3.喫茶店の捜査
オティーリエはまず、改めて遺体を観察した。
遺体はカウンターの奥の壁に頭を預けるようにもたれさせかけていて、手は投げ出すようにだらんと垂れ、足は後ろに引きずられるように不自然に曲がっている。
血痕などはない。
おそらく、背中から倒れて後頭部なり頸椎なりをカウンターの角にぶつけて、事切れたのだろう。
そうすると、殺人ではなくて事故の可能性が高い。
だけど、とオティーリエは思った。
飲食店は忙しい時はキッチンの中を動き回るので、足元には何も置かないようにするのが普通だ。
実際、カウンターの中の床面を見てみると、でこぼこはないし、物も何も置かれていない。
この状況で、後ろ向きに、死亡してしまうほどの勢いで倒れるとは考えにくい。
次にカウンターを見てみた。
木製のカウンターで、重厚な木を使っているようで非常に硬い。
遺体の頭の上辺りを見てみたけれど、特にへこみや傷は見当たらなかった。
カウンターの他の部分にも、特にそういった痕は見当たらない。
次に、オティーリエはキッチン全体を見て回った。
調理器具や材料などはまだ収納にしまわれた状態のままで特に何も出ておらず、開店準備前のように見える。
カウンターの入り口側の壁には、さらに奥の部屋に続く扉があった。
さすがに、勝手にその中まで入るわけにはいかないので中に入るのは諦める。
その扉の横に鍵が3つかかっていた。
鍵を引っ掛けるフックには空きはなく、全てのフックに鍵がかかっている。
ポールも持っていないと言っていたし、おそらく、このうちの一つがお店の鍵なのだろう。
窓も全て閉まって、鍵もかかっていることだろう。
扉の鍵も店内にある。
つまり、密室ということ。
事故、と考えるのが普通な状況だけれど、それにも関わらず、オティーリエはカウンターの中と遺体の状態が気にかかっていた。
それから、オティーリエはお店の扉を詳しく見てみた。
普通のシリンダー錠のついた白くて重たい扉。
人の頭の高さに摺りガラスがはまっていて、なかなかにオシャレな感じ。
とは言え、普通の扉で何かに繋がる物は見当たらなかった。
お店の窓も見て回った。
どれも閉まっていて、やはり鍵もかかっている。
ただ。
そのうちの一つの鍵で。
取っ手のところに糸が結ばれて、垂れていた。
なんの変哲もない糸だけれど。
しかし、オティーリエはそれを見た瞬間、脳裏に閃いたものがあった。
そこまで調べると、オティーリエはネルとアメリーの所に来た。
◇ ◇ ◇
「ネルさん、パティスリー・オロンジュに案内するはずだったのに、巻き込んでしまって本当にごめんなさい。
この後、捜査協力で事情聴取とかもあると思う。」
オティーリエは二人の傍に来ると、開口一番、ネルに謝った。
アメリーは少し憔悴した感じはあるものの、すでに落ち着いて、顔を上げている。
「ああ、それは大丈夫だよ。
気にしないでくれ。」
ネルはアメリーには見えないような角度でオティーリエに笑顔で答えた。
それから、すっとオティーリエの耳元に顔を寄せてオティーリエにだけ聞こえるように呟く。
「それに、貴女がこれから何をするのか、興味津々なんだ。
実に興味深い動きをしていたからね。」
「あ、えっと、ありがとう。
アメリーさん見てくれて。」
オティーリエは誤魔化し笑いなんかしながらネルから離れると、隣のテーブルから椅子を持ってきて自分はそれに座り、ネルには元からあったイスを勧めた。
このテーブル席は向かい合わせにイスが二脚置かれていたので、もう一脚を隣のテーブルから持ってきたのだった。
「アメリーさん」
「マスターは?
