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ショウ・マスト・ゴー・オン 1

 

 彼女'は言った。「奏くん、君は既にこの物語に含まれている。でもそれは、現代の宙から降ってきた小さな隕石みたいな()()()な関わりじゃない。ジャイアント・インパクトだとか1000年の酸性雨だとか、そういった原初的で根源的な大事件なんだよ」

 なんてこった、と僕は思った。このような、まるで運命と書いて引力と呼ぶようなイベントが、自身に訪れるなんて夢にも思ってみなかった。僕はそのような()()とは無縁だと、散々に思知らされてきたからだ。表現においても、()()()()()()()


 僕は克明に想起する。純心の記憶が、色鮮やかに甦る。当時の遥ちゃんのこと、そして、僕自身のこと。根幹よりもさらに奥深く、原初・根源にまで降りていく。総天然色のタイムマシン。


 僕はいわゆる年中さん、満4歳の年に幼稚園――厳密には認定こども園――に入園した。そこは物語世界で先述したように、キリスト教の宗教法人が運営している施設だった。敷地内には小さな教会もあった。木造で質素な、いかにも()()()()()()()な外観だった。複数の長椅子、赤い絨毯、白い壁、十字架、主催壇。しかしながら、僕の両親はプロテスタント、もっといえばクリスチャンですらなかった。むしろ大方の日本人がそうであるように無宗教だった。預かり保育の体制が近隣で最も充実していること、それが選定の決め手だったそうだ。

 遥ちゃんはそこで僕と最初に仲良くなってくれた友達の1人だった。僕と遥ちゃんとほか3人、合わせて5人でよく園内を行動していた(実に申し訳ないのだけれど、ほか3人の名前と顔までは思出せない。遥ちゃんのことだって、先ほどまで()()()()としか覚えていなかったのだ)。授業の時も、食事の時も、礼拝の時も、自由時間に花いちもんめやかくれんぼや遊具遊びをする時も、兵隊さんごっごと称して別のクラス(年長さんや年少さん)に突撃した時も、ずぅっと一緒にいた。

 やがて年長さんになって、夏休みに入る少し前、遥ちゃんが僕の家――旧居の方――に遊びに来た。いつも通りに授業を終えたが、遥ちゃんの親の迎えが急遽遅くなると連絡が入って、ならばと僕から遥ちゃんを誘ったのだ(敢えて言及するけれど、それは異性に対する好意ではなく友情に依る招待である)。

 僕たちは空調の効いた室内で一頻り遊んだ。ビデオゲーム、レゴブロック、おままごと。そして、遥ちゃんの父親から迎えの時刻の連絡が来て、僕はちょうど時間内に収まるとお気に入りの映画のディスクを再生した。

 それこそが、『ネバーエンディング・ストーリー』だった。

 彼女もその映画をとても気に入ってくれた。私もパパに頼んで買ってもらう、とも言ってくれた。それから幼稚園を卒園するまで、僕たちの間で『ネバーエンディング・ストーリー』は1つの決まった話題になった。『キリストの誕生』の劇の時も、同じ羊飼いの役をもらって練習する際に、『ネバーエンディング・ストーリー』の登場キャラクターの話し方を真似したりして愉しんだ。永遠に続いて欲しい、かけがえのない時間だった。

 しかし、卒園後、僕たちは離ればなれになった。遥ちゃんの家族が市外に移ることになったからだ。別れはとても悲しかった。けれど、大方の子供がそうであるように、僕は遥ちゃんのことを忘れていった。まさに夢の出来事のように。



「そうか、責任か」と僕は言った。「あの物語と君たちの誕生に、僕はとても深く関わっている訳だ」

 そうだよ、と彼女'は応えた。「だから()()してくれないと困るんだよ」

「その言種は勘弁してくれないかな」僕はやや大袈裟に苦笑いを浮かべる。「まるでくず男みたいじゃないか」

「だってそうじゃない。私たちを創り出したのは「ハルカ」だけど、そのきっかけとなるものを与えたのは奏くんなんだよ。「ハルカ」がお母さんなら、君はお父さんだよ」

「そんな急に言われてもね」

「ほら、くず男みたいなことを言う」

 彼女'はキャッキャとからかうように言った。彼もまた隣で笑っている。僕は2人に冷ややかな視線を送る。さも当然の権利のように。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「悪ふざけが過ぎたね。ごめんなさい」

 彼女'は小さく頭を下げた。彼も、ごめん、と顔の前で左手を立てた。

 ふう、と僕は1つ息を吐いた。「……だからか。「ハルカ」の、遥ちゃんの物語にどうしようもなく惹かれて、そしてほとんど何の抵抗もなしに受入れることができたのは。僕と遥ちゃんは幼少期に、多くのものを共有していたから」

