24.ガーデンパーティー7
セリアが俯いて、テーブルの下なので見えていないけれど、膝の上に乗せた両手でぎゅっとスカートを握っている。
そんなセリアを、オティーリエとセレスフィアは気遣わしそうに見つめていた。
セリアの背後に立つラシェルには、その手も見えているので心配そうな表情を浮かべている。
ノシェも同様だ。
セリアは実際、落ち込んでいた。
ティリエではないオティーリエとの出会いのショックからは、ガーデンパーティーの開始前にセレスフィアと会話したおかげですっかり立ち直っていたものの、今の三人の会話は大きな衝撃だった。
実は、もともとセリアはセレスフィアに対してコンプレックスを持っている。
1月生まれのセレスフィアに対して12月生まれのセリアは、ほぼ1歳差があると言ってもおかしくないけれど、それでも同い年だ。
実際、ジュニアスクールでは同じ学年だった。
二人は家格も違えば、教育にかけられる費用も全く違うということはセリアも分かってはいる。
でも、セレスフィアは早熟で、一足早くデビュタントも済ませ、すでに上流階級の淑女として、また実業家一族の一員として活躍している。
そのセレスフィアに対して、セリアはまだ学生で勉強をしている身だ。
4人の中での立ち位置でも、セレスフィアがお姉さんで自分は次女といったところ。
比べても仕方ないと思っていても、つい比べてしまうのは仕方のないことだろう。
それに加えて、今度はティリエ。
ティリエは4人の中で最年少で、小さくて、みんなの可愛い妹という立ち位置だった。
セリアにしてみれば、と言うより、セレスフィア、セリア、ノシェの三人にとって、ティリエはむしろ庇護の対象。
そのティリエが、セレスフィア、アルチュールと対等に経済について話をし、あまつさえ会話をリードすらしている。
そのことに、セリアは無力感に包まれ、自分がちっぽけな存在のように思えたのだった。
「少し気分を変えましょう。」
オティーリエは、そう前置きして。
「セリア。」
そんなセリアに、オティーリエが呼びかけた。
不意に呼ばれた名前に、セリアが弾かれたように顔を上げる。
そのセリアの目に、穏やかに微笑むオティーリエの顔が映った。
「今度は、こちらから質問させて下さいませ。
いきなり槍玉に上がったことに、ご気分を悪くなさらないで下さいね。」
少し冗談めかして言うオティーリエの微笑みが、大丈夫だよ、と言ってくれているようだ。
そこには、前と同じ、ティリエの面影がハッキリ見える。
「は、はい、大丈夫です。」
セリアも、落ち込んでいるとはいえ、けして今の状況を忘れているわけではない。
そのオティーリエの笑みにも押されるようにして、セリアは立ち上がった。
ラシェルが椅子を引くついでに、ぽんと腰の辺りを励ますように叩く。
それで心が動いたのか、自分をじっと見つめる視線にも気が付いた。
セレスフィアとノシェ。
二人とも、心配そうにセリアを見つめている。
オティーリエにも、セレスフィアにも、ノシェにも、ラシェルでさえも、今のセリアの心情は理解出来ないだろう。
だけど、心配してくれる心遣いは素直に嬉しい。
おかげで、立ち上がって、ふう、と一息つくことで、この場で領主令嬢から質問を受ける覚悟も出来た。
まだ、その表情は暗いままだけど。
でも、オティーリエをまっすぐに見つめることは出来た。
・・・まあ、もっとも。
オティーリエが、落ち込んでなどいられない状況にした、とも言えるのだけれど。
「本日、ご用意いたしましたフォンダン・オ・ショコラはお気に召されたでしょうか?
新しいお菓子ですし、今日のためにパティシエに頑張っていただきましたので、とてもご感想が気になりますもので。」
経済の話の後、しかもその会話の影響を引きずっている上、領主令嬢からのご指名をいただいての質問ということで身構えていたセリアだっただけに、ちょっと拍子抜けした。
もっと緊張感のある質問があるかと思っていたところに、お菓子の話題が飛んできたから。
なんとなく、はしごを外されたような感じを覚えながら、素直に感想を伝える。
「大変、美味しくいただきました。
ケーキ生地を割った時にクリーム状のチョコレートが溶け出す演出にも驚きましたし、なにより、このクリーム状のチョコレートが濃厚でとても味わい深く感じました。」
「ありがとう存じます。
パティシエにもそうお伝えいたしますね。
とても喜ぶと思いますわ。
よろしければ、レシピを差し上げましょうか?
