16.帝国の皇女
通路を抜けると、歩道を挟んで向こう側の車道に車が止まっていた。
扉が開いていて、中に人が座っているのが見える。
オティーリエを攫ってきた人物は、その車の傍にくると、オティーリエをその車内に放り投げた。
「あら、きちんとお仕事してきたのね。
じゃあ、これはご褒美よ。」
投げ出されたオティーリエの頭上で、パス、という小さく空気の抜けるような音がした。
オティーリエは自由にならない身体で放り投げられたまま、しかし目だけはしっかり開けて映る光景を見ていた。
見えているのは車の入り口。
その入口の向こう側で、オティーリエを攫って来たであろう人物が、驚愕の表情を浮かべていた。
その人物の額の真ん中に、小さな穴が開く。
オティーリエが大きく目を見開いた。
その次の瞬間から。
ゆっくりと。
はっきりと。
オティーリエの目には、それからの光景が、ストップモーションのように映った。
その人物は、ゆっくりと後ろに倒れていく。
倒れていくのに合わせるように額に空いた穴から血が噴き出てくる。
その血しぶきすらゆっくりと。
オティーリエは、その人物が額から血しぶきを上げて後ろに倒れていく様を、見つめ続けた。
しかし、オティーリエにとっては時が止まったかのように感じられたその時間は、車の扉が閉められたことで唐突に終わった。
車の床にどさりと落ちたオティーリエ。
扉が閉まるのと同時に車も走り出したようだ。
麻痺毒のために身体が動かず、仰向けに床に転がって上を見上げるだけのオティーリエの目に映ったのは、オティーリエを見下ろす一人の女性。
年の頃は20代前半か。
黄金色に輝き、豊かに波打つ豪奢な髪。
抜けるような青空の色をした碧の瞳。
世界を睥睨するかのような視線。
余裕に満ちた堂々とした態度に溢れる気品と自信。
やや釣り目がちで目鼻立ちのきりっとした美しい顔には妖艶な笑みが浮かんでいて、その様はまさに傾国の美女と呼ぶにふさわしく見えた。
その女性は床に転がったオティーリエの頭の先から爪先までをゆっくり舐めるように眺めた後、まっすぐにオティーリエの目を見ながら口を開いた。
その目には、人を殺したという気負いもなく、ただ楽し気な様子だけが見て取れた。
「初めまして、仔猫ちゃん。」
女性は、ふふ、と微笑んでオティーリエに話しかけた。
右手の銃をぽいっと無造作に放り投げると、その銃は女性の座っている座席の横に落ちた後、跳ねて座席から落ちると、床に転がった。
「綺麗な色をしてるわね。
雰囲気的には、仔猫ちゃんと言うより小鳥ちゃんかしら。」
オティーリエは先ほどの人が死ぬ瞬間を見たことに衝撃を受けて気持ちが沈んでいたのだけれど。
この人が殺したのだということと、自分を誘拐した人物だということを強く意識して、なんとか気持ちを奮い立たせた。
キッと目に力を入れて見返したけれど、女性の方は平然とオティーリエを見下ろした。
「いい目ね。
人を殺したことが許せないかしら?」
その言葉に、オティーリエが身体が動かないながらもピク、と反応した。
オティーリエの目が少し険しくなると、その女性はますます楽しそうな笑みを浮かべた。
「貴女、知ってる?
貴女を誘拐してきたあの男、人攫いよ。
それも子供専門の。
注文された子供を攫ったり、金に困った時は見栄えのする子供を攫って人買いに売ったりしてたらしいわ。
貴女を誘拐する時も、素晴らしい手並みだったでしょう?
そんな下劣な、人間というのもおこがましい生き物は、死んで当然だと思わない?」
オティーリエは、さらに目を険しくした。
おそらく、この女性は嘘はついていないだろう。
オティーリエを攫って来た人物は、人として間違っているのかもしれない。
だけれど、どんな理由であっても、殺人を正当化することは出来ないとオティーリエは考えている。
オティーリエの反応に、女性はほんの一瞬だけ、冷ややかな視線をオティーリエに向けた後、また楽しそうな笑みを浮かべた。
その一瞬の視線はあまりにも冷たく。
オティーリエを震え上がらせるのに十分だったけれど、オティーリエはなんとか弱気になる自分を抑え込んだ。
「ところで、いつになったら解毒するの?
一人で話すのつまらないのだけど。」
言われて、オティーリエはそれまでの険しい目から一転。
目をパチクリさせた。
解毒?
女性にとってもオティーリエの反応は予想外だったようで、ん?とちょっと興味を引かれたようにオティーリエを見た。
「貴女、魔導士でしょう?
