1.さあ出発!
今日はヨハンとオティーリエが岬の転移の魔法陣の調査に向けて出発する日。
・・・の、前日。
つまり日曜日。
月曜日朝一の列車で出発するということで、前日の午後にはお城を出て、駅近くの宿で一泊することになったのだった。
この国には王都を中心に南北と東西に貫くように鉄道が走っていて、南北に走る鉄道は王国縦断鉄道、東西に走る鉄道は王国横断鉄道、と呼ばれている。
そのうち、王国縦断鉄道の南側の終点がここ、ホルトノムルにある。
駅のある場所はホルトノムル領都の北門を出て、北の街道沿いに30分ほど歩いた所。
駅の周りには土産物屋や宿屋などが立ち並び、領都から続いてもう一つの街を形成している。
今、オティーリエは北門を出て、北の街道沿いに駅に向かって歩いているところ。
北門から駅までバスが出ているにも関わらず歩いているのは、楽しい気持ちが高じて無性に歩きたくなったせい。
マーガレットには申し訳ないし、昨日はあんなに落ち込んでいたのに現金だなとオティーリエ自身思っているけれど、どうしようもなく胸が躍るのだ。
だって、初めての遠出だから。
荷物は旅行用品と着替えの入ったちょっと小さめのキャリーケースに、アーサーが入ったナップザック。
足取りも軽く、周囲の風景を見回しながら、ご機嫌で歩く。
一人でいるのにはもちろん理由があって、街中でヨハンと一緒にいるところを知り合いに見られると後々都合が悪いから。
そんな訳で、二人は駅で落ち合うことにして、別々にお城から出てきたのだった。
そうしてオティーリエは駅に着くと、ヨハンとの待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせているのは改札前の大きなエントランスの案内板の前。
オティーリエがそこに着くと、ヨハンはすでにそこで待っていた。
ヨハンもオティーリエと同じように旅行用のキャリーケースを持っている。
荷物が多いのか、オティーリエよりも大きめだ。
ヨハンを見つけたオティーリエは駆け寄りながら声をかけた。
「お兄ちゃん!」
高揚した気分のままに呼びかけたせいで、思わぬ大声になってしまった。
エントランス中に響いてしまったその声に、オティーリエは自分でびっくりしてしまって、思わず足を止めて空いている手で口を押さえる。
ヨハンはその呼びかけがまさか自分への呼びかけとは思っていなかったものの、なぜか自分に向けての呼びかけのようだったし、よく知っている声だったので、声のした方を向いた。
そこにいたのはオティーリエ。
ヨハンは慌てて周囲の気配を探りながらキャリーケースを引いてオティーリエに近寄ってきた。
騒がしいエントランスだし、駅ではよくある光景なおかげで、注目を集めたりはしていないようだ。
こちらを伺っている視線は感じない。
「お兄ちゃん、ごめんね、いきなり大声で呼んじゃって。
びっくりした?」
近寄ってきたヨハンに、オティーリエが誤魔化し笑いを浮かべながら言った。
「いや、そんなことより、お兄ちゃんって、いきなりなんだよ。」
「え?
だって、お兄ちゃんでしょ?」
オティーリエが、きょとんとした顔で逆に尋ねる。
そう尋ねられて、ヨハンは頭をかきながら頷いた。
「いや、そうだな、お兄ちゃんだったな。
いきなりだったから、自分のことだと思わなかった。」
「しっかりしてよ、お兄ちゃん。
じゃあ、合流出来たし、宿に行こ。
もう取ってくれてるんでしょ?」
「ああ。
・・・お嬢、なんか浮かれす、ぎ・・・?」
ヨハンがそう言った途端、オティーリエはぷくーっと膨れて、上目遣いにヨハンを睨んだ。
いきなりの変わりっぷりに、ヨハンも戸惑って言葉が途切れてしまう。
「え、いや、どうした、お嬢。」
「それ。」
ヨハンがお嬢、と言ったところでオティーリエが続きを遮った。
「それってどれだ?」
ヨハンが尋ねても、オティーリエは膨らんだまま答えない。
どうも、自力で答えを見つけないと許さない構えだ。
さすがのヨハンも困って、ヒントを見つけるべく先ほどの自分の言動とオティーリエの指摘を思い出す。
少し考えて、ようやく答えに辿り着いた。
「ああ、そうか、兄妹だっけか。
すまない、ティリエ。
・・・これでいいか?」
ヨハンが、呼び慣れないせいでちょっと言いにくそうに名前を呼ぶと、オティーリエはパッと花が咲いたように笑顔になった。
でも、次の瞬間にはむくれ顔に戻る。
「心が籠っていません。
やり直し。」
ツーン、と横を向いた。
しかし、今度はヨハンも黙っていない。
「調子乗ってんじゃない、行くぞ。」
言うと、ヨハンはオティーリエに背中を向けてスタスタとエントランスの出口へと歩き出した。
「えええ?!