もちろん、他言無用、商用利用禁止という注意が付きますけれど。」
「え、よろしいのですか?」
セリアが驚いた様子で思わず尋ねた。
お菓子のレシピと言えば、社交界において強力な武器だし、来客のおもてなしという意味においても重要なアイテムになる。
このため、このような貴重なお菓子のレシピは高額で取引されることすらある。
オティーリエのこの言葉に反応したのは、言われたセリアだけでなく、セレスフィア、ラシェル、アルチュールもだった。
それを見て、オティーリエはいったん、セリアへの返事を保留して他の参加者に向き直った。
「もちろん、皆様にも差し上げますよ。
お帰りの際にお渡し出来るように準備しておきますね。」
オティーリエの言葉に、ヨハンがすっと場を外した。
もちろん、お城のパティシエにレシピを書いてもらうため。
参加者に向かって、そう言ってから、オティーリエは再びセリアに向き直った。
「それから、大丈夫かというご質問へのお答えなのですけれど。
お気遣いありがとう存じます。
ですけれど、ここにお集りの皆様は、こちらの好意を恣意的にご利用などなさらないことを存じておりますので大丈夫ですわ。
それと、これは少々意地の悪い言い方ではございますけれど。」
と、オティーリエはそこで一度言葉を切って。
ちょっと茶目っ気のある笑みを浮かべて。
「レシピを見ただけでは、十分な再現は難しいと思いますの。
材料の混ぜ合わせ方、温度管理、焼き加減など、幾度となく試行錯誤を繰り返して、ようやく、本日、ご提供させていただきましたようなお味が出せます。」
そのオティーリエの言い方に、セリアもつられて、ほんの少しだけど笑みを浮かべた。
緊張、驚き、それから弛緩と、なんだか心持ちを大きく揺さぶられたおかげもあるだろう。
少し、気持ちが軽くなってきたようだ。
「分かりました。
作るのに様々なコツが必要なお菓子なのですね。
ところで、それをご存じということは、オティーリエ様も作成に立ち会われたのですか?」
「はい。
パティシエが厨房で試行錯誤を繰り返すのを拝見しておりましたわ。
何度も焼いて食べては首を振って、というのを繰り返しておりましたので、少々心配して拝見させていただいていたのですが、本日に間に合わせて下さいましたし、セリアにもご好評をいただきましたので、大変感謝しております。」
「頑張って間に合わせて下さったのですね。
おかげで、とても美味しくいただきました。
そのパティシエと、それから仰られませんが、おそらくご一緒にご苦労されたであろうオティーリエ様に感謝いたします。」
「ありがとう存じます。
ところで、セリアは他にお好きなお菓子などございますか?
