シャンペン・スーパーノヴァ 1
「ふぅ……」
温かい、染み渡る。自身の体温より2~3℃高いくらいの湯船に、何も纏わずじっくりと浸かる。これよりも心地のよいことが、はたして実際にあるのだろうか? ――いや、ないさ。それが素晴らしい物語に含まれてとなると、もう就中だ。
僕はフェデリコさんの厚意に甘えて、ゆっくりと入浴させてもらっている。僕以外の皆が物語における何かしらの役割を遂行する中で、僕だけが休息を頂いている(いや、彼の身体を湯船に浸すという役割はある訳だけれど)。
浴室の扉を開くと、まずは脱衣所があった。マリオさんの説明にもあったそれである。5畳くらいのゆとりある広さで、内部の色合いは客室や廊下と同然だ。しかし、彼女の絵画は飾られていない。日本の玄関のように土間があって、そこから床が1段上がっている。つまりは土足厳禁ということだ。僕はそこでファースリッパを脱いで裸足になった。木板のひんやりとした感触を直に感じられて、入浴とはまた別種の、ささやかな心地よさがあった。
肝腎の浴室、いや、脱衣所を含めたスペースと混同しないために、狭義のそれは浴場と表現させて頂く。浴場は入ってきた扉から見て左側の、曇りガラスの扉の先にある。そのガラス扉の横に4段構造の木製のラック――マリオさんが棚と表現したそれ――があって、その2段目にタオルとバスタオルと着替えが置かれていた。僕はさっそく衣服を脱いで、ラックの傍らにある空っぽの木編みの籠に入れた。次いで、タオルとバスタオルを手に取る。バスタオルの方は木編みの籠の縁に掛直し、タオルだけを持って浴場に入った。
浴槽は紙面上で描写された通りのサイズで、洗場の床は石とモルタルを詰めて作られている。浴場自体の広さはやや長方形の8畳ほどで、浴槽の広さを重視した結果か洗場が手狭に感じる。まぁ、窮屈とまでは感じない。壁と天井はこれまでと同じく白の漆喰が用いられているけれど、刷毛で擦ったような模様が総体的に施されていて、まるで白い体毛をした巨躯の哺乳動物、いや、聖獣に包まれているような印象を受ける。
描写がなかったので分かってはいたけれど、シャワーと鏡は設置されていない。あるのはお湯を汲むのに使われるレバーとその注ぎ口に、木製の椅子と桶と固形石鹸だけだった。試しにレバーを引くと、注ぎ口から熱いお湯が湯船に注がれた。石鹸で総身を洗浄した後は、そのお湯を桶に溜めて流すことにした。
石鹸を手に取って濡らし泡立てて、最初に身体を洗流すと次いで頭部に移った。その時にふと、身体と頭部を同じ石鹸で洗うことはどちらかの負担になるものではないかと思ったけれど、その部分も成分や原材料でいいように調整しているのだろう。現実においてもない訳ではないし、あまり深く考えないことにする。彼女もフェデリコさんもシーカー親子も、髪は豊かで艶やかだったので、コンディショナー的効能まであるのかもしれない。
髪が艶やかで、また1つ懸念が浮かぶ。水の硬度についてだ。
近世ヨーロッパモチーフと聞くと、現実の軟水・硬水の分布・特質について頭を過る。ヨーロッパによくみられる石灰質な土壌や平坦な地形が続く地域では、概ね水は富栄養化し硬水になる。日本はその対極だ。国土が狭く険しい山岳が並ぶと、水に栄養が溶け込みにくいのだ。そして、硬水は軟水と較べてデメリットが多い。洗身に用いると肌や髪がごわごわとし、石鹸の泡立ちも悪く、赤子や幼児の飲料にも向かない(ただし、血流改善や肉料理に合う等のメリットもある)。僕自身、硬水に触れたことがないので不確かなのだけれど、手触りはいつもの水と変わりない気がする。泡立ちも良かった。きっとこれは軟水なのだ。お陰で彼女たちの髪や肌は守られている。
そうだ、彼女の肌はとても健康的で滑ら……かだった。
先ほど窓から眺めたように屋敷のすぐ側に山があって、それが縦横に、とりわけ横に大きく連なる山地を形成している。国土の総てが描写された訳ではないけれど、そういった地形や地質の関係でこの一帯は軟水が保たれているのだろう(いや、利用時に魔法で軟水に変質させている可能性もあるのだけれど)。
そうだ。北に連山が聳立って、そこから海までなだらかな坂がずっと続く。それが僕の住む街と近似しているところが、僕がこの物語に没入できた理由の1つでもあったのだ。
僕は泡の残らないようにしっかりと洗流してから、湯船に浸かる。そこから凡そ5分が経って、現在に至る。
僕は右手をお椀状にして、お湯を掬っては湯船に落とすを繰返す。左手で自身の下腹部辺りを擦りながら。
ポトポトポト
小さな水が大きな水の中に重力を利用して還っていく音は、浴室の閉鎖的な空間で反響し輪郭が曖昧模糊としている。主体的に1人となって、ようやっと夢らしい知覚を味わえているみたいだ。試しに頬も抓ってみたけれど、それはとてもリアルで、いっ、と声に出てしまうくらいの痛みがあった。この身体の力加減が、未だ完璧に学習できていない。
