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シェイプ・オブ・マイ・ハート 1

 

「やぁやぁ、今日も素晴らしい料理の数々ですね」

 フェデリコさんはテーブルに歩寄って、その並べられた品々を讃えている。

 ありがとうございます、とソフィアさんが言って、その隣でマリオさんも微笑んでいる。

 屋敷内の調理は、基本的にはソフィアさんとマリオさんが担っている。ただ、彼女やヴィクトリオさんも時折、手解きついでに1品ほど作ることがある。今日だって何事もなければ、アクアパッツァは彼女らが手掛けるはずだった。僕の所為でその機会をとり上げられてしまった訳だ。彼女らのアクアパッツァも食べてみたかったな、と僕は思った。

「アルくん」フェデリコさんはまっすぐ僕を見た。「指輪と()()()()について、少しでもはやく知りたいでしょうが、まずは食事にしましょう。冷めてしまうと()()()()ですからね」

「はい、その通りですね」僕は素直に応えた。


 僕たちは速やかに食卓を囲む。食堂の扉から見てフェデリコさんが右側の奥に、彼女がその隣に座る。僕は左側の奥、フェデリコさんに正対して座る。僕の隣にヴィクトリオさんがついて続けてマリオさん、ソフィアさんは彼女の左隣に座る(先ほど僕が座っていた席だ)。そして、僕以外の皆が、一斉に手を組んだ。しかし、僕はそれに続かなかった。

 彼女が呆然とする僕に気づいた。「あの、食前にお祈りを捧げるのですが、お分かりになりますか?」

「――分かりますよ。「天におられる我らが神よ」、ですよね」そう言って、僕はやっと手を組んだ。

「はい、その通りです」

 彼女は安堵の表情を浮かべる。しかし、それは彼が、彼女たちから見て未知の世界から来た訳じゃないことを、改めて明示する事実でもあるのだ。ただ、何故祈りの認識がある彼が、彼女から指摘を受けるまで動じなかったのかは、いまを以ってしも分からない(今後こういうことが何度かある)。あるいは、彼自身に刻み込まれた忌避や痛みなりあるのかもしれない。


 フェデリコさんが言った。「うむ、それではみんな、私に続いて。「天におられる我らが神よ」」


 天におられる我らが神よ、世界中があなたを崇めその力と優しさが地上を包み込む日が訪れることを願い続けます。今日も私たちに糧と赦しを与えてくれることを感謝します。明日も私たちを悪からお守りしてくれることを感謝します。その力と栄光の前に、私たちはいつまでもひれ伏し続けます。


 彼女らの宗教は、現実のキリスト教をモデルとしているようだ。祈祷文がよく似ている。むしろ、ちょっとした翻訳のセンスの違いくらいに酷似している。まぁ、近世ヨーロッパ風の世界観ならば、そこに存在する宗教もキリスト教と近似したものにするのは、ある種の道理ではある。厳格な描写がされている訳ではないけれど、「ハルカ」自身も、もしかするとクリスチャンなのかもしれない。そして、偶然だとは思うけれど、僕自身もキリスト教とは接点がある。通っていた幼稚園が教会だったのだ。幼稚園のお昼は給食で、同じ食事を前にみんなでお祈りをしていたことを想起する。僕は誤って、現実の祈祷文を口にしないように留意した。


「では頂きましょうか」

 フェデリコさんの号令で食事がはじまる。ひとまず、僕はスープから口につけた。右手でスプーンを取って掬上げ、啜らないように気をつける。熱すぎない、味の感じとりやすい温度だ。美味しい。トマトの酸味がほどよく効いている。

 飲み物は水が用意されていた。陶器のポットに入った氷水がソフィアさんの傍らに置かれていて、必要となれば注いでくれる。(他に、フェデリコさんが食後に頂く赤ワインが、氷水の入ったバケツ型のワインクーラーで冷やされている)。よく冷えていて、とても美味しかった(彼女は冷却の魔法を使ってさらにキンキンにして飲んでいる)。水が豊富でとても澄んでいる地域の恩恵。お陰で穀物や果物も美味しく立派に育つのだ。

 舌や目だけでなく、フォークやナイフが皿と触れる控えめなカチカチという音も愉しんだ。ソフィアさんとマリオさんに味の感想を述べて、ありがとうと笑顔で返してもらえるのが本当に嬉しかった。そして、こんな当然のことすら母に示せない自分自身を、改めて浅ましく思った。


