7.もう一つの侯爵領
オティーリエとヨハンは、ヴェルハルン駅に到着した後、すぐにヴェルハルン侯爵の屋敷へと向かった。
アーサーはオティーリエの肩に乗って。
建国前からある城塞都市をそのまま利用しているホルトノムルと違って、ヴェルハルンには城はない。
初代のヴェルハルン侯爵が領民と分け隔てなく、という理由と海岸線全てを見渡せるようにという二つの理由から、海に近い小高い丘の上に塀のない屋敷を立てて住み始めて、代々、その精神が受け継がれているのだそう。
そのヴェルハルン侯爵のお屋敷の場所は、駅にあった無料の観光案内で簡単に分かった。
その観光案内を手にヴェルハルン侯爵邸に向かう間が、ほんのわずかの観光時間。
晩餐会に出るので露店での買い食いも控えて、まっすぐにヴェルハルン侯爵邸に向かう。
道中、わずかでも観光気分を味わおうと言うのか、オティーリエは周囲をずっとキョロキョロ見回していて、何かを見つけてはヨハンとアーサーに報告していた。
◇ ◇ ◇
二人と一匹がヴェルハルン侯爵邸に着いた時、屋敷の前にはヴェルハルン侯爵と侯爵夫人を先頭に、その背後には使用人のお仕着せを着た人たちがズラリと並んでいた。
こうして迎えてくれるのは、もちろん、最大限の歓迎を意味している。
オティーリエとヨハンはヴェルハルン侯爵と侯爵夫人の前まで来ると、オティーリエは一度、ニッコリと笑ってから完璧なカーテシーを、ヨハンはオティーリエから一歩引いた位置で、執事としての礼をした。
「ヴェルハルン侯爵閣下、侯爵夫人にご挨拶申し上げます。
ホルトノムル侯爵エリオット・ロートリンデの娘、オティーリエ・セラスティア・ロートリンデです。
お初にお目にかかります。
お世話をおかけしますが、よろしくお願いします。」
オティーリエが挨拶をすると、ヴェルハルン侯爵と侯爵夫人が柔らかな笑みを浮かべて応えた。
「ヴェルハルン侯爵ウスターシュ・ロア・マリエス・ヴェルハルンだ。
ようこそ、ヴェルハルン侯爵領へ。
そうかしこまらないで、楽にしてくれ。」
「ヴェルハルン侯爵の妻アドリーヌ・レリア・ヴェルハルンです。
短い時間ですが、仲良くしましょうね。」
「はい、ありがとう存じます。」
オティーリエとヨハンが顔を上げる。
ウスターシュは50絡みの素敵な老紳士。
エリオットを弟のように可愛がってくれている人物で、オティーリエにもずっと会いたいと言い続けてくれていたらしい。
アドリーヌは上品で落ち着いた雰囲気の女性。
ウスターシュより10歳年下で、歳の差婚である。
けれど、二人は恋愛結婚。
今でも非常に仲の良い夫婦で、二人は優しい雰囲気に包まれている。
夫婦の間にはオティーリエよりも年上の息子と娘がいて、その二人は王都の学校に通っているので今日は不在。
「この子はアーサーといって、大切なお友達です。
ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?