一頻り続けたお湯の自由落下をやめて、ボーッと身体の力を抜いてみる。自分自身に戻る時間も必要だ。この休息はそれにうってつけだ。この物語に対しての客観性を回復する。そして、僕が借受けている彼の肉体について、再び観察してみる。
どこにもくすみ1つない白い肢体、それがかのダビデ像も泣いて逃出すくらい機能的に鍛上げられている。肥大ではなく、凝縮を核としている。とりわけ腹斜筋の仕上がり、割れ目の数とその明瞭さが際立っている。横腹を詰まんでも脂肪を捉えた感触はまるでない。体脂肪率は恐らく数%、トップアスリート並だ。それくらいでなければ、ファンタジーの主人公は務まらないだろう。
陰部……については触れないでおく。
いま頃彼女とフェデリコさんは、彼(僕)の填めていた指輪(入浴中はとり外して着替えの上に置いている)が意味するところについて、その記載のある紙の資料をフェデリコさんの書斎で探している。実のところ、フェデリコさんは彼の指輪を一瞥した時から、その意味を理解していた。しかし、記憶違いの可能性も考慮して、確信に変える必要があった訳だ。
その資料は中央の王室から各領主に配られたものであり、彼の指輪が勇者の身分を証明していることを記している(デザインの狼は、その特別な身分の象徴として選定されたものだった)。
そこから連鎖的に物語の世界観とバックボーンが明るみになっていくのだけれど、それは実際に語られる食堂でのシーンに取っておきたい。あまりに総てのシーンを先々に説明してしまうと、面白味に欠けてしまうだろう。エゴと親身の境界は、思いのほか近接したところに在るのだ。
これほど気持ちよく入浴できているのは本当に久方ぶりだ。1時間でも2時間でも浸かっていたい。しかし、それでは皆を待たせ過ぎてしまうし、その頃には料理も、このお湯も冷めてしまうかもしれない。魔道具で沸かしていることは解説されていたけれど、保温までしているかどうかは描写がないので分からない。
……お湯。そう、僕はお湯について、意識せずにはいられない事柄がある。繰返しになるけれど、この屋敷に浴室は1つしかない。つまりは、彼女も数時間前にここを利用したことになる。ともすると、自ずと懸念してしまうことが1つ。
このお湯は彼女が利用したものを追焚きしたものなのだろうか、それとも1から新しいお湯で満たしたものなのだろうか。僕はそのことについて、思巡らさずにはいられないのだ。
この地域は雨量が多く水が豊富であり(これも軟水の条件の1つだ)、切詰めて使用しないといけない環境ではない。かててくわえて、彼女は国民的アニメに出てくる綺麗好きの女の子のように、日に何度も入浴することがある(夏場は尚更だ)。そのうえ、彼女も現在思春期で、描写はなかったものの入浴の順番であったり、自身が入浴したお湯を他者と共有したくないであったり、皆に切実に意見しているかもしれない。その部分は他者へのリスペクトとはまた違った問題だからだ。衛生の価値観や信仰だって関係する。たとえその表明がなくとも、皆が配慮して入換えたりしているかもしれない。このお湯だって、その配慮のもとに成立っていて欲しい。実際のところ、注ぎ口から熱いお湯が直ちに出てくるのは、お湯を張直した直後だからと推量る方がロジカルだろう。家族外の人間に残り湯を提供するのも、感情的に避けたいところだ。
しかし、それを真に確かめることはできない。描写もなかったし、どのような聞き方をしても性犯罪者の謗りは免れない。
いや、このように思巡らしている時点で、致命的に手遅れなのだ。彼女が入浴したお湯に自身の身体を浸しているかもしれない、その残り湯の幾分が僕の――精確には彼の――肌に浸透して体内へ吸収されているのかもしれない。その可能性を事実として認識してしまうと、もはや頭から離れない。やがてそれは、そこに在ったはずの彼女の肢体の形象を浮かび上がらせる。その何も纏わぬ滑らかでしなやかな身体が湯に濡れて煌めき、上気した頬や気持ちよさそうな溜め息、ぴちゃぴちゃと音をたてながら身体の各部を伸ばして触れて自身を労る。そのイメージが時間の経過と共に弥が上にも脹上がっていく。
世間ではきっと、それはしようがない、男の子なら当然、想像するだけならタダだし犯罪でもない、等々擁護してくれるのだろう。男の子とはいったけれど女性でも大なり小なりある話で、誰しもその部分を責めたてることはできないだろう。実際、それは内心の自由にあたるところだ。他者がそれを貶しめることは絶対に誤っている。それが夢裡でのことなら尚更だ。
