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王太子の計画 4

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 ようやく三本目の用水路が完成した。

 最後の仕上げに、完成した用水路と貯水池をつなげて、水が傾斜に沿って勢いよく流れ落ちて行くのを眺めつつ、ふーっと息を吐きだす。


 地道に計画通りの場所に用水路を作らなくてはならないから一つ作るのにも数日はかかるのだが、各地に貯水池を作ったから、用水路の完成が遅くなっても水不足の心配はない。

 しかし、この暑い中、貯水池までせっせと水を汲みに来るのは大変だろうから、できるだけ早く完成してあげたいものである。


 氷の販売も順調だ。大きな氷の山を銅貨十枚――多少の誤差はあるが日本円で千円くらい――で販売したところ、全部の村と町から購入申請が入った。用水路を作りつつ頻繁に村や町へ氷を作りに行けないので、ここは出血大サービスとばかりに、炎天下の中でも二週間は持ちそうな超巨大な氷の山をそれぞれの村や町の近くにドーンと作って時間稼ぎをしている。


 わたしが大盤振る舞いをしたせいで今年の氷の収入は大したことなさそうだけど、まあ仕方がないよね。

 さてと、今日の作業はこれで終わりだから、お城に帰りますか。

 馬車に乗り込むと、ふわりと美味しそうな桃の香りがする。馬車の座席上に置いている籠の中には、桃が十個ほど入っていて、これは用水路づくりをしていた時に近くの町の町長が差し入れで持ってきてくれたのだ。

 いい匂いに、おなかがぐぅと鳴って、ミナがくすくすと笑う。


「帰ったらさっそくお出ししますね」

「うん。ありがとう!」


 数は十個だが、それぞれがとても大きいので、少量ずつなら古城のみんなにいきわたるだろう。

 最近ではこういった差し入れがとても増えていて、使用人のみんなが密かに楽しみにしていることをわたしは知っている。


 馬車が古城の玄関前に到着すると、桃が楽しみなわたしは、ぴょんと元気よく馬車のステップから飛び降りた。

 さあ、この桃は甘いものかな。どうかなあ。

 ルンルンとスキップしながら玄関の扉をくぐったわたしは、しかしそこでギョッとして足を止める。

 え?

 あれ、なんか幻覚が……。


「……お前。馬車から飛び降りたら怪我をするぞ」


 あれれ、なんだか幻聴も……。

 わたしはじーっと玄関の前で腕組みしている背の高い男を見上げて、こてんと首を傾げた。


「陛下……、なんで?」


 そこにはつい先日帰ったはずのマクシミリアン皇帝が、立っていた。






 今日に限って、セバスチャンが用水路作りについて来ないと言ったのはこのせいだったのか。

 マクシミリアンが来ることはセバスチャンをはじめとする古城の使用人、それからブライトや騎士たちも知っていたようで、知らなかったのはわたし一人。

 教えてくれればよかったのに。

 マクシミリアンも、驚いたわたしの顔を見て、まるで悪戯が成功した子供のように笑わないでほしい。


「陛下、何か急用ですか?」


 大嫌いな聖女のもとに一週間ほどで舞い戻って来たのだ。きっとよほどの用事があるに違いない。

 もしかしたらセラフィーナ側の動きがあったのかもしれないと思ったのに、マクシミリアンはわたしの問いには答えずに、アンが持った籠の中身に視線を向けて「うまそうだな」と言った。


 話より桃ですか? ……マクシミリアンって果物が好きなのかしら。イチゴも好きだったみたいだし、まあ、少しくらいなら分けてあげてもいいけどね。

 わたしも食べたかったし、マクシミリアンも食べたそうなので、セバスチャンにダイニングに桃とお茶を準備してくれるように頼む。

 その間に、わたしはささっと汗を流してこなくては。炎天下の下で作業していたから汗臭いよねと、くんくんとワンピースの袖の匂いを嗅いでいると、マクシミリアンがあきれ顔になった。


「……淑女が自分の脇の匂いを嗅ぐな」


 失礼な! 嗅いでいたのは脇じゃなくて袖ですぅ! ……汗のにおいをかいだ時点で一緒かもしれないけど、一応わたしの中の乙女の部分が、マクシミリアンに汗臭いと思われたくないなあとか思っての行動だったのに、あんまりだ。


 むっとしたわたしは、つーんと顎を逸らしてアンたちとともに急いで二階に上がった。

 心得たもので、わたしたちが帰宅するのに合わせて、メイドさんたちがすでにお風呂の準備を整えてくれている。うんうん、いいね。以心伝心。とっても有能なメイドさんたちだ。


