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 刹那の赫色の閃光が、僕たちの頭上を走る。瞬く間に後方で、どごおおおん、と爆発音が響いた。僕たちはほとんど同時に振返る。町並みの高さから頭1つ抜けていた教会の鐘楼が、火炎と黒煙に包まれている。辺りに大小の瓦礫が飛び散って、とりわけ鐘の破片がこの町の歴史と在り方を毀損しているように映った。

「な、何てことをするんですか!」

 彼女は勢い任せに翻り、堪らずネメアを睨みつけ怒号を飛ばす。僕もまたほとんど同時に翻り、より腰を落として身構える。

 ネメアはニチャアアと歯を見せた。「安心しなぁ。誰も死んじゃあいない。加減もしたし、近くに誰もいないことは先に確認した。生命反応が失われた感じもない。死んでしまったら、恐怖もくそもないからな」

 彼女の避難指示が迅速で的確だったことが、間接的にネメアの口から語られる。しかし、町の破壊がはじまって、悲鳴と恐慌が弥が上にも響渡る。なかでも、子供たちの(つんざ)くような高音が、直接的な罪悪となって臍の内側に蓄積されるみたいだ。

「ふははっは、いいぞ。町の人間共の恐怖。そして、お前たちの恐怖も、ビンビンと感じるわ! っっはあっはっは!」

 ネメアは高らかに笑う。呼応して僕の恐怖も、より深化していく。いくら筋書きと自身が死なないことを把握していても、巨大な獣人が眼前でエネルギー光線を発射する様を見たら、カエルみたいに喉から内臓を吐出してしまいそうだ。僕は歯を食縛って、舌根を押上げて蓋をする。涙で視界も滲みはじめる。しかし、それは軽度の窒息と総身の緊張から来る生理現象だと解釈する。自分自身に立向かうこと。恐怖に敗けないこと、表現を抛棄しないこと。

 ネメアは一頻り笑い終えて言った。「しかし、不純物があるな」

「ふ、不純物?」

 また彼女が言葉を抜出す。

「ほれ、町の方を見てみろ」

 ネメアが促して、僕たちは再び町の方を見た。僕たちは驚いた。銃火器を携えた町の男たちが十数人、こちらへまっすぐ走ってきている。ドメニコさんもいて、後ろの方にはヴィクトリオさんの姿もある。

 彼女が叫ぶ。「何で! 避難させなさいって言ったじゃないの!」

「馬鹿言わないでください! サラお嬢様を残しておめおめと逃げられませんよ!」

 ドメニコさんが大声で応えて、そうだそうだ! と大勢が続いた。一様に皆、声が震えているのに。

「申し訳ありません! 私も必死に説得したのですが」

 そのヴィクトリオさんの手にも、銃がしっかりと握られている。台詞の響きもどこかしら気障で、端から避難を先導して共に離脱する気なんて毛頭なかったのが分かる。町では別の男たちが消火活動を開始している。


 ふん、とだけ不快感を露にし、ネメアは男たちの足許にエネルギー光線を見舞った。飛散った土石に依って、遂に怪我をする人も現れた。しかし、死なないようには加減されている。土煙が晴れた先で、ヴィクトリオさんが足を抑えて這蹲っている。

「貴様ぁあ!」

 彼女はこれまでにない怒りを露にする。彼女の口から発せられたとは思えないほどに鋭い語気だ。

「おぉ、怖い怖い。まぁ、冗談はほどほどにして。――気にくわないな」とネメアは言った。「これだけのものを見せても尚、おまえの心は恐怖よりも別の感情が(まさ)っている。まだ立ち上がろうとする町の男たちもそうだ、実に気にくわないし、不都合だ」

 ネメアは右腕を上げて力を込める。すると、彼女の身体が宙に浮かんだ。無重力状態のように不安定で、身体の方向を統御できていない。横に半回転して、ネメアに対して背を向けてしまう。不安と恐れに染まっていく彼女の瞳から目を離せない。

「は、離しなさい!」

 彼女が何とか首だけを振向かせながら叫ぶ。しかし、ネメアは彼女を自身の許へ吸寄せて、その大きな右手の中に握緊めてしまう。顔と膝下だけがはみ出ている状態だ。

「ぐぅう」

 彼女が悲痛に呻く。

「その人に手を出すな!」

 僕も遂に叫び、剣を抜いてネメアに突進する。僕の心よりも喉が、身体が先に動いた。物語の意志だと、僕は直観した。しかし、剣の真価は未だ発揮されない。決定的なファクターが不足している。それを実感していても、僕は突き進む。それこそが、ヒーローの在り方だと思うから。


 ズゥオオオ

 ネメアは左腕で僕を薙いだ。僕は声も上げられずに、教会の方まで吹っ飛ばされた。宛らハリウッドのスタントマンのように。


 おい! 大丈夫か!? と消火活動をしていたであろう男の1人が、僕に向けて叫んでくれた。しかし、僕はその篤心に応えることができない。まるでブレーカー落とされたみたいに、身体の表面的な機能が停止してしまっている。いまの僕にあるのは最低限の生命維持活動と、受容的な知覚だけだ。ゴツゴツとした瓦礫の上に仰向けに倒れていて、臍から頭にかけて薄い木材が覆被さっていること。男の呼掛けは遠いまま、推量るに瓦礫か炎が邪魔をして僕に近づけないこと。酸素が薄く息苦しいこと。そして、痛み。

