7.侯爵令嬢の騎士
それから2日後の夕食の後。
オティーリエはマージナリィに呼ばれてマージナリィの研究室に出向いた。
ヨハンも一緒だ。
アーサーとベディヴィアも。
アーサーとベディヴィアはもちろんリスとその首飾りではなく、今は左右それぞれのイヤリングになって付いて来ている。
用事が用事なのと、ヨハンが付いて来ているので、侍女は連れてきていない。
「それで、取り調べはどこまで進んだのですか?」
「オリバー・ジャック、17歳。
カラディン領出身で、白騎士の調査のために来たと。
まあ、白騎士の調査以外は出鱈目ですな。」
マージナリィは報告しながらも、その結果をバッサリ切って捨てた。
「白騎士の調査、という部分は否定しないのですね?」
「姫様のお話ですと、中央広場の魔力探知を行っていたわけですからな。
それは誤魔化しようがありませんし、事実と判断してよろしいでしょう。」
「で、他には収穫なし、か?」
少し茶化すようにヨハンが口を挟むと、マージナリィも楽しそうに言い返した。
「なるほど、小僧の情報網には何か引っかかったということかな?」
「そちらの領分を犯すような無粋な真似はしないよ。」
ヨハンの方もどこ吹く風でさらりと受け流す。
その返事に笑みを浮かべながら、マージナリィはオティーリエへの報告を続けた。
「このまま聞き出してもよかったのですが、自分を捕まえた相手を連れてくれば真実を話すと言うものでしてな。
廃人を作るよりはよろしいかと思い、こうして姫様にご足労を賜った次第でございます。
もちろん、姫様の安全については万全を期しております。
魔法を使えないように城の秘蔵の魔法具を使い、両手両足を椅子に縛り付けてありますので。」
「ありがとう存じます。
ところで、毒の後遺症は出ていますか?」
「姫様の迅速なご対応のおかげでしょうな。
健康そのものですよ。」
「それはなによりです。」
話しているうちに、ある部屋の扉に着いた。
この中に、オリバーがいるのだろう。
マージナリィが扉を開けて中に入ると、部屋の中心に椅子が置かれ、その椅子に1人の少年が身動きできないように縛り付けられていた。
その少年は人が入って来たのに反応して顔を上げると、今までとは違う人物がいることに笑みを浮かべた。
「貴方が、僕を捕まえた人?
それにしては背が高い気がするけど。」
オリバーがヨハンを見て言った。
それから、オティーリエに視線を移す。
「いや・・・まさか。」
「そのまさかだ。
お前は、この、年端も行かない少女に捕まって、そして助けられたのだ。」
「年端も行かない、は余計です。」
ヨハンの言葉に、オティーリエがすかさず横やりを入れた。
ヨハンとしては年端も行かない、というのを付け加えたのは、より言葉に重みを持たせるためだったのに、思いもよらない方向から反撃が来た形だ。
とは言え、別にオティーリエも空気が読めないわけではない。
普段なら、こんな風に割り込んだりしない。
つまり、あえてこういう会話をすることを目の前の人物に見せたいということだろう。
そう理解したヨハンは、オティーリエが見せたいと思った会話の流れに乗ることにした。
「いや、今はそういうことを言ってる場合じゃないだろ。」
「いいえ、いついかなる時でも、不当な発言には抗議の声を上げなければいけません。」
オティーリエが言い返すと、2人を見ていたオリバーがクスリと笑った。
「なかなか楽しいご一行だね。」
「さて、ご要望通り、お前を捕まえた人物を連れて来たわけだが?」
若者が空気を軽くしたのなら、元に戻すのが年長者の役目。
マージナリィが、その、ちょっと弛緩した空気を断ち切るように冷たい声音でオリバーに言った。
「そうだね。
約束は守るよ。」
それを受けたオリバーは、しかし、楽し気な表情でオティーリエを見た。
その視線に、オティーリエは微笑を浮かべて見返す。
「僕の名前はルカ=テリオス・ベルナール。
ネルガーシュテルト帝国の第一皇女ゼリルダ・エルネージェフ・ニア・ネルガーシュテルト様直属の騎士団、ヴァイス=シュヴェーアトに所属する騎士だ。
いや、だったと言うべきかな。」
ルカの口調に自嘲めいた調子が混ざる。
視線も落とし、表情にもそれは現れていた。
「任務の失敗は死、ということですね。」