「陛下じゃありませんが、自分の汗の匂いを嗅ぐのは、わたくしもどうかと思います」


 桃が待っているので、わたしがカラスの行水よろしくちゃちゃっと汗を流して風呂から上がると、わたしの着替えを手伝ってくれながらアンが言った。

 そんなに駄目だったかな。これでもさりげなく嗅いだつもりだったんだけど。


「でもほら、汗臭かったらいやじゃない?」

「そう思うのであれば、さりげなく陛下から距離を取ればいいんですよ。第一、汗臭いなあと思ったらわたくしたちがそれとなくお伝えしますから大丈夫です」


 ミナがくすくすと笑う。

 そう言うものなのか。今度から気をつけよう。


「髪はどうなさいます? 陛下がいらしていますから、結い上げましょうか?」

「ううん。このままでいいわ。降ろしてたらそのうち乾くでしょ」


 ドライヤーなんてないから、基本的にタオルドライをして自然乾燥がこの世界のスタイルだ。タオルでしっかりと拭かれても、まだ湿っているが、下ろしたままふらふらしていれば、夏だからすぐに乾くだろう。

 それならばせめて化粧でも、とアンが言うけれど、そんな時間はない。桃が待っているのだ。第一、すでにマクシミリアンの前で何度もすっぴんをさらしているから、今更だと思う。


 桃を食べつつ、マクシミリアンがここに来た理由も訊きたいからね。

 早く降りようと言うと、アンが諦めたように息をはいた。

 ダイニングに降りると、すでにマクシミリアンが席についていて、食べやすく切られた桃がおかれている。


 あらら、二玉も切っちゃったのか。残り八玉――みんなの分、たりるかしら。


 桃と一緒に、桃の味を邪魔しないよう、少し薄めの紅茶が用意されている。

 わたしが席に着くと、待ち構えていたようにマクシミリアンが桃に手を伸ばした。一応、わたしが来るまで我慢していたらしい。


 わたしも桃を一つ口に入れて、みずみずしい甘さにふにゃりと頬を緩ませる。あー美味しい。たまらない。柔らかい果肉からじゅわっと溢れ出る果汁。幸せ。庭にも桃の木を植えたんだけど、まだ小さいから実をつけるまでもう少し先になるだろう。……早く大きくならないかな。魔術でずるしていいかな?


「うまいな」


 マクシミリアンも満足そうだ。二つ目、三つ目と手が伸びている。ずいぶん気に入ったみたいだから、ここは念のため釘を刺さねばなるまい。


「これだけですからね。残った桃はみんなの分ですから、もうあげませんよ」

「……俺は皇帝なんだが」

「皇帝はみんなの分の桃を奪っていいってルールがあるんですか?」


 皇帝だろうがなんだろうが、みんなだって食べたいのだから取り上げたら可哀そうだ。そんな横暴は許さない。

 きっぱり言い切ると、マクシミリアンはちょっと不満そうな顔をしたあとで、突然ぷっと吹き出した。声を出して笑い出したから、わたしはギョッとしてしまう。だって、マクシミリアンが声を出して笑うところ、はじめて見たし。


「俺相手にそんなことを言うのは、お前くらいなものだろうよ」


 ……言われてみれば確かに、皇帝様相手にずいぶん偉そうな口をきいてしまったかもしれない。だが、やっぱり桃は譲れないからダメなものはダメなのである。

 わたしは自分の分の桃の皿をじーっと見下ろして、ふーっと息をついた。仕方がないな。


「ほら、わたしの分から三切れあげますから、これで我慢してくださいね」


 そう言いつつわたしが皿から桃を三切れほどマクシミリアンの皿に移してやると、今度は虚を突かれたような顔をした。今日のマクシミリアンはくるくるとよく表情が変わる。


「これはお前のだろう?」

「だから、これでみんなのには手を出さないでくださいね」

「……俺はそこまで横暴じゃないぞ?」


 口ではそう言うくせに、マクシミリアンは嬉しそうにもらった桃を口に入れている。本当に好きみたいね、果物。


「それはそうと、陛下、何か問題でもあったんですか?」

「何がだ?」

「だって、こんなに早く戻ってきたから」


 もっと言えば、マクシミリアンはもう二度と戻ってこないのではないかと思っていたのだ。それなのに、どうして一週間ほどで戻って来たのだろう。

 マクシミリアンはもぐもぐと桃を咀嚼しながら、ふと真顔になったけれど――うん、口の周りに桃の果汁がべったりだから、ちょっときまらないかな。

 わたしがハンカチを差し出すと、ハッとして口を拭う。ほんのり赤くなった目元が可愛いと思ってしまった。


「お前に会いに来たんだ」

「わたしに?」


 それはまた何故? やっぱり用水路の件が気になったのだろうか。貯水池を作るのでも毎日一緒についてきていたし、他人にすべてを任せられない真面目な性格なのかもしれない。

 もしくは、やはりセラフィーナの件で何か動きがあったのか。皇帝としては、何やら不穏な動きを見せているセラフィーナの方が、用水路よりも重要のはず。

 しかしマクシミリアンは、結局本題には入らず、最後の桃のひとかけを食べて言った。


「話がある。……今夜、出かけないか?」


 どこに行くのかはわからないが、今ここで言いにくい話なのだろうか。

 わたしは頷いて言った。


「お化けが出ないところならいいですよ」


 するとマクシミリアンはこめかみを押さえて返した。


「安心しろ。そんなもの、どこにも出ない」



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