3.騎士との出会い
オティーリエは神殿から出ると、軽く顔を伏せて、頭を覆っていたバンダナを解いた。
少しウェーブがかった、お尻を覆い隠すほどの長さのある艶やかな翡翠色の髪がその背中に広がり、わずかにそよいできた風がその髪を軽く靡かせる。
それから、小さく息を吐いて。
顔を上げた次の瞬間。
それまでとは全く別人の雰囲気を纏っていた。
その恐ろしいまでに整った容貌に凛とした表情を浮かべ、光の加減によっては黄金色に映る澄んだ琥珀色の瞳には怜悧な光を湛え、昂然と胸を張る。
町娘の服を着てなお貴婦人としての威容を示すその少女は、明るくて人懐こい下町のティリエではなく。
オティーリエ・セラスティア・ロートリンデ。
ホルトノムル侯爵エリオット・ロートリンデのただ一人の息女である。
そのオティーリエの斜め後ろに、神殿の入り口脇で待機していたヨハンがやって来ると、左手を腹に添え、右手を後ろに回して礼をした。
そのヨハンも、今は街で生活する少年が着るような服装をしているが、その佇まいは上流階級、それも最上位の人物に仕える従者のそれである。
ヨハンは、ただヨハンでファミリーネームはない。
その髪の色は深い紺色。
主と並んでも見劣りすることのない整った容姿に、夜よりもなお暗いと表現される闇色の不思議な輝きを宿した瞳を持つ少年だ。
12歳の時にホルトノムル侯エリオット自らによって召し抱えられ、それ以来6年間、お城の従僕兼オティーリエ専属の従者として仕えている。
「報告を。」
「はい。」
オティーリエが前方を見据えて歩き出しながらヨハンに言うと、ヨハンも顔を上げ、オティーリエの後に続きながら報告を始めた。
「現状、死者一名、負傷者数名とのことです。
西門と西門周辺の家屋が倒壊し、第二騎士団が住民の救助と捜索に当たっています。」
主が最も気にしているであろうことを最初に。
それから、さらに状況の説明を続ける。
「目標は全長約8m、全高約6m、全幅約3mの鼻の長い犬の形をした魔獣です。
全身を紫色に爛れた皮膚で覆われており、飛行機の機銃をはじめ、第一騎士団の装備でも効果的な攻撃を行えていませんでした。
このため、第一騎士団長は上空からの爆撃を行う判断をしています。
出来れば中央広場で、不可能な場合は街中での爆撃も視野に入れていました。」
「住民の避難は?」
「私が見た限り、完了しているようです。」
「撃破の可能性は?」
「第一騎士団長の見立てでは、それほど高くないようでした。
私も同意見です。」
「そうですか。
ウィリアム卿をもってしても、そのような状況なのですね。」
二人は神殿の前の階段を降り、前庭を横切って行く。
神殿の前庭から見える中央広場は、ヨハンの報告通り人払いされているようで誰一人おらず、不穏な静けさを漂わせている。
その中央広場に、オティーリエが一歩、足を踏み入れた瞬間。
『わた・・こえ・きこえ・・・』
オティーリエに、どこからか消え入りそうな小さい声が聞こえて来た。
いや、声、と言うより、頭に直接、言葉が入り込んで来たような感じだった。
「ヨハン?」
「なんでしょうか?」
オティーリエは少し驚いたものの、表情一つ変えずにヨハンに問いかけた。
案の定、ヨハンには声が聞こえなかったようで、質問が返って来る。
オティーリエは足を止めて、意識を集中するように軽く目を閉じた。
ヨハンも意味が分からないながらもオティーリエに合わせて足を止める。
『私の声が聞こえるか?』
今度は、オティーリエにもはっきりと認識出来た。
その声は、耳ではなく意識に直接語り掛けてきている。
これは、魔法だ。
使うためには魔力を持っている必要があって、それはほんの一握りの人だけ。
そのためか、この一世紀、知識さえあれば誰にでも使える蒸気機関をはじめとする各種の産業機器は著しい発展を遂げたが、魔法はそれに反比例するように衰退して、すでに失われているに等しい。
それから、その言葉。
独特の韻を踏み、美しい旋律に乗せて歌うように紡ぐ美しい言葉の連なりは、古語。
