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ユー・アー・ノット・アローン 1

 

 ドオオオオオオオン、ゴゴゴ

 飛来物の衝突に依って地震が発生する。ただ、日本人としての僕の感覚では、そこまでの大きな揺れではなかった。町の建物も倒壊はなく、麦や野菜にもいまのところ被害はなさそうだ。しかし、地震が収まっても、僕の震えは治まらない。それは飛来物の衝突地点から発生する圧倒的な魔力の所為だ(彼はここではじめて、自身が魔力を関知できるようになっていることを自覚した)。まさに深海の水圧に押潰されているようなプレッシャーだ。上下左右斜め全方向から、僕を意志のない矮小な球体へと変化させようとする悪意が、皮膚を割いて闖入してくるみたいだ。それを彼女も――ドメニコさん及び複数の町の人たちも――鮮烈に感じとり、身体を激しく顫動させている。


 グオオオオオオオオオオ

 咆哮らしき轟音が辺りに響渡った。魔法を持たない町の人たちもようやっと超常の事態と認識し、阿鼻叫喚が僕の背後に起こる。そして、丘の先から10メートルをゆうに超えるであろう二足歩行の生物が、豊かな麦畑を踏荒しながらこちらにノシノシと迫っててきた。それはライオンの特徴が色濃く出た獣人の怪物だ。猛狂った鬼のような容貌に2本の強力な犬歯が溢れていて、黒く分厚い鬣がそれらを覆っている。上半身が頑健に発達し、その所為で猫背気味になっている。黄土色の体毛がびっしりと総身に生えて、古代ローマのような腰布を巻いている。鋭利な爪、大蛇のような尾、ブロンドの瞳。かててくわえて、彼女にはその怪物が、おどろおどろしいほどに濃い緑色をした剥き出しの肋骨みたいな像を纏っているのが視えている。

「ヴィクトリオ! 町の人たちを避難させて! はやくぅ!」

「わ、分かった!」

 ヴィクトリオさんもあまりの事態に敬語を失念してしまう。

 ヴィクトリオさんが町へ疾駆する。僕は震えながらもいつでも抜剣できるように身構える。彼女も同じように震えながら、1歩進んで接近する怪物に必死に呼掛ける。

「あなたは魔王の配下の魔族とお見受けします! いったい、何をしに来たのですか? ここは本当にささやかな町です。あなたたちが望むようなものは何もありません。即刻お帰りになってください! そして、魔王様にお伝えください! 争いはやめましょう、また大昔のように共存しましょうと!」

 怪物もといライオンの魔族は、町まで凡そ20mくらいの位置で立ち止まる。しかし、その巨影は僕たちの足許まで迫っている。

 ライオンの魔族は口を開いた。「ほう、おまえはこの状況について、少し理解をしているようだな。だが、我らが目覚めてから先に攻撃を仕掛けようと画策したのは、そちらの方ではないのか?」

 人語を介せる口の構造や動き(ただ下顎を上下に開閉しているだけ)をしていないのに、その言葉を精確に粒立って認識できるのも、また一種の魔法なのだろう。

「そっ、それは……」

 彼女は言葉を詰まらせてしまう。それは反駁のしようのないことだった。

「まぁいい、おまえはこの町の長の親族と見た」とライオンの魔族が言った。「我は魔王軍幹部のネメアという。ある忌まわしき魔力の発露を感じてここに来た」

「ある忌まわしき魔力の発露を感じて?」彼女はライオンの魔族、もとい、ネメアの言葉を繰返す。「それって……」

「ああ、そうさ。そこの男が持つその剣だ」

 僕はネメアの強烈な眼力にたじろぎながらも、即座に剣を振るうための姿勢は崩さない。


 ――怖い、畏ろしい。歯と剣の鞘がガタガタと鳴止まない。身体中から汗が噴出して、目に入ったそれは痛みを、それ以外は不快感もたらす。焦点は定まらず、息を吐くより吸う回数の方に比重が極端に偏る。それが気道の異物感となって、軽度の窒息状態へと至る。可視化された、恐怖そのものの集合。クマやトラや、ライオンも訳ない。子孫を繋ぐといった生物的機能を削落とし、ただ作者の込めた悪のメタファーを物語上に再演するその視線は、掛け値なしに生涯で随一の純粋な害意だ。意志を与えられた災害だ。後背を向けて逃出したい気持ちが、炭酸飲料の気泡のように脊髄を駆上る。しかし、腰から下は鋼鉄のようにビクともしない。浮上と沈殿の、同時的な感覚の暴走。この主人公の身体を持ってしても、威風堂々とはしていられない。僕の心は、未だ彼の身体とこの物語に追いついていない。

 これから僕は、どんどんと苛烈になっていく「ハルカ」の暗いメタファーと対峙し続けないといけない。最高神が自身の肉体から別の神を生み出すが如く、その研澄まされた感情的兵器と刃を交えないといけない。そして、その行為そのものが、他者の心に直に触れることの神聖性のメタファーともいえるのだ。

 だがしかし、まずは眼前のネメアをどう対処するかだ。


 ネメアは言った。「それは我らが魔王様が封印される前に、瀕死の深傷を負わせた剣だ。裏切り者の()()()の剣だ。魔力が抑えられているがよく分かる。犬の小便以下の匂いがぷんぷんとしてくるぞ」ネメアは凄まじい剣幕で言った。「目覚めてからしばらく気配を感じどれなかったから、長い年月によって失われたものと喜んでいたのだがな」

 次いで、ネメアは僕を指差す。「そして、おまえは()()()()()()()()の奇襲の折りに記憶を奪ったものたちの1人だな。奴から聞いているぞ、金髪の優男が最もしぶとく抵抗してきたとな」

「……なぜだ? なぜそいつは、僕たちを殺さず、記憶と魔法だけを、う、奪ったんだ?」

 恐怖に依って、台詞がすんなりと出てこない。しかし、これは表現的な誤りではない。

()()()()からだよ」

 ネメアはあっけらかんと言った。

「勿体、ない?」

 彼女が言葉を抜出す。

「ふん、いいことを教えてやる。その方が都合がいい」ネメアは不気味な笑みを浮かべる。鋭利で歪な歯列が、いまにもこちらに迫ってきそうだ。「我らが何を糧として生きているか、分かるか? 植物か? 肉か? 否だ。我らは人の感情を餌としているのだよ」

「人の感情?」

 彼女がまた言葉を抜出す。重要なワードであることを、さも印象付けるように。

「そうさ。喜び、悲しみ、怒り、それらの感情の発露が、我ら魔族の源となる。我らが何百年も前に人間とコンタクトをとって豊かさを与えたのだって、それらの感情をたくさん確保するためだ。お前らは乳牛と一緒なんだよ。乳を搾るために数増やし、管理する。お前らが家畜にやっていることを、我らは人間に対して行っているに過ぎない」

「――そうであるならば、なおさら共存でよいのではないですか? 過去わざわざ、私たちを支配しようとした意味が分かりません」

「感情にもより我らの血肉となるもの、逆に腹の足しにもならないものがあるのだよ」

 ネメアは食い気味に言った。

「……何ですか、それは?」彼女は慎重に言葉を置いた。

「我らがより好む感情、それは、恐怖だ」

 ネメアはそう言うと、町に向けて大口を開けた。

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