4.犯人確保
オティーリエは自席に戻ると、窓の外を見ながらヨハンが行動を起こすのを待った。
アーサー入りのナップザックは膝の上。
『アーサー、奴隷商人らしき人物を見つけました。
これから、確認を行います。』
オティーリエは古語で人身売買、という言葉が思いつかなかったので、奴隷という言葉を使ってアーサーに説明した。
本当はあの女の子を奴隷と表現したくなかったけれど、他に適切な言葉が思いつかなかったので仕方なく。
『了解した。
必要な時は声をかけてくれ。
すぐに袋から飛び出す。』
『お願いします。』
オティーリエとアーサーが話をしている間に背後で騒ぎの声が上がった。
ヨハンが行動を開始したようだ。
オティーリエはヨハンの席に乗り出すようにすると、背板の影から後方を窺う。
男性の方が立ち上がってヨハンに怒鳴りつけ、ヨハンは平謝りしている。
男性の濡れ方からすると、どうも服にさっとコーヒーをかけたのではなくて、頭からかけたようだ。
ヨハンがちらっと周囲に視線を巡らせると、それで男性も周囲の視線に気づいたようで、少し勢いが衰えた。
そこでヨハンがすかさず客車の後方に手を差し伸べながら声をかけると、男性は悪態をつきながら車両の後方に向かい、車両から出て行った。
ヨハンはちらっとオティーリエの方を見た後、男性の後について車両を出て行く。
オティーリエは男性が車両を出て行くと、さっと立ち上がって、3列後ろ。
つまり、残された女の子の隣、出て行った男性の席に移動した。
◇ ◇ ◇
「はじめまして、わたしはティリエ。
あなたのお名前は?」
オティーリエは笑顔が女の子に話しかけたけれど、反応がない。
女の子は窓の外に視線を向けたまま、オティーリエがいないかのよう。
そんな女の子を、オティーリエはじっと見つめた。
黒い髪に黒い瞳。
白磁のような白くて美しい肌をしている非常に可愛らしい女の子。
ただ。
その瞳は虚ろで、何も映していない。
顔色も不健康な白さで、血の気も全く感じられなかった。
心配になったオティーリエは、そっとその手を握ってみたが、それにも何の反応も示さなかった。
「言葉は分かる?」
やはり反応がない。
ホルトノムル駅から乗ったということと、ホルトノムルでの事件だということは、イコールにはならない。
ホルトノムル駅は南の終着駅なので、東に国境のあるエラント王国か南に国境のあるクウェーリ公国から来たという可能性もある。
「言葉は分かる?」
オティーリエは改めてエラント語で話しかけてみた。
それでも反応がない。
「言葉は分かる?」
クウェーリ語でも話しかけてみた。
すると、ピクリと肩が動いた気がした。
オティーリエもクウェーリ語は習っている途中なので堪能とは言えないけれど、今まで習って来た言葉を懸命に思い出してクウェーリ語で話しかけてみることにした。
「はじめまして。
わたしはティリエ。
あなたのお名前は?」
少女はオティーリエの呼びかけにびくっとした後、ゆっくりとオティーリエの方を向いた。
まだどこか視点の合っていない様子だけど、少なくとも顔を向けてはくれた。
「あ、無理に名乗らなくても大丈夫。
ただ、話を聞いて欲しいの。
あ、うーん、話を聞いて欲しいって言うよりお願いかな。」
オティーリエが言いながら、握っている女の子の手に力を込めた。
親しみをこめて、話し言葉もフランクに。
「あのね、わたし達、あなたは無理矢理連れてこられたんじゃないかと思ったの。
だから、出来れば、あなた逃げ出せるお手伝いがしたいなって。
こんな、初めて会った人に言われても信用できないかもしれないけど、本当の気持ち。
お手伝い、さえてもらえないかな。」
じっとオティーリエが女の子の目を見ると、女の子の目が揺らいだかと思うと、つい、と視線を逸らした。
その瞳に浮かんだ感情は、おそらく恐怖。
握っている手もわずかに震えている。
そんな女の子に、一瞬、痛まし気な表情をしたオティーリエだったけれど、すぐに元の笑顔に戻った。
「さっき、一緒にいた男性を連れて行った男の子は、わたしのお兄ちゃんなの。
わたしだけじゃなくて、二人でやろうとしているんだ。
この作戦もお兄ちゃんが考えたの。
お兄ちゃんは、なんでもできるすごい人なんだよ。」
オティーリエは女の子を見ながら、そこで一つ頷いて。
「だから、大丈夫。
もう、あの人達に惨いことはさせないから。
そのために、あなたに、教えて欲しいの。
あなたのことを。」
少女は顔を伏せると、そのまま、ぽつりと呟いた。
「あたしは、ベル。」
それだけを言って、再び口を閉じた。
その手が震えている。
オティーリエは、ベルの片手だけでなく両手を覆うように握った。
「あたしは、小さな村の孤児院で育ったの。
そこで、里親だと迎えに来てくれた人に付いて行ったの。
その人は、最初は普通に接してくれてた。
でも、その人の家に入った途端、押さえつけられて、手足を縛られて、口も覆われて。