遥か遠い過去に、魔法による一大文明を築いた王国の言葉である。
オティーリエは、6年前に亡くなった母親が代々魔法を伝える家系だったために魔力を持っているし、魔法や古語についても母親によって教えられていた。
と言っても、母親は魔法を使えることを周囲には秘密にしていたので、オティーリエも魔法が使えるということを秘密にしている。
その、魔法を使い、古語で語り掛ける呼びかけに、オティーリエは大きく興味を引かれた。
『聞こえてはいるようだが、返し方が分からないか?』
声の言う通り、オティーリエには返事の仕方が全く分からない。
それに、声を聞き取るだけでも、相当に集中していないと聞き逃してしまいそう。
『未熟な魔法使いか・・・いや、今は致し方あるまい。
この緊急事態に対処する気があるならば、この円の中心に来なさい。
私が力を貸そう。』
「お嬢様、どうされましたか?」
意識に直接、働きかけて来る声に集中していたオティーリエに、ヨハンがわずかに心配そうな様子を滲ませて、声をかけてきた。
その呼びかけに、オティーリエは突然、現実に呼び戻されたような感覚を覚え、驚いたようにヨハンに振り返った。
その常にないオティーリエの様子に、ヨハンが従者の顔を捨てて、心配そうに声をかける。
「どうした、お嬢。
本当に大丈夫か?」
「あ・・・。
ええ、ヨハン、大丈夫です。」
オティーリエは、なんとか驚きから立ち直って、お嬢様としての態度を取り戻す。
それを見て、ヨハンも従者の顔を掛け直した。
「ヨハン、状況が変わりました。
貴方は第一騎士団に合流して、戦況を見極めて下さい。」
背の高さの違いから、オティーリエが軽く見上げるようにしながらも、まっすぐにヨハンの目を見て言った。
それは、ヨハンが侯爵令嬢の代理として状況の責任者となり、状況次第では第一騎士団への指令も出すという役割の指示。
そのオティーリエに、ヨハンもまっすぐに視線を返す。
「承知いたしました。
お嬢様はどうされるのですか?」
「成すべきことが出来ました。
説明は複雑ですので、今は省略します。
気にせず、職務を全うして下さい。」
「・・・承知いたしました。
くれぐれも、危険なことには首を突っ込まないで下さい。」
ヨハンの瞳に、わずかに心配げな色が浮かぶ。
オティーリエはそんなヨハンに微笑みかけると、踵を返して中央広場の中心に向かって歩き出した。
それを見て、ヨハンも第一騎士団のいる西大通りの方へと歩き出す。
西大通りに向かいながらも、オティーリエの様子を窺いながら歩くヨハン。
そのヨハンが見ている前で、オティーリエは中央広場の中心に着くと、跪いて両手を地面に付けた。
すると次の瞬間。
オティーリエは忽然と姿を消した。
何の前触れもなく唐突に姿を消したオティーリエに驚いたヨハンは、中央広場の中心に駈け寄る。
しかし、そこには何もない。
周囲を見回しても、ただ地面があるだけだ。
ヨハンが足元の地面を睨みつけたその時、ふと視線を感じた。
そちらを見ると、カメラを持った人物が一人、中央広場沿いの建物の隙間からカメラを構えて、こちらを見ている。
ヨハンがその人物に向かって駆け出すと、その人物も慌ててカメラと足元の機材を大きな鞄に片付けて、それを担いで逃げ出した。
二人の間にはそれなりに距離があったので、途中で路地を曲がるなりされると見失ってしまっただろう。
しかし、ヨハンの足は速く、また、その人物が機材を片付ける手間をかけた上に大きな鞄を抱えていたために逃げ足が遅かったおかげで、ヨハンはなんとか追いつくことが出来た。
ヨハンはその人物に追いつくと、首根っこを掴んで強引に引き留める。
急に首根っこを掴まれて止められたその人物は、身体の勢いを止められず、掴まれた首を支点に後ろに倒れた。
ヨハンはその勢いを利用してその人物を後ろに引き倒してしまうと馬乗りになって、さらに左手でその人物の両手を頭の上に押さえつけた。
その人物の顔には驚愕と言うより恐怖が浮かんでいる。
「ホルトノムル・タイムスか。
お前、名前は?
