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セカイはラブソングでできている。~ロックンロールは鳴りやまない~  作者: 福原光花
ドント・ルック・バック・イン・アンガー
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ドント・ルック・バック・イン・アンガー

 

 アー ワー クォーン アー

 小さな港町の海岸沿いに、たくさんの人たちが集まっているのが見えます。人々の歓声が、普段は空を支配している海鳥たちの声を呑み込んでしまうほどです。

 太陽が天上に至るまでまだしばらくを要する時刻。快晴で浜風もほどよく吹いていて、空気も澄み渡っています。海に面した木造の建物には色とりどりのフラッグガーランドが飾られて、ポン、ポン、と合図花火も上がっています。お祭りでしょうか? いいえ、違います。勇者を見送りにきたのです。魔王の刺客から町を救った黄金髪の少年の旅立ちを祝しにきたのです。彼は停泊している王都へ向かう船に乗船しました。黒髪の美しい少女と共に。

 私はその様子を空から、海鳥たちと同じ視線で見ています。無力の三人称という在り方をとって。

 申し遅れました。私はサラ・ベニーニの「'」の方です。最後は私'が語り手を勤めさせていただきます。


 少し時間を遡ったところから、手短に話しましょうか。


 アルがネメアを赦した光の上昇は、町の方からも観測することができました。勿論、サラもそれを見ていました。とても大きな、優しくて温かな光を。見つめていると自然と痛みが引いていき、いつの間にか立ち上がることができていました。それはアルの放った魔法であり、驚異は去ったのだと速やかに理解できました。サラはドメニコと動ける町の男たちと一緒にアルを迎えに行きました(ヴィクトリオは怪我のためお留守番です)。丘を2つ越えた先で、彼女達はアルを見つけました。アルは踞り眠る大型動物の隣に腰掛け、その頭を優しく撫でていました。

 サラと町の人たちは歓声を上げてアルの許に駆け寄ります。すると、その声と足音に反応して、大型動物が目を覚ましてしまいました。大きな欠伸をして、鋭い歯を見せながら。その正体は雄のライオンでした。一同はぎょっとして距離をとります。しかし、ライオンはとても大人しく、とりわけアルにはすりすりと体を寄せて懐いている様子でした。

 アルは言いました。「このライオンこそが、ネメアの本当の姿なんです。魔王の咒いに依って魔物に変えられていたんです。だから、彼を赦してあげてください。彼は自分が何をやっているのか分かってなかった、彼に罪はないんです」

 もちろん、生活を破壊された町の人たちにとって、ネメアだったライオンを無条件で受け入れるなんて簡単なことではありません。しかし、アルの慈愛の眼差しに魅せられて、反駁する人は誰も現れませんでした。


 サラは少しの間、ライオンをじっと見つめました。アニマを見定めるためです。確かに、そのアニマの像はネメアのそれと同一でした。剥き出しの肋骨のような形状。しかしその色にあのおどろおどろしさは完璧に抜けていて、鮮やかに透き通って見えました。このような変質現象はこれまで聞いたことがありませんでしたし、目にするのもはじめてでした。アルがどれほどの大事を成し遂げたのか、サラはの心は感嘆に満たされました。サラはこの時、ネメアだったライオンを赦しました。


 ライオンを引き連れて、アルたちは町に戻りました。避難していた子供や女性や老人に、騒ぎを聞きつけた海側の町の何人かも集合していて、アルはまた歓声で迎えられます。そして、ヴィクトリオを含め町に残っていた人たちにまたライオンのことを説明し、赦しを願います。しかし、破壊された町並みを背景にして、先ほどのようにすんなりと許しを引き出すことはできませんでした。町の大人たちからは、不満の声や息遣いが漏れます。

 その状況を変えたのは子どもたちでした。子どもの1人が、ライオンが無害だと直感し小走りで近づきました。橋の上で、アルに最初に話しかけた女の子でした。その女の子の母親は当然、やめなさい! と叫び、子どもの方に走り出そうとします。しかし、その近くにいたサラが静止しました。

