19.従者とリスの追跡行
ヨハンが左手の人差し指と中指で挟んで持ったオティーリエのいる方向を示す石の光が指し示す方向に向けてフルスロットルでバイクを走らせ始めてから、さほど時間が経たずに懐の通信用の魔法具がぶるぶると震えた。
アーサーがオティーリエの影を捕らえたのだろうと判断したヨハンは、さすがに全速力でバイクを走らせたままでは通信の魔法具を取り出せないので、片手運手が出来るていどまでスピードを落としてから、通信の魔法具を取り出した。
「どうした、アーサー。」
「我が主を補足した。
約3228.346フィート先を走る車の中にいる。」
「いや、それ、約してないだろ。」
思わずツッコミを入れるヨハン。
なにせ主が天然ボケでボケ倒す人物なので、ツッコミが条件反射で出て来る。
とはいえ、今はそんなことはどうでもよくて。
とりあえず、まだ距離があるし、すぐ前を走る車に遮られてまだ対象の車は見えない。
「いや、そんなことより、アーサー、[広域戦況把握]はあとどれくらい使える?
時間制限があるんだろ?」
「捕捉した以上、[広域戦況把握]は不要だ。
魔力消費の少ない[刻印追跡]で追跡するので、半永久的に追跡可能だ。」
ヨハンはアーサーが別の能力を使っているのだということは分かった。
その能力の詳細は分からないものの、オティーリエの位置を把握出来ていて、それを維持出来ることが分かれば、それでいい。
アーサーの言葉を聞いて、ヨハンはふと気が付いた。
「最初から、それで追跡すればよかったんじゃないのか?」
「[刻印追跡]の効果範囲も[広域戦況把握]と同じだ。
最初は追跡していたのだが、我が主が効果範囲外に出てしまったのだ。」
「なるほどな、了解した。
じゃあ、一度通信を切るから、65フィートていどまで近づいたら、知らせてくれ。」
「了解した。」
ヨハンはそれでアーサーとの通信を切ると懐に通信の魔法具をしまい、再びスピードを上げた。
◇ ◇ ◇
エロイーズは車を降りると、すぐ近くの裏路地に入った。
人の視線がないことと、上に張り出しの屋根などの障害物がないことを確認すると、しゃがんで左右のハイヒールのヒールの横についている蓋を開ける。
中にある紐を引き出すと、それぞれ両手に持ってくいっと引いた。
すると、ヒールの底から高圧の蒸気が噴き出して、エロイーズの身体を浮かび上がらせる。
エロイーズはそのまま紐を操作してまっすぐに上昇した後、屋根を超えたところで上昇をやめ、少し前に進んでそこにあった屋根の上に降り立った。
と、その時、屋根の下で騒ぎが起こっていることに気が付いた。
ひょいと見てみると、先ほど後にしてきた通りで、暴走したバイクが強引な追い抜きをしているようだ。
エロイーズは興味を引かれてそのバイクを見ていると、誘拐に使った車の後方で1台の車を間に挟んでスピードを落とした。
それから、誘拐に使った車が右折するとそれに付いて行くようにバイクも右折する。
確認するまでもなく、追手だろう。
想定よりずいぶんと早い。
現場で聞き込みをしてからでは、こんなに早く追いつけることはないだろう。
どうやって誘拐した車の目星を付けたのかは分からないが、すでに追いついている、という事実こそが重要だ。
護衛対象を誘拐されたのだから、ホルトノムルの護衛も大したことはないと思っていたが、この早さで追いついてくるあたり、思ったより腕はよさそうだ。
それに、後を付けるということは、どこに連れて行かれるのかを見極めた上で救出するつもりで、それが出来るという自信もあるのだろう。
面白くなった、とエロイーズは思った。
エロイーズにしてみれば、今回はたまたま極秘裏に、このオリベール王国のヴェルハルン侯爵領から海峡を挟んだ向こう側、シルバラントに向かう途中で白騎士のパイロットがここに来ると聞いたので、ちょっかいを出してみたにすぎない。
ちょっかいを出した理由は2つ。
1つは、単に白騎士のパイロットの顔が見てみたかったから。
それも、護衛がいないところで見たかったので、誘拐じみたことをしたまでだ。
もう1つは、ホルトノムル侯爵領にネルガーシュテルト帝国が白騎士のパイロットを狙っていることを認識させるためだ。
ネルガーシュテルト帝国が、いや、皇帝が、白騎士を重要視している。
専属の対応チームを組み、しかもそのチームを皇族に率いらせるくらいに。
そして、それだけ重要視している理由については皇族にのみ公開された。
ネルガーシュテルト帝国が帝国になる前、王国だった時代から代々、国王に継承されたクロニクルという名の魔法具がある。
名前の通り年代記であり、この世界で実際に起こったことを自動的に書き記す魔法がかかった書物らしい。
この魔法具こそ国王の証だったが、帝国になってからも皇帝が所有し、皇帝以外は見れないようになっている。
そのクロニクルに、白騎士についての記述があるらしい。