ごめん、ちょっと待って、お兄ちゃん!」
放置されたオティーリエが慌ててその背中を追いかける。
なにはともあれ。
こうして、この主従の珍道中は始まったのだった。
◇ ◇ ◇
それから後は、オティーリエはもう興奮しっぱなしだった。
なんといっても初めての宿屋。
今まで一度もお城から出たことのないオティーリエにとって、ただの宿屋でも興味の対象だ。
宿に着いてすぐにロビーをくまなく見て回り、それからヨハンがしているチェックインの手続きを横から興味深そうに覗き込み、目を輝かせて自分が泊まる部屋の鍵を受け取った。
その後、街を見てみたかったオティーリエは外に出ようとヨハンを誘ったけれど、もう外に出てはいけないと諭されて外に出るのは断念した。
けれども、そんなことでオティーリエの興奮は冷めなかった。
ヨハンに話しかけながら荷物を引いて、部屋の前に来る。
一人客用の部屋で、ヨハンは隣。
ヨハンが手をプラプラさせながら自分の部屋に行くと、オティーリエはヨハンがへ部屋の扉に鍵を差し込むまで手をぶんぶんと振っていた。
そして、ヨハンが自分の部屋の扉を開けたところで、オティーリエは自分の部屋の方を向いた。
両手でぎゅっと鍵を握りしめて、じっと扉の鍵穴を見つめる。
そんなオティーリエをヨハンが扉を開けたまま、顔だけ出して見ているのにも気づかない。
少しの間、鍵穴を見つめていたオティーリエは、握りしめた両手を離すと、そろそろと右手に持った鍵を鍵穴に差し込んだ。
そして、くるっと回すと、カチャリと音が鳴って鍵が開く。
ただそれだけのことにパアッと顔を輝かせると、やはり、そおっとドアノブに手を伸ばした。
そして、ゆっくりと扉を開く。
部屋の中を覗き込んでキョロキョロと確認した後、足元を見ながら、一歩、足を踏み入れる。
そのまま、またしばらく感動を噛み締めた後、顔を上げて、ようやく部屋の中に入って行った。
ヨハンはオティーリエの部屋の扉が閉まるのを確認すると、ふっと笑みを漏らしてから、自分の部屋に入った。
オティーリエは部屋に入るとアーサーをナップザックから出して抱えると、のべつまくなしに話しかけながら部屋中くまなく観察して回った。
それを終えるとアーサーをベッドに置いて靴を脱ぐと、ベッドに寝転がって端から端までゴロゴロした。
そんなに大きなベッドではなかったけれど、それでも大人用。
小柄なオティーリエには十分な大きさがあって、端から端まで転がれば一回転くらい出来る。
そして、ゴロゴロした後は掛布団を頭まで被ったり、シーツに顔を埋めてその香りを嗅いだりとベッドを堪能して。
それから勢い余って床でもゴロゴロ・・・は、侍女達が大切に手入れしてくれている髪の毛がぐちゃぐちゃになりそうだったので、さすがに自重したけれど、それでも床にうつ伏せになって、精一杯手足を伸ばす。
おかげで服は砂だらけになってしまったけれど気にしない。
ついでにアーサーが呆れたような視線で見ていた気もするけれど、断固気にしない。
そうして一通り部屋の中を堪能した後はお風呂へ。
宿屋のお風呂は泊り客だけが使える共同浴場だ。
まだ夕食前だけあって、他に客の姿は見えない。
脱衣場で服を脱ぐ前に、他の客がいないのをいいことに脱衣場中を見て回る。
一通り見て回って満足すると、服を脱いで丁寧に畳んで籠に入れると浴室へ。
浴室も中をくまなく見て回って、満足してから身体と髪を洗う。
いつもは侍女にやってもらっているけれど、お尻が隠れるほどに長い髪の毛を一人で洗うのは本当に大変。
だけど、一人だからと手を抜いてはいつも丁寧に洗ってくれている侍女達に申し訳ないので、時間をかけて丁寧に洗う。
洗い終わると、ゆっくりお湯に浸かって、しっかり温まってからお風呂を上がった。
部屋に戻ってみると、もう19時前。
ヨハンとの夕食の待ち合わせは18時。
1時間もオーバーしている。
オティーリエは慌ててヨハンの部屋に行ってノックをした。
ヨハンは扉を開けて腕を組んで出て来ると、ジロッとオティーリエを睨む。
背丈に差があるので、見下ろすようにしていて、怖さ倍増。
オティーリエは両手を合わせて拝むようにしながら必死に謝る。
「ごめんなさい、お兄ちゃん!