大人しい子なので、ご迷惑はおかけしないと誓います。」
オティーリエが左肩に乗っているアーサーを二人に紹介した。
ヨハンは使用人という立場なので紹介しないけれど、アーサーは先に紹介しておかないと、侯爵家としても困るだろう。
「ええ、大丈夫ですよ。
可愛らしい子ですね。
後でご紹介下さいね。」
「はい、ありがとう存じます。」
ウスターシュは頷き、アドリーヌが答えた。
それから、オティーリエはまるで久しぶりに帰って来た娘を歓迎するかのようにウスターシュとアドリーヌに挟まれて背中に手を添えられ、屋敷の中へと案内された。
◇ ◇ ◇
挨拶を終えた後、オティーリエは客室に通された。
ヨハンは客室から続きになっている、お客様の使用人用の部屋だ。
お世話になる間は侍女も一人専属で付けてもらったので、オティーリエは客室に入ると、さっそく侍女に手伝ってもらって晩餐会のための準備に取り掛かった。
晩餐会に出るためのドレスは、ホルトノムルから空輸で緊急搬送されていた。
念のためということで三着も。
もちろん、それに合わせた靴とアクセサリーも送られている。
なんでもオティーリエの部屋付きの侍女達がお嬢様のお披露目だと気合いを入れて選んでくれたらしい。
そんなこととは露知らず、昼にヨハンに話を聞いてから晩餐会での衣装はどうしようと心配していたオティーリエは、ヨハンにそれを教えてもらって、ヨハンにも侍女達にも感謝しかなかった。
オティーリエは、まずは旅の汗を流すために、お風呂へ。
お風呂の後は髪を乾かすと、ドレスを着てアクセサリーを付け、それに合わせて髪を編み込んでもらった。
侍女にお礼を言って、準備万端整った頃に、扉をノックする音が聞こえた。
オティーリエがそうして準備をしている間、ヨハンは通された部屋で身支度を整えると、ヴェルハルン侯爵邸の執事に屋敷内での使用人のルールや今後の予定などを教えてもらいに行った。
世話を受ける側、つまり貴族はマナーが世界共通のため他家へ行っても違いを気にする必要はないが、使用人は違う。
主の世話をするために必要な物の場所や行動が家によって異なるので、きちんと確認しておかなけばならないのだ。
もちろん、入ってはいけない場所についても。
という訳でヨハンは色々と説明を受けながら屋敷内を案内してもらった後、ヴェルハルン侯爵家の使用人と一緒に夕食を摂り、そうこうしているうちに晩餐会の始まる少し前になったので、オティーリエのいる客室へと向かった。
オティーリエがノックの音に返事をすると、ヨハンが扉を開け、一礼した後、部屋に入ってきた。
そのままオティーリエの横に立つと、これからの予定を告げる。
この後、ウスターシュ、アドリーヌ、オティーリエの三人で晩餐会が行われ、それから部屋を移してお茶会をするらしい。
そのお茶会ではアーサーを連れて来るように、とのこと。
それでこの日の予定は終わりで就寝。
明日は騎士の眠る森という場所を目指して、6時には起きて朝食をいただいた後、準備をして7時にはお屋敷を出る。
この時、荷物は一日分の着替えだけで、残りの荷物は屋敷に置いて行って、明日も用事が済んだ後、ヴェルハルン侯爵邸にお世話になる予定らしい。
ヨハンが一通り予定を説明した後、オティーリエ達は侍女に案内されて食堂へと向かった。
晩餐会とその後のお茶会は、オティーリエにとって、とても充実した時間になった。
ウスターシュもアドリーヌも話題が豊富で機知に富んでいて、オティーリエが変に気を回したりしなくてもいいように気配りもしてくれて、飽きることなく、もうずっとお話しっぱなしだった。
侯爵とはお互いの領地についての意見交換に始まり、国内の各領地の話、国際情勢、産業、政治、経済について話が出来たし、さらに海軍の運用の仕方についても教えてもらえた。
侯爵夫人とは貴族間の関係や噂話、王都での流行について教えてもらったり、サロンや舞踏会を開催する際のアドバイスももらえた。
国際情勢や政治経済の話なんかはマージナリィともしたりするけれど、マージナリィとはどうしても師弟のような会話になってしまう。
ヨハンとは日常の雑談や領内事情が主な話題だし、侍女達との会話も基本的に身の上話や世間話。
なので、オティーリエにとって、今日の2人との会話は言葉に言い表せないほど特別な経験だった。
そんな特別な時間をすごした後は、お風呂に入って就寝。
さすがのオティーリエも前日、興奮して眠れなかったせいか、この日はベッドに入るとすぐに寝入ってしまった。
◇ ◇ ◇
「お兄ちゃん、今日はどこに行くの?」
翌日、オティーリエとヨハンは8時発の列車に乗るべく駅に来ていた。
駅と言っても、昨日の王国縦断鉄道とは違う駅。
ヴェルハルン侯爵が誘致して海岸線沿いに東西に敷設した鉄道で、ヴェルハルン海岸線鉄道と呼ばれている。
その鉄道のヴェルハルン駅で列車を待つ間、待合室でオティーリエがヨハンに話しかけていた。
それなりに早い時間だけど、待合室はけっこう混んでいて、ホームにも人が並んでいる。
「ん?
