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僕は口を微かに開き、1つ慎重に深呼吸する。この部屋の空気の在り方に恭敬を示すように、更にはそこに滑込み同一となるイメージを伴って。宛ら細胞の浸透圧現象だ。そして、僕と部屋とで内実が等価に調整できた気がすると、さっと顔を上げた。「すみません、よく、分からないんです」
ひとまず、僕は言葉を絞出す。これも、彼が実際に口にした台詞だ。彼女を前にしてこのまま黙っていることを良しとできず、咄嗟に発せられたものだった。恐らくは、彼自身もそうだったに違いない。
「分からない、とは、つまりどういう意味ですか?」
彼女は僕の目をぐっと覗込みながら、委細な説明を求める。無理をいっているかもしれない、とは心の片隅に留置きながら。
目をぐっと覗込む。それは彼女の実直なキャラクターを象徴するように度々登場する動作で、謂わば彼女のハビットなのだ。
弛まず量感に富んだ、突刺さってしまいそうな視線だ。まるで台本の直截には書かれない部分を読取ろうとする熟達した名優のそれだ。その淡緑の双眸の奥底では、複数の沈黙が鬩合っているように見受けられる。彼女の内で幾つもの仮説が浮かんでは、割れないしゃぼん玉のように浮遊し接触しているのだ。ボルボックスのように、というと、些か表現が生命神秘的過ぎるかもしれない。
彼女は思考を回転させる。分からない、という言葉から想定される幾つかの基因を、僕の頬のあたりに投影していく。現状そのものを未だうまく理解できていないということか、事故前後の記憶が一時的に混濁しているのか、その両方か、あるいは……。
分も満たないうちに、僕は彼女の視線にも耐えられなくなって、再び俯いた。今度はより深く、表情を悟られないようにする。まさに先ほどの微睡みの彼女みたいに。彼女の語りから、彼の行動を補完する。そういう僕自身も、そのようにせずにはいられない心境だ。とてもよい傾向だ。
伏せた視界の端に、掛布団を握緊める自身の両手を見た。僕は思わず目を丸くした。僕はひとまず、そのひどいこわばりを解く。弛緩を念じてから、両手ともをひらにするのに3秒は要した。そのまま少し持上げて、捻ったり揺らしたりしてみた。
僕の脳みそとリンクしているその手は、僕が十数年と連添ったものとまるで異なっていた。新雪のように白くて、少なくとも東洋人的とは思えない。形状も女性のようにしなやかで(それでも大きさはしっかりと男性で)、むだ毛1本くすみ1つない。剃毛や脱毛などの施術をされた訳ではなく、毛根という器官が根本的に存在しないようだ。まるで赤子のそれみたいだ。惚々としてしまう。
その右手中指に、きれいな指輪が嵌められている。銀製で、精巧な狼の紋章が彫られている。
この両手と指輪は、当然ながら僕のものではない。しかし、それらに相応しい人物を、僕はよぉく知っている。
僕は顔を上げて、ピアノの上に置かれた鏡を見る。角度がこちらと合致しないため、ここからでは僕の容姿は映らない。これも、ストーリーに準えた行動と状況だ。
「ピアノがどうかされましたか?」
彼女も振返って、僕の視線の先を見る。
「いえ、ピアノではなく、その上にある鏡です。――ひとつ、確かめたいことがあるんです」
僕はベッドから立上がることを決意する。まずは足に被せたままの掛布団を丁寧に捲って、膝下をベッドから下ろし腰掛けるかたちを取った。次いで、自身の着用する衣服を確認する。白のリネンのシャツとパンツを身につけていて、恐らくはサーヴァントが着替えさせてくれたのだろう。ぐったりとした人間に服を着せるのは、かなりのハードワークだったに違いない(そのうえ、人1人を担架で搬送した直後なら尚更だ)。どちらもハーフサイズで、とても涼やかで身軽に感じる。パンツの下にはゆったりめの下着も履いているようだ。ズボンの裾から覗く足も白く透通っている。念の為に補足しておくけれど、僕はいま素足である。つややかで無駄な脂肪は一切ついておらず、まるで李朝白磁のようだ。
僕は腰を上げて、直立を試みる。立上がることは能うも、1歳児のそれのようにぐらぐらとよろけてしまう。身体機能の方は、未だ完全には覚醒していないみたいだ。ベッドの上からでは分からなかったけれど、ベッドの下にも赤い幾何学模様のカーペットが敷いてある。その幾分硬めの材質は、僕の足底をほどよくこそばゆくさせた。
