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 ――――――あれ、真っ暗だ。……ここはどこだ? 僕は一体、何をしていたんだっけ?


 チョ、チョチョ、チョチョロ


 ――僕はいま、とても涼やかな音に包まれているようだ。まるで小さく柔らかな無数の球の、その止処ない発生の只中にいるみたいな……。



 水の中、か。僕はいま、大きな水流の中にいる。状況の把握に当たりをつけると、ひやりとした流動体の感触が総身から伝わりはじめた。その流動体の中で目を瞑り、大きな手に摘まれたように丸まった後背を上にして、完璧に脱力し漂っている。その後背の一部――具体的にいうと仙骨のあたり――がずぶ濡れの布地を介して、空気と接触しているような感触もある。水面のすぐ近くで浮いているみたいだ。

 よかった、()()()だとどうしようもなかった。


 穏やかな流れだ。一定ではないし幾分の上下動もあるけれど、総和として徒歩くらいの緩慢な速度で前方――つまりは頭のついている側――に移動しているみたいだ。

 パーフェクト、といって差支えないくらいに、頭から爪先までまるで不快感がない。むしろ地上こそがどれほどの不快に満ちているのか、その観念的記憶が些かの苦味になって舌先に思出された。

 命を守り育む、優しい流れだ。拒絶を知らず、総てを受入れ化合する。揺るぎのない生命の循環が感じられる。個別的な死の集積が、総体的な永遠を絹糸のように紡ぐ。とある映画の予告編ナレーションに倣うなら、()()()()()()()()()()()()のだ。まるでひらがなの無意味な羅列を見ているみたいだ。やがてそれらが意味を見出だして、文章という爆発的多様性が放たれるのを心待ちにしたい気分だ。

 もはや快か不快かではない、実に親密で気持ちがいい。そして、随分と前に、等質のそれに触れたことがあるような気もする。刷りガラス越しに外を眺めるような、朧気な感覚。()()()()()が、未だ定かではないほどの大昔に。


 僕はその回顧の感触を名残惜しみながらも、一先ず水面から顔を出そうと決めた。聴覚と触覚の次に呼吸の感覚が戻ってきて、酸素をとり込めない息苦しさも覚えた。空気を肺いっぱいに吸い込みすっきりとした思考で、水上の光景を確認する。そして、今度は仰向けになって救助を待たなければならない。その必要もない状況だと嬉しいのだけれど。


 それにしても、僕は何故大きな水流の中を漂うなんて状況におかれているのだろうか? 海だろうか、川だろうか、それとも……。


 思考が回転をはじめると、直近の記憶も蛇口を捻るようにして回帰した。僕は自室にいたのだ。夜半に読書をしていた。お気に入りのファンタジー小説を読んでいた。しかし、その思いもよらぬ総括に狼狽し、自身の悲哀と重ね合わせ、失望を鉄の味がするまでに噛締めていたのだ。そこから奇妙な声と閃光、意識の消失を経て、現在に至る。


 いったい、僕の身に何が起きているというのか? 何らかの事件や事故にでも巻込まれてしまったのだろうか? いや、もっと大仰に、災害といえる事象なのかもしれない。いま頃世界中のジャーナリズムを震撼させるほどの。しかし、どちらにせよ、それらは超常的で効果的に、僕の心に作用する術を熟知しているみたいに思える。多次元的な知性を感じるのだ。3次元で4次元の事象を表現した映像作品を見るような不可思議な感覚。そのうえ、それは直截的でも卑俗的でもなく、宛ら隠し味の如く自身の像を有耶無耶にして主張をしない。まさにサブリミナル効果みたいに。まるで造物主的宇宙人の掌で踊らされるスチームパンクのキャラクターになった気分だ。


 そんな超越的な存在に目をつけられるほどのことを、はたして僕――もしくは我々――はしてしまったのだろうか。



 ――いや、まずは水面から顔を出そう。思索はそれからでいい。僕は意を決して目を開く。


 …………開かない。



 身体を動かそうとする。…………動かない。




 僕は俄然に絶望と恐怖の底に突落とされた。身体がまるでいうことを聞かない。感覚神経の再起動は果たされたけれど、運動神経の方は未だ深海の淵のような漆黒に囚われているみたいだ。