騎士を操縦出来るんだから。
魔導士なら、解毒くらい自分で出来るでしょ?」
魔導士、という言葉はオティーリエは聞いたことがなかったけれど、おそらくは魔法使いと同義語だと解釈した。
その指摘の通り、魔法で解毒出来る。
ただ単に、オティーリエは状況に流されるまま、単純にそのことを忘れていたのだった。
とはいえ、オティーリエにとっては返って都合がよかった。
自分がどれくらいの力量の魔法使いなのか、隠しておきたかったから。
オティーリエは今度は内心、冷や汗をかきながらも女性の視線を見返した。
とはいえ、魔法で解毒するのを忘れていたということにびっくりしたおかげで張り詰めていた気持ちが切り替わって、心を落ち着かせることが出来た。
「出来ないの?」
一言、女性がさらに言ったけれど、オティーリエはじっと女性を見つめ返したまま、何もしなかった。
しばらく様子を見ていた女性は、仕方ないという風に肩を竦めると、オティーリエに向かって手の平を向けた。
次の瞬間、オティーリエは全身が魔力に包まれたような感覚がすると、すぅっと全身から痺れが引いていった。
オティーリエは痺れの引いた両手を上に上げると目の前にかざし、ぐーぱーしてみた。
動く。
それから、片足づつ曲げ伸ばししてみた。
動く。
「あ、あ。」
喉に手をあてて発声もしてみたが、普通に声も出せるようだ。
魔法による解毒なので、解毒薬と違って一瞬で麻痺毒の成分が抜けたおかげで、すぐに動けるようになった。
オティーリエはとりあえず身体を起こして、女性の方を向いた。
「ありがとう。」
オティーリエがお礼を言うと、女性はオティーリエを見る目を少しだけ細めた。
すぐに元に戻ったけれど。
それから、座席の自分の横をぽんと叩いた。
「いいわ、私の横に座る栄誉を授けてあげる。
ここに座りなさい。」
女性は座席の自分の横をぽんと叩いた。
オティーリエは身体の調子を確認しながら立ち上がると、一礼して、言われた通りにそこに座る。
「まずは自己紹介をしましょう。
私はネルガーシュテルト帝国第二皇女エロイーズ・レガリア・デル・ネルガーシュテルト。」
その自己紹介に、オティーリエは強い衝撃を受けた。
気取られないように必死に隠したけれど。
ネルガーシュテルト帝国。
それも第二皇女が直々に自分を誘拐するために来た。
ネルガーシュテルト帝国の皇族はその地位に見合う能力と責任を持っている。
そして、皇女として宮廷内に確固とした地位を築いているとすれば、奸智や謀略にも長けていることだろう。
そんな人物に狙われるとなれば、対処も難しくなるかもしれない。
「オティーリエ・セラスティア・ロートリンデです。」
相手が皇族として名乗ったのだから、自分も貴族として対応しなければならない。
なので、オティーリエは背筋を伸ばして姿勢を正し、まっすぐに相手の目を見ながら名乗った。
「ティリエ、でも構わないわよ?
そんなに固くなる必要はないわ。
私は可愛いものが大好きなの。
貴女はなかなか私好みよ。」
エロイーズはそう言うと、オティーリエの髪の一房を手に取り、口づけをした。
オティーリエの方は、どんな反応を返せばいいのか分からずに、ただエロイーズを見ていた。
そんな、無反応なオティーリエに、エロイーズはオティーリエの髪を離して軽く肩を竦めた。
「貴女、ネルガーシュテルトに来ない?
私が飼ってあげるわよ?」
飼う、というのはもちろん比喩表現で、後ろ盾になるという意味だろう。
しかし、この誘いにオティーリエが首を縦に振ることはない。
「破格のお申し出と存じますが、はっきりとお断りいたします。
他国に出る予定はございません。」
ハッキリとした物言いは貴族的ではないけれど、この場合はそれが必要だと考えて、オティーリエはきっぱりと断った。
その答えに、エロイーズは分かっていたといわんばかりに頷いて、肩を竦める。
「まあ、そう答えるわよね。
今はそれでいいわ。」
エロイーズからの思わぬ答えに、オティーリエが少し驚いた表情を見せた。
「今回はスカウトに来たのよ。
プレゼンも何もなしだから、断られるだろうと思ってたわ。」
そして、エロイーズはにこやかに微笑む。
「でもね。
貴女は唯一の機会を棒に振ったのよ。
じゃあ、おやすみなさい。」
言うと、エロイーズは右手でオティーリエの目を覆った。
途端に、オティーリエの全身を魔力が包み込む。
強烈な眠気に、瞼を開けていられなくなったオティーリエは、視界が閉じていくのと一緒に、徐々に身体が傾いて行くのが分かった。
「さて、其方の騎士がどれほどの力を持っているか、楽しみだわ。」
そんな声を聴きながら、オティーリエは再び床に力なく横たわった。
いよいよ帝国が接触してきました。
相手も魔法使い。
ただ、本気で誘拐する感じではなくて???