「その通りだよ」

 彼女'は椅子から立上がって、本棚を前に腰を落とした。左膝を立てて、右手で丁寧に1冊の書籍をとり出す。僕の大きな本棚――を模倣したもの――の中で、たった3冊の単行本の1つ。彼女'はすっと立上がってまたこちらに翻り、丁寧にその単行本のカバーをとり外す(カバーは勉強机の上に置いた)。あかがね色の地肌が顕になって、表紙にはそれぞれの尾を噛み円を描いた2匹の蛇がイラストされている。その円の中央に題名が記されている。

 それこそが、『はてしない物語』である(残る2冊は村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と、三島由紀夫の『金閣寺』だ)。


「「ハルカ」はこの文庫版を持っていた」と彼女'は言った。「小学4年生の時に買ってもらったんだ。奏くんのこれも、小学3年生の時に買ってもらってたんだよね。物語の中に登場するものと同じデザインのハードカバーが欲しくて」

「その通りだよ」と僕は応えた。「僕のもっとも敬愛する、救いに満ちた物語だ。そして、僕はそれと同じくらいに、遥ちゃんの紡ぐ『レオン』と、君たちが大好きなんだ」

 彼女'は大きく微笑んだ。目許におばあちゃんみたいな皺が入ることもお構いなしに。「役者冥利に尽きるよ、そう言ってもらえて」

「……でも、()()()は、最後の最後で「ハルカ」に裏切られた」と僕は言った。「いったい、遥ちゃんに何があったんだ?」

 僕の言葉を受けて、彼女'は表情を整える。目許の素敵な皺は消滅し、視線は矢の如く僕の瞳の奥底まで突刺さる。そして、再び細く息を吸った。


「まずは出版に至った経緯から話さないといけないかな」と彼女'は言った。「ほんとうにただの偶然だった。当初、「ハルカ」は私たちをWebサイトに載せることもせず、出版社主催の新人賞に出すことも念頭になかった。あくまで自分の持ってるパソコンの中で完結させる個人的な試みだったの。題名すら、しばらくはなかったんだから。切っ掛けは、「ハルカ」のお兄さんだった。歳が8つも離れた、優しいお兄さん」

 お兄さんと聞いて、僕の時間は再び幼稚園時代に還った。時偶に、親の代理として遥ちゃんを迎えに来ていた中学生のお兄さんに、近しい目線で遊んでもらった想い出。砂場で立派な城を作ってくれたり、ブランコを押してもらったり、雲梯の補助もしてくれたっけ。

 彼女'は続ける。「現在、お兄さんは出版社に編集として勤務している。小学生の頃から小説家になりたいと執筆活動をしていたけど、自分には才能がないと大学の最終年には見切りをつけて就職した。そして、1年目から希望の小説部門に配属されることになった。最初の1年は先輩編集のアシスタントとして、力を蓄えた。

 転機は独り立ちしてすぐの2年目に訪れた。妹が小説をイラスト付きで執筆している現場を目撃したんだ。「ハルカ」は最初とても恥ずかしがったけど、プロの現場を知るお兄さんに感想とアドバイスを求めた。たとえ個人的試みでも、どうせ創るならクオリティの高いものにしたいじゃない。しかし、お兄さんはそこに才能の輝きを見た。血の繋がりの贔屓なんて一切ない、純粋な羨望。お兄さんは幾つかのアドバイスを「ハルカ」に送った後、自分の出版社の新人賞に出すこと提案した。「ハルカ」は最初かなり渋っていたけど、そうすればもっと洗練された作品になること、読み手の存在の重要さを説かれると、明るい顔を見せて了承した。絵画のコンクールに度々作品を提出していた「ハルカ」にも、お兄さんの言うことはよく理解できたからね。そこから1ヶ月、二人三脚で1つの区切りまで書き切り、『レオン』と題名をつけて新人賞に出すと、佳作に入選し出版されることが決定した。そして、お兄さんがそのまま「ハルカ」の編集になった。まぁ、もしかしたら、そこには多少の口利きがあったのかもしれない。芸能界でもよくある話だよね。最初から目星をつけてた人にオーディションに出てもらって、箔をつけるってやつ。それでも、私たちは商業出版にふさわしいくらい面白かったでしょ? ねぇ」

 もちろん、と僕は応えた。

 ふふ、と彼女'は微笑んだ。「彼女はしばらく、とても楽しい時間を過ごせた。女子高生作家という紹介がウケたのと、純朴に積み上げていくストーリーが好評になった。認められるということは、それだけで嬉しいものよね。まるで魔法の杖を授かったみたいに、文章とイラストのアイデアがとめどなく溢れてくる。それが2ヶ月に1度というスピード刊行を可能にした。「ハルカ」の才能は確かなものだった」

 彼女'はここまでを口にして、言淀んでしまった。まるで喉の奥で言葉が歪に変形して詰まってしまったみたいに。喉許に浮かぶ筋と、震えこわばる唇が、それでもなお言葉を絞出そうと努める彼女'の誠実さが伺える。

