシーフだからね……。――ウソ。このダイトに、助けてもらったの!」
にししと笑いながら、リルは隣のダイトを親指で指し示す。
カウンターの男は、片眉を上げ、興味深そうにダイトを値踏みするような視線を向けた。
(……なんだ、この視線は。まるで獲物を測るようじゃないか)
「でね、このダイトは今、仕事がなくて困ってるの! どう? 僕が紹介状書くから、ギルドに登録させてよ!」
「この兄ちゃんをか……いや、しかし――」
「ねー、トムじい! この後の材料集めも手伝ってもらうんだよ? あの依頼、失敗できないよ? 王の側近、ムーア様からの案件なんだから!」
「……ムーア様から、か。たしかに、あの依頼は外せねぇ。しかも今、腕の立つ連中はみんな遠征中だしな」
ぽつりと呟いたトムじいの言葉に、リルがにんまりと笑った。
「やったね!」
ぱっと振り返ったリルが、ダイトに向かってとびきりの笑顔を見せた。
(リルのおかげで、スムーズに話が進みそうだな……)
「で、リルよ。その兄ちゃんのオーラ武器は何だ?」
「え? あ、それは……分かんない!」
「……城壁の外に出るなら、オーラ武器は必須だぞ。まさか、オーラ無しってことはねぇよな?」
「だ、大丈夫だよ! ちゃんと持ってるもん、ね? ねっ?」
リルが不安そうにダイトをちらりと見上げる。
ダイトは一瞬だけ考え――分からないまま、静かに頷いた。
(……今は余計な混乱を避けるべきだな)
「……ほう。じゃあ、測定だな。ちょっと待ってろ、測定器を取ってくる」
「ん、よろしく~!」
トムじいが奥に消えるのを見計らい、リルは素早くダイトの腕を引いた。
耳元に顔を寄せ、声を潜めて囁く。
「ダイト。もしかして……オーラ武器って知らない?」
「ああ、残念ながら」
「うわー、やっぱり!? トムじい、もう測定器取りに行っちゃったけど、もしマズかったら断ることもできるよ?」
「測定器って……具体的に何を測るんだ?」
「あ、そっか。そこから説明いるよね!」
リルは周囲を気にしながら、唇の前に指を立て、声を潜めた。
「この国ではね、生まれつき【ある種の武器】に適性がある人がいて、その適性が認められないとギルドに正式登録できないの。城壁の外にも出られないんだ」
「つまり、その適性がなければ……お前の依頼も手伝えないってことか」
「さすが、ダイト! 察しがいい!」
「お前は……適性、持ってるんだな?」
「もちろん! 僕は短剣に適性があるんだ。見て!」
腰のホルダーから短剣を引き抜いたリルの手に、ふわりと淡い光が宿る。
刃の表面を滑るように走る光は、水面の揺らぎのように柔らかく、しかし芯に熱を秘めていた。
(……オーラ、か。師匠が扱っていた“気”に似ているな)
「すごいでしょ? これがオーラ武器。僕はどんな短剣でも扱えるんだ!」
リルは誇らしげに短剣を軽く振り、光の軌跡を残す。
その姿は、得意げというより“遊び心”が溢れていた。
「……つまり、そのオーラ武器の適性を測る機械を、トムじいが取りに行ってるってことか?」
「そ。でね――」
リルは急に表情を引き締め、声をひそめる。
「ダイトって、身分証持ってないよね? 身分証がない人が測定器で適性なしって判定されたら……国外追放になるかもしれないんだけど」
まるで雑談でもしているような調子で、とんでもない事実を放り込んできた。
「……」
(なんだそれは……今さら言うのか)
「……まあ、この状況じゃ【やらない】という選択肢はないな。頼む」
「え、ほんとに? いいのー!?」
リルはぱっと花が咲くように笑うと――次の瞬間、胸いっぱいに息を吸い込み、建物中に響く声を張り上げた。
「みんなーっ!! 久しぶりのオーラ測定だよーっ!! このダイトが挑戦するよー!! 飲み物用意してー!!」
「何だって!? 久々の測定か!」
「おっ、そこの兄ちゃんがやるのか!」
笑い声と椅子を引く音、足音が一斉に近づく。
好奇心と期待を混ぜた視線が、逃げ場なくダイトに突き刺さった。
(……完全に見世物じゃないか)
「おい、リル。どういうことだ?」
眉をひそめるダイトに、リルは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「ふふふ。ダイトくん、このオーラ測定ってね――お祭りみたいなもんなの!」
さらに一歩前へ出て、堂々と言い放った。
「もし適性持ちが出たら、みんなで乾杯するのがコルト中央ギルドの決まりなんだよー!」
「そ……そうなのか……」
ダイトはわずかに肩を落とし、視線を外す。
その耳に、奥からのんびりとした声が届いた。
「あったあった。久しぶりだし、探すのに苦労したわい」
トムじいが、黒と水色の渦模様が浮かぶ半球状の装置を抱えて現れる。
淡く光が脈打つその表面は、水底から覗き込む空のように不思議な色合いをしていた。
カウンターにドンと置くと、トムじいはじっとダイトを見据える。
「さあ、兄ちゃん。用意はいいか?」
ダイトは静かに頷き、測定器の前へと歩を進めた。
後書き
【ダイトのぼやき】
……あのクソジジイに転移させられた異世界。
リルと会えたのが、せめてもの救いか。
元の世界に戻れたら、あのジジイに一発入れてやる……本気で。
次回、オーラ測定。
まー、察してると思うが――付き合ってくれ。
更新は【月・金】だ。