 「大丈夫です。私を信じてください」

 サラがそう口にすると、母親は困惑を表情に残しながらも足を止めました。ライオンの隣に立つアルも剣に手を掛けて、いざとなればいつでも剣を振るえる、と示します。

 女の子が目の前に立っても、ライオンは襲い掛かる素振りを見せません。アルはそれを見て、ライオンに腹をつけて座るように指示をします。自らも立て膝で子どもに視線を合わす姿勢を見せて。ライオンは速やかに従います。スフィンクスと同じ姿勢を取って、子どもアクションを待ちます。女の子は恐る恐るライオンの額に手を置きます。ライオンは嫌がりません。女の子はそれを見て、ゆっくりと撫でました。ライオンは目を瞑って、ぐるる、と気持ちよさそうに喉を鳴らしました。その様子を見て、他の子どもたちも一斉にライオンのもとへ駆けます。子どもたちとライオンは存分にじゃれ合って、ライオンは背中を地面につけてお腹を見せるまでになりました。その光景を見て、大人たちもやっとライオンを受け入れました。


 アルもまたその光景に安堵します。そして、自身が魔王の討伐を命じられた勇者であることを、その場で告白しました。記憶を失くしていることも、サラに助けられたことも、()の総てを開示しました。町の人たちはアルの喪失を憂い、続けて、勇者様と大合唱で称えました。アルは些か頬を赤らめながらも、その称揚の歓声を正面から受け止めました。


 アルとサラは改めて町の被害状況を確認します。麦・野菜畑が10分の1ほど、町中は教会とその付近の幾つかの建物が損壊していました(火災は完全に消し止められています)。負傷者は8人で死者は0、まさに不幸中の幸いでした。町を見渡すアルの横で、ライオンは申し訳なさそうな表情を浮かべています。もしかすると、ネメアの時の記憶があるのかもしれません。勿論、今更ライオンを責めたてるようなことは誰もしませんでした。

 町の把握を終えて少し、ソフィアの夫とマリオの妻(ヴィクトリオの母)がアルの前に名乗り出てきました。個別に感謝を伝えられるタイミングを伺っていたのです。ソフィアの夫は小柄の痩せ型で、マリオの妻は背が高くがっしりとしています(アルより少しだけ低いくらいです)。それぞれのパートナーと得手不得手を補完し合う理想の間柄であることを、平易に可視化しているように見えます。とりわけ、息子を窮地から救ってもらったマリオの妻は、両手で強い握手を求めました。アルもそれに気持ちよく応えました。そして、屋敷ではとてもお世話になったことを説明して、誠実に感謝を交換しました。サラはその様子を少し離れたところで見ていました。にっこりと微笑みながら。


 被害の把握を終えると、サラは怪我人の治療をはじめました(町の医者が応急処置を済ませてくれていました)。アルもそれを補助し傷ついた全ての人が回復して少し、心配したマリオとソフィアが町にやってきました。サラは2人に抱きついて無事を伝えます。地震か隕石の衝突だと思っていた2人は、サラと回復したヴィクトリオの説明によって事態を把握しました。2人はアルへ格別の感謝を述べました。そして、それぞれの家族の無事も確認し合いました。

 この間、ライオンについて1つ面白い事実が判明しました。町の動物学に詳しい男の人が、家から持ってきた専門書と照らし合わせて、そのライオンが約400年前に絶滅したとされる種であると突き止めたのです。鬣の延長として臍の辺りまで分厚い毛が覆われていることが特徴なのだそうです(子どもたちとじゃれている時に、その形質が目に入っそうです)。

 その事実は、本来の『レオン』のストーリーでは明かされないものでした。死亡時に腹部の損傷が激しかったからです。その改変、あるいは、修正は、アルの赦しの象徴性をより堅固にしてくれる設定でした。


 町が一定の落ち着き取り戻したのを見送って、アルたちはライオンを連れて屋敷に戻りました。屋敷に到着した頃には夕陽が沈みかけていて、サラとアルとヴィクトリオが交代で入浴し、ヴィクトリオが上がった頃には夜になっていました。ライオンも、サラとアルが交代でブラッシングしてあげました。ライオンはぐるる、と喉を鳴らし、何度も大きな欠伸をしました。

