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「――ね゛ぇ、お願いだよぉ」やっとかたちになった彼女'の言葉は、ひどく濁りこわばっていた。「私たちの使命は読み手にひとときの救いを与えること。それが表現の肝腎。でも結局のところ、最大の読み手は創り手自身なんだ。創り手の心を、「ハルカ」の心を救うことが、私たちにとっての1番なんだ。それが成されないと、どれだけ他の読み手の心が救われても意味がない。だから、こんなのってあんまりじゃない。読み手もひどく傷つけて、「ハルカ」に至ってはもうどうしていいのかも分からない。「ハルカ」の綴った文章と、そこに込めた思いを汲み取って、私たちは最高のパフォーマンスしてきたつもりだったよ。でも、最後に全て無駄になった。創り手の書いた文章の範囲でしか動けない私たちには、「ハルカ」を真に救うことはできなかった。何かを創り出すということができない私たちには。だから、お願い、この物語を真に完成させて。「ハルカ」と深い繋がりのある人間の君にしかできないんだ。このまま何十年何百年と惨めな思いをしたまま、先細りしていって、最期には消えてしまうなんて嫌だよ」
ドォ
彼女'は膝から崩落ちてしまった。土下座に近いかたちで両手ともに顔を覆い、おいおいと泣出してしまった。床と激突した膝からは鈍い音がして、かなり痛いはず――それこそ不全骨折くらいしていてもおかしくないほど――なのに、全く意に返さない。そのほとんどを打消してしまうまでに、苦しみを伴った涙なのだ。
僕は心臓が凍結するほどの罪悪を感じた。それは表面から内側へと貪るように進行する、侵略的な冷ややかさだった。やがて大中小各血管を伝って、総身を脅かす鮮烈なイメージまで浮かんだ。総ての細胞活動が、青色を少し混ぜた灰色となって停止する形象。彼女'の「好き」に反応したあの素敵なこわばりの感触も、まるで最初からなかったように消え失せていた。
彼はさっと彼女'の左隣にしゃがみこみ、背中を擦ってあげる。本当は僕がしないといけないことなのに。
「なぁ、頼むよ」彼は僕を見て言った。「俺たちは「ハルカ」を救いたいのと同じくらいに、奏くんからも忘れられたくないんだ。君は僕たちの二次創作を書いて個人的に補完すると言ってくれた。でも、それじゃ近い将来必ず俺たちのことを忘れてしまう。そこにはどうやっても切り離せない虚しさや諦めがあって、君はそれに苛まれ続けるからだ。消極的二次創作の落とし穴と言っていい。それから逃れるためには、俺たちに触れることをやめるしかない。そうなれば忘却は一瞬さ。独裁政権が増税を決定するよりも迅速に、俺たちは君の中から失われてしまう。俺はそんなのごめんだぜ」
僕を見詰める彼の蒼い瞳は、背景の本棚まで透過しそうなほどに澄んでいた。それは物語のなかでも度々登場した、彼の象徴的な眼差しだった。冒頭に屋敷で彼女と見詰め合った時、ラストシーンの精神崩壊、そのはじまりと終わりの間にもたくさん見ることがあった。場面に依って意味合いは微妙に異なっていたのだろうけれど、その瞳の本質は常に喪失だった。そして、いま彼が向けるそれは、『レオン』の未来の暗示なのだと、僕は直観した。僕が手を差伸べない場合の、いや、もっと総体的にいえば、人に打捨てられた物語の行く末だ。本棚から爪弾きにされて、自力ではもといた場所に戻ることができない。そうやって膝をついて哀しみに沈む背後で、本棚に残ることができた物語こそが、こちらに対して抗議の視線を向けている。何十何百と連帯して、こちらを矢継早に責立てる。彼らは理解しているのだ、いま自分たちが本棚に収まっていられるのは幸運であるということを。総ての物語に本質的な優劣はなく、その境目は係る人の心の強さであるということを。
僕は眼前の形象に圧倒された。下顎が震えて、胸部が不規則に痙攣する。まるで総身が心臓そのものになったみたいだ。しかも、それは心室細動のような状態を来している。真に凍えているのだ。僕は目を伏せて、歯を食縛る。返答を待つ2人を余所に、僕は自身の内側に深く逃込む。屋敷の湯船に、彼女の裸体を映した時と同じように。万力の如く、自身を締上げる。僕は彼女'たちの欲する答どころか、いまや明確な拒否を表明することもしない。姑息に回答を保留する。
ベッドから起き上がることを拒絶する。
僕はいま一度、自身の選択について思慮する。
