5.教会の真実
ヨハンが左腕を庇いつつ、右腕一本で梯子を降りてくると、オティーリエが心配そうな表情で待ち構えていた。
サミュエルはオティーリエの護衛の1人、イヴァンが銃を突き付けて客車内に連行していて、サミュエルも特に抵抗する気はなさそうだ。
「お兄ちゃん、こっち。」
オティーリエが降りて来たヨハンの右手を取って、乗降口の端っこに引っ張った。
ヨハンがオティーリエに触れられたくないと思っているとかそんなの関係ない。
緊急事態なのだから。
ヨハンはオティーリエの手を避けようとしたけれど、ちょうど梯子を降りきったところだったので、避けきれずに捕まってしまった。
そして、オティーリエはヨハンを座らせて、乗降口の壁にもたれさせかけると、左腕の傷口を見た。
「ぱっくりいってるね。
変にギザギザしてるよりよかったかも。」
オティーリエはそう呟くと。
「【|傷を癒す《Heal a wound》】」
ヨハンに何かを言わせる隙も与えずに傷口に手をかざして魔法を使った。
初めて使う魔法だし、他に誰もいないので、心言ではなく口に出して。
しっかり治ることを願って。
その魔法と共に、ヨハンの傷口はみるみるうちに塞がってしまった。
もう傷口は見えず、血も流れ出ていない。
そのあまりの治癒力に、ヨハンは目を丸くした。
「本当にスゴイな。
こんなに簡単にこの傷が治るなんて。
俺は縫った上で全治2週間を覚悟してたんだが。」
「このくらいの傷ならなんでもないよ。
本当は魔法で治すと自然治癒力が落ちるから、自然治癒させた方がいいんだけどね。
今回は危険だったから、特別。」
オティーリエがウインクしながら言うと、ヨハンも笑顔で応えた。
「ああ。
ありがとう、ティリエ。
おかげですぐに動ける。」
「あ、血が抜けたのは回復してないから、その点は気を付けてね。
動きすぎると血が足りなくて気絶するから。」
「なるほど、傷口を塞いだだけってことか。
分かった、気を付ける。」
「あと。」
と、オティーリエは人差し指を口に当てて言葉を続けた。
「この魔法のことは絶対に秘密ね。
このことがバレたら、世界がひっくり返っちゃう。」
そう言われて、ヨハンはハッとした。
病気や怪我の治療などは教会の専売特許だ。
「分かった。
しかし、どうしてティリエが使えるんだ?
別に信心深くなんてないだろ。」
「・・・これ聞くと、後戻り出来ないよ。
一生、わたしから離れることが出来なくなっちゃう。
それでもいい?」
オティーリエが、どこか不安げに。
でも、期待も籠った複雑な目でヨハンを見た。
しかし、ヨハンはそんなことかと拍子抜けした表情で答えた。
「元よりそのつもりだ。
俺はあの雪の日にお嬢に助けられた時から、生涯、お嬢に仕えることを決めてる。
お嬢が俺を不要だと言っても、付いて行くつもりだぞ。」
「でも、一生だよ?
ホントに大丈夫?」
「大丈夫だ。」
ヨハンがハッキリ答えても不安げなオティーリエに、ヨハンは真面目な表情でしっかりと頷いた。
「・・・うん、分かった。
ありがとう、ヨハン。」
オティーリエはほっとした表情を浮かべると、にへ、と笑った。
それをヨハンが微笑ましく見ていることに気が付いたオティーリエは、途端に表情を取り繕うと、話を元に戻した。
「それで、どうしてわたしが魔法で治療が出来るか、だよね。
実はね、そもそも教会に伝わる祈りによる治療って、魔法なの。」
「・・・は?」
その、意外と言えば意外な。
だけど、ちょっと考えてみれば納得の出来る答えに、ヨハンは少々間抜けな声を出してしまった。
「そうだったのか。」
呆気に取られたおかげで、ヨハンの口から出て来たのはそれだけ。
「うん。
えっと、ルカが言ってた現代の魔術の分類にすると、失われたと言われている天属性の魔術が、実は教会が秘匿してる治療の魔法なんだよ。
まあ、教会はあくまで神の奇跡だと言って魔法とは認めないし、実際に魔法を使う司祭は神の奇跡だと信じて疑ってないけどね。」
オティーリエはそう言って、肩を竦めると。
「だから、このことが知り渡れば、世界がひっくり返っちゃうってこと。
あと、わたしから離れられなくなるのは、わたしがこの魔法を使えることを秘密にするため。
教会を敵に回すことになるから。」
ね、とオティーリエは可愛く首を傾げた。
そのオティーリエに、いや、ね、と言われてもな、とヨハンは内心思ったけれど、口には出さなかった。
もっとも、このオティーリエの仕種のおかげで、驚きも収まったのはヨハンとしては助かったところ。
「ついでにもう少しこのお話をすると、教会が1歳の赤ちゃんに洗礼って儀式するでしょ?