 骨折ほどではない、がしかし、その数歩手前の痛みが、頭から爪先まで総身に隙間なく糊着しているみたいだ。おいおい、軽減されてこれなのかよ、僕は彼を恨めしく思った。せめてあの夢にいる内に具体的な程度か数値でも聞いておくんだった、とも省みた。それでも、この物語的援助システムはとてもいい仕事をしてくれていると評価できる。これが純度100パーセントの現実だったら、僕(彼)の身体はネメアの左腕と接触した瞬間にバラバラになっているだろう(握ったままの剣も運良く、あるいは、予定調和的に折れてはいないようだ)。迫り来た風圧は、まさにホームを通過する新幹線に匹敵していた。そのことを想像すると、腰から温かな流動体が漏出るように力が抜けていくのを感じた。


「アルさぁぁん!」

 彼女の叫びが聞こえてきた。

「はははっは。安心しな、()()にしぶとく抵抗した男だ。あの程度じゃあ死なねぇえよぉ」

 ネメアの声も聞こえてくる。

 しかし、その後は聞こえない。当然だ。ここから暫くは彼女とネメアだけの領分だ。町の男たちも彼女を握緊めるネメアに対して、迂闊に攻撃することができず手を拱いているはずだ。


 ネメアは言う。「あの剣の気配がしたから急行したが、杞憂だったな。いくら人間の尺度で優秀な男であっても、魔族でもないものがあの剣の真価を発揮することなどできまい」

「は、離してぇ」

 彼女は抵抗の意志を示し続ける。

「この期に及んでまだ反抗するか!」ネメアはさらに圧迫を強める。「我らがもっとも嫌う感情を教えてやる。それは()()だ。我らと対立した際に発せられる勇気だ。勇気だけは我らが消化することのできない不純物なのだ。おまえはどうやら勇気に溢れ、そして周囲の勇気を震えたたせることもできる特別な人間らしい」

 ネメアのその言葉に、彼女は苦悶でしか応えることが能わない。

「我は先ほど、お前らを殺さない、勿体ないから、と言ったな。すまん、あれは嘘だ。物事にはどうしても例外がある。死んでもらった方が全体としていい奴はどうしてもいる。それがおまえだ。おまえの存在が周りの恐怖を濁らせる。しかし、おまえが死ねば恐怖はよりいっそう完熟する。豊かな糧には時に間引きも必要になる。おまえら人間も、よく動植物に対してやってることじゃあないか」


 ネメアはそこで彼女との会話(と呼べるかすら怪しいもの)を打切って、大きく息を吸うのだ。実際に、聞こえる。ネメアの吸引に依って大気が大きく流動する音が。

「いいかお前らよぉおく聞けぇ! 我はおまえたちが500年前に封印してくれた魔王軍の幹部が1人、名はネメアだ! 我はここに宣言する! ここから悲願の世界征服を再開する! まずはこの生意気な小娘を見せしめに殺してやるぞ! 首をへし折り、目玉や腸を引摺りだし、身体をあちこちから引きちぎってやる! おまえたちはその姿を目に焼き付けろ! そして恐怖しろ! それが我らの至上の喜びなのだ! 我らの同胞が世界中の至るところで同じことをやる! おまえらが我らに完全にひれ伏すその日まで! はっっはっっはっっはああ!!!」


 怒りが込上げてくる。演技でも表現でもない、本物の怒りだ。それが自身の中で恐怖を引潮の如く押しやっていくのを感じ取れる。流れ出た力が大地から還ってくる、新たな力を引き連れて。すると、剣が熱を帯びていく。僕は剣を握締めた。遂にその時が来たのだ。ファクターが出揃った。

 しかし、と僕は躊躇ってしまう。この物語を正しく完結させるために、ネメアをこのままシナリオ通りに()()()()()()()が果たして正解なのだろうか、と。いや、だったらこの怒りの矛先はどこに向ければいい。彼女と町の人々をここまで傷つけられて、制裁を加えずに物事が収まる訳がない。それに、容赦なく踏躙ってきた相手を、情け容赦なく断罪する。その快楽と優越は計り知れない。僕も妄想の内で幾度とそれを遂行してきた。皆等しくそうだ。その平易なイメージを共有すること。妄想や想像の内に留められる手助けをすること。それも物語の1つの在り方。それこそが()()()()()()()()()のはずなのだ。

 いや、違う。「ハルカ」の共有したかったものはそんな安易な代物ではないはずだ。それはネメアを討伐した後のストーリーからも明白だし、この物語の土台になった『はてしない物語』にも、ただ敵を討滅ぼすというシーンなんてないのだから。愛と優しさと孤独、それこそが2つの物語の共通する鍵なんだ。僕はそれこそを愛していたんだ。僕もバスチアンと同じように、それを見失いそうになってしまっていた。

 ネメアの侵略の叫びだって、その文脈から読み取ることができる。無力の三人称ではなく、当事者としてその台詞を受け取って、都合のいい敵としての()()の言葉じゃないことを確信した。あの凶暴性も無慈悲さも、総て「ハルカ」の内にあったものなのだ。だからこそ僕は、本気の怒りを覚えたのだ。そして、きっとそれは「ハルカ」の涙なのだ。僕はその実像を知らなければならない。読解して解を示さないといけない。「ハルカ」も自覚していなかった、「ハルカ」の本当の希みを。でも、瓦礫に埋もれたままでは、いつまで経っても分かりはしない。


 さぁ、もう迷っている暇はないぞ。このままでは彼女が死んでしまう。この物語で死から守られているのは僕だけなのだから。それに、彼女'も言っていたじゃないか。大事なことはこの剣が教えてくれると。

 燃えてきたぞ! なんて猪突猛進するのも、この際思いっ切り愉しんでやる。


「うぉおおおおおおおおおおおおお!」

 僕は覆被さる木材を撥退けて、雄叫びを上げながら立上がる。すると、再びあの不可思議な現象が起こった。いま眼前にある光景が歪曲して、異なるヴィジョンが、僕の周りを包込んだのだ。

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