20.令嬢の奪還
オティーリエを乗せた車は港にやってきた。
港、といっても船が入る港ではなく、飛行艇が駐機されている港だ。
陸地には個人所有らしい小屋が建ち並び、港から伸びた桟橋の枝の部分の横に何機もの飛行艇が停まっている。
多くの飛行艇が並んで翼を休め、さらにその向こうに水平線が見える様はまさに壮観で、オティーリエは思わず目を奪われた。
車は桟橋の一つの傍まで来て停車した。
景色に気を取られていたオティーリエは、車が停まったことにハッと気が付くと、慌てて床に横向きに寝転がった。
オティーリエも、このまま飛行艇で逃げるつもりなのだろうなとは思っているけれど、とりあえず、まだヨハンとアーサーとベディヴィアも来ていないし、もう少し付き合ってみようと思ったから。
車の扉が開くと、外にいた男がオティーリエを引きずるように車室の外に出してから、肩の上に担ぎ上げた。
オティーリエはまだ眠っているフリなので、全身をだらんとさせる。
頭から引きずり出されたので、スカートが捲れ上がってないのは不幸中の幸いだった。
スカートが捲れていたりしたら、恥ずかしさに耐えきれなくて、スカートを下ろそうと動いてしまっていただろう。
そんな、オティーリエが状況もわきまえずにどこか呑気なことを思っていると、男はオティーリエを担いだまま、桟橋の方に向かって歩き出した。
男が一歩を踏み出した、その時。
後ろの方から銃声が聞こえ、男の足元に着弾した。
男が思わず踏み出した足を止めて、銃声のした方を振り返る。
そこに、男の腹に何かの塊がぶつかって来た。
凄まじい衝撃に、男はオティーリエを取り落としながら、膝をついて両手で腹を押さえる。
それから、蹲った男の視界に影が落ちた。
男が不意に顔を上げると。
思い切り顎を蹴り上げられた。
それで男は気を失って、力なくばたりと倒れる。
落とされたオティーリエが、そーっと薄目を開けると、まずアーサーの姿が目に入った。
オティーリエの方をじっと見ていて、目が合った。
それでオティーリエは完全に目を開けると、アーサーのすぐ横にヨハンが周囲を警戒しながら立っていた。
オティーリエは、それでがばっと立ち上がると。
「お兄ちゃん!」
オティーリエは両手を広げて、ヨハンに飛びついた。
◇ ◇ ◇
ヨハンが追跡を続けていると、ターゲットの車は港に入って行った。
この先にあるのは飛行艇の駐機場のはず。
ここまで来れば、否が応でも分かる。
このまま飛行艇に乗り換えて脱出するつもりだろう。
脱出先は分からないが、場所が場所だけに他国に逃げる可能性が高い。
そうなると諸々手続きがかかり、捜査を迅速に進めるのが困難になってしまう。
ヨハンはここでオティーリエを確保することに決めた。
そして、確保するのは、車が停まってオティーリエを飛行艇に運ぶ途中。
そこなら、他に仲間がいても一緒に摂り押さえることが出来る。
ヨハンは、ターゲットに気付かれないように港に入った所でバイクを降りた。
オティーリエが預けてくれた石が指し示す方向に全力で走る。
走りながら、アーサーに話しかけた。
「アーサー、これから犯人を取り押さえる。」
「了解した。」
アーサーはヨハンの鞄からひょこっと顔を出すと、すたっと飛び降りた。
それから、ヨハンの横を走り出す。
そうして1人と1匹で走っていると、すぐにターゲットの車が見えた。
停車していて、横には男が1人いて、車室からオティーリエを引っ張り出したところ。
男はオティーリエを肩に担ぐと、桟橋の方へ踵を返した。
「アーサー!」
ヨハンはアーサーに呼びかけながら腰から銃を取り出すと、男が一歩踏み出そうとした足先を狙って引き金を引いた。
狙い通りに男の足先に着弾する。
男はそれで足を止めて、ヨハンの方に振り返った。