 少ししてサラは、フレスゴーに向かったフェデリコが道中宿泊する予定の宿に通信を試みました。フェデリコとは速やかに繋がりました。宿の通信魔道具のすぐ近くにいたそうです。フェデリコの耳にも領内で何かがあったことは届いていたようで、辺境伯に事情を説明したうえで屋敷に引き返すための準備をしていたところだったのです。サラは事の顛末を簡潔に伝えて、フェデリコを安心させました。途中でアルと通信を変わり、フェデリコは直接に感謝を伝えました。その後、またサラとのやりとりで、とりあえずは直ちに町へ引き返すこと、帰宅は明朝になることを、フェデリコは約束しました。

 フェデリコのいない夕食のメニューは、海側の町で購入予定だった魚がなかったこともあって、テーブルはトマトスープとチーズとパンとサラダとオムレツという並びでした。ライオンには大量のチーズが与えられました。

 アルはその様子を見て言いました。「え、猫科にチーズですか?」

 現実的なペットに関する知識に照らせば、それは当然の指摘でした。しかし、屋敷の誰もそのことに疑問を持ちませんでした。どうやら、猫科とチーズの食べ合わせが問題ないような世界改変も行われたようです。多少強引な気もしますが、これも物語のご愛嬌ですね。

 アルの納得を待って、5人と1匹は頂く命と自身の命の無事を噛み締めながら祈り、食事をとりました。

 夕食を終えると、ヴィクトリオとソフィアは町へ帰宅し、マリオが屋敷に残りました。フェデリコが屋敷を空けている日は、サラを1人にしないために誰かしらが屋敷に宿泊する決まりになっているのです。アルは客室でライオンと一緒に眠りにつきます。

 アルは、、いや、奏くんは、この物語の世界ではじめてふつうの夢を見ることになりました。整合性と連続性のない入り組んだ夢を。そして、朝起きた頃には、夢の内容はほぼ全て忘れているようでした。そのすっきりとした彼の表情は、まるで重い甲冑を脱いだ後のようでした。


 フェデリコは約束した明朝の8時過ぎに帰宅しました。サラとアルもマリオも、入浴まで終えた状態で出迎えました。通信を受けてから一睡もせず、馬のトレビを適宜休ませるために注意を払いながら、可及的速やかに戻ってきました。詳しい話はまた後で、と言って、汗だくのフェデリコはトレビを任せて入浴しました。3人はトレビを労って、汗で泡立った体を洗い流しました。緊張の解けたトレビは、厩舎のふかふかの藁の上で横になり、すやすやと寝入りました。

 フェデリコの身なりも整って、そのうちにヴィクトリオとソフィアもやってきて、朝食を囲んで昨日の事件とアルの記憶が奪われた経緯を改めて共有します。事前に聞かされていたとはいえ、食堂にライオンがいる状況に、フェデリコははじめ些かの戸惑いを見せました。それでも、ものの数分で頭を撫でられるくらいに打ち解けることができました。そして、一昨日のアルと同じように、ライオンに新しい名前を与えることをサラに提案します。そうして、ネメアだったライオンは、新たに「シニガーリャ」と名づけられました。

 ライオン改めシ二ガーリャが授名の喜びを、ぐおお、と短い鳴き声で表現すると、アルが話しはじめます。「僕はこの町を出ようと思います。この町に居続けると、また魔王の手の者が町を襲いに来るかもしれませんし、勇者としての勤めも果たさなければなりません。僕自身の記憶もとり戻さないといけない。僕はその必要性を、昨日改めて実感しました。それで、お願いがあるのですが、シニガーリャの面倒を見て頂きたいんです。見ての通り大人しく賢いライオンです。けして危害を加えることはありません」

 フェデリコは諸々を快諾します。すると、今度はサラが言いました。

「お父さん、私もアルさんに着いていきたい。これから魔王軍によって傷つけられてしまうであろう人たちを、私の手で癒してあげたい。そして私の夢のために、もっと大きな世界を見て回りたい。いまアルさんと一緒に行かないと、その機会を永遠に失くすような気がするの」

