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 僕は顔に残ったシェービングクリームを洗流すと、バスタオルで身体を拭いた。相変わらずの素晴らしい肌触りで、粗方の水分を拭き取れた後も、暫くむにむにと揉んで堪能した。

 バスタオルの感触に一頻り満足すると、僕は用意された上下下着とスラックスを身につけた。次いで、借りた剃刀・置き鏡・シェービングクリーム(容器)の水気を拭って元の場所に戻し、ようやっとドライヤーの前に立った。それでも、速やかの使用はしない。些か確認したいことがある。それは抜け毛の有無だ。ざっと見た感じ、足許に毛の類いは1本も落ちておらず、機械の中にも付着している様子はない。彼女の長い髪を思うと、機械の中に持上げて収める必要がある訳だから、接触の多い分抜け毛が残存して然るべきだ。しかし、そういった感じは一切ない。僕は安堵する。()()()()()()は避けられた。彼女も先ほど使用したはずなのだけれど、残っていたら恥ずかしいや軽蔑されてしまうからとみっちり清掃したのだろうか、それとも今日だけは自身の魔法で乾かしたのだろうか、あるいは、「ハルカ」の配慮だろうか(表現の素晴らしさの1つに、()()()()()()()()()()()()()点がある)? どちらにせよ、それらは優しさに依って成立っていることなのだ。


 僕はドライヤー付属の椅子に座り、機械を頭にセットしてスイッチを押す。すると、ぼわぁ、という音と共に温風が僕の頭を包込む。我々が普段使いするハンディサイズのドライヤーでは1度の範囲は限定的だが、これなら総体的に早急に乾かせそうだ。この形状自体は現実の歴史でも存在するタイプなのだけれど、性能面では恐らく段違いであり、かててくわえて、十分に乾いたらセンサーが感知して勝手に終了する機能まである。分解して洗浄もできる。まるで100年前の人たちが思描く100年後の機械を使用してるみたいで、おかしな笑いが込上げてくる。軽度のしゃっくりが断続的に訪れるみたいに。

 そうこうしていると、ドライヤーが、チン、という音と共に運転を停止した。僕は立上がって、姿見で髪の毛の状態を確認した。まるで黄金の滝のようにするするとしていて、触れていて夢中になるくらいに愉しい。櫛を手にとり通してみても引っ掛かたり絡まることもない、見事な乾き具合だ。まるでシャンプー・リンスのCMみたいに。そして、整髪料を使うことなく、スマートな髪型に自然と纏まっている。『ロミオとジュリエット』のディカプリオを彷彿とさせる。髪の毛を乾かすという行為は髪の毛を痛めないためだけでなく、整髪する前に大まかなスタイルをつくっておく意味合いも強い。がしかし、現にここまでのかたちが出来上がっているのは、ひとえに物語だからだといわざるを得ないだろう。いや、この規模のドライヤーを用いれば、現実でもこのようになるのかもしれない(魔法で温風の流れを完全にコントロールして、自動的に整えているのかもしれないけれど)。世界は様々なものを小型化する――家族の単位ですらも縮小する――方向で進歩しているけれど、それは100パーセント正しいことではないのかもしれない。僕はむしろ、こういった安心感のあるサイズの事物や概念でギチギチと詰込まれていた時代に憧憬を抱いている。そして、誰もが心のどこかしらで、それを希んでいるのだとも思う。掌サイズの機械でほぼ総ての知識とアクセスできる世界も悪くはないけれど、それを先鋭化させるのを1度休止してみてもいいのではないだろうか。立止まって歩いてきた道を振返る。その道程の距離や曲線を解析する。それに依って得られる推進力のようなものが、確実に我々の後背を捉えるはずだ。我々はあまりにそれを閑却してしまっている。それでは物語の悪役と変わらないのではないだろうか。


 僕は鏡の前で首を上下左右に振って髪の毛が大きく崩れないことを確認すると、櫛を置いて用意された残りの衣服も身につけた。そして、ドライヤーに付着した抜け毛を処理してから浴室を出た。食堂で朝食の準備を進める皆が、僕が来るのを待っている。

 用意された衣装は昨日よりもラフだった。上はワイシャツだけ。高校の制服と着心地が似ていて安心できる。


 廊下に出ると、僕はまた左右を確認する。もうその必要性なんてないはずなのだけれど、しないと落着かなくなってしまっている。宛ら遊泳における息継ぎみたいに。

 僕は食堂の扉を開く。食堂には4人がいた。朝食は既にテーブルに並べられていて、彼女とフェデリコさんは着席し、ヴィクトリオさんとマリオさんが細かな雑務をしている。彼女以外の3人が僕に「おはよう(ございます)」と挨拶し、僕もそれに「おはようございます」と返した。それをにっこりと見ていた彼女が口を開く。

