チェンジ・ザ・ワールド
僕の叫びに呼応して、足許から光が吹上がる。キュゥォーーン、という高周波と、髪の毛が逆立つほどの気流を伴って。強烈なのに、けして眩しいとは思わない。熱くもない。ただただ、温かい。音も風も、煩わしくない。親密そのものだ。
上昇する光は亀裂の中心に接触すると、波紋のような震えを上空に発生させる。その震えが空間全体に伝わったのをみて、僕は剣を降ろした。光も音も風も、1度その役割を終えた。
上空の震えは暫く寄せては返すを繰返し、少しずつ減衰していった。やがて震えが完全に凪ぐと、1拍置いて不足していた魔法陣の補完がはじまった。直線・弧・払い・止め、それら図・記号としての構成要素を、宛ら浅い窪みに水を流すように描足していく。そして、天体観測儀によく似た模様ができあがって、それをさらに囲うように物語世界の文字が弧にして刻まれる。
そこにはこう記されている。
『もっと素晴らしい物語にしよう。君と僕と、そして、物語を必要とするみんなのために』
それを心に内に唱えるだけで十分だった。魔方陣が僕の祈りに対して、強烈な発光で応えてくれた。光が今度は、天上から僕に向けて降注ぐ。眩しくない、温かいに続いて、そこに柔らかいという感触が新たに加わった。その柔らかさは次第に僕の身体に附着していって、僕を骨格として何かを象ろうとしているようだ。
いや、何か、ようだ、なんて白々しい。僕ははじめからそれを精細に理解している。なんせ、僕は体感として合せて1日近くも、その生きた鎧を身につけていたのだから。
そう、光は彼の、レオンの身体を構築しようとしている。これまでいつとはなしに与えられて、事後的に受入れてきたそれを、いまは細胞レベルで1つずつ段階的に僕を覆っている。それは央に返しのついた吸盤みたいにこちらの意志を蔑ろにすることはなく、きっと僅かに身体を震わせるだけで空へ霧散してしまう心許なさだ。僕には未だ、主人公の役割の拒絶を示す猶予が与えられているのだ。しかし、僕はそれをじっと受入れる。身動ぎ1つしない。能動的な直立。
僕が、僕たちこそが勇者だと、僕は不動を以て示し続けるのだ。ブカレストのマイケル・ジャクソンのように。
光が薄らぎはじめるのにどれほど時間を要したのか、そんなことは何ら問題ではなかった。しかし、物語からの観測上では、僕がヴィジョンに包まれていたのはほんの玉響のことだったみたいだ。ネメアは依然として高らかに哄笑し、その左手にひどく苦悶する彼女が握緊められている。
けれど、僕という心が、この刹那にどれほどの力と勇気を蓄えたのかは、総身と剣に仄かに残存する黄金色の発光が恭しく表している。
はっっつ! とネメアは無理やりに哄笑を断切った。僕が変わったことを察知したのだ。天に向けていた顎先を引いて、かっぴらかれた双眸をこちらに向ける。鬣も逆立って、呼吸も浅くなっている。それが畏れから来る反応であることは明白だった。
僕は身体上の発光を総て剣に移して、ネメアに眼力を飛ばす。ネメアは僕の気力に気圧されて、1歩後退った。
「おまえ、い、いった」
ネメアが台詞を言切るよりも先に、僕は目にも止まらぬ神速で跳躍しネメアの左腕を斬落とした。
「ぐああああああああああ!!」
ネメアは苦痛の叫声をあげる。ネメアの左腕は宙を舞い、彼女がそこから零出る。僕は彼女を空中で抱き抱え、ネメアの左腕を足場にして方向転換し町の男たちの近くに着地した。総身をショックアブソーバーのようにして、彼女の衝撃を最大限軽減する。しかし、凶悪な拘束から解かれたことは分かるだけの感触は残す。
「アル、さん」
彼女は顔を歪ませたまま、僕の名を絞出した。苦悶は未だ彼女の顔に、呪いのように纏わりついている。
「サラさん、いまはしゃべらなくていいよ」と僕は言った。「どなたか、サラさんをお願いします」
ドメニコさんとほか2人の男性に彼女を預ける。その間、僕はネメアに対して背中からプレッシャーを与え続けた。
僕はネメアの方に振返る。斬られた左腕からも、ネメアの左肩からも、血は流れていない。剥出しの冷えた組織だけが覗いている。この剣の斬味がよほど凄まじいらしく、組織や骨はズタズタになることなくきれいに保存されている。体液が流れでないから、尚更美しいとすら思える。筋繊維は我々と変わらないピンク色をしている。骨は新雪のように白い。