「無理なさらないでください」彼女は咄嗟に立上がって言った。そして、僕に1歩近寄って、すっと身体を支えてくれる。右手を背中に回し、左手は僕の左肘の辺りを持つ。「どうぞ座っていてください。私がお持ち致しますよ」
彼女の肌の感触に、僕はどぎまぎせずにいられなかった。ヒヤリとした表面の奥に仄かな温かみを感じて、まるで世界の真理をそこに恭しく内包しているみたいだ。自身の頬が赤く熱くなっていくのが、まるで手に取るように分かる。その面目ない様子は、僕のことを左斜め前方から密着し支える彼女からも、よく見て取れているに違いない。しかし、それは描写のされていないことだ。でも、大丈夫。これは許容範囲内だ。きっと、彼も甚だ赤面していたに違いない。ただ、彼女がそれを気に掛けなかっただけだ。もっと注意を払わなければならないことが、他に幾つもあるのだから。少なくとも、僕のそれは不自然な情動ではないはずだ。意識して無茶な統御をしてはいけない。そして、彼女はそれを嘲弄するような性格もしていない。
僕は俯きがちに応える。「いえ、身体も動かしてみたいんです。……大丈夫です。痛みはありません」
君のおかげで、と余計に言葉を附足したくなる。しかし、僕は口許を引締めることでそれを堪えた。幾分のアレンジは構わないのだろうけれど、ストーリーに矛盾したり、彼女に不信感を与えてはいけない。
「そうですか。……分かりました。ただ、お隣にはいさせて頂きます」
彼女は言った。何よりも本人の意思が優先だと承知して。
ありがとう、と僕は言葉を返した。本来の彼はこの時、うん、と返事していた。僕はもっと、明確な謝意を伝えたかったのだ。
「どうぞ、お使いになってください」
彼女は僕との密着を解くと、ベッド下の収納からブラウンのファースリッパを出してくれた。
僕は、遠慮なく、と応えて、履いて馴染ませていると、彼女はカップに紅茶を注いで差出してくれた。しばらく何も口にされてないでしょうから、とても美味しいですよ、と言添えて。僕は、いただきます、と言って右手で受けとり、ゆっくりと飲干した。アッサムティーだと思う。深めの赤色で重厚な甘味。温くなっていて、紅茶の1番美味しいタイミングを逃してしまっているけれど、その最盛の時を十二分に思描けるほどに印象的な味だった。
僕はカップをサイドテーブルに置いて、左足からピアノに向けて慎重に歩を進める。彼女は僕の左隣について、右手は僕の後背へ伸ばしたまま左手は畳んで僕の左肩に、何れも触れるか触れないかぎりぎりの位置で構えている。そして、僕の歩調に合わせて、共に前進する。まるで赤子の歩行訓練のように。その微妙な距離感も、僕にとってはすこぶる刺激の強いものだった。間接的な、空気を媒介とする体温の温もりは、まるでレトリックの有効性を肌で感じさせてくれているみたいだ。サボン系の柔和な香りもするみたいで、スンスンと吸込んでしまいそうになるのを、今度は唾を飲込むことで堪える。これはモラルの問題だ。
4歩を数えたところで、室内中央のテーブルの手前まで進んだ。1足を踏締めるごとに、まるで足の裏から根の如く養分を吸上げるみたいに、総身に力が漲ってきた。ストライドも1歩目と4歩目で見るからに広くなった。そのたった数歩の前進で、身体機能は概ね復常したようだ。
「ありがとうございます」僕は謝意を述べる。「もう1人で歩けます。この通り元気です」
僕は一旦彼女に離れてもらって、その場で足を順に上げた。右足を続けて3回、1拍置いて、左足を続けて3回。次に屈伸を2回やって、最後にピョンピョンとラジオ体操みたいに跳ねた。その一聯の試験運動を終えて、1つ息を吐いてから、表情でも彼女に回復をアピールした。にこっ、と歯を見せて。少女漫画の王子様みたいに。気障だな、と我ながら恥ずかしくなるくらいに。
この身体は骨にまで筋を浮かべられそうなほどに、運動の伝達に一切のロスがない。そのうえ、羽毛のように軽い。オリンピックの複数種目で金メダル獲得を検討したくなるほどに、とびきり特優な肢体だ。
「……分かりました」彼女は大きく微笑んで見せた。「ただ、少しでも気分が優れなかったら、すぐに言ってくださいね」