クロニクルに曰く、20世紀も昔の時代において、白騎士は魔法により栄えた一大文明を一夜にして滅ぼしたのだそうだ。
そのクロニクルに書かれた白騎士が、オリベール王国のホルトノムル領に現れた白騎士と同じものは分からないものの、もし同じだった場合、それだけの戦力を他国が握っていることは軽視できない。
そのため、その確認も含めた対応をすることになっている。
対応チームを率いるのはエロイーズではなく、第一皇女のゼリルダ。
たった半年、早く産まれたというだけでエロイーズより上位の皇位継承権を持つ女。
ホルトノムル侯爵領は、領主は外交手腕に優れ、騎士団の練度も高い。
パイロットに手を出すのなら、本人についてはさておき、護衛はそれなりの腕のようだ。
そして、今日、エロイーズは身分と名前を明かし、誘拐犯を殺すところまで見せてパイロットを誘拐した。
ホルトノムル侯爵領は俄然、警戒を強めるだろう。
それだけ、ゼリルダの任務達成のハードルが上がる。
ここからは高みの見物だ。
エロイーズはふっと口の端を上げると、両手に持った紐を操作して、その場を離れた。
◇ ◇ ◇
ヨハンが小石の光を頼りにアクセルを開けっ放しでバイクを走らせていると、懐で振動があった。
スピードを落として、通信用の魔法具を取り出してスイッチを入れる。
「捉えたか?」
「2台前の車だ。
乗っているのは我が主と運転手だけだ。」
アーサーの答えに、ヨハンは歩道に寄って、2台前の車を見る。
オティーリエを運んでいる車は、運転席と車室が別になっているタイプだ。
ヨハンはとりあえず魔法具を手にしたまま、車を一台挟んで後を付け始めた。
オティーリエには追いつけたので、まずは状況確認。
「分かった、あいつだな。
お嬢は車のどこにいるか分かるか?」
「車室の中だ。
床に寝転んでいるようだ。」
アーサーは一時的に[広域戦況把握]で状況を読み取った後、再び[刻印追跡]に戻した。
[刻印追跡]は対象の位置を把握できるだけで、状況までは読み取れない。
「眠らされてるのか?」
「そこまでは分からない。
だが、状況的にはおかしい。
我が主は意識があるのなら、毒や薬の類は魔法で回復出来る。
1人でいる以上は麻痺を回復してもおかしくない。
私が離れた後に眠らされたか、もしくは、何か回復出来ない理由があるのかもしれない。」
「つまるところ、お前が離れてから今までの間に何かあった可能性が高いということだな。
さすがに何があったかまでは把握出来ないが。」
「致し方あるまい。」
オティーリエを攫った人物は、まっすぐ仰向けに倒れていた。
つまり、正面から銃弾を受けたと考えられ、車道のすぐ傍に倒れていたこともあるので、オティーリエを車室に乗せたとなると、車室から銃撃を受けた可能性が高い。
それに加えて、アーサーの説明からすると、オティーリエが1人でいるのに床に寝転がったままなのも、車室内で何か起こっていたと考えた方がいいだろう。
ヨハンが車一台を挟んでターゲットの車をつけ始めて少しすると、ターゲットの車がさほどスピードを落とさずに右折したのが目に入った。
スピードを落とさずに右折出来るあたり、運転手の腕は確かなようだ。
ヨハンの前を走っていた車は右折せずにまっすぐ進んだので、ヨハンは右折して、仕方なくターゲットの車のすぐ後ろを走り出した。
「我が主が身体を起こした。」
オティーリエが移動する方向を変えたことで、アーサーは再び[広域戦況把握]に戻して状況を確認したところ、オティーリエは座席に座っていた。
呑気に窓の外を見ているようだ。
アーサーはそこまで確認すると、再び[刻印追跡]での追跡に切り替えた。
「起きた?」
「今は座席に座って外を見ている。」
「そうすると、俺たちが見ていない間に何かあって、今まで様子見してたって線が有力だな。
やっぱり、誰か乗ってたかな。」
「同意する。
だが、それが確認出来るのは救出した後だな。」
「そうだな。」
それからもう少し進むと、ターゲットの車はさらに右折した。
ヨハンは、尾けていることを気付かれないように、ターゲットの車に付いて行かずにまっすぐ進んだ。
そして、進んだ先でタイヤ痕を残しながら後輪を滑らせて180°向きを変えると、ターゲットの車が右折していった通りの入り口まで戻って、歩道脇にバイクを寄せていったん止まった。
「アーサー、尾行に気付かれないように、ここでいったん待機する。
ターゲットが追跡可能な範囲ギリギリまで動いたり、向きを変えたりした時は言ってくれ。」
「了解した。」
そうして、待機した時間はほんの数秒。
ターゲットの車はまっすぐ進んで、アーサーの追跡範囲ギリギリまで来た所で、ヨハンはバイクをスタートさせて追跡を再開した。
従者とリスが組んだおかげで、簡単に令嬢に追いつくことが出来ました。
当人たちは知りませんが、相手が本気でなかったことも一因ですが。