ここは立ち入り禁止になっているはずだ。」
その人物は左腕に新聞記者であることを示す腕章をつけていて、その腕章には新聞社の名前が書かれている。
それを見てヨハンが問いただすと、相手が少年なこともあってか一時の恐怖は過ぎ去ったようで、不敵な笑みを浮かべた。
口を開く様子もない。
そして、自由になろうと腕に力を込めてヨハンの左手を外そうとしたり、身体を左右に振って逃れようとしている。
しかし、ヨハンはそれを上回る力で押さえつけ、しっかり馬乗りの位置をキープしているので、外すことは出来ない。
口を開く気がないと判断したヨハンは、右手で左胸のポケットを探ってみた。
すると、予想通り、そこに名刺が入っていたので、それで名前を確認する。
「オリバーか。
いいか、ここで見たことは他言無用だ。
他の誰にも喋るな。
間違っても記事になんかするなよ。
記事にした時は、お前の今の立場はなくなると思え。」
ヨハンが新聞記者に冷たい眼差しで見つめながら言う。
オリバーはその視線に震え上がったようで、抵抗を止め、恐怖の表情を浮かべながらコクコクと頷いた。
「お前の他に誰かいるか?」
「お、俺は一人だけだ。
他は知らない。」
まあ、それはそうだろう。
ヨハンは、ちっと一つ舌打ちを打つと、オリバーの名刺を自分のポケットに入れた。
それから機材を入れた鞄に右手を伸ばして手に取り、オリバーの上からどいて立ち上がる。
そして、さっと早業でその鞄を取り上げた。
鞄の中を漁ってカメラを取り出すと、中のフィルムを抜いて、オリバーに向かってカメラを放り投げた。
身体を起こす途中だったオリバーが、思わずカメラを抱え込んでしまい、背中を地面に打ち付ける。
そんな間にもヨハンは鞄の口を下にして中身をその場にぶちまけ、地面に転がっているフィルムも手に取った。
「カメラはいったん横に置いて、ゆっくり立ち上がれ。
それから、両手を頭の後ろに回せ。」
カメラを抱えたまま立ち上がろうとしたオリバーに対して、ヨハンは冷たい眼差しのまま命じた。
オリバーは言われるままにカメラを置くと立ち上がり、両手を頭の後ろに回す。
ヨハンはオリバーの全身の身体検査を行った。
案の定、上着の右ポケットの中にもフィルムが入っていた。
「よし、もういいだろう。」
ヨハンは全身の検査を終わえてフィルムを全て押収すると、オリバーをじっと見つめたまま声をかけた。
オリバーはヨハンが見つめる前で、慌てて足元に散らばったカメラや機材をかき集めて、鞄にしまう。
「お、お前、俺にこんなことを「見逃してやるって言ってるんだ、さっさと行け。」くそ、覚えてろ!」
文句を言おうとしたオリバーをヨハンは途中で遮り、さらに睨みつけてやると、オリバーは捨て台詞を残して走り去って行った。
他にもオティーリエが姿を消したのを見ていた者がいるかどうかは分からない。
もしいたとしても、この様子を見て、すでにいなくなっているだろう。
そう判断したヨハンだったが、念のため周囲の気配を探りながら、今度こそ西大通りへと向かった。
◇ ◇ ◇
中央広場は中心部分から北、東、西の各大通りへの出入り口と、南の神殿への入り口までをそれぞれ結ぶように十字に石畳で舗装され、それ以外は芝生が敷かれている。
オティーリエが声に従って中央広場の中心に来ると、再び声が頭の中に響いた。
『その下に転移の魔法陣がある。
その魔法陣に魔力を流しなさい。』
しかし、足元はただの地面。
魔法陣のようなものは何も見えない。
オティーリエが知っている魔法は言葉だ。
魔力に乗せて紡いだ言葉の連なりが力を持ち、周囲に影響を与える。
言葉そのものも普段話している言葉と違って、文字も違えば単語も違うし、発音も発声も違う。
その言葉を、やはり普段話している言葉とは違う文法で文章にして、魔力に乗せて流すことで魔法になる。
もちろん、文法を外れてしまうとそれは魔法として成立しないし、文法が合っていても条件を満たしていなければ魔法にならない。
また、魔法の言葉には単語によってシンボルマークが存在するものがあって、そのシンボルマークをある法則に則って書き記し、魔力を流すことで一定の効果を発揮する図案のことを魔法陣と呼ぶ。
