9.騎士の眠る森への道で
オティーリエとヨハンは騎士の眠る森に続く脇道に入って、二人で森へと向かっていた。
オティーリエの希望通り、二人は手を繋いで歩いている。
ヨハンも、してやられたと諦めて、手を繋ぐことに同意したおかげ。
あと、オティーリエの様子がおかしいので、それも理由の一つ。
アーサーはオティーリエの肩の上だ。
「それで、あそこで何があったんだ?」
ヨハンは脇道に入ってすぐにオティーリエに尋ねた。
離れた所で待っていたのに、ひどく憔悴していたことが気にかかっていたから。
「あそこで一人、亡くなられたでしょ?
その人の意識が、わたしの中に入って来たの。」
オティーリエは意識して、平素と変わりない調子で答えた。
意識していないと、暗い口調になりそうだったから。
「入って来た?
どういうことだ?」
「その、感覚的なことだし、想像の部分もあるから、上手く説明出来ないんだけど。
あの人が死の瞬間に感じたこと、ううん、きっと、あの人自身が、わたしの中に入って来たの。」
「それはつまり・・・死そのものを感じたということか?」
ヨハンが思わず足を止めてオティーリエを見た。
オティーリエもヨハンに合わせて足を止めてヨハンを見返す。
「そう・・・なのかな?
ただ、あの人がわたしの中に入って来て、その、わたしのせいで人が一人、亡くなったんだなと思って。
だから、その人を受け入れることにしたの。
その人の生涯を忘れないようにしようって。
でも、その人、今回の仕事は無理矢理押し付けられたみたいだし、お母さんが待ってるのに不本意に命を落としたし。
それで、ちょっと。」
そこまで言うと、オティーリエは前を向いて先に歩き出し、ヨハンを引っ張った。
ヨハンもオティーリエを見つめたまま、引っ張られて歩き出す。
「一つだけ訂正しておく。
あいつが死んだのは、お前のせいじゃない。
それだけは、間違えないでくれ。」
「・・・うん、分かった。」
オティーリエがヨハンの言葉に、前を向いたまま頷く。
「それで、その現象は初めての経験なのか?
どうしてそうなったか、原因は分かるか?」
尋ねる声に心配そうな響きが混じっている。
だから、ことさら、明るい声でオティーリエは答えた。
後ろを振り返ることは出来なかったけれど。
「うん、初めて。
原因は、アーサーの力を使ってたからだと思う。
アーサーって、ある範囲内の全てのものを感知して、操縦者に伝えることが出来るの。
それで状況確認してたんだけど、たぶん、その力で亡くなった人の魂も感知しちゃったんだと思う。」
オティーリエの説明に、ヨハンは眉をひそめて繋いでいない方の手を頭に当てた。
「正直なところ、どこまで理解が追いついているか自信がないんだが。
つまり、お前は周囲の状況を探るためにアーサーの力を使って、その力を使うと死者が出た時にその死を感じる、ということか?」
「うーん、だいたいそんな感じで合ってると思う。
死んだ人だけじゃなくて、他にも色々感じれると思うけど。」
ヨハンの顔が険しくなった。
繋いでいる手に力が籠る。
「ティリエ、もうその力は使わないでくれ。
使わなくてもいいように俺がフォローするし、俺だけじゃない、城のみんなも協力してくれる。
だから、そんなことはもうしなくていい。」
オティーリエは足を止めて、くるりと回ってヨハンの方を向いた。
その顔には笑みが浮かんでいる。
「ううん、これからも使うよ。
だって、せっかく見つけた、わたしに出来ることだから。
ごめんね、お兄ちゃん。
でも、心配してくれてありがとう。」
ヨハンも足を止めて、オティーリエを見た。
オティーリエが笑みを浮かべているのは、こういう緊急事態が起こった時に、自分に出来ることがあるのが嬉しいから。
それが分かるヨハンは、なんとか険しくしていた表情を緩め、諦めの表情と共に少しおどけたように肩を竦めて見せた。
「分かった。
いくら言っても聞かなさそうだし、諦めるよ。」
その力を使う必要がないようにしていくだけだ、という言葉は飲み込んで。
それだけ言うと、ヨハンは手でオティーリエを促して歩き始めた。
オティーリエもヨハンの隣を歩き出す。
「ところで、3300フィートっていうのは、アーサーの力の限界ってことか?」
「あ、うん、そう。
本体だとオリベール王国全体くらいの広さを把握出来るんだけど、今の操縦珠だけの状態だと、3300フィートくらいが限界みたい。」
「それでも十分な広さだけどな。
まあ、これでお前がどうやって状況を把握したのか分かったよ。
あと、ついでに教えてくれ。
キリヤのこと、どうして知ってたんだ?」
その質問に、オティーリエがきょとんとした顔で首を傾げた。
「えっと、それはどうしてわたしがキリヤさんを知ってるかっていう質問?