オティーリエはその不穏な発言に反して柔和な笑みを浮かべると、人差し指を立てて右手を上げた。
まるで、聞き分けのない生徒に言い聞かせる教師のように。
それを見て、ヨハンが動く気配を感じさせずにそっと部屋を出て行った。
「あの時、貴方が任務を遂行される様子を監視されている方がいらっしゃったのでしょうか?」
「うん。
そのうち、僕を始末に来るだろうね。」
「本当にそう思われますか?」
オティーリエが首を傾げて問うと、ルカが視線を上げてオティーリエを見た。
お互いに視線を交わした後、双方が相手の瞳に了解の意を見て取った。
ルカが参ったと言うように、ハア、と小さく溜息をついた。
「お見通しなんだね。
そう、あの時、僕にはお嬢さんの姿は見えなかった。
気配すら感じなかった。
後ろから羽交い絞めにされている状況ですらね。
それは、お嬢さんが【姿消し】の魔法を使っていたからでしょう?」
オティーリエは笑みを深めることで肯定を返した。
「だから、ヤツにもお嬢さんは見えていない。
たぶん、ヤツには僕が突然、発狂して、勝手に自殺したように見えただろうね。
何かを振りほどこうとした後、たたらを踏んで銃を向けたと思ったら、突然、両腕両脚がくっついてパタリと倒れた、という行動には不審を抱いたかもしれないけど。」
「貴方は銃を向けた先に誰もいないことに驚き、また両腕と両脚を縛られた時点で任務の失敗を悟って自死されました。
確かに、その一連の行動の意味を、貴方を監視されていた方がどのように受け取られたかは気がかりな点ではあります。
ただ、その後、貴方が救けられている様子は、監視されていた方には見えていません。
おそらく、監視されていた方の目に映った光景は、貴方がなんらかのトラブルに見舞われて自死した後、しばらくしてホルトノムルの者が来て、死亡確認をして連れて行ったというものでしょう。
貴方は魔力探査を行っていました。
行動が突飛だったこともあって、おそらく魔法関連のトラブルが発生した、と判断されるのではないでしょうか。
そして、ネルガーシュテルト帝国が把握している、このホルトノムル侯爵領の魔法使いは1人のはずです。
ですけれど、その1人は、このような事態に直接動く立場にいません。」
『実際のところは動いていたわけだがな。』
オティーリエはアーサーのツッコミを黙殺して話を続けた。
「そうすると、推測するであろう可能性は一つです。」
オティーリエが楽しそうにルカを見る。
貴方も同じ結論でしょう?と問いかけるように。
ルカはその視線に苦笑いで答えると、2人は同時に口を開いた。
「「白騎士の反撃に遭った。」」
『私は何もしていないのだが。』
『相手はそう考えるというお話ですよ。』
憮然とした調子で話しかけてくるアーサーに、オティーリエが宥めるように答える。
その横で、ルカが溜息をつきながらぼやくように言った。
「そう上手く結論付けてくれてるといいけどね。」
オティーリエがマージナリィを見る。
「この二日間、お城に侵入を図った人物はいらっしゃいましたか?」
「いいえ、怪しい者の侵入はありませんでした。」
マージナリィがことさら丁寧な口調で答える。
オティーリエがルカと話し始めてからは、マージナリィは一歩引いて、姿勢を正して立っていた。
この場における立場をはっきりさせるため。
オティーリエはマージナリィの答えを聞くと、にっこり笑ってルカを見た。
「しばらく様子を見る必要はありますが、おそらく大丈夫でしょう。」
ルカがそのオティーリエの言葉に、値踏みするような視線をオティーリエに向けた。
しかし、オティーリエはその視線を意に介さず、急に話題を変えた。
「ところで、第二皇女エロイーズ殿下のことはご存じですか?」
その話題転換に、ルカはわずかに眉をひそめた後、それでも素直に答えた。
「いや。
どうしてそんなことを聞くんだい?」
「一度、お会いしたことがありますので、どのような方なのか気になりました。」
「へえ、凄いね。
よく無事でいられたもんだ。
僕達の間では、皇族に会うというのは死神に会うのに等しいのに。」
ルカの答えに、オティーリエは右手を頬にあてて首を傾げた。
「ゼリルダ皇女殿下の直属なのではないのですか?」
「直属だよ。
でも、僕達みたいな下っ端が皇女サマに会えるわけないだろう?