 紙面上において、食事中の詳細な会話描写は省略されていた(恐らくは冗長になりすぎるという判断なのだろう。僕個人としては、冗長を反芻する試みが好みなのだけれど)。愉しい会話ができたことのみを彼女は述べていた。僕はそれを利用して、概ね自由に会話させてもらった。勿論、彼のキャラクターを損なわないように留意しながら。食事の感想を言合って暫く、彼女が町の話をしてくれた。まぁ、既にこと細やかに知っているのだけれど、彼女が1から身振り手振りも使って解説してくれるのは、とても興味深かった。併せて、サーヴァントの3人についても。彼らはフェデリコさんが辺境伯から領地を頂いた時に、共に連立った人たちなのだ。勿論、それも僕にとっては既知の事柄なのだけれど、当初はマリオさんとヴィクトリオさんだけにするはずだったのが、娘がいるなら女手も必要ということでソフィアさんも加えられた話は知らなかった。その補足を聞けたのはとても新鮮だった。


 もとの文章に明記されていなかった設定は、僕の無意識裡で辻つま合わせにでっち上げたことになるのだろうか? まぁ、それ以外に考えられないのだけれど。


 皆の食事が終わると、フェデリコさんが満を持して切出した。「さて、ではその指輪について分かったことをお話ししましょうか」

 はい、と僕は応える。

「サラもこのまま同席していてくれ」とフェデリコさんは言った。「3人は片付けの方をお願いします。後、ソフィアさん。サラとアルくんの食後の飲み物を持ってきて欲しいんです。いま用意できるものは何がありますか?」

「先日取り寄せた紅茶と()()()がございます。お時間を頂いてよろしいなら、オレンジを絞ってジュースにすることもできますよ」

 ソフィアさんもまた、丁寧に説明してくれる。まるで三ツ星レストランのウェイターのように。

「紅茶でお願いしていいかしら」と彼女が言った。

「僕はオレンジジュースでお願いします」

 ソフィアさんは微笑んで応える。「かしこまりました。すぐお持ちしますね」

 サーヴァントらが手早く食器を重ねて運んでいく。僕も手伝おうかと腰を浮かせると、フェデリコさんが制止した。

「ここは3人だけに任せて欲しいです。彼らも賃金をもらっているプロです。準備は未だしも、片付けには食器を傷つけないためのコツや各家の流儀がありますからね」

 その通りですね、と僕は座り直した。


 机の上がすっかり片付くと、フェデリコさんは自身でワインを――ワインクーラーの脇に置いてあった――グラスに注ぎ、1口味わってから話しはじめる。「その指輪ですが、結論から申し上げると、君の身分を証明するためのものでした」

「身分の証明」

 僕は言葉を抜出す。

「そうです、アルくん。君は我がアルバ王国も加盟するブリンタニア連合王国から、封印の解かれた魔王の討伐のために大陸へ派遣が決まっていた5人の勇者の1人なんです」

 僕は、え、とまったく話がわからない風を装う。あまりに壮大すぎて理解が追いつかない。まおう、ゆうしゃ、なんじゃそりゃ、という具合に。横目で彼女を見ると、真剣な面持ちになっている。まるで神話の1場面を象った彫像のように。

「念のため伺いますが、アルバ王国とブリンターニャ連合王国については、お分かりに?」

「――いいえ、そこから教えてもらえると嬉しいです」

「なるほど、分かりました」フェデリコさんは1つ咳払いをした。「アルバ王国はヨーレンシナ大陸、――それはとても大きな大陸の東に隣接するブリンターニャ島にある4つの国の1つであり、それが集まってブリンターニャ連合王国を形成している訳です。ここまでは問題ないですよね?」

「はい」と僕は応えた。舞台のモチーフはスコットランド及びイギリスのようだ。まぁ確かに、この地域ほど魔法の似合う場所は他にないだろう。「それで、魔王とはなんなのでしょう? それに、僕が勇者で、その、魔王を討伐しないといけないとは」

「うむ、確かにそこが1番の肝です」とフェデリコさんは言った。「しかし、もう1つ。サラから聞いたのですが、アルくんは自分自身の記憶だけでなく魔法自体も分からなくなっているんでしたよね」