魔法陣は、必ず範囲を決める必要があって、何らかの囲まれた図形の中にマークを書いていくものなので、一目見れば魔法陣だと分かる物が多い。
しかし、今、オティーリエの足元にあるのはただの石畳だった。
知識が足りていないこともあるし、オティーリエには分からない隠された魔法陣があるのかもしれないが、一見しただけでは分からない。
それでも、オティーリエは声に従って跪き、両手を地面に付けてそこに魔力を流した。
地面の上には魔法陣はなかったようだが、地面の中のさらに下の方。
かなり深い所までオティーリエが魔力を流し込むと、その魔力に反応する塊があった。
それに気付いたオティーリエは、そこに向かってさらに魔力を流していく。
そして、器に魔力を満たした、という感覚を感じた瞬間、オティーリエはふわりとした浮遊感にその身を包まれていた。
◇ ◇ ◇
オティーリエがその慣れない感覚に軽い頭痛と吐き気を覚えながら、いつの間にか閉じていた目を開けると、光一つない空間にいた。
目の前にかざした手の平すら見えない。
突然のそんな状況に恐慌をきたしたオティーリエは悲鳴を上げかけたが、その唇が開く前に、頭の中に声が響いた。
『その椅子のひじ掛けの先にある操縦珠に触れて、魔力を流しなさい。』
パニックの中に聞こえて来た声に縋りつくことで自分を取り戻したオティーリエは、自分が椅子に座っていることに気が付いた。
そして、真っ暗闇にいるという恐怖を無理矢理に押さえつけながら、声に従って腕を降ろす。
しかし、両腕を降ろしても肘掛にあたらない。
座ったままぺたぺたと周囲を探ってみたところ、どうやら、その椅子は成人男性に合わせたサイズのようで、今年で14歳になる少女の中でもさらに小柄なオティーリエは、すっぽりと椅子の中に納まってしまっていたようだ。
そのため、精一杯とまではいかないまでも、それなりに両腕を広げて、ようやく肘掛に両腕を置けた。
それから、肘掛を先に向かって探っていくと、丸くてつるりとした何かに触れた。
そして、その何かに手のひらを被せるようにして魔力を流してみる。
すると、その瞬間、オティーリエの中で、誰かと繋がったような感じがした。
その繋がった感覚から、多くの情報と誰かの意思が流れ込んでくる。
自分が巨大な人型の何かの中にいて、その巨大な人型には人の意思のようなものがあること。
その意思こそが先ほどまでオティーリエに呼びかけていた何者かであり、名前はアーサーであること。
その人型は遥かな過去、魔法による一大文明を築いたアルビオン皇国という国で、その魔法技術の粋を集めて作られたということ。
手元の丸くてつるりとした何かが操縦珠というものであり、ここに魔力を流すことで、その人型の感覚をオティーリエが共有していること。
今、その人型は地面に突き立てた剣の柄の上に両手を重ねるようにして置き、直立不動で立っていること。
その人型は人間のように動くこと。
動くには操縦席に座った操縦者が操縦する必要があること。
操縦する方法は、操縦珠に魔力を流しながら、その動きをイメージするか、言葉で命令を伝えて人型が自律的に動くかのどちらかの必要があること。
動力源は魔力で、その魔力はどこかから補給するのではなく自然にある魔力をわずかづつ広範囲に集めることで賄うため、補給いらずで半永久的に動くことが出来ること。
それから、この人型の持っている機能を引き出したり、意思疎通したりするために必要ないくつもの魔法の定型文と使い方。
そして、それとは関係のない膨大な量の魔法。
そんな、多くの情報の奔流と、感覚を共有する別人格の意思を前に、オティーリエの精神はぐちゃぐちゃにかき回され、翻弄された。
大波に飲みこまれていくような感覚に、自分の意識がどこかに洗い流されていってしまいそうだ。
しかし、オティーリエはその寄る辺ない中を必死に抗い、自分を保ち続けた。
どのくらいそうしていたのかオティーリエにはよく分からなかったが、やがてその情報の奔流も去っていき、違和感も薄れてきて。
オティーリエが、ようやく一息ついたその時。
周囲が強烈な光に包まれた。
落ち着く暇もなく、その眩しさに思わずぎゅっと目を瞑ったオティーリエの頭の中に、再び声が響く。
『其方は我が主として登録された。