上官からの命令を待つだけさ。」
「つまり、今回の調査は、そのゼリルダ皇女殿下直属の騎士団が行っている、ということですね。」
オティーリエが不意に言った言葉に、ルカが表情を引き締める。
「呑気な顔して油断できないお嬢さんだね。
でも、どうしてわざわざそんな余計な一言を僕に言うの?
僕に警戒されなくてすむのに。」
「あ。」
言われて、オティーリエは右手を口にあてた。
「つい、思ったことを口に出してしまいました。
その、聞かなかったことには?」
小首を傾げてルカを見てみる。
「出来ないね。」
「そうですよね。
では、そのようなことは気にせずにお話を続けましょう。」
「え。」
オティーリエの答えに、ルカは思わず言葉を失ったけれど、そんなことは気にせずにオティーリエは話を続けた。
「貴方は任務の失敗を悟った途端、自死を選択されました。
帝国にはそれほどの忠誠を?」
オティーリエは何気なく質問しているように見えるけれど、この質問はルカの運命の分岐点。
忠誠心が確固のものなら、ルカには今後、捕虜として生活してもらうしかない。
そのことを知ってか知らずか、ルカは一瞬、真面目な表情になった後、自嘲気味に答えた。
「忠誠、ね。
違うよ。
国なんて、人が集まって暮らしやすくするために出来ただけの共同体だ。
暮らしやすくするために集まったのに、どうして命なんてかけないといけないのさ。
本末転倒だよ。」
「では、どうして自死を図ったのですか?」
オティーリエは本当に不思議そうに尋ねた。
「そういう類の任務で、僕はその危険を承知で受けたからさ。
だから、まあ、意地だったのかもね。
まさか、本当に命をかけるとは思わなかったんだけど。
こうする程度には、皇族の騎士という職業に誇りを持っていたのかもしれないね。」
ルカが答えたところで、音を立てないように扉を開けて、ヨハンが入って来た。
オティーリエの右側、半歩後ろに立つ。
それから、ヨハンと一緒に第一騎士団長ウィリアムも入って来た。
ウィリアムはオティーリエの背後に腕を組んで聳え立つ。
この2人、まずヨハンは第一騎士団の練兵場にいるだろうウィリアムを全力疾走で呼びに行き、戻りは2人並んで全力疾走だった。
しかし、2人とも息が切れた様子は微塵も見せない。
「貴方のご家族はどちらにいらっしゃるのですか?」
オティーリエは2人が入って来たのに気づいていないかのように全く視線も向けず、話題を変えて話を続けた。
再びの急な話題の転換に、しかしルカは今度は笑みを浮かべて答えた。
これも尋問。
聞きたいことを聞かれているということ。
ただ、質問の内容は尋問とはほど遠いのではないかとは思うが。
「帝国の首都にいるよ。
まあ、ここ1年ほど顔を合わせてないけどね。」
「手紙のやり取りなどは?
連絡が取れなくなると、貴方のことをさぞ心配されますよね。」
「殉死として通達されるだろうから、気持ちの整理は付けれるんじゃないかな。
まあ、実際、僕はもう帝国に戻れないし、戻れても処分されるだけだから、殉死したも同然だけどね。」
「よいご家族でしたのですね。」
オティーリエが温かい物を見るように言った直後。
すぐにそれを後悔する表情を浮かべた。
この少年を家族の元に返さないのは、他でもないオティーリエ自身だ。
「どうしてそうなるのさ。
1年顔を合わせていないって言ったでしょ。
放蕩息子だよ。」
後悔の表情を浮かべたオティーリエに怪訝な顔をしながら、ルカが答えた。
「貴方は貴方がいなくなった後のご家族の心情を、ご心配されていらっしゃいます。」
「そう、か。
そうだね。」
ちょっと寂しそうな顔のオティーリエが言うと、ルカは虚を突かれたような表情になって、それから目を伏せた。
少しの沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、オティーリエ。
一度目をつむり、気を取り直して親し気な笑みを浮かべてルカに話しかけた。
「貴方は、もう帝国には戻れません。
ホルトノムル侯爵領から出ることも叶わないでしょう。
でしたら、いっそ、ホルトノムル侯爵領に仕えてみる気はございませんか?」
オティーリエも、人を見る目に自信を持っているというわけではない。
だけれど、ここまでの会話で、この少年は特殊な思想を持っている訳でもなく、洗脳を受けているわけでもないことは分かった。
むしろ、根は正直者で、職業が特殊だっただけのように思える。
尋問中だから、ということもあるかもしれないけれど、それでも、信じてみたい。
だから、この呼びかけだった。
この呼びかけは、オティーリエとの会話の流れから、そう言われるだろうとルカも気づいていた。
そして、この少女が誰か、ということも見当がついた。
八方塞りのこの状況、生き残るためにどうするべきかは、もう決めている。
しかし、はっきり口にされたことで、オティーリエの思惑を読み取ろうと、じっとオティーリエを見つめた。
「どうして僕を?