それとも、キリヤさんが警護についていることを知ってたのかっていう質問?」
「悪い、言葉が曖昧だったな。
両方知りたいんだが、とりあえずキリヤを知ってるかっていう方から教えてくれ。」
ちょっと頬をかきながらヨハンが聞き直す。
「え、だって、わたし、領主の娘だよ?」
さらに質問の意図が分からない、という顔でオティーリエが答えた。
さっきと反対側にこてんと首を傾げる。
オティーリエにとってはこれが答えだけど、ヨハンにとってもさっぱり意味が分からない。
「領主の娘だから、どうだって言うんだ?
・・・いや、待て。」
疑問を口にした次の瞬間に、ヨハンは思いついたことがあった。
そういえば、オティーリエはオリベスク駅でタウンハウスの女中頭であるペスチャのことを知っていた。
そして、エリオットはタウンハウスとお城で仕えている使用人を全員知っていると言っていた。
と、いうことは。
「ひょっとして、お前、お城、いや、お城とタウンハウスに仕えてる全員を覚えてるのか?」
「うん。」
なんでもないことのように頷くオティーリエ。
オティーリエにとってはエリオットがしていることなので、領主に連なる者として、当然のことだと思っている。
当たり前のように頷かれて、ヨハンは少し戸惑った。
お城とタウンハウスに仕えている人間は、150名を超す。
しかも、オティーリエはタウンハウスには一歩も入ったことはない。
それなのに全員覚えているとは。
ヨハンがオティーリエに仕えて6年。
ずっと傍で見てきた。
それなのに、まだまだこのお嬢様は底が知れない。
「じゃあ、ひょっとして、今回、付いて来てる連中のことも知ってるのか?」
「うん。
今回はキリヤ、イヴァン、メイ、ポーラ、ヒルデブランドでしょ?」
ヨハンは頭痛でもするかのように頭に手を当てた。
この5人は今回、万が一のためにオティーリエには秘密で付いて来ている護衛だ。
オティーリエに姿を見せないように護衛しているのに、気づかれていたらしい。
「完全に把握されてるじゃないか。
ひょっとして、城を抜け出した時に護衛を付けてたことも知ってるのか?」
ヨハンが言うと、オティーリエはビクッとして明後日の方向を眺めた。
王国縦断鉄道で聞かれた時に、せっかく上手く誤魔化したのに、これでは意味がない。
「あ、えーと、その。」
「誤魔化さなくていい。」
「うん。
知ってた。」
オティーリエが誤魔化し笑いをしながら答えると、ヨハンは小さく溜息をついた。
「なるほど、それで合点がいった。
先週から護衛の人数を増やしたのに気づいて、自分が狙われてることに気付いたんだな?」
ヨハンは先週から、オティーリエが城を抜け出した際につける護衛の人数を増やしていた。
「えっと。」
「だから、誤魔化さなくていい。」
「うん、そう。」
オティーリエがしゅんとして答えた。
ヨハンは、今度は、はあ、と大きな溜息をついた。
まさか、自分が原因でオティーリエが狙われていることに気付くとは。
そして、ハタ、とあることに気付く。
「なあ、城を抜け出した時に護衛が付いていることに気付いたのはいつだ?」
「えっと、10歳の頃。
お城にいる人を覚えたのが、そのくらいだったから。」
その答えに、ヨハンは全身から力が抜けた。
3年間。
オティーリエが気を使わないように秘密で護衛を付けていたのに、気づかれていたとは。
その、完全に脱力してしまったヨハンの顔を、オティーリエは心配そうに見上げた。
「えーっと、その、お兄ちゃん、頑張って?」
オティーリエがなんとなく疑問形で声をかける。
脱力させた張本人から励まされて、ヨハンはさらに深い溜息をつくのだった。
◇ ◇ ◇
オティーリエとヨハンは、手を繋いだまま脇道を進んでいた。
少し離れた所から聞こえる波の音と、サクサクという二人が土を踏む音だけが聞こえてくる。
会話が途切れてから、しばらく二人とも黙って歩いていた。
オティーリエにとっては、気持ちを落ち着かせて、次に進むための時間。
ヨハンにとっては、オティーリエを落ち着かせるのと同時に、次の襲撃を予測し、対抗手段を練る時間。
この、ヨハンの手の温もりを感じながら穏やかに流れる時間に気持ちが落ち着いたオティーリエは、ようやく次に進む決心をした。
次、というのは、この旅が終わった後のこと。
ただ、その決心は、オティーリエにとって、とても気の重いもの。
「お兄ちゃん。
・・・まだ、ある?」
オティーリエが俯いて、ぽつりと言った。
その声が、どこか寂し気に響く。
ヨハンはパッとオティーリエを見た。
身長差がある上にオティーリエが俯いているので、ヨハンにはオティーリエの後頭部しか見えない。
その声と様子で、ヨハンも何を聞かれているか分かった。