それから、牢屋に入れられたの。
牢屋で3日間、過ごした。
牢屋から出た後は。」
ベルはそこで再び口を噤んでしまった。
続きを話してくれるのをオティーリエはじっと待っていると、ベルはしばらくして再び口を開いた。
「・・・競・・・売・・・に・・・かけられたの。
今、あたしを連れているのはそこで・・・あたしを・・・買・っ・た・・・人。」
そこまで聞いて、オティーリエはベルの両手を離すと、そっとベルを包むように抱いた。
ベルの方は俯いたまま何の反応も示さなかったけれど、その纏う雰囲気が少し和らいでいる。
「ありがとう、勇気を出して言ってくれて。
あなたの勇気で、何人もの人が救われるわ。」
それから少しの間、ベルを抱きしめていたオティーリエは名残惜しそうにその両手を離すと、立ち上がった。
ベルが思わずオティーリエの方を見る。
「またすぐ戻って来るから、少しだけ待ってて。
お兄ちゃんに報告だけしてくるから、そしたら、またすぐに来るからね。」
オティーリエが笑顔で見つめながら言うと、ベルは膝の上の両手をぎゅっと握って、不安そうに、でも、こくんと頷いた。
ベルが頷くのを見たオティーリエは、アーサー入りのナップザックを席に置いて、ヨハンのいるだろう4両目へと向かった。
◇ ◇ ◇
オティーリエが4両目の食堂を抜け、後部にある洗面台に来ると、ちょうど中からヨハンが出て来るところだった。
オティーリエの気配に気づいて、ヨハンがオティーリエの方を見る。
オティーリエの方もヨハンが自分を見たのが分かると、にっこり笑って右手で〇を作って見せた。
それにヨハンはにやりと笑うと一つ頷く。
オティーリエはヨハンに頷き返すと、すぐに踵を返してベルの所に戻った。
ヨハンはオティーリエの合図を見ると、自分の後について出てきた男をいきなり殴りつけた。
顎を横から打ち抜くように。
男はそれで白目をむくと、膝から崩れ落ちる。
ヨハンは男を肩に担ぎ上げると車掌室に向かった。
車掌室は5両目の一番前なので、幸い人目にもつかずに着くことが出来た。
ヨハンが車掌室の扉をノックすると、中から扉が開き、車掌が出てきた。
男を担いだヨハンを見て、一瞬、息を飲んだけれど、すぐに気を取り直して折り目正しくお辞儀をする。
軌上鉄道には貴族などの身分の高い人物が乗車することも多い。
このため、軌上鉄道の車掌になれる人物は礼儀作法はもちろんのこと、客への対応についてもしっかり教育され、経験を積んだ者しかなれない。
「当列車の車掌のマグナスと申します。
その男性は、どうかされましたか?」
とりあえず受け取ろうとマグナスが男に向かって手を伸ばす。
ヨハンは男を車掌に渡すと、手錠をポケットから取り出してガシャンと男にかけた。
車掌は一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐに元の態度に戻って車掌室に男を担ぎ入れた。
「事情をご説明いただけますか?」
マグナスは言いながら、ヨハンに車掌室に入るように促す。
ヨハンが頷いて車掌室に入ると、マグナスも続けて車掌室に入って扉を閉めた。
マグナスはヨハンに車掌室の中に一つだけある椅子を勧めて自分は立ったままで話しかけた。
「お客様、何があったのでしょうか?」
「人身売買の現行犯だ。
ただの買い手なのか売り手なのかは分からないが。」
「失礼ですが、お客様のご身分は?」
「隠密行動中なので、名は明かせない。
だが、これで身分の保証になるだろう。」
ヨハンは上着の内ポケットに隠し持ったホルトノムル侯爵領の紋章入りの短剣を見せた。
貴族の紋章入りの物を持つということは、その貴族の一族か、信任を得ていることを意味している。
家によってその形は様々だが、ホルトノムル侯爵家ではそれが短剣になっている。
「秘さなければならないお立場で証を立てていただき感謝します。
それでは、この者は車掌室でお預かりしましょう。
次の駅で鉄道警察に引き渡します。」
鉄道警察というのは、列車内、駅をはじめ鉄道関係全般で発生した犯罪やトラブルを解決するための組織だ。
とはいえ、それほど権限の強い組織ではなく、あくまで鉄道会社が自治のために持っている組織。
最終的には、地元警察や、必要によっては王都の警察本部に連絡して捜査を行ってもらうことになる。
「いや、手間をかけて申し訳ないのだが、オリベスクまで拘束しておいてもらえないだろうか。
オリベスクでホルトノムル侯爵閣下の配下に引き渡したい。」
「理由を窺ってもよろしいでしょうか?」
「この男はホルトノムルから乗車している。
つまり、ホルトノムル侯爵領内で人身売買が行われた疑いがある。
そうでない場合、各国境門の騎士達が見逃したのなら各騎士団の捜査が必要だし、密入国の可能性もある。
その辺りを明確にするため、まずはホルトノムル侯爵領で尋問を行いたい。
それに、まだホルトノムル侯爵領内だろう?
