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「断る」

 僕ははっきりと言った。端的に。だが、や、しかし、といった打消しも用いずに。

「でも、奏くんは既に巻き込まれている」彼女'は依然として食下がる。「奏くんは既にこの物語に含まれている」

「ねぇ、いい加減にしてよ」僕は堪らず声を荒げる。といっても、できるだけ威圧的じゃない言葉を選んで。「「ハルカ」に何があったか知らないけど、あのラストで「ハルカ」は書ききったんだ。それがどれほど不本意な結果であろうとね。そこに他人の僕がズケズケ入って弄くり回すのは、まさに神に対する冒涜だよ。現代人はそれを『表現の自由の侵害』というんだ。意味合いとしては広義的だけどね。それは僕が最も嫌うことの1つだ。それも分かってるんだろう? それにさ、『レオン』はそれなりに売れていたじゃないか。だから完結まで書かせてもらえた。僕のほかにも役者ないし役者志望で、主人公をやらせるにふさわしい読者だっていたんじゃないか?」

「――確かにいたよ、いま役者で食べている人。何人も。なかにはそれなりに有名で、所謂イケメンの人もいたねぇ」

 彼女'は意地の悪い物言いをする。

「ほら、僕みたいな地味でつまらない見た目の人間なんかじゃ務まらないよ。いますぐ僕を解放して、その人に鞍替えした方がいい」

 彼女'は微かな息漏れを含んだ微笑みを見せる。まるで使用済みの意地悪さを口腔から追出すみたいに。「そんなことないよ。奏くんだって、その声、まるでジャンプ漫画の主人公みたいじゃない。純粋さを残した中性的な声。私は好きよ。その声で『燃えてきたぞ!』とか言ってもらいたいくらいにね」

「……それじゃあ()()()()()()

 僕なりの訂正をいれる。ただ、彼の容姿と僕の声の組合わせに、彼女'も同様の印象を抱いてることは理解できた。

「僕はこの声が嫌いだよ」と僕は続ける。「随分馬鹿にもされてきた」

「それにね」彼女'は僕の否定を遮るように言った。「奏くんもほんとは分かっていると思うけど、見た目だけじゃなく心根まで主人公のような性質の人は、主人公をうまく演じることができない。そこには客観性が存在しないから。役者とは常に中間的な視点を持てる人じゃないとできない。役と観客の間に立って観る能力。だから私たちも、役柄とは違う人格、性格、価値観で生み出された。奏くんにも、それがしっかりとあるんだよ。実際、それを評価されてきたわけじゃない」

 僕は不愉快さを口許に表す。唇をぐぐーと引締めて、貝の如く押黙る。もはや感情的な拒絶しかできないことに、僕は複雑な気持ちになった。彼女'たちは僕のことを、僕以上に理解している。こちらのロジックは相手の間合いで引摺り出され、的確な反駁を加えられる。そのうえ、僕自身や僕が積上げてきた事柄は須く肯定してくれる。口許に表した不愉快さも、あくまで承認に対する緩みを誤魔化すためなのだ。

 しかし、このまま口を(つぐ)んでいても仕方がない。根較べでこちらが優位になるとも思えない。いついつまでに首を縦に振らなければ解放されるという保証もない。そもそも、この空間に時間の概念があるのかすら不透明だ。相対性もくそもない。僕と彼女'ら、何れかの納得以外に解決はないのだ。

 これが彼女'の言う通り、本当に夢じゃないのなら。


 ねぇ、と僕は堰を切るように言った。ふと、ある懸念が頭を過ったからだ。「僕はさっきまで彼の身体を借りて、君やフェデリコさんたちと会話を愉しんでいた。『レオン』の冒頭の屋敷の中で。あれも、君やフェデリコさんたちを演じる精霊が合わせてくれていたのかい?」

「いいえ」と彼女'は答える。「あそこは中庸の空間じゃない。正真正銘物語の世界だよ。あのサラ・ベニーニは私じゃない。私もサラではあるんだけどね。別人と考えてもらって大丈夫だよ。言ってみれば、さっきまでのサラはジャック・スレイターで、私はアーノルド・シュワルツェネッガーってわけね」

 僕はくすっと笑った。「『ラスト・アクション・ヒーロー』ね。まぁ、個人的にとても分かりやすい喩えだよ」

 『ラスト・アクション・ヒーロー』は、僕の1番好きなハリウッド映画だ。

 ありがと、と彼女'も微笑み返してくれた。「――物語を塗り替えるには、謂わば根本的な外科治療が必要になるからね。大本にメスをいれないといけない。脳下垂体に踏み込もうとするブラック・ジャックみたいに。だから中庸の空間で私たちと楽しく演じても何も変わらない。それは奏くんの二次創作でしかないんだ」

 なるほど、と僕は応えた。前提が正しければ、僕のささやかな補完についての仮説は、全くの的外れではなかったみたいだ。

 彼女'は続ける。「それで実際、物語は変わりはじめている。彼は本来とは別の名前をもらって、さらにポジティブな印象を、サラとその()()に持ってもらえている」

「……つまり、僕はもう十分に「ハルカ」の物語に干渉しているのだから、最後まで責任を取れと」僕はため息混じりに言った。いっそ、やれやれ、とも口に出してしまいたい。「それにしても、さっきまでのことを実際に見てきたように言うんだね」