大丈夫なの?」
オティーリエがアメリ―に声をかけようとしたところで、それを遮ってアメリ―が心配そうに尋ねて来た。
それに、オティーリエは痛まし気な表情で首を振る。
いちおう落ち着いたとはいえ、ハッキリと告げられるのはやはりショックだったらしく、アメリ―はがくりと両肩を落として俯いた。
それだけ見ても、アメリ―がこの喫茶店の経営者親子と親しかったことが十分に察せられた。
オティーリエは席を立つとアメリ―の背後に回って、そんなアメリ―を背後からぎゅっと抱きしめた。
アメリ―も、抱きしめてきたオティーリエの腕をぎゅっと握る。
喫茶店の扉が開いたのは、そんな時だった。
扉を開けて、三人の人物が駆け込んで来る。
駆け込んで来たのは、ポールと第二騎士団員二人。
「こちらです。」
ポールはそう言って、カウンターの中に二人の第二騎士団員を案内した。
第二騎士団員の二人はカウンターの端に立つと中を見て、お互いに頷き合うと、カウンターは狭いのでそのうちの一人が遺体を確認するためにカウンターに入った。
アメリ―は扉の音に反応してパッと顔を上げると、駆け込んできた人物を見て立ち上がった。
オティーリエの両腕はその勢いで振り払われる。
それから、アメリ―はポールの傍に駆け寄った。
ポールは第二騎士団に場を譲って、少し離れて立っている。
オティーリエは腕を振り払われて、ネルの方をちょっと苦笑いで見た後、元いた椅子に座った。
「ポール、マスターが。」
「ああ。
親父が。
どうして。」
ポールが悲し気に顔を伏せると、アメリ―が気遣わし気に、その腕に手を添えた。
ポールはそのアメリーの気遣いに、腕に添えられた手を握ってアメリ―を見た。
「ありがとう、アメリ―さん。
俺は大丈夫です。
アメリ―さんの方がよほど大丈夫じゃなさそうですよ。」
ポールが力ない笑みを浮かべてアメリ―にそう言うと、アメリ―もその笑みに答えるように笑みを浮かべた。
「あなたが大丈夫なら、あたしも大丈夫。
心配してくれてありがと。」
「それはこっちのセリフですね。」
ポールはそう言うと、アメリ―が自分の腕に添えた手を力づけるようにポンポンと叩いた。
それで、アメリ―は手を離す。
アメリ―は大丈夫そうなので、ポールは周囲を見回した。
「それにしても、窓、閉めっぱなしじゃ暑いでしょ。
今、開けますね。」
そう言うと、ポールはアメリ―から離れてお店の窓を開けて回った。
オティーリエは、じっと、そのポールの様子を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「本官はマクシム、こちらはアントワームです。
本件を担当します。
よろしくお願いします。」
第二騎士団員の二人はポール、アメリ―、ネル、オティーリエの4人を1つのテーブルに集めて、挨拶をした。
「よろしくお願いします。」
ポールが代表して返すと、残りの3人も軽く会釈した。
「事件の可能性がありますので、念のため、中央庁舎の捜査部へも連絡しました。
すぐに来られると思います。
捜査部の方が来られてから、聞き取り調査をさせていただきたいと思いますので、少々お待ち下さい。」
マクシムはそう丁寧に言うと、一礼して再びカウンターの裏へと入って行った。
アントワームも一礼してマクシムに続く。
「みなさん、このようなことに巻き込んでしまって申し訳ございません。
まさか、こんなことになるなんて。」
第二騎士団員の二人を見送ってから、ポールは3人を見て頭を下げた。
「こんなことが起こるなんて誰も思わないもの。
仕方ないわよ。」
「そうです。
それよりも、マスターはポールさんのお父上なのですよね?
お悔み申し上げます。」
アメリ―とオティーリエが言うと、ポールは改めて無言で頭を下げた。
ネルは痛まし気にポールを見ているけれど、メアリーとオティーリエに言うべきことは言われてしまったので、声はかけなかった。
「はい。
私は早くに母を亡くしまして。
男手一つで育ててくれたんです。」
顔を伏せ、絞り出すように言うポール。
その表情は深い悲しみに沈んでいる。
「仲のいい親子だったのですね。
今のポールさんを見れば分かります。」
オティーリエが言うと、ポールは顔を俯けたまま、首を振った。
それから、顔を上げてオティーリエを見た。
「そうでもありませんよ。
親父は頑固者でした。
私が何か言っても、聞いてくれた試しはありません。
そうですね、むしろ、折り合いは悪かったと思います。」
「だけど、息ピッタリだったわ。
キッチンの中で役割分担をしながら、お互いに邪魔にならないように動いて料理してた。
それに、マスターがあなたのことを疎ましく見ているところなんか見たことないもの。」
「ありがとう、アメリ―さん。
そうか、他人からはそんな風に見えてたんだ。」
励ますように言ったアメリ―。
その気遣いに、ポールは自嘲するような表情になった。
「なにせ私は苦労をかけ通しでしたからね。
でも、そうですね、親父からもそう思ってくれていたのなら、少しは救われる気がします。」
アメリ―がそっと手を伸ばして、再びポールの腕に触れた。
ポールはその手に自分の手を重ねると、感謝するようにアメリ―を見た。
こほむ、とオティーリエが一つ、咳払いをした。
ポールとアメリ―が、パッと手を離す。
二人の顔が少し赤い。
「ところで、今更なことを教えて下さい。
マスターのお名前は何と仰るのですか?」
オティーリエの質問に、ポールは目をパチクリとした後、苦笑しながら答えた。
「マルタン・ブーランジェルと言います。」
ポールがそう答えた時、再び喫茶店の扉が開いた。
遺体やその周りを見てみますが、特に何も見つかりません。
でも、遺体の位置と体勢に少し引っかかりを覚えるオティーリエ。
店の中を見て回ると、気になることが見つかりました。