 概ね肯定的なフェデリコも、これには難色を示しました。いつか必ずサラが夢を叶えられる機会をこちらで用意する、と父親らしい説得を試みます。しかし、サラも譲りません。そして、いまはアルさんの近くにいるのが1番安全なのよ、という彼女の言葉に、フェデリコも遂には観念してしまいました。マリオたちも概ね賛成し、アルも、命に代えても守ります、と強い言葉にしました。


 旅立ちの日は5日後に調整されました。フェデリコから辺境伯を仲介して、はじめに国王と謁見して直接の援助を調達することになったからです。その間は旅の準備期間と当てられました。とはいっても、屋敷や町でできる具体的な備えは半日も要しません。そのほとんどは、損壊した町の修復の手伝いや人々との交流に費やしました。しかし、アルの覚醒した魔法は、危機が迫った際に剣を握っている間にしか発現されないようで、修繕や生活に活用することはできませんでした。それでも、主人公としての膂力を遺憾なく発揮して、旅立ちの前日には、細かな仕上げを残しておおよその原型を復旧することができました。


 結局、記憶と共に自分本来の魔法も不明のままで、他者の魔力を感じ取れるのもあの剣を身につけている間だけ。危機とその剣を条件に強力な魔法その身に体感したアルにとって、異物感と喪失感の矛盾を同時的に感じる違和感が、時間を経るごとに大きくなる。

 なぁんて心理状態を、奏くんは役柄として楽しんでいました。ふとした時にそれが言動や行動に漏れ出すこと、それをサラをはじめ町の人たちが推し量って温かく接してくれること、それをまた交流の仲立とすること。むしろ魔法を失ったという事実が、そこではある種の魔法みたいになっていました。


 勿論その交流は、修復作業の手伝いのついでだけではありませんでした。サラと町の人たちの計らいで、日の半分は町のおもてなしと催しを楽しみました。町のメインストリートの一部を仕切って陽気な音楽をバックに踊ったり(アルはそこでムーンウォークやMJシャッフルやJBステップを披露して場を沸かせました)、町の子どもたちをたくさんを集めて川釣りを敢行したり、町の料理人・料理自慢を集めて広い丘の頂上で開かれたビュッフェパーティーに舌鼓を打ちました。またアルとサラは、アルの服のオーダーメイドを頼んでいたブティークから改めて招待されて、せっかくだから長旅に適した丈夫なセットアップを2着ずつに注文を変更しようか、と店主から提案をされました。サラともお揃いで、追加料金は受け取らない。2人としても願ってもないことでしたが、金銭的負い目やそもそも数日で工程が完了するのかという懸念がありました。店主は腕の見せどころだと張り切り、旅立ちのお祝いとして気持ちよく受け取って欲しい、と笑いました。最後には2人とも是非にと回答し、改めて採寸をやり直すことになりました(サラの採寸は店主の妻が担当しました)。ここでできあがったものが、私'と彼のあの冒険者風の衣装でした。


 アルはまた同じだけ、海側の町にも顔を出しました。勿論、サラと共に。海側の町は名を「Porta(ポルタ) di(ディ) dio(ディオ)」といって、立ち並ぶ建物のうち民家の構造は山側とほぼ同一でしたが、海上運送されてきた大きな荷物を運ぶために格子状に広い道を延ばしていました。小規模ながらホテルに倉庫群に魚の市場と山側では見ない建物もありました。しかし、こちらの町にも教会があって、山側とほぼ同じ造りをしていました。アルはこの海側の町で輸入された各国の茶やお菓子を嗜んで、海上に突き出して建てられた風変わりなレストランでサラと2人で食事をして、こちらの子供たちにもその剣技を披露して、教会で祈りを捧げました。


 アルが町に足繁く通っている間、屋敷ではトレビとシニガーリャが親友のように仲良くなっていました。シニガーリャは魚食を大変に気に入って、トレビも特に臆することなく並んで給餌ができるまでになりました。シニガーリャをこのまま預けても大丈夫だと明確に確信に変えられたのは、アルにとってとてもよいことでした。


