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足首にみずいろのリボン ー3ー

※このシリーズは、ロマンティック傾向のある二者のアセクシャルのDom/Sub(支配と服従)を主題としています。

※Dom/Subユニバースものではありません。

※このシリーズに性描写はありませんが、30代と20代という年齢差のある関係性の権力勾配を扱っています。


この話では、Subが過去に関係する小物を身につけるプレイをします。

 やらなければよかった。

 久我榛生(くがはるみ)は後悔とともにベッドに転がった。

 ふかふかとした羽毛布団に躯を沈み込ませていても、鬱々とした気分は晴れはしない。照明や空調はsyncly(シンクリー)に指令を出せばオフになるが、布団をめくる気力がない。間接照明ですら今はまぶしくて、榛生は眼を瞑った。

 

 業界誌のインタビューの席で、サインを求められた。「俳優時代からファンです」「synclyにはあなたの経験が活かされているとか!」と撮影スタッフのひとりに告げられて、愛想をして応じてしまった。サインは構わないのだが、つい、十代の頃に見せていた控えめな微笑み方を意識していた。そういう表情を見たいのだろうと思ったからだ。

 画布とのメールのやりとりを経て、いくらかは求められる自分ではないものを、表現できるようになったと思ったのに。とっさに、演じていた。 

「…シン」

 榛生は呟いた。

『なんだい?』

 人工音声の返事。「シン」というのは榛生のsynclyのアシスタントAIの名前だ。synclyのシン。verseon(ヴァーシオン)のメンバー内では、7:3の割合で、「安直すぎる」と「逆にアリ」で割れている。

 榛生はゆっくりと寝返りをうち、瞼を開いた。ウォールナットのデスクの上に置かれたランタン型のスピーカーが、synclyと連動してちかちかと瞬く。

「そんなに、僕と君って似てると思う?」

「シン」の反応を示すかの、スピーカーのライトが明滅する。

『きみがそう思うのなら、そうなのだろうね、榛生』

 榛生は嘆息した。

「その勿体ぶった喋り方。僕というより、月留(つきる)に似てるよ」

 ああ、検索はしなくていい。榛生は続けて告げようとしたが、シンは既知の情報のうちごくわずかだけを返すに留める。

高丘月留(たかおかつきる)。きみの俳優としての代表作の役名だね』

 よく心得ている。榛生は眉を寄せる。

『榛生、このまま眠るのかい?』

「…いや、シャワーを浴びるよ」

『それがいい。湯冷めに気をつけて』

 榛生は躯を起こしてベッドから降りた。室内履きでぺたぺたと音をたてながら、浴室に向かう。

 自室はまるで「二十代の男」の部屋のセットのようだと榛生は思う。自分で何もかも揃えたはずなのに。ウォールナット調の無垢材の床、ネイビーブルーのカーテン。黒い鉢に入ったサンスベリア。グレイッシュブルーの壁。額縁にかこまれた、シンプルなラインアート。デスクの天板は大きめで、充電中のスマートフォンとスピーカーのほかに、パソコンが置かれている。ワークチェアの背もたれは黒いメッシュ。本棚はひとつきり。

 気のせいだろうか? 画布とドミナントとサブミッシブの関係になってから、かつて演じたキャラクターのことを思い出す機会が、増えているように思う。

 そのことに少しだけ当惑しながら、榛生は浴室のドアを開ける。シンがライトを灯していて、脱衣所と洗面所はすでに明るい。



 せっかく画布(がふ)さんに誘導してもらってるのに。

 週末、いつものバーで画布と飲みながら、榛生は重たげに肘をテーブルについた。グラスの氷がカラン、と音をたてる。オールドファッションドの氷が融け、琥珀色のウイスキーの中を輪切りのオレンジがふわふわと漂っている。