「でも、彼女は書けなくなってしまった」

 僕はすかさずに補完した。

「――そう」と彼女'は言った。「商業出版の弊害と言うべきなのかな。はじまりはただ初恋の男の子への想いを変換しているだけだったのが、物語のスケールを高めるために自己のコンプレックスやこれまで体験してきた事柄全般に手を出した。全てはうまくいくはずだった。失恋の痛みだけでなく、自分を取り巻く全ての呪縛から悉く独立して救われる。魔王を倒し、()()()が結ばれていつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。そういった王道的お約束的結末によってね。……でも「ハルカ」は書けなかった。結局のところ、思いを完全に独立させるなんてできないことだったんだ。「ハルカ」はそれでも、あの男の子のことが好きだったんだ。別に嫌いになりたかった訳じゃない。想い出だとかメタファーだとか、そういったきれいなものにしたかっただけなのに。自分の彼に対する思いは、まるで土砂や瓦礫を含んだ津波のようにごちゃごちゃとして救いようがない、と彼女は感じた。自分が物語に込めたものが総て崩れ去ってしまい、収拾がつかなくなってしまった。それが自身の血液となって身体中を駆け巡り、各所で栓塞して激痛を発生させる。そんな象徴的な苦しみを感じずにはいられなかった。他人(ひと)からしたら馬鹿みたいな話かもしれないけど」

「そんなことはない」僕はまたすかさずに言った。「遥ちゃんの苦しみはとてもよく分かるよ」

 ありがと、と彼女'は応えた。「だからこそ、「ハルカ」と私たちを救えるのは、奏くんしかいないんだよ」

「……」

 僕もまた、肝腎なところで言葉を詰まらせてしまう。

 彼女'は言った。「――そして「ハルカ」は、奏くんも知る通りの、私が死んで彼が精神崩壊を来すラストを書いた。その結末を絞り出すのは、それはひどい苦しみだった。しかし、一旦筆を置くことも、心を殺して当初のハッピーエンドを記すことも、それ以上の痛みだったんだ。

 当然、その原稿を見たお兄さんのショックもひとしおだった。ちゃんとハッピーエンドにすると「ハルカ」から何度も聞かされていたし、それが正しい幕引きであることはお兄さんも確信していたからね。だから、お兄さんは急なラストの変更について聞きだそうとした。でも、「ハルカ」は頑として話してくれなかった。とはいえ、お兄さんも内心分かっていた。「ハルカ」の口から直接聞いたわけじゃないけど、この物語の出発点が初恋の男の子との別離にあることは、随所に読み取ることができたから。しかし、「ハルカ」のその脆い部分に踏み込むことは憚られたし、彼女もこれ以外のラストを書くことはできないと譲らなかった。お兄さんにしても、もともとは彼女の個人的な試みだったものの風呂敷をここまで広げさせた責任を感じないわけにはいかなかった。いくつかの表面的な問答をして、遂には僅かな言葉遣い、誤字脱字の訂正のみで刊行されることになった。お兄さんは編集長にたくさん頭を下げることになった。作者の考えを尊重したいと、これが彼女の才能の更なる一助になると。しかし、結果は散々だった。ほとんどの読者がその結末を受け入れられず、SNSで炎上した。不条理な締め括りというのは一定の需要はあれど、それまで「ハルカ」が獲得してきたファン層と明らかに乖離していて、かつ伏線も何もない乱暴すぎるものだった。だって不条理の原因、つまりは読み手が怒りをぶつけることのできる存在が、最後まで現れないんだもの。それのどこに得られるものがあるんだよ。私たちだって予想だにしていなかったから、ひどく混乱したんだ。まるで舞台公演の2日前に大幅な脚本修正を食らったようなものだったよ。()()()てんやわんやだったもの。で、その大慌ての結果もあんな具合で、ねぇ」

 彼女の呼掛けに、僕は、ぅ゙ん、と喉を弱々しく鳴らすことしかできなかった。

「――結果として、お兄さんは小説部門の担当から外された。それなりに人気のあったシリーズの最終巻を、言ってみれば爆死させたんだから、客観的に考えたら当然だよね。しかも、肉親の我が儘を聞いての惨状だもの。そして、「ハルカ」はいま、心を壊して引きこもっている。不登校の状態だよ。電気も点けず、換気もろくにしない。じめっとした自室で、布団にくるまって涙すらも枯らしてしまっている。もう立ち直ることはできないかもしれない……」

 うっう゛、と彼女'は嗚咽を漏らした。まるで言葉が意味をかたちづくる前に弾けてしまったみたいに。そして、『レオン』の出版の経緯を語りはじめたところから、只管に潤みを蓄積させてきた双眸が遂に決壊した。ボタボタと大粒の涙が溢れ、留まることを知らなかった。

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