表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

戦わない小説家シリーズ

幻の鯛を釣ろう

作者: 一木 川臣

 

「私だけ魚が釣れないのだけど。どういうことかしら?」


 急にどこの誰だかも分からない人間のセリフから始まってしまって申し訳ないです。なんて言ったって私自身もどこの誰だか知らない人間から突然に声をかけられて結構動揺しているのですから。


 場所はとある海岸。この近辺ではなんでもドでかい鯛が釣れるらしく、噂を聞いた私はそんな鯛の主を狙うべく遥々1時間ぐらいかけてやってきた。朝の9時ごろから釣りを開始し、今現在時刻は午後の5時ごろ。快晴だった青空は徐々に赤くなりつつある頃合に事は発生した……


「ちょっと聞いてる?」

「ええ!?」


 歯切れの良い女性の声。先程からずっと私の隣で釣りをしていた女の人なのだが、直接話すのはこれが初めてだ。



 顔を上げれば白色のワンピース、彫りの深い顔立ちに微風に靡く黒髪の女性が視界に入る。 口調は中々威圧的であるが、それが無ければ結構な美人さんだ。

 この付近では私みたいな野郎を含め、おじさん達がまばらに存在しているが、若い女の人は珍しい。そんな彼女がこの私に、一体何の用だろうか?


「貴方は先程から、釣れているわよね」

「ええ……」 


 釣れていると言われてもお目当ての鯛ではない。だが、一応は彼女のいう通り小魚ばかりではあるが今日は夕飯に困らない程度のそこそこの成果を上げていた。


「どうして私は釣れないのかしら?」


 女性は立ち上がり右手でそっと髪をかき上げる。露わになった表情はどことなく不満そうであるが凛々しくも見えた。広い大海原と赤がかる夕焼けを背景に佇むその姿はとてもサマになっており、一瞬心を奪われてしまった。





 あ、まさか……


「まさか、君は…… ボウ──」

「黙りなさい!」


 あっ…… この人、間違いない。収穫が0なのだ。収穫が0でスネているのだ。


「どうして釣れないって言われましても…… 」


 困ってしまう。なにせ私は釣りのプロではないからだ。ただ趣味で釣りをやっている程度の人間なので、そんな私よりも周りにいるおじさんに尋ねた方が 有意義な回答が得られると思うのだが……


 困惑している間、私の釣り竿が引き始め私は慌ててリールを巻く。巻けばすぐに小さなアジが釣れた。


「……また釣ったわね、貴方…… 今日10匹目よ」

「良く覚えてますね、私の収穫数……」


 私自身、途中で面倒になり取れた魚の数をカウントするのを辞めていたがこの女性は私が知らずうちに数を数えていた。私の収穫数を数えるほど自身の不甲斐無さを感じていたのだろうか。


 ひとまず鯵をクーラーの中に入れる。クーラーの中では釣り上げた魚達がピチピチと美味しそうに跳ねており、ボウズな彼女の視線が強くかなり窮屈に思えてしまった。


「う〜ん、やっぱり気持ちじゃないですかね? 絶対釣ってやるという気持ちが足りないとかじゃないんですか?」


 釣り技術に関しては教えることが出来ないので私は適当に精神論でも語ってみる。気持ちがありゃ誰も苦労しないと分かっているけど、やっぱり意気込みは大事だ。


「何を言っているのかしら? 気持ちが足りない? この私が……? ありえないわね」


 真っ向から否定されてしまったぞ。

 んじゃ私に聞かないでくれよ。むしろどうしてその姿で気持ちが足りていると自負できるんだ……?

 私も全身黒色のジャージで人のこと言えないけど、白色のワンピース来て釣りに来ること自体どうかと思ってしまう。潮干狩りでも中々見ない格好なんじゃないか? 


「少なくとも、スポーツジム行くような格好をしている貴方に言われたくないわね」


 それ、君が言っちゃダメだろう。カジュアル潮干狩りな格好のクセに…… 言ったらうるさくなりそうだから言わないけどさ。


「じゃあ、魚達に嫌われている…… とかじゃないですか?」

「嫌われている……? 私は魚と対話することができるの。こうやって耳をすませば海の声が聞こえる」


 どうしよう、電波タイプだよこの人。


 耳をすませても波の音しか聞こえないぞ……


 ……魚とエンゲージメントできるなんてめでたい(・・)人だこと。仮に事実だとしたらそれこそ対話して嫌われてしまっているんじゃないかと思えてしまう。せっかく魚と対話できる技量を身につけているのに嫌われているんじゃあ元も子もない。


 素晴らしい能力を持っているのに残念なことだ。


「じゃあ、さっき釣った鯵はなんて仰ってますかね?」


 クーラーを開けて鯵を取り出す。彼女は鯵を見つめながら数秒黙った後にゆっくりと口を開いた。


『塩味にしてくれ〜』


 嘘だあ! なんで釣られた魚が調理のされ方を希望してるんだよ! なんだこの人、変わってるなあ……


「って、そんなことはどうでもいいのよ。どうして私が釣れないか聞いているのよ」


 知らないよそんなこと。そんなワンピきた電波少女、魚だって嫌がって近寄らねえよ。


「もし…… あれでしたらこの鯵、譲りましょうか? せっかく海に来たのにボウズじゃ家に帰ったら笑われちゃうでしょうに……」


 先程彼女にアテレコされた鯵をあげようとすると、さっと手で払われてしまった。


「大きなお世話。いらないわ、貴方の情なんて」


 ……そういう割にはかなり悔しそうな顔なんだけど。鯵、美味しいのになあ。




 その時、彼女の釣竿が大きくしなった。


「あっ、きたわねっ!」


 彼女は釣竿を手に取り勢いよくリールを回そうとする。しかしながらあまりにヒキが強いのか逆に持っていかれそうだ。


 この竿のしなり具合、まさか…… いや、間違いない。これは……


「これデカいですよ! 絶対鯛の主です!!」

「この手応え……! 必ず釣り上げる!」


 得意気な表情を見せながらゆっくりとリールをひく彼女。散々魚共にコケにされてきたからそりゃそんな顔になるだろうな。きっと彼女は私を見返してやろうというような気持ちで満たされているのだろう。


 だが、そんなもの私には関係ない。


 ついにあの幻の鯛の主を拝むことができるのだ…… 伝説の鯛の主が……!