お嬢さんにとって、敵方の人間でしょ。」
「貴方の正直なお人柄と、優しい心根に。」
「僕はそんなご大層な人間じゃないよ。
焼け落ちて、煤けた枯れ木のような人間だよ。」
「それから、貴方を救けてしまった責任を。」
「そんな責任、取る必要ない。
幽閉するなり、処刑するなりすればいいんだ。」
そこまで言って、オティーリエは口を噤んだ。
親し気な笑みは浮かべたまま。
ウィリアム、マージナリィ、ヨハンも口を挟まない。
ルカは値踏みするように目の前にいる4人を眺めた後、覚悟を決めて口を開いた。
しかし、その顔には。
その内心に隠すように。
それから、4人に見せつけるように。
軽薄な笑みが張り付いていた。
「今まで僕が話したことは、全部嘘かもしれないよ?」
「それを告白される貴方は、よほどの正直者だということですね。」
「この茶番自体が、お嬢さんに取り入るための芝居かもしれない。」
「そうご忠告して下さる貴方は、とんだお人好しですね。」
「その話を受けたとするなら、僕は命大切さに簡単に祖国を裏切る尻軽だということだよ。
つまり、また命の危険が迫れば、お嬢さんを裏切るかもしれない。」
「それが貴方が生き残るための道でしたら、喜んで受け入れましょう。」
ことさらに偽悪的に見せる自分の心情など見透かされているかのような反応に、ルカは軽薄な笑みを収めた。
代わりに出て来たのは、相手と向き合う真摯な表情。
「最後に教えて。
どうして僕を救けたの?」
「目の前で失われていく命があって、それを救う手段を持っていました。
救けない理由がどこにあるのですか?」
「それが自殺だとしても?」
「誰かに強制された自殺は、自殺とは言えません。」
オティーリエの答えに、ルカの表情からふっと力が抜けた。
どこか呆れたようにオティーリエを見る。
「なるほどね。
でも、相手にも事情というものがあるだろう。
実に傲慢で、自分勝手で、押しつけがましい善意だよ。」
「はい。
私は我儘なのです。
ここにいる3人も、よく振り回されては、ぼやいていますよ。」
ルカが観念した表情で視線を落とす。
そして、目を瞑って口を開いた。
「ねえ、お爺さん。
この縄を解いてくれないかな。」
マージナリィがその言葉に、オティーリエを見た。
オティーリエが小さく左手を上げて許可を出すと、マージナリィはいったん部屋を出て、ナイフを手にして戻って来た。
ルカの脇にしゃがみこみ、まずは脚、それから腕と、椅子に縛り付けていた縄を切って行く。
そして、全ての縄が切られた瞬間。
ルカはオティーリエに向かって一直線に突っ込んだ。
しかし、ルカがオティーリエの元に辿り着くより前に、ヨハンが立ち塞がる。
ヨハンは音も立てずにすっとオティーリエの前に出ると、オティーリエを背後に隠すように庇いながら、ルカに相対した。
いつの間にかその手に銃が握られている。
そして、その銃口は。
走りこんで来た前傾姿勢で動きを止めた、ルカの眉間に突き付けられていた。
皮1枚。
ただそれだけの隙間を残して。
ヨハンがルカを睨むように見下ろす。
しかし、ルカはそれを涼しい顔で見返すと、ゆっくりとその場に片膝をついた。
「ヨハン。」