しかし、それでも僕は自身を赦すことができない。幾らその自由が保証されているといわれても。いや、赦せないというよりは耐えられないのだ。僕にとって、それは彼女を著しく損なわせる行為としか思えないのだ。透明人間になって息を殺し、女性のデリケートなスペースにずかずかと侵入するのと相違ない。抵抗することのできない彼女に対する、一方的で圧倒的な加害なのだ。醜悪で下衆で冷血で、支配的で強権的で、男性的な仕打ち。僕の心を損なわせたそれらが、僕の内にもしっかりと息づいている。僕もその男性性から逃れられないことを、実感せずにはいられないのだ。
この湯船がたたえていたあれほどの気持ちよさは、雪化粧へ放り出された湯気のように消えてしまった。お湯は硬水にも、何にも変わっていないはずなのに。
いや、変わったのは僕だ。僕は彼の身体を借受けて、無力の三人称から降りてしまったのだから。
僕はもういい加減湯船から上がりたくなってしまった。いや、そもそもだ、先ほどまでの気持ちのよさも彼女に対する劣情が含まれていたからではないか。そう思至ると、もう素直に捉えることすらできない。
彼女とフェデリコさんと別れてから、恐らく15分と少しくらいしか経っていない。いまから身体を拭いて用意された衣服を着て食堂に顔を出すのに、要するのは凡そ5分といったところだろう。
紙面上で彼が食堂に赴いた時、フェデリコさん以外は既に食堂とそこに併設されたキッチンにいた。彼女も一緒になって食器や料理を並べはじめているところだった。彼女はフェデリコさんよりも先に食堂に訪れていた。準備ができて暫くするとフェデリコさんもやってきて(フェデリコさんも所用がない時は準備に参加する)、皆で食事を取った。
世俗的な領主とサーヴァントの関係であれば食事の準備を共にすることなんてないし、食事もメニューから別けていることがほとんどだろう。しかし、彼らは違う。一緒に同じ食事を取るのが基本であり、屋敷に招いた客人がその信条に理解がない場合に限って、別室や時間をずらして対応している。そのことを父親と彼女は当然申訳なく思うのだ。素晴らしいリレーションシップだと、僕は改めて思う。しかし、その思想を堅持するのであれば端からサーヴァントを使役しなければいいじゃないか、そう思う人もいるだろうけれど、その辺りの事情も後に語られる。
資料の捜索自体はそこまで時間のかかるものではなかった。厳密に時間を描写された訳ではなかったけれど、彼女が久しく訪れてなかった父の書斎をキョロキョロと眺めてから、よしそろそろ手伝おう、と思った時にはフェデリコさんはそれを探当てていた。フェデリコさんもきっと、一緒に探して欲しい、というよりは、父娘2人だけでまず話がしたい、というのが本意だったのだろう。そこからの会話も5分となかったはずだ。その他雑談等がカットされていなければ。あるいは、こちらの推定よりスマートにことが運んでいたら、いま頃2人とも食堂に集合しているはずだ。しかし、自信がない。もう少し待ってみるべきか、遅いに越したことはないのだから。
ただ、どちらにせよ、湯船からは出てしまいたい。脱衣所で服を着た状態で待っているか。いや、湯冷めした状態で食堂に訪れると、何かしら彼女を不安にさせるかもしれない。彼女は実に些末なことまで気がつくから。
そうだ、いっそフライングになってしまってもいいではないか。たとえ未だ彼女すら到着していなくとも、未だ料理が完成していなくとも、調理の段階からでも手伝うようにマリオさんたちに頼入ればいい。幾らかは彼女への劣情の贖罪になるだろうし、湯冷めしてしまっていることの言訳にもできる。
……いや、それでは甚だ不十分だ。まさに裁判官のように公正明大でいたいならば、うじうじと悩む間も捨てて即刻食堂へ赴き彼女に謝罪すればいい。入浴中に君の裸体を妄想した僕をどうか赦してくれと、地べたに額を擦りつけて懇願すればいい。もし未だ食堂にいないのなら、書斎に突撃して扉の開きざまに大声で謝罪すればいい。それくらいのことはして然るべきなのだ。
しかし、実際に遂行してしまうとストーリーが破綻する。何故書斎の位置を知っているのか、何故彼女が先に入浴していたことを知っているのか。いや、書斎の場所に関してはマリオさんたちに聞いたことにすれば問題ないか。だが、彼女の入浴に関してはどうあがいても僕には知りようがない。彼女が湯船から上がって僕が目覚めるまでの間にどれ程の時間が経過したのか、実際のところ分からない。彼女の肌と触れた時、入浴に依る温もりは大方失せてしまっていたのだから。僕がそれを知っていることは、所謂メタになってしまう。だから、実際に謝罪なんてできる訳がない。
いや、そのいたってまともにみえるロジックも、言訳のためにこずるしく利用しているに過ぎないのだろう。実際のところ、僕は彼女に謝罪する度胸がないのだ。
彼女に対して、男性であることを洗いざらいに開示することが、恐ろしくて仕方ないのだ。




