足首にみずいろのリボン ー4ー
※R15
※このシリーズは、ロマンティック傾向のある二者のアセクシャルのDom/Sub(支配と服従)を主題としています。
※Dom/Subユニバースものではありません。
※このシリーズに性描写はありませんが、30代と20代という年齢差のある関係性の権力勾配を扱っています。
※Subが過去の共演者と接するうちに記憶が溢れてくる話。今回Domは直接出てきません。
『新規の依頼が3通来ているよ』
メールチェックを始めた榛生は、シンの報告に顔をしかめた。
デスクの近い佐村たち同僚の視線を意識して、すばやく表情を戻したのが、自分で分かる。榛生は落ち着かない気分でオフィスチェアを小さく揺らした。
3通のうち一通が、出演依頼だ。テレビを観なくなったから番組名はなんとなく知っている程度だが、メール本文の紹介と、シンによる検索によると、毎週一人の俳優をゲストとパーソナルな部分を深堀りするトーク番組。司会者が、ゲストに縁の深い関係者にゲストの人となりを訊ねる恒例のコーナーがあるらしい。「関係者」は家族だったり友人だったり、仕事仲間だったマネージャーだったりする。基本的にゲスト側の事務所等が、見せたい部分を引き出す関係者を指名するのが通例なようだ。
「シン、番組出演依頼を断るメールの文面を提案」
synclyは即座に、比較的フランクな文体と丁重な文体を二つずつ候補に出した。榛生はそれらを切り貼りして、自分の口調らしく返信する。
メールによると、出演を打診された回のメインゲストは、今でも連絡を取り合う数少ない俳優だった。『楽園に捧ぐ』、主人公陽良(あきら)の少年時代を演じた夏原臨。
榛生はチェーンをたどり、ポケットに手を差し入れて、チャームを撫でた。指先に金属の、なめらかでつめたい凹凸が指先に触れる。
臨は、成人したのちも、俳優としてのキャリアを重ねている。
「ごめんね、榛生くん」
臨の操作するPCが必殺技を放つ。効果音にボイスチャット越しの声が重なる。
あまり悪びれているように聞こえないな、とソファにもたれてコントローラーを弄りながら、榛生は思った。
三か月ぶりに家庭用ゲーム機とボイスチャットを繋いでいた。十代の頃は夏原臨とカラオケの個室で会ったりもしていたが、ここ数年はオンライン機能のあるゲームでボイスチャットすることのほうが多い。臨はファン向けに動画配信なども行っていて、牧場ゲームや陣取りゲーム、FPSなど内容は多岐に亘るが、個人的に好むのは、榛生の知るかぎりの趣味が変わっていなければ、歴史アクションシミュレーションゲームだ。
臨は自分の動画配信チャンネルで見せている、自分に似せてキャラメイクした青年のキャラクターではなく、赤銅色の膚に赤毛の壮年の男性をPCとしている。武器はトンファー。
対して榛生は、凝ったキャラメイクはせず、用意されたモブキャラクターを少しだけカスタムして、眼鏡をかけさせた弓使いだ。靄のかかった城を馬で駆け回りながら、城攻めをめざす。
「臨はさ、俳優の友だちなんかいくらでもいるだろ」
『うん。おれ榛生くんとちがって友だちたくさんいるからね、おにぎりゲット』
べつに事実なので榛生は腹を立たない。
トンファー使いは、城中の井戸の上にふわふわと浮かんでいるアイテムのおにぎりをゲットする。体力ゲージが緑に戻る。
『やっぱり出演はだめかあ』
「悪いけど」
『悪くはないけど。こうやって話せたし』
「それが目的なら、そう言えよ」
『えへへ』
拠点はおよそ攻略し終えていた。榛生は弓使いを操作し、口笛を鳴らして栗毛の馬を呼び寄せた。久しぶりに操作するから、乗馬に失敗する。
「…くそ」
『「くそ」だって。榛生くん、口悪いね、ははっ、なにかあった?』
「秘密」
『秘密かあ。あっごめんね訊くの嫌だった?』
「それ以上詮索しないなら、別にいい」
「あんまりやると、人に嫌がられるって分かってるのにね。ごめんね。榛生くんの前だとだめだね素が出て」
臨はむかしから、人の変化に気がつきすぎるところがある。「ふだんは言ったらいけないことは言わないようにしてる」「気がついたらそうで、おれずっとそうなんだよね」それが自分にとってはじめての、演技という体験だったと聞いたのは『楽園に捧ぐ』の撮影の待ち時間だった。並んだパイプ椅子に座って、スタッフが用意してくれたあたたかい味噌汁をずず、と啜っていた。
臨は榛生にとって、同類だった。
次の拠点は別々に攻略することにした。東西に分かれてたことが、右下のマップに表示される。
『なんかマネージャーさんが、ビジネス媒体の取材は受けてるみたいですよって見せてくれたんだけど、えー榛生くんめっちゃ社長じゃんって思って』
「気軽に誘いにくくなった?」
『うん。そう』
イヤホン越しに、スナック菓子を摘まんでいるらしき、バリバリという音がする。「やっぱり榛生君と話すの楽だな、話が早くて」というつぶやきが聞こえる。
『番組は綾瀬に頼むことにするね』
「その番組って番宣? もう情報出てる?」
『映画のお知らせ。ドラマは来シーズン』
「臨だって、たくさんやってるだろ、仕事。ドラマ主演だろ?」
『まあね、それはね。でもおれがやってることって、昔から変わってないから。榛生くんは、べつの分野に行ったし。少し雰囲気も、少し変わったよ』
変わったとしたら。榛生はコントローラーを左手に、一瞬だけ、ポケットの内側を撫でる。少し硬質な、チャームの感触が指先に伝わる。
チャームの硬質さとナイロン製のポケットのやわらかさが、なぜか硬質な布地の記憶を喚起した。堰を切ったように記憶が溢れる。糊のきいたセーラー服の紺の襟とスカート、あざやかな赤いタイ。
鏡に映った自分、いや、これは過去の臨だろうか?