 画布は静かに相槌を打ってくれていた。

 このところ、ひとりでいると、かつて演じた人物を思い出すことが増えた。ただし、画布といるときは、落ち着いていられるように思う。愚痴を聞いてもらうというかたりではなく、画布の誘導するままに、あったことを話す。そうしていると、心が軽くなる。

 きっとこのほうが、甘えの度合いは深いのだろうと思うのだけれど。

 話し終えて、改めて画布を見上げると、黒く磨かれたテーブルに頬杖をつき、眼を細めてこちらを見つめていた。傾けているスコッチのそれのように、穏やかな光が黒い双眸に宿っている。

「どうかしました?」

 正面から見つめられることの照れくささを誤魔化すように、自身の首を撫でながら、榛生は早口に尋ねた。

「開発者としてではない、きみのsyncly……『シン』の話、少し珍しいなと思って」

「余計なことでしたか?」

「ううん、聞けてよかった」

 画布が眼を細めて微笑んだ。

「余計なことでしたか?」と問いつつも、画布が「余計なこと」とは言わないだろうと確信していた。画布は榛生の自己開示を否定しない。

 話題が画布の望む方向から逸れたり、愉しいものではなくなったら、きっとさりげなく話題を修正するだろう。

「きみにとってシンってどういう存在? パートナーというわけではない、と言っていたね。友だち?」

 榛生は言葉を探して、返答する。

「悪友、に……なり損ねたって感じです」

「なり損ねた?」

「シンは僕よりも、僕がかつて演じたキャラクターに似ています」

 榛生は言葉を接いだ。映画の一場面が、瞼の裏をよぎる。友人どうしの、秘密の共有。

「映画『楽園に捧ぐ』の、高丘月留というキャラクターでした」

 いい現場、だったと思う。成人した演者やスタッフも、自分を含めて若い、というか幼い俳優のメンタルをケアしてくれていた。これは「物語」だと、分かっていた。

「そもそも僕は、あまり自分の演じるキャラクターに入れ込むタイプではないんです。主演の子とかは、キャラクターを自分の友だちや分身のように大切にしていたけれど。僕にはそこまでの熱意がないことに気がついた。…から、やめたのもあります」

「『悪友になり損ねた』って、そういうこと?」

「いえ、それは少し違って。月留の友人はひとりで、僕…演者の僕ではないな、という感じです」

 画布は頷いて、静かに榛生が話すのに任せている。

「僕と同世代の子役が中学時代を、本役の俳優が二十七歳の青年を演じて、時間が交差する映画だったんです。月留は作中で、女性の制服を着るっていう秘密を友人と共有します。僕。月留の友人は、そのひとりだけ」

「心残りがある?」

 榛生は首を傾ける。胸に、痣のように残る感情がある。しかしこれが悔いなのかどうかは、榛生にも判別がつかない。自分ではなく、どこかに月留の感情が残っているのかもしれなかった。脚本からはそのように読み取れたし、そのように演じたから。

「僕の感情ではないと思います。…僕は、そういう入れ込みをする俳優ではなかったんですよ」

 もういちど繰り返し、榛生は言葉を切った。

「高丘月留は、魅力的だったよ。ああいうキャラクターは、俺も好きだ」

「…なんだ、知ってたんですか、」

 酔いのせいではなく、耳が少し熱を持つのを、榛生は感じた。照れをおぼえる程度の思い入れは、今もある。

 榛生はオールドファッションで喉を湿らせ、画布を見上げた。融けだした角砂糖の甘さが舌に触れ、バーボンの柔らかなスパイスの香りが残る。

「画布さんは、どうなんですか。自分の作ったキャラクターに入れ込みますか?」

「俺の小説には、多かれ少なかれ俺の思想や趣味も反映されているけど、決定的に違う点がある。俺は、俺が書くキャラクターほどセックスが好きじゃない」

「ああ、画布さんは、そうか…」

「作品として手渡したら、あとは読者のものだ。シリーズものだと付き合いは長くはなるが」

 画布の掌のなかでグラスの氷が融けて、再び、二人がいるきりの部屋にカランという音が響いた。スコッチを口に含むとき、画布はふっと微かに眼を伏せる癖がある。

「…書き手の方の考えることというのは、興味深いです。脚本がすべてと言いますが、原作者さんや脚本家さんの考えを知って芝居に活かしたいと思うこともありましたし。synclyも僕はそこまでシナリオ部分に関わっていませんし」