「見てきたもの。無害な幽霊のように」と彼女'は応えた。

「――それって、僕が入浴していた時も?」

 ええ、と彼女'は答えた。「鏡の前でジョジョ立ちしていたところもばっちりね。まあ、頭の中で何を考えているかまでは分からないんだけどね」

 彼女'が、へっへと上歯を見せて笑い、釣られて彼も、くっく、と笑い出してしまう。いやいや、無防備な裸体を盗見られたのは君の身体なんだぞ、と僕は彼に指摘したくなったけれど、それは役者として端から織り込み済みのことなのだろう。

 次第に、僕の心はごちゃごちゃと入組みはじめる。思考の隅々まで覗かれていないことには――彼女'の言うことを信じるのなら――安堵した。しかし、サラの、彼女'の裸体を想像していたことについて、いっそこの場で痛烈に(なじ)ってもらいたいとも思った。

 内心の総てを知られたくはない。ただし、知ってもらいたいことも幾つかある。そのうえで、こちらの求めるコメントを返して欲しい。先ほどみたいに。けれど、僕は自らそれを言葉として伝える勇気がない。いま一度(ひとたび)口を開けば、僕は総てをぶちまけてしまうだろう。自身の内に巣食う性嫌悪、果ては()()()()のことまで。そうなってしまえば、僕はただただ周囲を傷つけるだけの存在になってしまう。また大切な人たちを損なわせてしまう。その大切に、彼女'たちと『レオン』は既に含まれてしまっている。



「それにしても、責任か」

 彼女'は言った。すると、隣で笑っていた彼が静かになった。見やると、真剣な面持ちになっている。見惚れてしまうほどに。その強烈な個性に引寄せられる。

 彼が言った。「そう、責任だよ。奏くんはこの物語に対して、もっと根本的な責任があるんだ。そして、その責任こそが、奏くんが俺たちを、この物語を救える「ハルカ」以外の唯一の存在であることを示しているんだ」

「――話が見えないな」と僕は応えた。「何度も言うけど、僕と「ハルカ」はまさに赤の他人じゃないか」

 彼は応える。「いんや。実を言うと、奏くんは「ハルカ」にとって、他人と簡単に割りきっていい関係じゃないんだ」

「は?」

 僕は眉間に皺を寄せる。彼らが根拠もなしに、人の関聯を説くはずがないからだ。彼らは、現実のリレーションシップの虚像でもあるはずだからだ。

 今度は彼女'が薄く空気を吸込んでから、口を開く。まるで魔法を掛けるみたいに。

「日本のある街に、「ハルカ」という女の子がおりました。彼女は小学3年生の時に出会った1つ年上の素敵な男の子に、密かな恋心を募らせていました。彼女にとって、いまのところ最初で最後の恋です。しかし、彼女は生来内気な性格でした。自ら友達以上の関係を求めることはできず、時間だけがどんどんと過ぎていきました。その間にも、年上の彼はもっともっと素敵に成長して、周りの女の子たちもいっそう放っておかなくなりました。それでも、彼女には1歩を踏み出す勇気が持てませんでした。

 そして、遂にタイムリミットが来てしまいました。彼女が中学2年生の夏でした。彼に別のガールフレンドができてしまったのです。お相手は彼のクラスメイトで、活発でリーダーシップもあるクラスの中心人物でした。学校の誰もが納得できる、美男美女のカップルでした。野球部だった彼が引退したタイミングに、その女の子の方から告白したという話でした。彼女は2人が親しくしている様子を、遠くから見ていることしかできませんでした。そうして半年と少しが経ち、2人は同じ県外の高校に進学し、彼女は彼と完全に離ればなれなってしまいました。

 彼が別の誰かだけの特別になってしまって、彼女は身が裂かれるほどの後悔をしました。逸速く行動に移していれば、彼の隣にいたのは私だったかもしれないのに。しかし同時に、彼からの女性としての評価が永遠に保留されたことに、安堵している自分にも気付きました。

 そんなどろどろとした感情の渦に、彼女は揉み潰されそうになりました。ふと何でもない時に涙が出て止まらなくなり、日常の些細なことで深く落ち込むようになりました。思春期として処理するには、あまりに心の有様が下げ止まりしていました。

 その摩耗の日々からおよそ1年、変化は突然でした。中学3年生の夏に、彼女はある切っ掛けで思い至りました。いまのこの気持ちを物語に変換しよう、私から独立させよう、と。彼女にはもともと芸術の素養がありました。美術部に所属していて、絵画のコンクールで度々入賞し、美術系の学校へ進学することを視野にいれるほどでした。文章だって、けして下手ではありませんでした。彼女は小説を書きながら、重要なシーンのイラストも描くことで気持ちの発散を図りました。ただ、彼女はそれをストレートに表現するより、メタファーとして忍び込ませることを選びました。剣と魔法のファンタジーの中に。そのための下敷き、インスパイアとして彼女が1番に参考にしたのは、幼稚園の時に友達の家で一緒に観て大好きになった映画『ネバーエンディング・ストーリー』、そしてその原作、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』だったのです」


「まさか、もしかして……」

 自身の内側で、ピン、と糸が張詰める音がした。

「――そうだよ。賢い奏くんなら分かるでしょ?」

()()()()、「ハルカ」は神戸(かんべ) 遥ちゃんなのか、幼稚園の時のクラスメイトの」

 彼女'はコクりと頷いた。

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