攻城戦は順調に進み、城門の中に乗り込んだ。庭には桜が咲いていて、ステージBGMと、鶯が啼く長閑な効果音。トンファー使いが、群れになっている敵を薙ぎ倒す。弓矢で援護する。敵将を討ち取る。馬から降りる操作をして、城に乗り込もうとするが、扉は閉じたままだ。PCたちはむなしく閉じた扉にめりこむ。鶯がのどかに啼いている。
『あれ? 開かない』
「どっかで打ち洩らしたか?」
『あ、たぶん像かなんか壊したら鍵とか出てくるやつ』
「あ、あれか」
謎解きがメインのゲームではないから、ギミックは難しくない。庭をぐるぐる回ってみると、池の近くにきらきらとエフェクトのかかっている仁王像が建っていた。連続技で破壊すると、アイテムの鍵をゲットできた。鍵。
太陽を見た直後のように、残像がちかちかと瞼に瞬く。残像が残像を連れてくる。かつて纏った衣装の記憶が、奔流のようによみがえる。トレーナーにジャンパーにジーンズ、「平凡な高校生」としてのすがた。白いシャツにアイボリージャケット、群衆を翻弄することに快感を覚える愉快犯のすがた。探偵助手の書生のすがた。白菫の着物に紺の襟と帯、白楡の羽織。これは江戸時代を舞台にした時代劇。
今、どこにいるのか分からなくなりそうだ。榛生はチャームを握った。月形のチャームのくぼみは錨のように、榛生をここに引き戻した。
今着ている、綿のシャツとミント色のジャージの部屋着の肌触り。
『つーかさ』
臨は少しだけ張り詰めた声で言った。ヘッドホン越しに、すばやくスティックを動かす音が聞こえる。臨のPCは炎をまとった槍を振り回して必殺技を放ち、城兵を焼き払う。
「うん?」
『榛生君が榛生くんって呼ばれてるの、おれのせいだよね、ごめんね、行くところ行くところで呼びまくってたもんね、』
「なんだよ急に」
『おれはあの頃、榛生君をお兄ちゃんみたいに思ってて、あ、お兄ちゃんって言うのもあれかな』
「いいよべつに。僕は、榛生くんでも」
『おれ自分のこと、火だと思ってるんだよね。ファイアージェンダーってやつ』
「火」
『うん、おれは火みたいに、決まったかたちがないの』
「火」
『ジェンダーは大事じゃん』
「そうだな。…うん、でも僕は、榛生くんって言われていやな感じはしたことないよ。おまえも、他のひと相手でも。でもありがとな」
『そう?』
「うん。そうか、臨は、火だったのか」
火の質を有する相手を「弟」と呼ぶものか短く迷って、榛生はそう口にした。口にしてみると、ひどく馴染む。臨は、火。
榛生も長らく、夏原臨を弟みたいに思っていたのだった。
『…もっとのんびりしたゲームのときに言ったほうが良かった?』
弓使いは、トンファー使いと背中合わせになる。弓の連続射撃を放った。風のエフェクト。炎が巻き上がる。敵兵のライフゲージが減っていく。
「いや、…ありがとな、聞かせてくれて」
『このステージ終わったら落ちるよ』
「明日ロケ?」
『うん。また遊ぼうね』
「うん、またな」
チャットとゲームを終えて、なにか、尻尾を摑みかけている。ソファに転がって、榛生は首を傾げる。なんだろう。画布にメールがしたい。画布は榛生自身よりもたしかに、正体を摑んでくれるだろうから。
件名:定例報告【久我より】
藤波画布様
お疲れさまです。
今日は、俳優時代の友人と話しました。
お話したいことがあります。もう少ししたら、言葉になると思います。そのとき時間を取ってもらっても構いませんか?
久我榛生