オティーリエの呼びかけに、ヨハンは銃を懐に戻し、オティーリエに敬意を示すように礼をしながら下がった。
オティーリエが一歩、前に出る。
その時には、ルカはもう左膝を地面に付き、右腕を胸にあて、頭を垂れていた。
最初から、ルカに殺気はなかった。
でも、これはルカにとって必要な儀式だった。
相手の申し出に、素直に頷くことの出来ない天邪鬼な自分を納得させるため。
それから、それまでの自分と決別するため。
例え形だけでも、屈服させられ、命を落とす必要があった。
「私、ルカ=テリオス・ベルナールはオティーリエ・セラスティア・ロートリンデ様ただ1人を主とし、この生涯を賭して仕えることをここに誓います。」
顔を伏せたまま、ルカが宣誓する。
それから、左手をオティーリエに捧げるように上げた。
その左手に、オティーリエが自らの右手を預ける。
ルカは顔を伏せたまま、ゆっくりとオティーリエの右手に口づけするように顔を寄せた。
「ルカ=テリオス・ベルナール。
貴方をオティーリエ・セラスティア・ロートリンデの名の元に、騎士に任じます。
オティーリエ・セラスティア・ロートリンデは、貴方の主たるに相応しい人物となるべく、研鑽を積むことを誓います。」
ルカがオティーリエの右手から口を離し、片膝をついて頭を垂れた姿勢に戻る。
「では、儀式はこれでおしまいです。
ルカ、堅苦しいことはここまでにしましょう。」
「分かりました。
オティーリエ様がそうおっしゃられるのでしたら。」
ルカが立ち上がった。
その顔に苦笑を浮かべながら。
けれど、その表情はどこか晴れ晴れとしているようにも見える。
「その口調、なんだか馴染みませんね。」
「けじめは必要です。
周囲に示しがつきません。」
「思っていた以上に真面目な方なのですね。」
「心外ですね。
まあ、騎士の規範からかけ離れていることは認めますよ。」
オティーリエと軽口を言い合ってから、ルカはヨハンを見た。
「それじゃあ、これからは同僚かな?
よろしくね。」
ルカが軽い調子で右手を差し出す。
ヨハンは一瞬、眉をひそめた後、その右手を握り返した。
「さほど、顔を合わせる機会はないかもしれないがな。
まあ、頑張れ。」
「え、それってどういうこと?」
ヨハンの思わぬ言葉に、ルカが戸惑いの表情を浮かべる。
オティーリエが半歩、横に動いて後ろにいるウィリアムをルカに紹介した。
「ルカ、こちらはホルトノムル侯爵領第一騎士団長ウィリアム・フレデリック・ラサン・オブ・オナー卿です。
貴方をしばらく、この方に預けようと思います。」
「え、ちょっと待って下さい。
今の流れ、私はオティーリエ様直属ですよね?」
「はい、そうです。
ですので、ルカには剣、槍、斧、弓、盾、銃。
軍人ではなく、騎士として、あらゆる武器に精通していただくことを望みます。
第一騎士団にはそれぞれの武器のエキスパートが揃っておりますので、彼らに師事して、学んで下さい。
そうですね、目標は世界一の騎士です。
ウィリアム卿、よろしくお願いします。」
「なんだか、また体よく面倒を押し付けられたような気がしますが?」
にっこり笑ったオティーリエに、ウィリアムが頬をかきながらぼやくように言う。
「お好きですよね?