そこに、タイミングよくアーサーが突っ込んで頭から体当たりをする。
男にとってはまったくの不意打ちで、アーサーの体当たりを腹部に受けた。
しかも、そのアーサーの体当たりは、ベディヴィアの[強打]の魔法付きだ。
あまりの衝撃に、男はオティーリエをどさりと取り落とし、腹を抱えて膝をついた。
アーサーがぱっと横に避けると、男の正面にヨハンが駆け込み、その勢いのままに男の顎を蹴り上げた。
顎への強烈な一撃に男は気を失い、ぱたりと崩れ落ちる。
ヨハンはそのまま、気配を探るように周囲を見回していると、オティーリエが突然、がばっと立ち上がった。
そして。
「お兄ちゃん!」
オティーリエは大声を上げると、両手を広げてヨハンに飛びついて来た。
それを、ヨハンは右腕を伸ばしてオティーリエの頭を押さえて引き留める。
ヨハンの腕一本でピタッと止まったオティーリエは、それでもさらに抵抗して全身に力を込めるが、まったく動かない。
ついには両腕を振り回し始めたけれど、それでもヨハンの腕はピクリとも動かなかった。
どうやら抵抗を諦めたらしいオティーリエが、脱力してヨハンの伸ばした手にもたれながら、喚き始めた。
「ここは、攫われた妹が、助けてくれたお兄ちゃんと感動の再会をして抱き合う場面じゃないの?!」
恨めしそうな上目遣いでオティーリエがヨハンを見る。
そんなオティーリエを、ヨハンは平然とした顔で見下ろした。
「いや、お前、自分で逃げようと思えば逃げれただろ。
それに、感動の再会とか関係なくて、ここぞとばかりに抱き着いてこようとしただけじゃないのか?」
オティーリエの視線がヨハンから逸れて宙を彷徨う。
ヨハンがそれでもオティーリエの顔を見つめていると、オティーリエは折れたようにはあ、と溜息をつきながら自分の足元を見た。
顔を下げたことで、ヨハンの手がオティーリエの頭から外れる。
オティーリエも、ヨハンがオティーリエとの接触を避けている理由は理解している。
今は兄妹なのでなんとかならないかと考えていたけれど、ヨハンとしては、それは関係ないらしい。
なので、オティーリエは先ほどの溜息と共に諦めることにした。
無理強いするのも本意ではないし。
オティーリエはしゃがむと、アーサーを抱き上げた。
それから、顔を上げた時、その顔には笑顔が浮かんでいた。
「バレちゃったなら仕方ないね。
お兄ちゃん、アーサー、ベディヴィア、助けに来てくれてありがとう。
ごめんなさい、こっちが先だったね。」
『アーサー、ベディヴィア、助けに来てくれてありがとう。』
『何もなくてよかった。』
『私はさほどお役に立てませんでしたが。』
『いいえ、アーサーの体当たり、ベディヴィアが強化されていたのでしょう?
素晴らしい威力でした。』
アーサーとベディヴィアには、念話でもお礼を言う。
アーサーはもう普通に話しても言葉を理解できるようになっているけれど、ベディヴィアはシルビリア語をまだ覚えていないから。
まあ、そのベディヴィアからはいささか落ち込んだ返事が返って来たけれど。
「はあ。
まあ、でも、よく頑張ったよ。
お疲れ様。」
付き合いの長いヨハンには、オティーリエの瞳にわずかに残念さが滲んでいるのが分かった。
だから、溜息をついて、伸ばした手をそのままオティーリエの頭にぽんと乗せて言った。
軽くわしゃわしゃとしてから、その手を離す。
オティーリエはびっくりした後、ヨハンが手を乗せた辺りに自分の手を当てながら、えへへ、とにっこり笑った。
今度こそ、心からの笑顔だ。
「あ、わたし、警察呼んで来るね。」
そう言うと、オティーリエは、たたたっと走って行った。
無事に令嬢は救出されました。
そして、こんな時でも従者に抱き着こうと目論んでいた令嬢。
最後は感謝で。