片腕を失ったネメアは、僕に対して恐怖の感情を全く隠さなくなった。勿論、自身の恐怖はエネルギーになんて成得ない。
「な、なぜぇ、おまえがその剣を使えるのだぁあ!?」
「知らないよ、そんなこと。おまえたちが僕の記憶を奪ったんだから」
「ほ、ほざけええええええ!」
ネメアが叫ぶ。すると、左腕が切口から伸びるように再生する。まるでイモリの自己修復の早送りを見るように。そして、斬落とされた元の腕は塵となって消えていった。
ネメアは左腕の感触を確かめながら言った。「もういいぃ、おまえら跡形もなく鏖殺だぁ」
ネメアは大きく口を開き、そこに魔力を集中させる、これまでと較べものにならない、巨大なエネルギー球が形成される。
「そうはいくか」
僕はまた神速の如きスピードでネメアの顎を蹴上げた。エネルギー弾はネメアの口腔で爆発し、ネメアは背中から倒れた。僕は空中でくるっと後方一回転をして着地する。
ネメアは、グルルルル、と唸りながら立上がる。ふらふらと朦朧していて、僕との戦力差はもはや誰が見ても歴然だった。
「ネメア、ここで立ち去るなら見逃してやる」
僕はキメ顔でそう言った。
「それはぁ、できない。ここでぇ、おまえ達を滅ぼさなければ、我が魔王様に滅ぼされるぅう」
ネメアの鼻から下はぐちゃぐちゃに崩壊していた。口許だったはずのところか、だらだらと涎を垂流す。再生する余力を喪失している。それでも、血は1滴たりとも流れない。
憐れだ、僕はネメアを見て思った。醜い、とも率直に感じた。自ら手を下したことでよくもまぁ他人事のように、と思われて仕方がない態度だ。でも、誰であれこの感想を抱いてもらうことこそが、「ハルカ」の本来の狙いなのだ。
ネメアもといライオンは、「ハルカ」にとって性に由来する美しさの象徴なのだ。それは「人に愛されること」ともいい換えることもできる。人に愛されること、その取っ掛かりは実に様々だ。容姿・立場・才能・人格、上げれば切がないだろう。ネメアはそれらの負の部分の集合体なのだ。それらに乏しい人間が自身の僅かなそれを武器として他者に叩きつけること、ネメアの「背負う罪」とはまさにそれなのだ。「ハルカ」の場合、それは自身の身体で憔悴の最中の初恋の人を誘惑しようとしたことであり、僕の場合、光希さんの隣にいるためには芸を磨く以外にないと意固地になっていたこと。そして、それが誤りだったと気づかされてから、僕自身の身体を使って母に八つ当たりを繰返してきたことだ。結局のところ、それは身の回りの女性に等しく、都合のいい聖母性を押しつけてきたということなのだ。ただ無批判にこちらの欲求を受止めてくれる存在として消費していたのだ。トロフィーやソファーのように扱っていたのだ。その業を理解してもなお、そのしぐさから脱却することもできなかった。女性にも主体的な慾望があることを認めるのが怖かった。
きっと、読者の1人1人がそれぞれの性に係る罪を無意識裡にネメアへ反映させるのだ。それを一点の曇りもない完璧な美しさと生まれたての心を持つ彼に依って、断切られる。「性に振回されてきた自分をとり除くこと」。それがネメアの試煉で「ハルカ」が忍ばせたメタファーなのだ。
あるいは、それは『金閣寺』と近似した構造を有しているようにも読める。自身を惑わし支配してきた観念や概念を、自らの手で消失させる。まさに完全上位互換といえる、超越的な形象を研澄ませて。
しかし、それもまた誤りだったのだ。都合よく拒絶したいものだけを除くのなんて無理な話だったんだ。まさしく消しゴムが意図しない線までも消してしまうように。僕たちは表現の持つ力とその及ぶ範囲を精確に捉えられていなかった。僕たちは、他者に愛を伝えるという当たり前まで強力に遠ざけてしまっていた。別に、常に誰かしらに愛を振撒けという意味ではない、それ已前の機能としての話だ。無理に誰かを愛することではなく、いつでも愛そうと思えば愛を示せること。それこそが肝腎なのだ。そんな、自らの身体の出っ張った部分を引千切るみたいなことに自身の生み出した物語を附合わせるなんて、酷な話はやっぱりないんだよ。
ここからの僕の行動は、紙面上から大きく逸脱する。