 いや、もしかすると、目は開かれているのかもしれない。ただ光がこちらまで届かないだけなのだ。僕はいま本当に海溝の奥深くにいて、その岩壁に穿たれた空洞の中にいるのだ。そこは何かしらの自然現象に依りエアポケットとなっていて、その気体が僕の後背に触れているのだ。それは地上から送出された無害な空気なのかもしれないし、海底で発生する有毒のガスなのかもしれない。もしかすると、僕の身体がびくともしないのは、その有毒ガスを皮膚から体内にとり込んでしまった所為なのかもしれない。先ほどの心地よさも、その幻覚作用の産物。

 水深数千メートル、広さも不明瞭な空洞、有毒ガス、全身麻痺、溺水。あわよく()()()()()()が付近を潜航していて、尚且つネモ船長が気紛れを起こさない限り助かることは有得ない。

 最悪の事態だ。僕はじたばたを試みるが、身体に反応は一切ない。本来このような状況下で無駄に身体を動かせば、ただただ死を早めるだけなのだけれど、身体はピクリとも動かず精神のみを無理矢理に揺り動かして、窒息の苦しみの中で意識が微睡むように靄がかっていくだけだ。


 そのうちに、僕は考至る。


 そうだ。これはある種の()()()だ。僕はいま、夢の中にいるんだ。自らが常々描き出し固定化させてきたイメージの中を、小さな葦の一葉のようにたゆたっているんだ。


 そう解釈すると、些か楽になった気がした。息苦しさも、気持ち的にも。これで総ての説明がつく。精神と身体の乖離、突如の窒息、そして、何故人間の――とりわけ学校教育レベルの水中訓練しか受けていない――僕が、自身を包込むほどの巨大な水流の中にいるという状況において、概ね冷静でかつ()()で夢想的で、あまつさえ気持ちがいいとまで思えていたのか。

 そもそもだ、僕みたいな陸上二足歩行の生物が、どのようにして深海の空洞にまで侵入することができるというのか。たとえ海面(みなも)から順当に沈んできたとして、僕の身体はその道中滑出しの段階で、水圧に依って致命的に損なわれてしまっているはずだ。あるいは、SF的な縦穴から落下したとしても、今度は地熱に依って蒸焼きにされている。……空間転移、としても腑に落ちない。その既に実現可能な方法に依れば、()()()()()()()は跡形もなく消滅しているはずだし、記憶の複製だって不確かだ。いわゆる量子テレポーテーションだ。有機生命に試みるのは禁忌とされている。


 結局のところ、僕は()()()()に従っていたのだ。どこか客観的、というよりは他人事で、コントローラー越しにプレイアブルキャラクターの背中を見ているように冷静だった。実際に車を運転するのではなく、ゲームセンターのレーシングゲームに興ずるような感覚。誤って衝突しても、痛みも罪も責任もない。()()()()()()()()。夢とはそういうものなのだ。所謂、「アナーキー」という概念だ。


 ともすると、僕はいつから()()にいるのだろうか。もしかしすると、ベッドに寝そべり目をぎゅうっと瞑ったあの時、僕は既に眠っていたのかもしれない。それならあの声や閃光にも説明がつく。もっと踏込むなら、あの小説の最終巻を買う已前からかもしれない。いや、きっとそうに違いない。あの破滅的な総括も総てが夢。目覚めて改めて買いにいけば、そこには現実の、いや、()()()()()に従って救いに満ちた総括が収められているはずなのだ。



 閃光からの消失の時とは違い緩慢な速度で――まるでこの水の流れそのものみたいに――意識が微睡んでいくなかで、僕はいつしかある種のエクスタシーを感じていた。宗教的とも神秘的とも違った、穏やかでふくよかな感覚。永きに渡る根本的な暁暗から、はじめて光のもとへ歩出たような気持ち。光はやがて様々な色と象をとって、僕に拡大と同時に限定を()()してくれる。限定は僕を祝福してくれて、拡大は新たな限定を僕の許へ連れてきてくれる。そのようなエクスタシーも徐々に細っていく。意識とエクスタシーが同じくらいのか細い糸になって絡まり、やがてプッツンと切れた。


 その直前に、この流れに何かが飛び込んできたような音がしたけれど、それを気に停める心のスペースなんて、僕には少しも残されていなかった。

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