いまの2人に断ると言って突放してしまうことは、崖からいまにも墜落しそうなところを片手でかろうじてしがみつく人に向けて、その手を高らかに宣言しながらサッカーボールキックで粉砕しようとするに等しい行為に思える。かててくわえて、その手を破壊するのは血縁の類いなのだから、尚更に悲劇的だ。まさしくギリシャ悲劇だ。その崖の淵ははてしないと思えるほどに深く、何十何百の年月を掛けて無惨な大激突へと進行していく。人間ならその過程で、飢餓やショックで早々に息絶えることができるだろう。最悪の前に楽になることができる。しかし、彼女'たちにそれはない。彼女'たちはそれでもなお、演じ続けることしかできない。最悪の激突が訪れるまで。誰かが彼女'たちを観ている限り、苦しくもそれが彼女'たちのエネルギーになってしまうからだ。それこそが、彼女'たちに唯一与えられた機能だからだ。鉛筆は字を書くために、消しゴムはその字を消すために。ただし、その表現に救いがあるのなら、それは幸福なのかもしれない。そこには達成感と覚悟も生まれるだろう。しかし、彼女'たちに与えられた指示は、それまで積上げてきた救いの苗を終いに総てぶちまけることだ。その根源的破滅的総括を抱えたまま、延々と過ごすことは、地獄よりも地獄的だ。
かといって、ただポジティブな言葉を2人に送ることもできない。遥ちゃんもいつかは立直れる、人間はそう簡単に終わったりはしない、自分を救えるのは自分だけなんだ、なんてこれまで多くの物語で述べられてきた言葉たちが、所詮は優しい嘘であることを僕自身がいみじくも理解している。大きな力に依って損なわれた心は、2度ともとに戻らない。たとえ万が一にも遥ちゃんが自力で立直り、個人的に物語のラストに幸福な変更を加えたとしても、その謂わばパラレルに目の前の彼女'たちが合流できるのか、僕には知る由もない。二次創作の域を出るのかも不透明だ。推量るに、彼女'たちにも分からないのだろう。でなければ、これほどまでに追詰められない。それは、本当に天国があるのかいっぺん死んで確かめてみろ、と同義なのだ。
故に僕の取るべき選択は、彼女'たちの願いを聞入れることのほかにない。しかも、見呉ほどのリスクもない。もし夢でも、その責任が現実を直截に脅かすことはないのだから。しかし、それを正しいと思うことが、どうしてもできない。……いや、本当は自信がないのだ。現在の遥ちゃんの状態を聞いて、客観的道義的正しさに固執するのは莫迦のすることだ。僕もそこまで愚かではない、と思いたい。
そう、自信。いまの僕に致命的に欠如している要素だ。彼女'たちの口振りからして、物語をどのように導けばよいかは、僕が都度都度見つけ出さなければならないのだろう。当初はそれこそただの夢だと思っていたから、僕はある種強気に出ていくことができていた。いや、勿論いまも含め総ては夢なのかもしれない。その方が道理に適っている。けれど、彼女'の涙と震えを見て、夢であることを前提に行動できるほど、僕はクールな人間じゃない。ただそのうえに、遥ちゃんとそのお兄さんの人生が僕の双肩に伸掛かった状態で、僕の表現が正しい救済の道程を辿ることができるのか、僕にはまるで自信がない。子役として活動していた時には、それがあった。けして主人公ではないけれど、僕は自身の表現と行動に一定の信頼を持っていた。しかし、それは悉く、ガラスのように砕け散った。
あの日から、総てが変わってしまった。
「奏くんもなのね」と彼女'が言った。僕は顔を上げて、彼女'を見やる。「あの人に縛られ続けてるんだね」
彼女'は顔を覆っていた両手を下ろしている。腫れた目許と歪んだ眉のかたち、滴る涙の蛇行する軌跡の悲壮感に、僕は心を抉られる。それは猛獣の歯形のような跡を残しながら、それでも血の流出る感覚はなかった。罪悪に依る凍結は、既に組織の央にまで及んでいる。
僕は観念するように言った。「……そうだよ」
あの人とは、もちろん遥ちゃんの初恋の男の子のことではない。ただ、共通している部分もある。それは初恋ということである。つまり、僕の初恋の女性のことだ。僕の心が致命的に損なわれる素因となってしまった人。僕に永遠に思える梅雨をもたらした人。皮肉だなぁ、と僕は思った。僕と遥ちゃんは、卒園後の境遇がよく似ている。だから尚更、彼女'たちは僕に助けを求めたのだろう。車椅子の役柄に実際に車椅子生活の俳優を当てるように、僕だからこそできる発見と表現に期待しているのだろう。