こういうの。」
「ははっ。
まあ、確かに。
しかと承りました、お嬢様。
こやつの教育は任されましたよ。
ルカ、お前の教育係長になるウィリアムだ。
目標は世界一の騎士様だぞ。
覚悟しておけよ。」
ウィリアムはオティーリエに笑って頷いた後、ルカに声をかけた。
戸惑った表情のまま、ルカがウィリアムを見つめる。
そのルカの何とも言えない様子に、くすっと笑ったオティーリエはウィリアムを紹介するために半歩下がっていたのを戻って、再びルカに向き合った。
左耳に付けていたイヤリングを外してルカに差し出す。
『ベディヴィア、ルカに付いて下さい。
ただ見守って、様子を見ていただくだけで構いません。』
『承知いたしました、オティーリエ様。
その任、拝命いたします。』
ルカが受け取るために右手を上げると、オティーリエはその右手にイヤリングを乗せた。
「ルカ、貴方は魔力の探知が行える魔法使いです。
すぐに分かると思いますので言っておきます。
このイヤリングは魔法具です。
ですけれど、貴方にはどのような魔法具か解析出来ないでしょう。
そして、どのような魔法具かは説明致しません。
それでも、常にこの魔法具を身に着けていて下さい。」
オティーリエが言ってる途中にも、ルカに挑戦的な表情が浮かぶ。
「なるほど、首輪ならぬ耳輪というわけですか。
ですが、それは少々、私の魔導士としての腕を見くびりすぎではないでしょうか?」
「ルカ、やはりなんだかその口調は貴方に馴染みません。
公の場ではそれでお願いいたしますけれど、こういった砕けた場では、元の口調でお話し下さい。」
挑発するように言ったルカだったけれど、さらっとすかされて、かくっと肩を落とす。
思わず訴えるようにヨハンを見る。
「人の話を聞かないお姫様だね。」
「聞いてるさ。
自分の意見が先に出て来るだけで。」
「本人の目の前で堂々とご批判なさらないで下さいな。」
オティーリエが腕を組んで、気分を害しました、と表情と態度で示しながら2人に言う。
「いや、この会話の流れはお嬢が悪いだろ。
きちんとこいつの話を聞いてやれよ。」
「もちろん聞いていますよ。
ただ、その前に要望をお伝えしただけです。
それに、話の流れで言うのでしたら、最初にルカの言葉遣いについて苦言を呈しました。
ですので、話の流れは間違っていません。」
「いや、完全に話題変わってたよな。」
「あー、はいはい、分かったよ。
お姫様、これでいいか?。」
言い合いを始めてしまったヨハンとオティーリエの間に、ルカが割って入った。
ちょっと諦め混じりの口調だ。
「はい、ありがとう存じます。」
オティーリエが喜色満面で答える。
それを見て、ルカはふっと笑うと、オティーリエから受け取ったイヤリングを、オティーリエが付けていたのと同じ左耳に付けた。
これでいいのだろうと言わんばかりにオティーリエを見る。
「よくお似合いです、ルカ。
ところで、呼び方がランクアップしているようですけれど?」
「騎士叙勲を受けたんだよ?
これくらいの夢は見させてよ。」
ルカの答えに、ん?とちょっと理解出来ないような顔をしたオティーリエだったけれど、すぐにそういうものなのかな?と気を取り直した。
「うーん、分かりました。
ただ、その呼び方をするには、お一方、説得しないといけない人物がいますけれど。」
「説得?」
その時、ルカの肩をぽんと叩く者がいた。
いつの間にかルカの背後に来ていたマージナリィだ。
「その通りです。
姫様、という呼び方は、この爺にのみ許された特権なのです。
その権利を侵害することは、何人たりとも許されません。」
そのマージナリィ、顔は笑っているが、目は笑っていない。
「ああ、なら大丈夫でしょ。
爺さんは姫様。
僕はお姫様。
確かにおが付くか付かないかの違いだけだけど、ニュアンスは全然違うでしょ?」
ウィンクなんかしながらルカが言うと、マージナリィもふっと笑みを浮かべた。
「なるほど。
小僧の癖に、なかなか口が立ちますな。
いいでしょう、ここは引くことにしましょう。」
マージナリィはこれで矛を収めたように、ここでいったん言葉を切った。
それにルカが頷いたところで、さらに言葉を続ける。
「まあ、しかし、それはそれです。」
マージナリィの目の端がキラリと光った。
「ネルガーシュテルト帝国について知っていること、洗いざらい吐いていただきますよ。」
ルカの肩に乗せたままだったマージナリィの手に、強い力が籠った。
◇ ◇ ◇
「しかし、よかったのか?
あいつ、最初は第一騎士団に任せるつもりだったんだろ?」
オティーリエの部屋に戻ってから、ヨハンはオティーリエに尋ねた。
「そうですね。
正直、場の雰囲気に流されて騎士としてしまった自覚はあります。
ですけれど。」
オティーリエはそこで一度、言葉を切ると、少し言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「ただ、こういう巡り合わせを運命と呼ぶのかな、と、ふと思いました。
運命という言葉は肯定的に捉えることは出来ないのですけれど、この巡り合わせを運命と呼ぶのでしたら、それは素敵な言葉なのかもしれない、と思いました。」
「そっか。
まあ、お嬢が納得してるのなら、それでいいか。」
なんともすさまじいまでの成り行き任せで令嬢に騎士が出来ました。
今後の彼に期待です。