はい、と僕は頷いた。
その彼女の微笑みも実に美しかった。瞳が渇きを訴えるほどに。瞬きを失念してしまうのだ。それが積重なって、余分な熱と湿り気を帯びはじめる。それはどうしようもない生理的反応だ。僕はただ、彼女がその現象を悪い方に捉えないことを祈るばかりだ。
しかし、その強力過ぎる笑みも、100パーセントのポジティブで構成されている訳ではない。常に憂慮の色が、仄かに見え隠れしている。ただ、その数パーセントのネガティブが、ポジティブ1パーセント分の価値を何倍にも高騰させているのだ。泣き黒子が白雪の肌をより映えさせるみたいに。そういう類の表現が、世界にはそれなりに存在するのだ。ただ、それを正しく好評できる人の数は、哀しいことにあまりに乏しいのだ。
さて、ここで1つの懸念が浮かぶと思う。いくら魔法の存在する世界観といえど、いまポジティブを100パーセント近くにまで引上げるのは、あまりに早計が過ぎるのではないか? と。結論から先に提示すると、少なくとも彼女にとっては、全くの不整合ではないのだ。
実際のところ、彼女は僕の身体について、傷痕的に憂慮する部分がもはやないことを承知している。彼女の目には、身体の状態と体調の良し悪しが、色のついた煙のような像で観測できるのだ。治癒魔法の1つの到達点として。彼女は対象の身体に纏われたその質を見極めることで、大体の状態を把握することができる。オーラを読む占い師のように。その色と形状には個体差があって、指紋や虹彩と同様にそれらの同一の組み合わせは1つとして有得ない。その魔法は人間に限らず、多くの生物に対しても有効だ(イルカの個体を識別できるのもそのためだ)。しかし、生物の身体と命に絶対はない。そのような驕りは医療にあってはならないことだと、彼女は遺漏のない理解をしている。だからこそ、過保護な小人のような呼掛けと応対をした。そんな彼女にとって、患者(適切ではない気がするけれど、いまはそのように表現させて頂きたい)が言葉のみならず行動をもって健勝を示してくれることは、此上ない安堵と喜びになる。そして、自身の技術と努力が確と人の役に立てることを、切に実感できるのだ。
ふと、僕は自身の色彩とその像について想像してみる。
そのように叙述するものの、それは自室での独白にもよろしく、むしろ質量を感じるほどに自明の事柄である。ある種の物語的約束として、前置きしたに過ぎない。
僕のそれに、色彩と表せられるものはない。それは白とか黒とか灰色とか、人生論的比喩としてネガティブなレッテルを貼られた哀れな色、それを「やれやれだ」とか吐息を混ぜながら、結局のところ満更でもないといったスタンスで所持しているという訳ではない。僕も遥か昔には、明確で立派な色彩を持合わせていた。窓外に広がる青と白のグラデーションに彼女の褐色の肌やアリエルグリーンの瞳、客室の内装や飾られた油絵の色遣いにも劣らないそれを、僕は幼児の自己主張のようにたたえていたのだ。しかし、それは永年の不摂生に依りひどくくすんだ内蔵のように、染み残しも見当たらないまでに汚れきってしまった。それは引返すことのできるポイントを疾に通過してしまっていて、サーモンピンクの正常な状態に復することはもはや叶わないのだ。不潔で救いようのない、まるで筆洗器に溜まった絵具汚水のようだ。
像にしてもだ、それはきっと見ていられるものではないだろう。いや、そもそもだ、それが像と呼べる形態を保持しているのかすら怪しいものだ。きっと僕のそれは輪郭を悉く分解されて崩壊し、霧のようになって僕の全身を隠匿するように覆っている。それは絵具汚水の色調と合間って、超局地的ロンドンスモッグ、とまでいい表わせられる代物になっていることだろう(実際、後天的に色彩や像が変質するのかについては、描写も明言もないので分からない)。
ただ、その僕の殺人的スモッグは、彼女の目に触れてはいない。その確信に近い推測が、僕の何よりの救いだった。