あれ、実は魔力の有無を確認してるんだよ。
で、魔力があれば教会に取り込むわけ。
この1世紀の間に魔法使いが急激に減ったのは、こんな理由があったの。」
広く信仰を集めるアトメス教。
信者でなくても、その習慣は生活に入り込んでいて、宗教的儀式は受けることが一般的になっている。
その宗教的儀式の中に、1歳の誕生日に洗礼と言って神の祝福を受けるというものがある。
オティーリエは、実はその洗礼が魔法を使えるかどうかの選別のために行われているのだ、と言っている。
そのオティーリエの話に、ヨハンは再び呆気に取られた。
『なるほど、そのような秘話があったのか。
主、どうして早く教えてくれなかったのだ。』
『私も興味深いお話でした。』
『今まで、このようなお話をする機会がありませんでしたからですね。
成り行きです。』
『むう。
言われてみれば、確かにそうだが。』
「・・・なんか、俺はこの一瞬で世界の真理を覗き見た気分だよ。
他にも何かあるのか?」
「ううん、とりあえず教会と魔法についてはこのくらい。」
「そうか。
ところで、どうしてお嬢はそんなこと知ってるんだ?」
「その前に、お兄ちゃん、そろそろ呼び方戻さない?」
オティーリエが言うと、ヨハンは目をぱちぱちさせた。
「そうだな。
で、ティリエ、どうしてそんなこと知ってるんだ?」
ヨハンがオティーリエの提案に乗って言い直す。
「お母様に教えてもらったの。」
「・・・なんてことを幼児に教えてるんだよ。」
今度こそ、呆れたようにヨハンが言った。
侯爵夫人が生きていた時と言うことは、少なくともオティーリエが6歳以下と言うこと。
そんな子供に教えるような話ではない。
ただ、オティーリエはそれにむっとした顔をしたけれど。
「お母様はわたしに必要だと思ったから教えてくれたんだよ。」
「ああ、すまない。
非難してるわけじゃないんだ。
それだけ、ティリエのことを信じていたってことだろうしな。」
ヨハンがそう思ったのは本当のこと。
オティーリエが幼くとも、その意味するところを理解出来ると信じていたのだろう。
「そっか。
ごめんね、お兄ちゃん、誤解しちゃった。」
「いや、こっちの言い方が悪かったからな。
こちらこそすまなかった。」
お互いに謝り合って、笑みを交わす。
それから。
「じゃ、そろそろ客室に戻ろっか。
お兄ちゃんはいちおう、これで傷口を隠してね。
いきなり塞がってるの見たら、サミュエルに何を疑われるか分からないから。」
「あれだけの傷で血が止まってるだけでも疑われそうだけどな。」
苦笑いで答えたヨハンが、何かに気付いたような顔になった。
「そう言えば、アーサーは?」
「ここ。」
ヨハンの質問に、オティーリエはナップザックの口を広げてヨハンに見せた。
その中では、リスに戻ったアーサーが丸まっていた。
すみません、おもむろに世界観の説明でした。
どこかで出そうと思っていた設定でしたが、まさかここで出すことになろうとは思ってもいませんでした。
と、同時に令嬢の従者の関係にも大きな変化が。
恋愛ではないところがポイントです。




