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 ()()()は、事件当時で44歳。もとは僕と同じ劇団の子役出身で、33歳の時に個人事務所を立上げ独立した。子役時代から常に一線級の活躍を続け、天才と持囃されてきた人だった。背丈は183センチメートル、切れ長の一重とすっきりと伸びた鼻筋が涼しい二枚目だった。低いけれどそこまで重さのない特徴的な声が、とりわけ女性からの絶大な支持を集めていた。

 その人は昔の(よしみ)で、よく劇団に顔を出していた。子役や若手の指導にも精力的だった。僕がその人にはじめて指導されたのは、入団2年目の7歳の頃だった。当時の僕は、メインキャストに選ばれることの宿願を頑なに保持していた。しかし、全くそれに結びつけられずにいた。あっても小さな役ばかりと不満を募らせていた。

 そう、その人だった。僕に向かって、地味だ、とはじめて指摘してきたのは。()()()()()()()、ともつけ加えて。

 当時の僕は、当然その意味が分からなかった。はじめはただ単に謗りだと解釈していた。それから、僕は光希さんに出会った。僕は、もっと彼女と共演したい、役者としてうまくなりたい、と志し、その人に相談した。そこから、重点的に指導をしてもらえることになった。小さな子供が真剣な眼差しで、自身の技術を吸収したいと求めてくる。これほど嬉しいことはなかっただろう。その人は、僕の地味さは()()だといってくれた。皆がどれだけ地味やふつうを演出するのに苦心するか、大方の人間がそれを克服できずに業界を去っていく、君には表現として有用な地味さとふつうさを備えている、そう言ってくれたのを覚えている。

 自身の適正に逆らわず、ただ只管に力を尽くす。そう心持ちを転回するだけで、演技の質が明らかに変化した。作品を他者承認の道具に利用しようとしていたことを自覚して、作品こそが主だと腰を低くして寄添うことを覚えた。すると、役柄の性格は変わらずとも、作品規模と出演頻度は着実に増していった。恐らくは、その人の推薦も幾分あったのだろう。

 僕は周囲に、大人に恵まれている。そう信じて疑わず、僕は()()()を邁進していった。僕はこのために生まれてきたんだと、強烈な信仰の域にまで至った。

 しかし、それは総て夢幻であり虚偽だった。僕は人や社会というのものを、まるで理解していなかった。



「……僕に遥ちゃんを救うことはできないよ」と僕は言った。

 なんで? と彼女'が問う。

「僕が男だからだよ」

 吐出す言葉が、死体みたいに冷えている。



 その人の遣口は実に姑息だった。独立後は俳優業だけでなくドラマ・映画・舞台のプロデュースも(こな)していて、ハラスメントは自身の主催する作品制作時にのみ行われた。それ以外では(おくび)にも出さない。よその現場では迷惑を掛けない徹底ぶり。宛ら自国内では暴政を奮い他国にはいい顔を見せる暗帝が如しだ。直截に暴力やキスや()()を迫る訳でもなく、刑法に明確には触れない――あるいは、警察が些事として相手にしない――範囲で行われた。大勢の前で怒鳴る、セクシュアルな発言をする、物にあたって不快感を露にする、わざと近くに居座る、肩や背中に触れる、事後承諾で性的な演出を追加する。明確なターゲットを定めて、大方は若い女性たちだった。男女の平均的な膂力差、主催者と1役者という力の不均衡を濫用する。それを10年以上も繰返してきた。しかし、光希さんが自殺する已前に、公となることはなかった。理由は直截簡明、必ず結果を残すからだ。その人のハラスメントに耐えさえすれば、キャリアや知名度の獲得は約束されたものになる。そして、その耀かしい実績を、その人の()()()()たちからも吹込ませた。君は()()()いる、あの人に目を掛けてもらえているんだ、期待されているんだよ、君のように接してもらえた人は皆スターの仲間入りをしたんだ、そういった内容を繰返し捲立てた。総ては素晴らしい表現のためだと、()()()()()だと、マインドコントロールするために。

 美しい言葉を力強く叩きつけることの、なんと浅ましいものか。



 彼女'は言った。「何を言っているのよ。選ばれた男の子が窮地の女の子を救う、世界は基本的にそういう物語で回っているじゃない」

「でも、彼は」そう言って、僕は彼を見やった。「君を救えなかった。男だからさ。分かるんだ、僕と遥ちゃんは()()()()()()

 彼はとても悲しい顔をしている。涙は見せないし瞳は相変わらず透通っているけれど、口許の歪みと顎下の皺がまさしく悲愴感を表していた。その悲愴が顔の上部にまで侵食すること、それは世界の真理を致命的に損なわせるに等しく思えた。

 いや、実際そうだった。彼こそが、『レオン』の世界そのものなのだから。彼は常に観測される側に立ち、その意味を推量られる存在なのだ。僕はその小さな世界に対して、悪戯を注意された3歳児のような()()をぶつけているだけなのだ。



 遺書という名の告発文が出て暫く、世間は半信半疑だった。まさか、彼のような()()がそんなことをする訳がない。でも、嘘で人1人死ぬとも思えない。彼を貶めるために偽造されたのではないか。そのような言説が支配的だった。その人も騒動初期は一切コメントを出すことをしなかった。僕も、何かの間違いであってくれと願っていた。しかし、ある録音が週刊紙からスクープされて、その願いは辛くも破れ散った。


 録音はその人の声で言った。「最近の女優は()()()()()に調子に乗っている。創作のパーツでしかないくせに、自己主張が激しいの作品より目立とうとするのなんの。だから、最初が肝心なんだ。俺の作品にはじめて出る女どもは、その鼻っ柱を怪獣映画の東京タワーのようにへし折ってやらないといけない。自身が俺の、そして世間様の従順なアクセサリーだと理解した時、彼女たちははじめて()()()()()()になれるんだ」

 酒気を帯びた声音で語られたそれに、僕は失望以外の感情を抱くことができなかった。



「――そんな苦しい言い訳、賢くて、そして優しい奏くんらしくないよ」と彼女'は言った。



 その人は自身の思い通りの作品を創るための()()を築いていたのだ。戦場に行って死んでこいと命令されれば、2人以上を殺して見事に死んでいく、そのような兵隊を育成していたのだ。そして、そこに僕も含めるつもりだったのかもしれない。いや、そうに違いない。彼が劇団で指導していたのも、その一貫だったのかもしれない。光希さんが自死を選ぶことなく役者を続け、僕自身もその人が提示したスタンスで成功体験を積重ねていたら、何の疑問をなしにそこに組込まれていたに違いない。僕には、それらを否定できるだけの材料がない。むしろ、そういう構造の上に立つ自分自身が、できのいい物語の如きリアリティを持って、僕の脳内に再生されるのだ。その役者の精霊が、僕の内に在るのだ。

 勿論、僕と同じ面立ちをして。

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