珍しいものばかりで色々見てたら時間忘れちゃって。
本当にごめんなさい!」
必死に謝るオティーリエに毒気を抜かれたヨハンは、はあ、と大きく溜息をつくと、頭をかいた。
「まあ、いい。
今日のところは実害なかったからな。
でも、明日からは時間に遅れると色々と面倒になるからな。
お前も気を付けてくれ。」
その言葉を聞いたオティーリエはばっと顔を上げた。
いつの間にか拝み手だった手は胸の前で握りあわされていて、目が輝いている。
「いま、おにいちゃんが、わたしのこと、おまえって・・・!」
なんだかイントネーションもおかしい。
「ん?
いや、兄妹だって言うから。
イヤだったか?」
ヨハンは嫌そうには見えないな、と思いつつ、オティーリエがどう思っているか把握出来ずに確認してみる。
それにオティーリエはぶんぶんと首を振って、がばっと抱き着いた。
「ううん、嬉しかったの!
ありがとう、お兄ちゃん!」
ついでにどさくさ紛れに胸に顔を寄せて頬ずりなんかしている。
至近距離だった上に全く警戒していなかったおかげで避け損ねたヨハンは、慌ててべりッとオティーリエを引き剥がした。
昨日の夜のことが走馬灯のように思い出される。
「待て、兄妹だとしても節度は保ってくれ。」
「え、兄妹ならこれくらい普通でしょ?」
「いや、お前と俺くらいの年齢なら、もうこんなことしない。」
「え?
そうなの?
残念。」
だから、このお嬢様の天然ぶりを!というのはさておき、ヨハンは軽く首を振った後、溜息をついた。
「とにかく、こういうのはなし。
いいな。」
「はぁい。
じゃあ、食堂行こ、お兄ちゃん!」
オティーリエがヨハンの手を掴むと、食堂のある方へ歩き出す。
しかし、ヨハンはその手をパッと振り解いた。
「え、お兄ちゃん?」
振り解かれて、驚きながら振り返るオティーリエ。
それにヨハンは腕を組んで半眼でオティーリエを見た。
「鍵、閉めて行かないといけないからな。
ひょっとして、ティリエは閉めてなかったりしないだろうな?」
ヨハンが言うと、オティーリエはヨハンの方に向き直り、ふふんと胸を張った。
「もちろん、ちゃんと閉めてるよ。
アーサーにも部屋で待っていてくれるように言って来たんだから。」
「そうか、ならいい。
ちょっと待ってくれ、今、鍵を閉めるから。」
「うん。」
ニコニコとそこでヨハンを待つオティーリエ。
ヨハンは部屋の中に鍵を取りに戻った後、部屋から出て来て鍵を閉め、二人並んで食堂へと向かった。
オティーリエの夕食は、エリオットがいない時はいつも一人だけど、今日は別。
ヨハン、いやお兄ちゃんと一緒の食事に終始ご機嫌で夕食を終える。
その後はもう一度お風呂へ。
居合わせた老婦人や母娘と楽しく歓談しながらお湯に浸かり、お風呂を上がって部屋に戻る。
部屋では髪を乾かしながら明日の準備。
明日は始発に乗る予定なので、朝が早い。
ゆっくりしていられないので、今のうちに明朝、すぐに出発出来るように荷物を整理しておく。
とはいえ、それはすぐに終わり、まだ髪が渇いていなかったので、アーサーと一緒に窓から外を眺めた。
もう遅い時間だけど、列車がまだ走っているおかげか、まだ街の灯りは消えていない。
日中ほどでもないものの、人出もまだ途切れていないようだ。
オティーリエがそのまま外を見ていると、アーサーから身体を冷やしてしまうとストップがかかったので、大人しく窓を閉めてベッドに入る。
こうして、オティーリエ大興奮の一日は過ぎていくのだった。
令嬢大興奮の一日でした。
なにせ初めてのことばかりで思いっきり舞い上がっています。