僕は彼女に見せつけるように、力強く1歩また1歩と足を前に出していく。対して彼女は、テーブルの傍らで静止している。僕のちょっとした異変も見逃すまいと、一挙一動と色彩に注視している。ただ、僕はシナリオの通り只管に前を向いているので、実際にその様子を目にできている訳ではない。これも、予め彼女が語り示してくれた内容になる。だからこそ、彼女の視線はある種の光の矢となって、僕の後背にザクザクと突刺さってくるのである。まったく、想像力の作用にはいつも驚かされる。そして、その内外に制約のない聯鎖こそが、人類をここまで繁栄させてきた素因なのである。
しかし、それは地球資源と同じように、致命的な枯渇へと向かっている。
身体機能は依然として良好だ。まるでふつうの自転車から電動自転車に乗換えた時みたいだ(1度母の電動自転車を借りたことがある)。足を前に出した際の加速というのか勢いというのか、前方から僕を引っ張る見えざる力が働いているみたいで、むしろ不可解な動作になってしまいそうだ。マイケル・ジャクソンのムーンウォークみたいに。速やかに慣れないといけない。
步行と同時に、僕は推考する。何故彼が自ら鏡の許へ向かう選択をしたのかについて。そこを閑却すると、行動に説得力がなくなってしまう。そういった緩みは即座に綻びへと移行してしまうのだ。しかしながら、この物語は主人公の彼を語り手とするシーンが1つとしてない。つまりは彼女をはじめ、他のキャラクターを通した彼の客観的イメージにしか、その判断材料がないのである。まぁ、それもまた、この物語の面白さの1つな訳だけれど、如何せんいまは全くの不親切だと思わざるをえない(そう考えると、僕は自身の思うより彼について知らないのかもしれない)。
勿論、僕は彼女越しに鏡を見据えた時――それは紙面上の形象の時点も含まれる――から、その理由を自分なりに構築しようとはしたのだけれど、その大半は彼女と密接することに依る青い刺激でうまく思考を結ぶことができず、遂には何も固めることができなかった。シンプルに十分な回復をアピールしたかっただけなのか。いや、そうではない気がする。別に彼女だって、速やかに当人の申告が欲しいとか、そういった内容を直截言葉にはしていないし、態度にも、心にも表わしていない。あるいは、「ハルカ」にとって、その方が物語を運びやすかったからか? 所謂ご都合展開というもので、キャラクターの内的整合性を捨てて観る側への印象づけを優先したが故なのか? いや、それも違う。「ハルカ」は登場するキャラクター全員の持つそれぞれの小さな物語を、とりわけ大切にしていた。だからこそ、小さな枠組みを越えて水鳥がぞろぞろと羽ばたいていくような瑞々しさがあったのだ。それはきっと、彼の偽りのない本物の気持ちなのだ。だだ、それらを包括する大きな物語の幕開けというタイミングもあり、あまりに材料がなく推量ることが艱難だ。
ここまでを思巡らせた時点で、僕はピアノと鏡の前に到着した。鏡は相変わらず僕からそっぽを向いていて、自身を映すためにはこちらに手繰り寄せないといけない。1度振返ると、彼女は依然として僕のことを見守ってくれている。テーブルの傍らで、マリアのように胸の前で両手を重ねている。僕は薄く微笑んで見せて、改めてピアノに正対した。紙面上では、彼は直ちに鏡をとり上げていた。僕も同じようにして鏡を右手に取る。鏡を手にする理由は明白だ。それは直後の彼の台詞に依って、はっきりと明示されることなのだ。次のフェーズに移らなければならない。終わろうとしていることを、いつまでも引摺ってはならないのだ。
そうだ。完璧な気持ちや立振舞いなんて、実際のところまず有得ないのだ。皆がみな常に筋の通った行動や、すっきりと言語化された気持ちを実践できている訳ではない。どろどろとした割切れない気持ちで何かしらを実行することもあれば、道理・論理に乏しい言動をついついしてしまって、それ引っ込めることができず帳尻を合わすように無茶をしてしまうこともしばしばだ。むしろ、そちらこそが大多数といえる。勿論、それは僕自身にもいえることだ。常に行動の前提となる感情を具に説明できること、そればかりに固執する必要もないのだ。
それにいま、明確に魅せる観客がいる訳でもない。この場に在るのは僕と彼女の2人だけ。緊張はすれど、恐れる必要なんてない。
そして、これをいっては元も子もないのだけれど、総ては僕の頭の中で起きていることなのだ。大丈夫、恐れなくていい。
僕は鏡面を目の前に据えて、そこに映るものを見た。




