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第1話 気配り上手な先輩と、ズボラな俺の出会い

 春の終わり、大学新年度の始まり。


 この季節、東京の空はいつもより少しだけ澄んで見える気がする。

 俺——篠崎蓮しのざきれんは、大学三年目を迎える春、都会の暮らしにようやく慣れてきた頃だった。


「ふあ……」


 朝、アラームを三度無視してようやく起きた。

 昨日の夜も気づけば動画サイトをだらだらと見ていて、布団に入ったのは深夜3時過ぎ。

 生活習慣は完全に崩壊してるし、部屋は洗濯物とコンビニの袋で足の踏み場もない。


「ま、別に誰か来るわけでもないし……いっか」


 髪も整えず、皺だらけのパーカーを引っかけて、寝癖を帽子でごまかす。

 冷蔵庫は空っぽで、朝飯代わりにコンビニでおにぎりとお茶を買って、俺は大学へ向かった。


 ——地方の田舎出身。

 人付き合いが苦手で、無理して笑うことが多かった高校時代。

 そんな環境から抜け出したくて、俺はこの都会を選んだ。


「……別に、寂しいとか思ってねぇし」


 そう呟きながら、駅のホームで買ったおにぎりを頬張る。

 孤独にはもう慣れた。……はずだった。


 ——


 理工学部、某研究室。

 今日から配属になるってことで案内されたのは、静かで清潔感のある実験室だった。


 白衣を羽織った女性が一人、静かに書類に目を通していた。

 ダークブラウンのロングヘアは一つにまとめられ、小柄な背中と白い肌が印象的だった。

 その横顔は、淡い光の中でどこか浮世離れして見える。


「失礼します。今日からこちらに配属になった、篠崎です」


 声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……あ、よろしくね。私は四年の白河結衣しらかわゆい


 落ち着いた口調。ぱっちりした目元と涼やかな表情。

 誰もが振り返るような美人なのに、どこかそっけなさすら感じさせるその雰囲気に、思わず背筋が伸びた。


「じゃあ、案内するね。作業スペースとか、ロッカーの位置とか」

「……はい、お願いします」


 俺の声は若干裏返っていた。

 こんなに綺麗な人と一対一なんて、人生初だ。

 でも白河先輩は、そんな俺の緊張には一切触れず、淡々と必要なことだけを説明してくれた。

 無駄がなくて、効率的。

 ……それでいて、冷たい感じはしない。


「わからないことがあったら、すぐ言って。無理に全部覚えようとしなくていいから」

「……はい。ありがとうございます」


 ——


 初日ということもあって、細かい作業よりも器具の使い方や実験室のルールを中心に教わった。

 正直、頭に入ってきたかというと、微妙だった。

 白衣を着るだけで背中が汗ばんで、慣れない機械の名前を何度も聞いては忘れ、メモの字もぐちゃぐちゃ。


「今日は、もう大丈夫。帰っていいよ」

「助かります……」


 ほっとしたのも束の間、先輩がふと俺の手元を見た。


「……お昼、食べてなかったよね?」

「え?」


 ドキッとした。

 朝に食ったおにぎり以外、何も口にしていなかったのを見抜かれた。


「朝、コンビニの袋見たから。あと、ずっと立ちっぱなしだったし」

「そ、そうですか……すみません」

「謝らなくていいよ。でも、ちゃんと食べなきゃ、倒れるよ?」


 その言葉には、どこか説得力があった。

 すると彼女は、カバンから小さな紙袋を取り出した。


「……これ、よかったら」


 中には、ラッピングされた手作りのクッキーが入っていた。

 市販のものよりちょっと不揃いだけど、その分だけ優しさが詰まっているように見えた。


「えっ……でも、そんな」

「余ってただけだから。無理には渡さないけど」


 先輩の声は相変わらず淡々としていた。

 でもその目だけは、ほんの少しだけ俺の体調を気遣ってくれているようで——それが、すごく嬉しかった。


「……じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

「うん」


 ぎこちなくクッキーを受け取り、帰り道にひとつ口に運ぶ。

 甘さ控えめで、やさしい味。

 誰かに作ってもらった手作りのお菓子を食べるなんて、何年ぶりだろう。

 そんなことを考えながら、俺は駅へと歩き出した。


 ——気配り上手な先輩との出会いは、俺のズボラな生活に、小さな変化をもたらそうとしていた。

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