3.それでも事件は起こる
食堂車での朝食はオティーリエには大満足だった。
味はともかく、列車、それも軌上鉄道の食堂車で食事をするという特別感だけでもうお腹一杯だったから。
そして自席に戻ったのだけれど、オティーリエは席に着く前にヨハンの腕を掴んだ。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
こっちこっち、とその腕を引っ張って、乗車口へ行こうとする。
ヨハンは、ああ、やっぱり、と諦めの表情でオティーリエに引っ張られるまま付いて行った。
乗車口は客車の前後についている乗客が乗車するためのスペースだ。
客室とは壁で隔てられていて、普通は人の来ない所。
オティーリエはそこにヨハンを連れて来ると、声を潜めて話し出した。
ヨハンは壁にもたれて腕を組みながら俯いて視線だけをオティーリエに向け、オティーリエはその正面に仁王立ちしている。
「後ろ3列目の人達、気が付いた?」
「やっぱりか。
嫌な予感したんだよな。」
「やっぱり、気づいてたんだね?」
「ああ。
だがな、ティリエ。
今、お前と俺は隠密行動中だぞ。
目立つことは避けないといけないんだ。」
そう言いつつも、オティーリエは聞かないだろうな、とヨハンは思っていたし、気付いた時からこの展開を予想して、どうするかはもう決めている。
「でも、許せない。
人身売買だなんて。」
オティーリエが見たのは、哀れな少女の姿。
オティーリエと同い年くらいのその女の子は顔に生気がなく、視線は虚空を見つめ、相応の服を着せられているものの、袖口からわずかに覗く手首に何かで縛られていただろう痕が見えた。
それだけで人身売買と断定することは出来ないけれど、少なくとも虐待は受けていると見て間違いないだろう。
隣に座っていた男は20代後半くらい。
仕立てのいいチェック柄のスリーピーススーツを着ていて、荷物棚にはシルクハットにフロックコートも置かれているようだった。
ハッキリ言って服の格がちぐはぐで、これも人身売買だろうと見当を付けた理由の一つ。
人身売買は現代になって、どの国も禁じた重罪である。
しかし、取り締まりが厳重ながらも、裏社会ではまだまだ蔓延っている。
「まあ、そう言うと思ってたよ。
仕方ないな。」
まっすぐに見つめて来るオティーリエに、ヨハンは肩を竦めて、これ見よがしにはあ、と溜息をついた。
それから、ちらっとオティーリエを見て言葉を続けた。
「やることは単純だ。
俺があの男にうっかりコーヒーをこぼす。
その流れで洗面所に連れて行くから、その間にあの女の子に事情を聞いてくれ。
それで人身売買だとハッキリしたら、車掌と協力して捕まえよう。」
「さっすがお兄ちゃん、もう考えてたんだね。
じゃあ、この列車は王都を通るし、保護と尋問はお父さんにお願い出来る?」
「また急展開だな。
じゃなくて。
どうやって連絡取んだよ。」
ヨハンが呆れた口調で答えると、オティーリエはなんでもないことのように返した。
「お兄ちゃんなら取れるでしょ?」
その一言に、ヨハンが強く反応した。
俯いていた顔を上げ、強い視線でオティーリエを見る。
「・・・どこまで知ってるんだ。」
「え?
ううん、何も知らないよ。
お兄ちゃんと二人きりの旅だから、お父さんなら何か連絡手段を用意してるだろうなって思っただけ。」
ヨハンがその真意を測るように、じっとオティーリエの顔を見つめる。
合ってるでしょ?と言いたげにニコニコと笑顔を返すオティーリエに、ヨハンは再び大きく溜息をつくと、ふっと笑みを浮かべた。
それから、くくっと小さく喉を鳴らして笑う。
ヨハンの態度の変化にオティーリエが戸惑っていると、ヨハンが人の悪い笑顔でオティーリエを見た。
「まさか、最初に使うのがお前からの指示だとは、旦那様も想像してないだろうな。
分かった、俺が連絡して、オリベスク駅に迎えを寄越してもらうようにしておく。」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
オティーリエがお礼を言いながらヨハンの手を握ろうと手を伸ばすと、ぱっと避けられた。
避けられてしまった自分の両手を見たオティーリエが、むっとして再びえいっと手を伸ばすと、それも綺麗に避けられた。
「どうして避けるの。」
「いや、だから、節度は保てって。」
ぶーっと膨れるオティーリエに、呆れた顔で答えるヨハン。
「えー、だから、抱き着かなかったんだよ。
手を握るくらいいいでしょ?」
「よくない。
そんなことより、あいつらがどこで降りるか分からないから、早速、仕掛けるぞ。」
ヨハンが顔を引き締めてオティーリエを見る。
「うん、分かった。
お兄ちゃん、お願いね。
後は任せて。」
オティーリエはまだ用事があったけれど、ヨハンの言う通りなので、今は目の前のことに集中すべく真剣な表情で頷いた。
楽しい列車旅行ですが、そこでもきっちり事件は起こります。
主従(と、ついでにリス)共にこういうことを見逃せない性質なので、揃って首を突っ込みます。