本日、用意したもの以外でも構いませんので、よろしければ教えて下さいな。
そうですね、いっそ、お勧めのパティスリーなど教えていただけますと幸いですわ。」
「パティスリー、ですか?」
にこやかに言うオティーリエに、セリアはちょっと考えてから、せっかくなのでとっておきを教えることにした。
気持ちとしては、フォンダン・オ・ショコラのお礼のつもり。
「それでは、オティーリエ様のお口に合うかは分かりませんが、西地区にございますパティスリー・オロンジュのオレンジムースケーキなどいかがでしょうか。
名前の通りにオレンジを使ったケーキや焼き菓子が絶品のお店で、他国からご訪問される業者様が、お土産にご購入されるほどと伺っております。」
もちろん、ティリエともお菓子の話題はよく出ていた。
でも、このお店は、会う前に買えた時に持って行って驚かせようと思っていたとっておきで、まだ話題に出したことのないお店だ。
オティーリエも気に入るだろうことは確信している。
「セリアもお好きなのですか?」
「はい。
あのオレンジ独特の甘酸っぱさに溢れたお味は格別です。
日曜日はすぐに売り切れてしまいますので、平日の学校帰りに寄って食べたりしています。」
「学校帰りの寄り道は禁止なのではないのですか?」
少しわざとらしい驚きの表情を見せたオティーリエの指摘に、セリアはいたずらっぽい笑みを見せて軽く首を振った。
「いいえ、学校帰りの寄り道こそ、学校生活の華ですよ。」
「アルチュール、どう思われますか?」
同じ学生のアルチュールにも話題を振る。
「まさしく、ですよ。
教師のお小言など、犬にでも食わせておけ、というものです。」
アルチュールも話の流れに合わせて楽しそうに答えた。
ちょっと品のない言い方も、もちろんわざと。
そんな二人に、オティーリエも、ふふ、と笑みを漏らした。
「なるほど、そういうものなのですね。
教師の方々にはとてもお聞かせできないお話ですね。」
オティーリエが嬉しそうにセリアに言った。
今の話の流れに、そんなに嬉しくなるようなことがあったかな?と、内心、首を傾げつつセリアはそれに答えた。
「だからこそ、です。
本当はしてはいけないことしている、というエッセンスが重要なのですよ。」
オティーリエが嬉しそうだったのは、意気消沈していたセリアが、ようやく自然な笑みを浮かべたから。
話し方も普段のセリアに戻っている。
セレスフィアとノシェも、安堵の表情を浮かべている。
「そのお気持ち、よく分かりますわ。
罪悪感まで行ってしまうといけませんけれど、軽い背徳感というのはいい刺激になりますものね。
マクシミリアンもそういう経験はございませんか?」
突然話を振られたマクシミリアンが、ちょうど口に入れた鹿肉のローストを慌てて飲み込んで、目を白黒させる。
とりあえずマクシミリアンが落ち着きを取り戻すのを待っていると、マクシミリアンはコホンと一つ咳払いをしてから答えた。
「もちろんあります。
私の場合は、授業の合間の休み時間に、こっそり持ち込んだ軽食を食べることですね。」
「ジュニアスクールでは給食がありますよね?」
こちらも驚いた表情でオティーリエが尋ねる。
「はい。
ですが、私の場合、それでは足りないので、家から追加でサンドイッチなどを持って行っているのです。
先生の目を盗んで、休み時間にこれを食べるのが最高なのですよ。」
その味を思い出しているのか、マクシミリアンはとても嬉しそう、いや、美味しそうな表情を浮かべて答えた。
「他にも同じことをされている方がいらっしゃるのですか?」
「はい。
同士が輪になって、食べているところを隠すようにして食べていますよ。」
オティーリエは話題とは全然違って、ジュニアスクールの給食では足りない、という部分に注意を払っていた。
覚えておいて、後で教育に携わっている執事達と相談しないといけない。
「なるほど、確かにそれはとても楽しそうですね。」
「はい。」
「それでは、チャーリーにもお聞きしてよろしいでしょうか?
いっそのこと、ここでみんなで秘密を共有いたしましょう。」
言いながら、オティーリエはセリアに微笑みかけた。
着席しても大丈夫、という意味だ。
何とかそれを読み取ったセリアは、一礼しようとしたところで頭を下げてはいけない、ということを思い出して、そのまま着席した。
セリアは、そう言えば、どうして自分はご指名を受けたのだろう?と、ふと思ったけれど、それは考えるまでもないことだった。
オティーリエが、意気消沈している自分を見て話しかけてくれたのだろう。
正直なところ多大な緊張感を伴った荒療治だった気はするけれど、おかげで胸のつかえは取れたようだ。
今日、受けた衝撃は消えないし、コンプレックスがなくなることもないだろう。
でも、とりあえず今は、落ち着いた気持ちでいることが出来た。
この後、オティーリエは言葉の通りにチャーリーから話を聞き出すと、次にセレスフィアにも話を振って、それで話は終わりと次の話題に移ろうとしたところで、にこやかに微笑んだセレスフィアの指摘を受けて、自分の話も披露することになったのだった。
実は内心、色々なものを抱えているセリアでした。
それにしても、他に上手い手がなかったとは言え、令嬢は荒療治が過ぎますね。