また襲撃があるのか?という質問だ。
「・・・ああ。」
答えるヨハンの言葉は少ない。
そう、襲撃はまたあるだろう。
なぜなら、ヨハンが知っている相手は、さきほどのように簡単に撃退できるような相手ではないから。
そして、その相手のことを、ヨハンはオティーリエに知られたくないと思っていた。
ヨハンだけでなく、エリオットも、マージナリィも。
だけど、少しでも余計なことを言えば、この聡い少女は気付いてしまうだろう。
だから、ヨハンは自然と言葉が少なくなってしまう。
しかし、ヨハンは、もうオティーリエは気付いているだろうな、とも思っている。
だから、このヨハンの抵抗は無駄な抵抗。
それでも、最後まで抵抗は続けたいとヨハンは思った。
「つまり、お兄ちゃんが知ってる相手は、こちらの思惑通りに動くなんてこともなくて、もっと巧妙な手段を使ってくる相手ということだよね。」
ヴェルハルン駅で行き先をあえて話したのは、襲撃する場所を絞って対処しやすくするためだ。
そして、その思惑通りに襲撃があった。
しかし、ヨハンが知っている相手は、そんな簡単に踊らされるような相手ではない。
「ああ。」
ヨハンは今度も同意するだけ。
これ以上は言いたくない。
それを知ったら、オティーリエがどう行動するかも分かっているから。
そして、その行動にオティーリエ自身の気持ちは含まれないだろうことも。
「ネルガーシュテルト帝国。」
オティーリエがぽそりと呟いた言葉に、ヨハンは、やはり、と繋いでいない方の手で顔を覆って、天を仰いだ。
ネルガーシュテルト帝国。
強大な軍事力を背景に南部の小国家群を併呑し、10年前に成立した帝国。
現在は併呑した各領地を安定させるために内政に力を注いでいるが、いつまた外征を始めるか周辺諸国がその動向を注視している国家である。
その内政は皇権には絶対服従で、完全な能力主義。
身分制度も廃され、皇族でもその力がないと判断されれば、皇帝によって皇籍から離脱させられるほど。
そして、従順に従う者は手厚く保護するが、叛意を持つ者に対しては苛烈な制裁を行う。
軍事力で他国を併呑し、その拡大戦争の戦略も権謀術数、人質、民間人を巻き込んだ兵糧攻めも何でもござれ。
自国民の被害は最低限に、しかし他国民には容赦しない。
そんな、目的のためには手段を選ばない国家だ。
そのネルガーシュテルト帝国が、オティーリエに目を付けた。
二人の間にしばしの沈黙が流れる。
しかし、いつまでも黙っているわけにはいかない。
覚悟を決めたヨハンは、しかしオティーリエを見ることが出来ず、前を向いて答えた。
「そうだ。」
その瞬間。
ピクリと。
オティーリエがヨハンと繋いだその手に、一瞬だけ力が籠った。
でも、その一瞬がオティーリエの心情を表している。
オティーリエは、覚悟を決めた。
万が一にも、大切な人達が巻き込まれないようにする。
つまり大切な人達と別れる決意。
そのことが痛いほどに伝わってきたヨハンは、繋いだ手に力を込めた。
「そっか。
アーサーのことがバレちゃったんだね。」
「俺の力が足りずに、こんなことになってすまない。」
ヨハンは一週間前にマージナリィにこのことを教えられて。
その時に、マージナリィと二人でその無力感に打ちのめされたのだった。
ヨハンとマージナリィは白騎士についての情報が漏れないように細心の注意を払っていたにも関わらず、それでも漏れた。
「ううん、お兄ちゃんのせいじゃないよ。
気にしちゃだめ。」
オティーリエが小さく首を振ってから、ヨハンを見上げた。
オティーリエの目に、自戒の念に苛まれるヨハンの横顔が映る。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。
わたしは大丈夫だから。」
気遣わし気にヨハンを見つめるオティーリエの視線に、ヨハンもオティーリエの方を向いて、表情を緩めた。
悔やむのはこの一週間、散々行った。
一番ツライ思いをする、いや、している本人に心配されるのは本末転倒というものだろう。
「分かった。
ありがとう、ティリエ。」
だから、ヨハンは無理矢理にでも笑みを浮かべて、その大切な名前を呼ぶ。
この名前も、この旅が終わる時には呼べなくなるだろう。
笑みが返って来たこと、そして名前を呼んでくれたことに、オティーリエも頬をほころばせた。
「ごめんね、お兄ちゃん。
隠してくれてたから、教えてくれるまで黙ってるつもりだったんだけど、我慢しきれなくて聞いちゃった。
でも、教えてくれてありがとう。」
騎士の眠る森は、もう目の前。
襲撃の後、森へ向かう道での色々なお話でした。
しっかり者の従者を脱力させるのは、この令嬢の特徴です。
そして、オティーリエはある決意をします。