「はい、その通りです」

「うむ。アルくんの記憶と魔法の喪失、そのどちらも、どうやら人為的なものである可能性が高いようです」

「と、言いますと?」

「それでは、もう少し前置きを話しましょうか」フェデリコさんはまた咳払いをした。「大陸で生まれた魔法はその昔、魔族という人類と似た知的生命体とのコンタクトによって飛躍的な進化を遂げました。彼らはどこからともなく現れて、たった数十人でしたがとてつもない能力を持っていました。最初はとても友好的でした。彼らは不老不死に近い存在でもあって、何代にもわたって交流が深められていきました。それがいつまでも続くものだと、誰もが思っていました。しかし、その日は突然やってきました。魔族のなかで、人間を強権的に支配することを宣言した者たちが現れたのです。彼らは動植物を魔物に変えて、我々への弾圧を開始した。その首領となった魔族は自身を魔王と名乗り、魔王軍を組織した。我々は味方となってくれた魔族と共に反攻しました。その戦いは数十年に渡って続いた熾烈なものでした。そして、ついに魔王と数人の幹部魔族を封印することで決着がついたのです。しかし、味方となってくれた魔族はそれまでの戦闘や封印の際に皆亡くなってしまい、事実上この地上から魔族は絶滅しました。それが約500年前の話です。それ以後、魔法の使用が罪とされる時代もありましたが、それを乗り越えていまの発展をみた。ここまでの話は、世界中の皆が子供の頃から教えられてきた歴史です」

 彼女も、その通りだ、というように頷く。当然、これも魔法に関わる記憶なので僕(彼)は知らない。

「ところが先月、事態は一変しました。その魔王の封印された辺りから、途轍もない魔力が観測されたのです。それは大陸の中央にある()()()()()()の、夏の一時期以外常に雪と氷で閉ざされているような大山脈の中腹でした。連合王国と大陸の有力国家の首脳で緊急の会議が行われて、それは魔王の封印が解かれたことを意味していると結論付けられました。その地域には速やかに偵察隊が送られました。しかし、姿や目立った活動もなく近隣の街にも被害が出ていない。それにより、未だ完全な覚醒には至っておらず、具体的な行動に出られないまま身を隠しているのだと想定されました。ただそれは、現在でも絶望を感じさせるほどの魔力が、魔王軍全体のほんの一端であることも示していたのです。そこで首脳たちはある結論に達しました。完全に覚醒して甚大な被害が出る前に、魔王を滅ぼさなければならない。しかし、大群で攻め入ると余計な刺激して覚醒を早める可能性もある。少数精鋭の部隊を組織して隠密に接近し討伐するのだと。そこで自身の魔法出力を調整できるほどの技量に富み、攻撃に特化した魔法を操る数名の人間がそれぞれの国から集められた。身体能力も求められたので、我が連合王国からは高い評価を得はじめていた若い騎士を5人選抜した。その中の1人がアルくんなのです」

「……とても信じられません」

「でも、それが真実なのです。その指輪がその証なのです。先日、その指輪をした者が領内に立ち寄って何か物資を求めたら、可能な限り協力するようにと達しが来ていました。改めて通信の魔法で中央と連絡を取りましたが、間違いありません。魔王軍からのスパイを警戒した()()()()()()()により名前や容姿の情報を残していないため、そのうちの誰かは現状特定できませんが、怪我と魔法喪失の状態からみても、アルくんがその勇者の1人であることは疑いの余地がありません」

 フェデリコさんはそこまでを話すと、1度ワインで喉を潤した。すると、タイミングよくソフィアさんが紅茶とオレンジジュースを持ってきて、僕と彼女の前に置いてくれた。僕たちはソフィアさんに、ありがとう(ございます)、と言って1口飲んだ。搾りたてのオレンジジュースの刺激的な甘味は、僕の舌にほどよい痺れをもたらした。

 僕はフェデリコさんの言葉をいま1度頭の中で組直してから、適切な返答をする。「フェデリコさんの話を聞く限り、どうやら僕は魔王軍との戦闘にあった結果、記憶と魔法を失くしたことになるのですね」

「……その通りです。いやはや、話がはやくて助かります」

 フェデリコさんは苦々しく微笑んだ。

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