「ドライヤーは問題なく使えたみたいですね」

「ええ……とても面白かったです。まるで太陽の拭いた息吹を感じているみたいでした」

 僕はありのままに感じたことを述べた。

「相変わらず、言い回しが面白いですね」と彼女は応えた。

「そうですかね。……なるほど、もしかしたら僕は、勇者になる前は詩人だったのかもしれませんね」僕は得意な顔をした。「そういえば、ソフィアさんの姿が見えませんね」

 彼女が答えてくれる。「ソフィアさんは今日は少し遅れて来るんです。私たちが町へ出掛ける少し前に来てくれる予定です」

「そうなんですね」と僕は言った。

 サーヴァントは3人とも、住込みではなく町の山側から通っている。休みも順繰りに、定期的に与えられている。


「では、冷めないうちに頂きましょうか」とフェデリコさんが言った。

 そうですね、と応えて僕は席に着く。次いで、マリオさんとヴィクトリオさんも席に着く。座る位置は昨日と同じ、ソフィアさんがいないだけ。そして、祈りを捧げて、食事をはじめた。朝食は昨日の夕食と打って変わって、典型的なイングリッシュブレイクファストといった様相だ。バケットと目玉焼きとチーズと、豆の煮込みとフライドトマトとデザートのオレンジ。しかし、本来はソーセージやハムを添えるところがサーモンのムニエルになっている。哺乳類のアニマが見える彼女に配慮して、この屋敷では牛や豚の料理はでてこないのだ。それでも、港がすぐ近くにあるため、苦になることはあまりない。メニュー総てが1皿に盛られている。飲み物は牛乳だ。それらはまるで、自然の恵みをそのままに頂いたような味だった。


 朝食を終えると、僕たちは町へ出掛ける準備にとりかかった。ソフィアさんも到着して、彼女はソフィアさんに、僕はヴィクトリオさんに支度を手伝ってもらうことになった。フェデリコさんは書斎で、また中央とやりとりをするそうだ(マリオさんが1人朝食の片付けをする)。


「こちらなんていかがでしょうか?」

 客室に戻って、僕はヴィクトリオさんに服を見立ててもらっている。昨日の夕食後の談笑にて、背格好が近しいヴィクトリオさんの余所行きの衣装を借りることになったからだ。そもそも、これまでの衣服だって、総て屋敷に置いてあるヴィクトリオさんのものを借りている訳だけれど、フォーマルなものしかストックがないので、今日はヴィクトリオさんの私服を幾つか持参してもらった。そして、僕が選ばなかったなかから、ヴィクトリオさんも着替えて町に同行してもらうことになっている。当のヴィクトリオさんのコレクションは、はじめにベッドの上に陳列してくれている。何れも素敵なデザインで、ヴィクトリオさんがお洒落を嗜んでいることがよく分かった。


「これにしようと思います」

 数ある中から、僕は移動民族風の衣装を選んだ。マリンブルーを基調に幾何学模様とプリーツをあしらったダボつきのフロントシャツに、黒の丈の太いズボン、それらを黒の革のワイドベルトで留めている具合だ。宛ら情熱的なダンサーみたいだ。靴は借りるのもあれなので、屋敷にストックしてあった新品の黒の革のブーツを頂くことになった。それらは紙面上の彼と同じチョイスだ。自分なりに選ぼうともしたけれど、あまりにファッションに疎すぎるため冒険ができなかった。多少自分なりに勉強しておくんだったな、僕は微笑み混じりに思った。

 勿論、これらの直截的描写は紙面上にはない。本来は彼女とソフィアさんの領分であった。彼女がソフィアさんのアドバイスを基に服を選んでる間に幾つもの甘酸っぱいやりとりがあって、それを読んだ僕は気色が悪いと謗られて仕方ないくらいに頬を緩ませていた。彼女はデートじゃないと否定しながら、ソフィアさんはその体で会話を進めるといった具合に。


 僕とヴィクトリオさんで2人きりになるのは、これが最初で最後である。すると、どうしても思巡らせてしまうことがある。それは、ヴィクトリオさんが「ゲイ」と設定されていることである。

 それはヴィクトリオさんがカミングアウトをした訳でもないし、彼女が語ったことでもない。そして、いまこの場で僕に打明けるといった素振りもない。1巻の巻末、巻頭にあったキャラクター紹介の補足という形式で再度設定の明記があった。そこに、「実はゲイである」と短く述べられていたのだ。

 「ハルカ」はいったい、そこにどのような意図を忍ばせていたのだろうか。昨日からいまに至るまで、僕は彼から性的な眼差しを向けられているような気配は感じなかった。勿論それは、ゲイは男性に対して常にそういった目線を向けている、なんて実際の偏見を述べているのではない。あくまでも創作において、ゲイを開示して登場させる際に、性愛と結びつけることが定石と化していることを指摘しているに過ぎない。そういった表現を入れ込む訳ではないなら、性的指向を明示する必要なんてないのだ。実際にヴィクトリオさんがゲイであることは、物語には全くもって関係がなかった。そこには何かしらのポリティカルな主張があるのだろうか、それとも主人公と彼女の関聯を考えた時、ヴィクトリオさんをゲイにした方が都合がよかったのだろうか? 彼と彼女の関係性に寄道をつくらないために。しかし、納得ができない。それは「ハルカ」のキャラクター本位の物語進行から逸脱しているような気もするし、ほんの思いつきとも思えない。そもそも登場させないという選択肢だってあったはずだ。僕が見落としてしまっている、何かしらのファクターがあるのかもしれない。俗的な読み手の場合、インターネットを駆使して他者の考察を覗いたりするのだろう。GoogleやSNSでワードを打ち込んでみたり。しかし、僕はそれをしない。他者の所見に縛られたくない。それは僕と「ハルカ」の問題なのだ。


 ただまぁ、いまそれを考えるのは止めよう。ヴィクトリオさんはただただ僕のために、町へ赴くに相応しい服を見立ててくれている。彼女の横に立つのに過不足ない装いを提案してくれている。いまはそれを素直に受け取ろう。余計なことに気を取られずに。

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