これより、其方が我が騎士の誓いに背かぬ限り、私は其方の剣として、その運命に共に立ち向かうことを誓う。』
そして、周囲を取り巻く光が落ち着きを取り戻す。
オティーリエが荒くなっている呼吸を整えながら、ぼんやり薄暗くなった周囲を見渡してみれば、どうやら大人の人が一人立って入れるていどの球体の中心に、背後からの支柱に支えられた椅子が据えられていて、そこに座っているようだ。
ちなみに、この椅子には足を乗せる箇所も付いているのだが、オティーリエはそこまで足が届いていないし、背中も背もたれに届いておらず、座面の先の方に腰かけて、ちょこんと座っている状態である。
この、巨大な人型の何かという存在の左胸、人間で言う心臓の辺りにある操縦席という場所にいるという現状を、オティーリエはなんとか吞み込んだ。
それから、肘掛の先端に取り付けられた操縦珠という名前の、丸くて透明な水晶のように美しい石に魔力を流しつつ、その魔力に意思を乗せて問いかけてみる。
もちろん、古語で。
ついでに、なんとなく貴族らしい対応を求められている気がして、それも意識してみる。
『ホルトノムル侯爵エリオット・ロートリンデの娘であるオティーリエ・セラスティア・ロートリンデです。
貴卿の御名は?』
『我が名はアーサー。
ロートリンデという家名に聞き覚えはないが、貴女は貴族の女性なのだな。
騎士は軽々しく若い貴族女性をその尊名で呼ぶものではないので、我が主、と呼ばせていただく。』
オティーリエの予想通り、相手に言葉が届いたようで答えが返ってきた。
この巨大な人型がアーサーという名前だということは流し込まれた知識で知ったけれど、オティーリエはあえて言葉にして名前を聞いた。
名前の交換は、初対面の相手と最初にするべきことだから。
そして、アーサーがオティーリエのことを主と呼ぶのなら、オティーリエからはアーサーのことを、ただ、アーサーと呼ぶべきだろう。
『分かりました。
では、アーサーに問います。
ここはどこですか?』
『私のメンテナンスルームだ。
我が主が転移してきた場所の地下にある。』
アーサーが答えると、突然、球体の壁がなくなった。
薄い黄色の光が灯る中、巨大な円筒形の倉庫のような場所にいるようだ。
ただ、問題はその高さ。
床から優に10mを超える高さにただ椅子だけが浮かんでいて、オティーリエはそこに座っていた。
突然、そのような場所に放り出されたオティーリエは、一瞬、息を飲む。
しかし、すでにアーサーの操縦席にいることは分かっているし、壁が突然消えたのも、実際には消えたのではなくて、球体の壁に周囲の様子が映し出されただけだということも分かっている。
だから、何とかパニックにはならずに済んだけれど、心臓に悪いことは確かである。
オティーリエは一度、小さく息を吐くと、落ち着かない様子で一つ身じろぎした。
それから、姿勢を正して。
ふと気が付いた。
椅子を小さくするようにイメージして魔力を流せば、小さく出来るのではないか?と。
試してみると、案の定、椅子は小さくなり、普通に座れるようになった。
オティーリエは少し腰を上げたりして座り心地を確認すると、身を落ち着けて、アーサーとの対話を続けた。
『アーサー、貴卿の仰る緊急事態とは、西から近づいてくる魔獣で間違いありませんか?』
『ここではアレを魔獣と呼ぶのだな。
それで間違いない。』
オティーリエの脳裏にアーサーは何と呼んでいたのだろうという疑問が浮かんだが、今は時間もないだろうから、そんな疑問は後回しだ。
『でしたら、目的は同じですね。
ホルトノムル侯爵家の力では、魔獣を倒せませんでした。
ですので、アーサー、よろしく頼みます。』
『心得た。
では出陣しよう。』
『いえ、先にお話があります。』
アーサーが動き出そうとするのをオティーリエは止めた。
戦闘になる前に、事前の打ち合わせが必要だから。
『魔獣は、全長8m、全高6m、全幅3mていどの犬型だそうです。
アーサーでしたら倒すのは造作もないことと存じますが、街中で周囲に家が建ち並んでいますので、出来るだけ被害を抑えたく存じます。
アーサーに何かよい手立てはありますか?』
『魔獣と周囲の状況をイメージ出来るか?