「ぐぅうおおおぅう!」
ネメアは再び苦痛の叫びを上げる。僕がネメアの腹部に突進を見舞ったからだ。剣は突立てない。町から遠く離すために、ふっと飛ばすのが目的だから。
ネメアの身体が高速で宙を舞う。そして、山側海側どちらの町からも十分に離れた、丘を2つ越えた先に広がる森林地帯の手前に墜落した。僕も跳躍して、すぐそこに降り立つ。まるで『ドラゴンボール』のような戦闘描写のインフレーションだ。
墜落地点で衰弱し横たわるネメアを、丘の起伏を利用して見下ろせる位置に僕はいる。
「分かった。ネメア、君を解放してあげる」
僕は優しく言った。子供の我儘を聞入れる時のように。
「なん、だ、とぉ」
ネメアは横たわったまま言った。速やかに立上がることまでもはや能わないのだ。
僕は両手で剣を高く掲げて、大地から吸上げるように魔力を集める。そして、練上げる。実際に蛍のような無数の光の粒が僕をとり囲むみたいに発生して、剣身に集まっていく。その間、ネメアもただ黙っている訳ではない。ネメアも何とかして立上がり、エネルギー光線を何発も僕に浴びせる。しかし、まるで効かない。そもそもが大した威力じゃなくなっているうえに、僕はチャージと同時にバリアーで身を守っているからだ。ヴィジョンから還ってきた直後のように、再び身体が黄金色に発光している。彼女の温熱・冷却の魔法と同様のメカニズムを、より進化させたものと思ってもらったらいい。まったく、チートが過ぎてむしろつまらないくらいだ。
紙面上において、ネメアは町の前で彼に真っ二つに斬り伏せられて、宛ら特撮の怪獣のように爆散した。爆煙が晴れるとそこには一匹の死んだ雄のライオンがいて、ネメアも魔王の咒いに依って歪められた哀れな被害者であると分かる筋書きだった。
僕は、そのライオンを殺したくない。救い出したい。それも、「ハルカ」を象づくる大切なファクターのはずだから。実際に、君は記憶を想い出に変換するのに失敗した。結局のところ、想い出とは過去の事実や感情をありのまま受入れることなんだ。変化させるべきは、「こちらが振返る時に向ける視線」なんだ。過去の不都合を削除しておきながら、眼差しに否定を宿し続けたら、自身の手許にはそのまま否定しか残らない。いまの「ハルカ」を蝕んでいるのは、純粋な自己否定の蓄積と濃縮に他ならないんだ。君に、僕たちに必要なのは、『自分を赦す勇気』なんだね。線をベタッとした1本線ではなく、無数の点の連続として表す行為。自身を更新し続けること。自分であって自分ではないという矛盾を愉しむこと。
僕も、光希さんのことを想い出にしてあげないといけないんだ。いつまでも罪悪の眼差しで振返り続けることは、あるいは、忘れることよりも酷いことかもしれない。それは、死なないと分かっている相手の喉を緊め続けることに等しいのだろう。そんなことはいい加減止めないといけない。勿論、光希さんのことをおざなりにする訳ではない。罪悪と同程度の質量の、また異なる想いを創り出すということだ。
改めて言葉にして思知る。自分を赦すということは尋常ならざる試みだ。誰かしらの手解きを受けられても、それを成し遂げることはほとんどの人にとって不可能だ。それが容易なことだったら、世界にとって争いは恒常となっていないはずだ。皆、自分を救える力を他者への攻撃に転用しているのだ。僕もその内の1人だった。神が死に、祈りの意味も失われた世界。
けれど、物語の内において、それは可能になる。
僕と君は、それぞれに映し鏡だ。それは、互いに幼心を剥出しにしていられた時代に結ばれた特別の縁だ。『はてしない物語』が繋いでくれた絆だ。僕の赦したことが君の赦したことになり、僕の赦されたことが君の赦されたことになる。君が舞台と機会を提供し、僕が行動で結実させる。物語世界では、それがニアリーもなしにイコールになる。立場の優劣も、権力勾配もない。まさしく、役者としての僕が在るべき居場所だ。
しかし、現実の道理と照らし合わせると、それはあまりにも出過ぎた行為だ。著作権に表現の自由、数多の法律や社会倫理が壁となる。僕はそのことを、学校のみならず芸能の場でも学問的に叩込まれてきたのだ。
だが、ここで敢えて述べさせてもらう。
それがいったい、何だというんだ?