根幹からはじまり、根源・原初ときて、僕はこれから、自らの傷に直截触れないといけない。瘡蓋を引っ剥がして、化膿が恒常と化した組織を、その指先でほじ繰返さないといけない。自らの熱で、自らを溶かさないといけない。その自己矛盾を乗越えないといけない。その際に帯びる臭いと湿りと温みと痛みを、僕は具に読み取らないといけない。読み取ったそれらを、僕は偽りなく表さないといけない。
それがあの人について語るための、僕の責任なのだ。
あの人の名前は林 光希。僕より一回り年上の女性であり、子役時代の僕ととても親しくしてくれた後輩の女優だった。出会いは僕が小学3年生の時だった。光希さんが主役の深夜ドラマで共演したのだ。僕は光希さんの扮する女子大生の弟の友達役として出演した。僕は当時8歳で、光希さんは20歳。内容はいわゆる探偵もので、ポンコツ気味の彼女の推理を弟とその友達が影でサポートするといったベタな話だった。ストーリー的に絡みも多く、撮影中は本当に年の離れた弟のように可愛がってもらったのを覚えている。からかい上手で、からかわれて頬を膨らます度に、頭を撫でてもらった。
思えばその時から、僕は本格的に生涯役者のヴィジョンを描出したのだ。それが当時から恋心だったのか、いまとなっては分からない。光希さんのことを役者としてかっこいいと、子供ながらに思ったのがはじまりかもしれない。1つ確かなのは、光希さんの近くにできるだけいたいと思っていたことである。
光希さんは18歳の時に、大々的な女性タレントオーディションでグランプリを獲得し芸能界入りした。とても美しい人だった。背が高く目がくりっとして大きく、聡明な面立ちをしていた。とりわけ白く鈍い光を放っているような肌が特徴的だった。最初の2年はモデルやテレビバラエティを活動の中心に据えて、僕と初共演した頃はちょうど演技にシフトしはじめた時期だった。僕の所属する劇団の団長と彼女の所属プロダクションの社長は旧知の仲で、劇団主催の舞台のゲスト俳優を彼女のプロダクションから、彼女のプロダクションが製作委員会入っている映像作品に劇団からも配役をというコネクションがあった。それ故自然と共演の可能性が高く、僕は必死になってオーディションと役作りに努めた。けして光希さんの隣に対等に立つことはできないけれど、彼女という花をより耀かせる土のように在りたいと僕は思っていた。そうして、僕は幾度と光希さんと共演する機会を得てきた。運の良いことに、芸歴では僕が1年上になる訳で、はやくに友達に近い関係になることができた。光希さんから芝居のアドバイスが欲しいと、1つの定型化した話題として求められることもあった。小さな子供が背伸びして何かを伝えようとする様子が、光希さんにとっては微笑ましかったのかも知れない。自身の成長と彼女との距離が縮まることが比例していた当時は、本当に愉しかった。
彼女'が言った。「でも奏くん、あの事件は君のせいじゃないじゃない。奏くんだって被害者じゃない。何でそこまで抱え込んでしまうの?」
あの事件、3年も前のことだけれど、未だ今朝のことのように覚えている。
光希さんが自死を選択した日。
その訃報はテレビやインターネットで速やかに拡散され、国中を震撼させた。僕もテレビを見て知った。まるで視覚と聴覚を同時に失ったくらいの喪失感と悲しみに震えた。彼女が自死を選択するような兆候を、少なくとも僕は感じていなかったし、まさしく青天の霹靂といった出来事だった。葬儀にも出席し、その血色と温かみを失った彼女の表情と皮膚を見下ろし、その脱け殻が空へ灰色の煙となって立昇る様子はいまでも脳裏に焼きついている。当時は運良く――あるいは、悪く――仕事がなかったので、僕は自室で塞込んだ。学校も休み(1ヶ月後には夏休みという時期だった)、彼女のために何かできることはなかったのか、とただ只管に考込んでいた。時間も、方向も、重力も忘れるくらいに。
しかし、葬儀の4日後、僕の心を弥が上にも揺さぶる情報が拡散された。彼女の遺書が発見されたのだ。そこに書かれていた内容に、僕はまたひどく絶望した。彼女はデビューしてからこれまで、頻繁にセクシュアル・ハラスメントを受けていたのだ。そして、自死を決意させた直截の引金が、とある大物俳優からの執拗なハラスメントの蓄積であり、その大物俳優こそ、僕がお世話になったと度々評してきた人のことなのである。