ああ、今日は東方面に2時間ほど列車に乗って、ニースっていう駅で降りる。
そこから歩いて2時間ほどの所にある、騎士の眠る森という大きな森に行く予定だ。」
昨晩、伝えているはずなのに、わざわざ今聞いてくる意図を察して、ヨハンも細かく答える。
「ふーん、駅からけっこう歩くんだね。
途中、町や村は?」
「俺も旅行情報誌で読んだだけだから、多少、違うかもしれないが、ニースの駅周辺から海岸までは小さな町になってるらしいぞ。
ただ、森へはその町を出てしばらく歩くらしい。
まあ、手入れのされている遊歩道が繋がってるらしいから、そんなに苦労はしないと思うが。」
「わかった、ありがとう、お兄ちゃん。
その遊歩道から海見える?」
「さあ、どうだろう。
さすがに行ってみないと分からないな。」
「そっか。
海が見えるといいね。
海見ながら、お兄ちゃんと手を繋いでお散歩出来たら楽しいだろうなぁ。」
「・・・ああ、そうだな。」
オティーリエのお気楽発言に、ヨハンの反応が一瞬、遅れる。
今は仲のいい兄妹を演じているので、そう発言されるとヨハンも断れない。
オティーリエはニコニコ笑顔で、ヨハンは笑みを浮かべながらも微妙に口角を引きつらせている。
この時、オティーリエは言質を取ったと表情の通りに喜んでいて、ヨハンの方は、他に答えようのない状況でその質問は卑怯だろうと、内心ではそれぞれ、そんなことを考えていた。
「ところで、お兄ちゃん、今、その旅行情報誌持ってる?」
「いや、今は持ってないが。」
「じゃあ、観光案内取って来るね。」
オティーリエはそう言うと、スタスタと駅併設の売店の方に歩いて行った。
売店の横に、ヴェルハルン侯爵領の観光ポスターが貼られていて、その前にテーブルが置かれて、観光案内のパンフレットが置かれている。
オティーリエはそれを手に取ってヨハンの横に戻って来ると、パンフレットを広げた。
「うーん、騎士の眠る森については書かれてないね。」
オティーリエはパンフレットを表替えしたり裏返したりして、隅々まで見たけれど、どこにも載っていない。
「まあ、大きいとはいえ、ただの森だからな。
あまり観光でお勧めするような場所じゃない。」
「そうなんだ。
ところで、なんでこの名前が付いたのか知ってる?」
小首を傾げて尋ねるオティーリエに、ヨハンは顎に手をあてて思い出すように視線を上に向けながら答えた。
「いや、由来までは調べなかったな。
気になるのか?」
「うん。
だって、意味深な名前だもん。」
「確かにな。
地元で聞いてみれば何か分かるかもしれないから、ニースの駅で聞いてみよう。」
「うん、分かった。」
そこまで話したところで、ヨハンが荷物を持って立ち上がった。
予定通り、一日分の着替えが入っただけの小さめの肩掛けの鞄。
「じゃあ、そろそろ時間だ。
行くぞ。」
「うん。」
オティーリエもヨハンに続いて立ち上がった。
オティーリエの荷物はヨハンと同じく小さめの鞄に、あと、アーサー入りのナップザック。
今日も波乱の一日になりそう、と気を引き締めて、オティーリエはヨハンの後を追った。
南端の侯爵領を出発し、北端の侯爵領に到着しました。
街で泊まれなかったのは残念ですが、その分、侯爵と侯爵夫人との会話は盛り上がりました。
そして、いよいよ目的の岬に向けて出発です。