 そして、いよいよ旅立ちの前日、サラが入浴している間に、食堂にてフェデリコはアルに思いを告白しました。「アルくん、改めてサラを頼みます。くわえて、これまで君には言いそびれていましたが、私の妻、サラの母親は、随分昔に亡くなっています。とっくにお気付きだったとは思いますがね。……実を申しますと、アルくん寝泊まりしていた客室はもともと妻の部屋だったのです。壁際のピアノをはじめ、多くは彼女の遺品をそのままインテリアにさせて頂いています。ベッド周りだけは、別に取り替えましたけどね。彼女のピアノ演奏は、それは見事なものでした」

 そうだったんですね、とアルは応えました。サラの母の不在について、アルはマリオから概ね聞かされていました。マリオも同席しているいま、そこを誤魔化す必要もありません。だからその反応は、むしろ客室の歴史的背景に注がれていました。しかし、それは奏くんの演技的な側面に留まりませんでした。客室がもともとサラの母親のものだったという情報も、本来的には明かされない情報だったのです。奏くんはそのことに、()()()()()()()()()()()

 フェデリコは続けます。「そのせいで、私はサラを手許に置いておきたい気持ちが、とても強かったように思います。重ねて申し上げますと、サラに対して地方貴族から結婚の申し出を受けることが度々あるのです。家を継げない次男坊や三男坊のために、せめてきれいな奥さんを与えたいとね。私は勿論、全てを断ってきました。サラをそんな慰めのアクセサリーのようにしたくありません。でも1番は、私から離れてほしくないという私の我が儘なんだと思います。これは、サラを私の許から羽ばたかせるよい機会なのか知れません。くれぐれも、サラのことをよろしくお願いします」

 マリオ・ヴィクトリオ・ソフィアも、娘や妹のように接してきたサラのことをよろしく頼みますと、それぞれの言葉にして重ねます。


 アル、いえ、()()()()()()()()()。サラのお母さんが亡くなっている事実を2度、新情報として客室の成り立ちを聞いた。そのことを、実際にサラの口からも語られる時に、いかに表現のリアリティとして組み込んでいくのか、ある意味で楽しみだなと。不謹慎だけれど。

 そして、シニガーリャが絶滅種であることも加え、本来明らかにならない情報が軒並み開示されていることを、遥ちゃんの心の解放に着実に向かっていることのメタファーとして、奏くん自身もポジティブに捉えていました。


 翌朝、旅立ちの日がやってきました。アルとサラのためだけに、大きな船が海側の町に寄港します。2人は無事に完成した冒険者風の衣装に身を包み、それぞれに大きなバックパックを担いで、屋敷のみんなで港へと向かいました。

 港では山側と海側の町の総勢700余人が集合して、2人の門出を見送りに来ていました。船は既に停泊していて、その船長と乗組員からも丁寧な挨拶を受けました。船の名は「サンフラワー」。そして、王都から1番近い港街までの案内を任されたことを、改めて説明されました。その後、サラは沸き立つ町の人たちの声援に快活に応えて、フェデリコ・マリオ・ソフィア・ヴィクトリオにそれぞれにハグをして別れを惜しみました。アルはその様子を、後ろから温かく見守りました。まるで結婚式場で実の両親に挨拶をする配偶者を見つめるみたいに。


 町のみんなから十二分の祝福を受け取ると、アルとサラは船に乗り込みました。少しして船が動きだして、しばらくの別れの時がやってました。船が岸を離れると、町の人々は海岸線の際まで接近し広がって、大きく手を振りながらそれぞれにさようならや応援の言葉を叫びました。船が横づけしていた波止場の先端、その最前に分かりやすいところに、フェデリコ・マリオ・ソフィア・ヴィクトリオがいます。アルとサラは大きく手を振り返します。町と人々がどんどんと小さくなり、やがて認識できなくなるまで、ずっと。そして、やっと手を下ろした時、甘い寂しさが2人を薄衣のように包み込んでいました。





 船が町を離れて暫く、2人は甲板から海を眺めていました。魔力で動く船はとても静かであまり揺れません。そのうち、サラがテレパシーを用いてアルに伝えました。

『もうお気づきかと思いますが、実は私、お母さんがいないんです。ほんの小さい頃に、この町に移る前に病気で亡くなってしまったんです』

「……勿論分かっていましたよ」

 アルは口にして答えました。サラ本人でさえ知らない、その台詞の()()()()()を、アルは、奏くんは噛み締めていました。その()を共に背負っていることを、改めて決意します。