ホルトノムル侯爵領でホルトノムル侯爵閣下に仕える者が捕まえたんだ。
ホルトノムル侯爵領で裁くのに、なんら問題はないはずだ。」
オリベール王国は国家組織として警察を組織し、全国に配置してい治安維持を行っている。
しかし、いくつかの領地では自治を認めていて、ホルトノムル侯爵領もその自治を認められた領地の一つ。
警察組織も王国のものではなくてホルトノムル侯爵領の物だ。
「承知いたしました。
それでは、オリベスクでお引き渡しいたします。
どなたにお引き渡しすればよろしいでしょうか?」
「俺が自分で引き渡すよ。
オリベスクに着く直前に受け取りに来る。」
「承知いたしました。
それでは、それまで責任を持ってお預かりいたします。
こちらのことは気にせず、よい旅をお過ごし下さい。」
さすが一流、とヨハンはこの車掌のことを感心した。
「ありがとう、助かる。
時々、様子を見に来るよ。」
「ありがとうございます。
私も荒事は少々苦手ですので、助かります。
よろしくお願いします。」
マグナスが穏やかな笑みを浮かべてヨハンに頭を下げると、ヨハンはそれに頷いてから席を立ちあがり、車掌室を後にした。
◇ ◇ ◇
車掌室を後にしたヨハンは、列車の最後尾、6両目の乗車口にいた。
誰にも見られず、聞かれないようにするためにここに来たのだった。
この場所は客室側だけが壁で、それ以外は腰までの高さの柵で囲われている。
ここなら、壁側にだけ注意を払っていれば、誰かがやって来たことにすぐに気付ける。
手すりに背をもたせかけたヨハンは、懐から親指で軽くつまめる大きさの球体を取り出した。
それから、その玉についている小さなスイッチを押す。
少し待つと、慌てたような声がその球体から聞こえてきた。
『どうした、ヨハン。
まだ旅に出たばかりだろう。
しょっぱなからオトに何かあったのか?!』
聞こえてきたのはホルトノムル侯爵。
ヨハンの主の父親の声。
その常にない慌てぶりに思わず笑いがこぼれる。
ヨハンが持っているのは、通信のための魔法具。
古から伝わるホルトノムル侯爵家の秘伝の一品。
娘の初めての旅のためにこんな貴重な物をポンと出してくるあたり、この侯爵閣下の親馬鹿っぷりは相当なものである。
「旦那様、この通話は、そのお嬢様からの命令でございます。」
『どういうことだ?
まさか、話したのか?』
エリオットの声が低くなった。
目の前にいないのに、冷たい視線を感じるが、そんなことはヨハンにとってはどこ吹く風だ。
「いいえ。
普段の旦那様のご様子から、旦那様が私との連絡手段を準備していると考えられたそうです。
さらに言いますと、それ以上の説明は求められませんでした。
まったく、本当に聡明なお嬢様です。」
『事情は分かった。
それで、オトから何を頼まれた?』
エリオットの口調が普段の調子に戻った。
「人身売買の犯人の尋問と被害者の保護です。
犯人と被害者をオリベスクでお渡ししますので、手配をお願いします。」
『人身売買だと?
詳細は?』
「まだ列車の中ですので、尋問を行えていません。
ホルトノムル侯爵家で尋問をお願いします。」
『人身売買だと判断した根拠は?』
「お嬢様が被害者から聞き出しました。」
魔法具の向こう側の空気がふっと和らいだ気がした。
魔法具にそんな機能があるかはヨハンも知らないが、気のせいではないだろう。
『そうか。
分かった、駅に使いを送る。
3両目前方の乗車口に連れて来てくれ。』
エリオットはヨハンがどの席を取ったか、きっちり把握済らしい。
まあ、ホルトノムル城内において、エリオットが把握していない情報はない。
特にオティーリエ絡みの情報は。
「分かりました。
それから、被害者の扱いにはご注意下さい。
お嬢様が気にされます。」
『言われるまでもない。
では、人身売買については以上だな?
実はこちらからも話がある。』
エリオットからの話は、さすがのヨハンもげんなりしてしまうような内容だった。
騒ぎにもならず、無事に犯人確保しました。
犯人にとっても不意打ちで、抵抗する間もありませんでした。