 そうとわかった瞬間、いつの間にか私は手に汗を握っていた。彼女を見守るように食い入るような視線を送り続ける。


 これは、すごい! 相当デカいぞ…… なんとか釣り上げてくれ……!!


「ちょっと貴方、何もせず見ていないで助けなさいよ」


 祈っている間にそんなことを言われ私は「はっ」となり、片手に網を持って急いで彼女に加勢する。

 ……ていうかこの人、網もなしに釣りに来ていたのか…… 大物が来た時どうするつもりだったのだろうか……


「もう少しです、ゆっくりひいて下さい!」

「分かってるわよ!」


 勢いよく巻いてしまうと釣り糸が千切れてしまう。時間をかけてゆっくりと距離を縮めていけばいいんだ。

 暫くすれば、徐々に獲物の影が見えてくるではないか。


「うおおっ! で、でっか……」


 水面に揺れる大きな赤い影を見つけ私は思わず声が出てしまった。これが噂の鯛の主…… 釣り上げてもらったら半分分けてもらおうかな。


「早く網で捕まえて!」


 なんだか部下のように指示してくるのは癪だが、釣あげたい気持ちは同じなんだ。ここは彼女の指示に従って網を差し込んでやる。


「よし、もらった── って、え!? これって?」





 確かに手応えはあった。

 網で間違いなく捉えた。

 捉えたものの、私は網の中に蠢めく生き物を見て思わず目を見開いてしまう。


 あれ、これって──?


「た、タコー!?」


 後ろから悲鳴にも似た声が聞こえ、一瞬ビクっとしてしまった。


 なんと、鯛だと思っていた魚は大きなタコだったのだ。これには私もびっくり仰天、驚き桃の木山椒の木というやつである。


「あ〜 なんだあ、タコかあ……」


 目的であった鯛の主とは異なりがっくりだ。あれだけ強いヒキだったからてっきり幻の鯛の主かと思って勘違いしてしまったぞ……


 タコ…… 別にいいかな。今日はいっぱい釣れたし。


 うねうねと動くタコを眺めながら私は大きく息を吐いた。見れば見るほど不思議な生き物だな……



「はい、これ……」


 網を彼女の目の前にやると彼女は脱兎の如く身を引き逃げようとする。


「ひぃ! ちょ、ちょっとタコをこっちに近づけないでよ! 墨でワンピースが汚れたらどうするつもりなのよ!?」


 えっ、その服汚れちゃダメなやつだったのか…… なんでその格好で釣りに来たのかますます謎が深まってきたぞ……


「む、向こうに入れ物があるからそこに入れなさいよ!」

「なんで私が……」


 ただ、これ以上騒がれても喧しくなるので仕方なしに私は言われた通り、彼女が持ってきたクーラーにタコを入れようとする。

 うん……?  こいつ、無駄に抵抗するな、黙って収容されろ!! お前はもう釣られたんだ、無駄な足掻きはよせ!!


 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ


「ちょっと、そんな無理やりタコを押し込まないでよ!! 容器が壊れちゃうじゃない!」




 せっかく人の為にタコを入れているのに文句の多い人だ。そもそも貴方の収穫なんだから自分でなんとかしてほしいところである。


 とはいえ、なんとか収まった。


「ふぅ〜 手こずらせやがって……」

「まだ足が出てる!! クーラーボックスから足が出てるわよ! 終わった気にならないで最後までやりなさいよ!」


 なんだよ、タコは足が多いから一本ぐらいはみ出ても仕方ないじゃないか…… 帰り際にタコと握手できるし悪くないだろ?

 クーラーからはみ出た足がまた侘び寂びを感じられて私は好きであるが…… 彼女はどうもそのあたりが理解わからないらしい。ので、仕舞ってあげることに。


「ふぅ〜、疲れましたね。よかったじゃないですか、ボウズは回避しましたよ」

「うん……」


 一仕事終えてかなり疲労が溜まったのか、力が抜けたような返事をする彼女。


「タコ…… そっか、タコか……」


 俯きなんだかブルーな表情だ。なんでそんな残念な顔をするのだろうか、タコがかわいそうだ。


「私はタコがお似合いなのね……」


 酔ってるのかなこの人。お似合いかどうかと言われてもそれはそれで回答に困る。でも結構しょげてるぞ…… 大丈夫かこの人……


「ぐす……」


 あ、泣きそうだ。なんでだよ、タコがそんなに嫌だったの!? あーでも、現にメソメソしているし……どうしよ……


「あの…… 私の鯵、やっぱり譲りましょうか? 海来てタコオンリーじゃサマにもならないでしょうし……」

「……うん」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 釣りしてる時にこんな女性がいたら困ってしまいますが、 なんだか可愛かったですね(笑) 引きが来た時は長靴オチだったり…と思いましたがちゃんとタコが。 面白かったです。
[良い点] 結局もらうんかいっ!──と、思わずツッコミました(笑) ちなみにタコやイカは、食物連鎖の結構な上位にいます。 同じクーラーボックスに入れたら、帰宅する頃には、鯵はタコの最後の晩餐になって…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