 サラも、今度は口にして言いました。「ただ、言いそびれていただけなんです。もしむず痒い思いをさせてしまっていたのなら申し訳ありません」

「気にしないでください」とアルは言いました。「僕も言いそびれていたことがあるんです」

「それって何ですか?」

「どうやら、僕は船が苦手みたいです」

 アルは青い顔をして見せて、欄干にぐでっともたれ掛かります。

「――あはっは、それは大変ですね」

 彼女はおかしくなって笑ってしまいました。アルの演技がとても分かりやすかったからです。これほど静かな船で酔うなんてことはそうそう考えられません。私を元気付けるための一芝居、サラはよりいっそう、アルに心惹かれていきました。


 あっ! とサラが突然声を上げて、欄干から身を乗り出し海面を指差しました。「見てください! 私の友達のイルカです」

 アルも身を乗り出して、サラの指差す方を見ます。海面から背びれを突き出したイルカが2匹、船と並泳していて、彼女が、おおーい、と呼び掛けるとジャンプで応えました。

「手前がゴンで、奥がハナって言うんです」

 サラはアルに2匹を紹介しました。

「ゴン! ハナ!」アルは2匹の名前を呼びます。すると、あることに気がつきました。「サラさん、2匹共何か咥えていませんか?」

「――本当ですね」サラは目を凝らして確認します。「あ、私のサンダルです!」

 イルカたちが咥えていたのは、アルを助ける時に脱ぎ捨てたあのサンダルだったのです。彼女は浮遊の魔法を使って、器用に2匹からサンダルをもらいました。イルカたちもそれに満足して、船の近くから離れていきました。

「ありがとおおお!」サラはイルカたちに大きく手を振りました。「またねー!」

「よかったですね」とアルは言いました。

「ええ」サラは身を乗り出したまま応えました。そして甲板にしっかりと立ち直して、アルに見せやすいようにサンダルを掲げました。「これは、母が履いていたサンダルと同じデザインのものなんです。本当に、よかったです」

 サンダルは翡翠の原石ような色で、メッシュ状に編み込みがされた底の厚いタイプでした。


 サラは、うっすらと泣いているようでした。それはさらっとして透き通った、赦しのフィルターを無事に通過してきたような涙でした。その涙は、『レオン』の物語では本来流されないはずのものでした。そのサンダルの意味が、いま明確な質量を得たのです。サラと、そして、奏くんに共通する赦しがまた1つ、メタファーとしてこの小さな世界に浮き上がってきたのです。奏くんはそのことを心の内で、バトンのように確実に受けとりました。


 アルはさっとハンカチを差し出しました。

「ありがとうございます」サラはサンダルを足許に置いて、ハンカチを受けとり涙を拭いました。「……あら、もう船酔いは大丈夫なのですか?」

「えっ、ああ、そ、そうみたいですね」

 アルの顔は、今度は真っ赤に染まりました。

「ふふふ」

 サラはにっこりと微笑み返しました。



 

 物語はいま、確実によい進度を向いています。そして、この船と同じように、急速ではないけれど着実に前進しています。それは蜃気楼であったはずのものを実際にするための旅であり、それを永遠に保存するための手続きなのです。それは物語を愛する者同士が、別の立場と視点で手をとり合ってはじめて動き出す、ある意味でありふれた奇跡なのです。通常それは作者と読者という関係性に留まりますが、私'たちは作者と演者という異なるクリエイターをその内に含むことができました。これはとても特別で、宇宙規模の運命であり、一握りにも満たない幸運を見事手繰り寄せたのです。私'たちの場合、その切っ掛けは血を流す経験をして、はじめて血を流す必要はないという気づきだった訳です。

 だから、私'ははっきりと言えます。




 この物語は、けして滅んだりはしない。



 ただいま、「ハルカ」はまだ自分を癒す方を優先するタイミングなのです。でも、いつか必ず立ち上がって、走って後を追っていきます。だから、いまは君が引っ張ってあげてね。「ハルカ」は必ず、素敵なメタファーでそれに応えてくれるから。



 頑張ってね、奏くん。



Is be more like me and be less like you


 Linkin Park『Numb』

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