僕は新しい名前を貰えて嬉しかった。心の象をかっこいいと言ってもらえて嬉しかった。自発的にニックネームを提案して受入れてもらえたのが嬉しかった。温かい紅茶と食卓が嬉しかった。勇者の使命を与えてもらえて嬉しかった。僕の優しさを信じていると頑なに言い続けてもらえて嬉しかった。めそめそといじけている時に頭を撫でてもらえて嬉しかった。ワンダー・ウォールという関係を結んでもらえて嬉しかった。町とその営みを共有してもらえて嬉しかった。
これだけのものを貰えて、それでも客観的な正しさを持出して物語が破滅に向かって突進むのを見送るなんて、クソダサいことなんてできるか。それに、僕はその客観的正しさの意義である社会秩序なんて、結局のところどうでもよかったんだ。ただ自分が帰属する集団から罰せられたくなかっただけなんだ。その集団から、僕は一時的とはいえ明確に断絶されている。
だから、言ってやる。知るか! くそったれめ!!
女の子が僕を名指しで助けを求めてきたんだ。ここで立上がらければ、男が廃れる。そして、僕はその自信に満ちた背中を、彼女に、「ハルカ」に見てもらいたい。その慾求を、隠すことも誤魔化すこともしない。たとえ彼の借物でも、2人はその背中越しに僕の心の象を認めてくれると信じている。男らしさを他者の盾として扱う、僕の心意気を。
そう、総ては結局のところ、扱い方とその方向なのだ。男らしさも女らしさも、行動も言葉も。
僕は宣言する。暫くは「ハルカ」とこの物語のために、僕は自身の言葉を紡ごう。自分を守るためだけに十重二十重と言葉を飾立てるのは、もうお終いだ。その他者のための言葉の積重ねの先に、君たちの救済と、そして、光希さんへの新しい想いの答があると信じている。
「ハルカ」、いや、遥ちゃん。その永い旅路をはじめる前に、1つだけお願いがある。総てが在るべき象に行着いた暁には、僕たちは直截に赦し合いたい。互いに離れてからこれまでの互いの物語を、直截に聞かせ合いたい。そこで1つの大きな物語が、きれいな節目を迎えられると思う。そうするためには、あるいは、君の小さな世界に招入れてもらえた以上の奇跡を、期待しないといけないかもしれない。そのための祈りとして、僕は君の小さな世界を赦し続けるよ。
そのためにも、僕は。
『僕の孤独を、君に捧げる。』
僕は魔法が十全に練上がったことを感じると、左手を剣から離した。しかし、肩から上にある状態をキープする。万歳に近しいポーズだ。次いで、剣を保持したままの右手を捻る。手根をネメアに向けるように。剣身は横になって、刃ではなくその横っ腹が正対する。左手は剣先にそっと添える。僕はネメアの視線と平行になるところまで丘の傾斜を降りながら、剣を自身の肩の高さまで降ろす。その間も、ネメアは満身創痍でエネルギー光線を浴びせ続ける。
僕とネメアの視線が平行になると、僕は薄くを息を吸込んだ。そして、右足を半歩前に出して、寝かした剣をゆっくりと前に突出した。僕の動作に少し遅れて、集積し練上げた光がオーロラ状になってネメアへと向かう。歩み寄るのと変わらない速度で。ネメアのエネルギー光線は光に阻まれとり込まれる。その度に光は大きく力も増していく。ネメアは自身と接触する間際まで抗い続けた。しかし、光は一切の容赦なしにネメアの総身を包込んだ。光は太陽のコロナループのようにネメアの体表でアーチ状の反応を幾重に示して、ネメアの攻撃性をその内に閉込めてしまう。
ぐおおおぉおぉああああああ!!! とネメアは絶叫する。光を振解こうと、空を殴り蹴ってじたばたする。しかし、そこに痛みはない。あるのは安らぎと癒しだけだ。魔王の咒いが、それに強烈な拒否反応を示しているのだ。しかし、その咒い自体も、僕は完全に消し去ろうとは思わない。
やがて、ネメアは抵抗を止めた。ぶらっと両腕を降ろして、天を見上げる。そして、呟いた。
「魔王、さ、ま」
ネメアの象は、無数の光の粒となって崩壊した。癒しの光と咒いの光、2つが溶合って天へと昇っていく。光が尽く昇っていくと、ネメアの立っていた場所に、雄のライオンが横たわっていた。死ぬはずだったライオンは、すやすやと踞って眠っている。毛並みがいま生まれたように艷やかな、とてもきれいな獅子だった。
遥ちゃん、僕たちがとり除こうとしたものは、こんなにも美しいものだったんだね。
僕は1つ息を吐いて、剣を鞘に収めた。