「榛生君は、仕事が好きだよな」

 画布は破顔する。呆れと関心の入り混じったような顔だ。

 榛生は視線にかすかに抗議の重さを込めて、画布を見つめる。

「引退した人間に言います?」

「誇りに思ってるだろ」

 榛生は背中をスツールにもたせ掛けた。あっさりと褒めるのだものな、と思う。拗ねる気持ちはコップに入った水に落ちた錠剤のように融けていくが、底のほうに、融けきらないざらつきが白く沈殿している。

 自分はつまらない人間だと言えば、そんなことはない、とこのひとは返してくれるのだろう。


 甘えている。自覚しながら、口にする。

「…つまらないなとも思ってます」

「つまらないっていうのは、きみが、高丘月留に比べて?」

 返ってきたのは、予想していた肯定の言葉と異なり、質問だった。榛生は、切り込まれた、と思う。 

 画布は相変わらず笑みを浮かべている。

 壁が黒く塗られたバーの個室にいると、やや厚ぼったい瞼の画布の眼は星のない夜のようだ。

 画布の穏やかさも、口調はそのままにふいに、切り込まれることも。たがが嵌められていくことにも。榛生は心地よさを感じている。

「…そうですね、月留に比べて」

「来週までに、チャームを郵送するよ」

「チャーム?」

「財布とか、鍵につけるやつ」

「僕、決済はスマホかスマートウオッチですし、物理的な鍵も使いませんけど」

「財布や鍵につけなくてもいい。どこかにつけてもいいし、つけなくてもいい。一週間、肌身離さず持っておいて、なくさないこと」

「…少し難しそうですね」

 喜びを感じている自分に気づく。少し難しいこと指令を出してもらうこと。こなしてみせること。それぞれが、自分の輪郭を、画布が照らしだす。

「うん。でも榛生君は、できるよ」

 はい、と榛生は頷く。


 画布の言葉どおり、週末に郵送されてきたのは、小箱に包まれたチャームだった。銀色で、三日月のかたちをしている。上部には、財布や鍵に付けるときに用いるのだろう、留め具がついていて、そこにも細かな凹凸の模様がある。無数の凹凸は、クレーターを模しているようだが、傷にも見える。

 高岡月留の心のように。

 榛生は荷を確かめると、ウォークインクローゼットに向かった。小物入れは、チェストの抽斗のなかだ。

 探しものは、難なく見つかった。 

 チェーンつきの懐中時計。雑誌かなにかの撮影でコーディネーターが用意してくれたものを気に入って、自分で似たようなものを探して購入した。高価なものではないが、手巻き式の金古美調、唐草の透かし彫りに、文字盤は黒。裏面はスケルトンで、ムーブメントは金色に輝いている。

 榛生は机に戻り、抽斗から工具を取り出して、懐中時計のチェーンを外して拭き、画布から与えられたチャームにつけ直した。もう片方のチェーンの端をベルトループに装着して、チャームはポケットに入れる。椅子から立って、鏡を見る。

 とくにおかしなところはない。

 懐中時計本体は、しばらく机の上に置いて用いることに決めて、榛生は鏡に前に立ったまま机を振り返り、首を傾げた。

 なんの撮影がきっかけで購入したのだったか。考えて、ほどなくして、思い出す。「楽園に捧ぐ」に関連するファッション誌の撮影で、共演者との仕事だった。

 たしか、アリスがモチーフの衣装だった。

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