出来るなら、そのイメージを魔力に乗せて流して欲しい。』
言われて、オティーリエは内心慌てて、ヨハンから聞いた魔獣をイメージする。
鼻の長い犬型で、紫色に爛れた皮膚で全身を覆われている。
実物を見ていないので、その言葉から、なんとなく姿を想像するだけだ。
街の風景は、何度も飛行機に乗って上空から見たことがあるので、その中から中央広場から西門にかけての街並みをイメージする。
こちらは魔獣と違って、実際に見たことのある風景なので、しっかりと思い浮かべることが出来た。
その街並みの中に想像した魔獣を入れて、そのイメージを魔力に乗せて流してみる。
『状況については了解した。
しかし・・・なんともシュールな絵だな。』
どことなく呆れたような雰囲気を漂わせたアーサーの返事が返ってきた。
その反応にオティーリエが視線を正面から横に逸らす。
オティーリエのイメージした魔獣は、可愛らしい感じの形にも関わらず皮膚は紫で爛れているという、なんともちぐはぐなものだった。
そんなものが、さらに現実感のある風景の中を歩いているイメージだったので、どうにも違和感を伴うものだったらしい。
ちなみに、オティーリエ自身もこんなんじゃないと思っていたりする。
『実物を見ていないので、簡単な報告から想像するしかなかったのです。
実物は不気味な姿をしていると報告を受けています。』
『そうであろうな。
我が主よ、貴族女性なら、もう少し美的センスを磨いた方がいい。
それから、我が主は緊迫した空気を台無しにする才能があることも理解した。』
『・・・否定はしません。
それより、被害を抑える算段は立ちますか?』
オティーリエは無理矢理脇に逸れた話題を元に戻した。
決して、誤魔化しているわけではない。
決して。
『周囲の建物を魔法で強化するなり、守ったりするなりはしないのか?』
アーサーも気にせずに話題を戻す。
『出来ません。
現代において、魔法はすでに廃れています。
ごく一部の人が祖先から伝え聞くのみです。』
『了解した。
被害を抑えたいのは私も同じだ。
ならば、核を一突きで貫くのがよいだろう。
だが、それには我が主に一つ、手伝ってもらわねばならないことがある。』
アーサーに任せることしか出来ない、と内心、歯がゆい思いをしていたオティーリエ。
別に気を抜いていたわけではないけれど、手伝うことがあると言われて、改めて気を引き締め直す。
『なんでしょう?』
『核の位置を探り当ててもらいたい。
私は魔獣をそれ自体、個体として認識するため、その体内のどこに核があるかまでは見切れないのだ。
体内で最も魔力の高い箇所が核なので、我が主には魔獣の体内の魔力を探って、その位置を教えて欲しい。』
当然、オティーリエはそのようなことをやったことはない。
しかし、これが出来なければ被害が拡がってしまう。
ならば、答えは一つしかない。
『分かりました。
やったことはありませんが、やります。
いえ、やってみせます。』
オティーリエの答えに、アーサーが頷いたような感覚が伝わってきた。
『アーサー、地上に誰もいないことは確認出来ますか?』
このメンテナンスルームという場所の床一面に巨大な転移の魔法陣が描かれていて、それを発動することで、アーサーは地上に転移することが出来る。
この転移の魔法陣という物は、一つでは役に立たず、対となる魔法陣が必要で、その間を行き来出来るようになっている。
対、と言ってもそれは一つとは限らず、複数の転移の魔法陣の間を行き来することも可能だ。
要は、入口と出口を作る必要があるということである。
実際に、このメンテナンスルームの床の転移の魔法陣は、ここの地上にある転移の魔法陣の他にも、街の外や遠く離れた場所に通じているものも設置されている。
当然、オティーリエが地上からアーサーの中に転移してきた魔法陣も対応する魔法陣が各地にあり、そのうちの一つがアーサーの操縦席だ。
『無論だ。
現時点で地上には誰もいない。』
『分かりました。
それでは、参りましょう。』
オティーリエの言葉に、再びアーサーが頷いたような感覚が伝わってくると。
『出る。』
アーサーが、一言、告げた。
それと同時に周囲の光景がぐにゃりと歪み、オティーリエは再び、ふわりとした浮遊感に包まれた。
従者から聞いた危機的状況。
その対応を思案しているところに聴こえてきた不思議な呼び声。
タイトルにも付いている『白騎士』との出会いです。