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人間の歴史。  作者: TAK
産業革命
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産業革命前夜

さて、ナポレオンが活躍し終って世界は19世紀になりました。

残すところはあと3世紀ばかし。


尤も近世以前ののんびりした状況ではなく、イベント盛りだくさんで年表の横軸がとても細かくなります。



理由の一つは単純。

もう科学はどこまでも発展し、記録が細かくなされていること。

いままで書かれなかったであろう事柄が事細かく記録されて、年表に載せてます。


理由のもう一つ。

まさに今の世界史の教科書のようにヨーロッパ世界が中心に動き、今まで他地方から遅れていた色々な事柄について、猛スピードで追いつき、追い越すことになります。

産業革命を起こし、豊富なエネルギーを使って、良きにつけ悪しきにつけ物事をバンバン変えていきましたから。



そんな感じでこれからを進めますが、その前に背景でも描いておきましょうか。





18-19世紀、産業革命前、一番発展していた地域はどこかと問われるととても難しいです。

なにしろ「発展」と言ってもどの分野でどうポイントを割り振るか、そしてそれをどうやっても相対的なものでしかなく、なんだかんだで結局は印象でしかないわけで。



私の印象では、未だオスマントルコだと思いますね。

そして「中国」「日本」も未だに健在です。


19世紀、未だヨーロッパでは後年にまで使われる有用な発明は望遠鏡と楽器、チューリップくらいの中、他の先進国も発展しているのです。



ヨーロッパのケミカルの語源はアラビア語al-kīmiyā。

ヨーロッパで行われていた17世紀の科学革命は、結局ルネッサンスの延長とも言えます。

穿って考えると、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン、ヨーロッパの名だたる科学者が行った事は、アブー・ライハーン・アル‐ビールーニーの指し示した可能性を確認したこと、イブン・アル・ハイサムの体系立てた教科書を埋めていく作業だったこと。


と言えなくもない...ま、これは言い過ぎですか。

実際にそれらと渡り合い、正しいと認められ、未だに有用である偉業なのはヨーロッパの科学者達ですから。

ただ、普通にトルコ人も当時も口出していたり、発表していたりしてます。

ニュートンやケプラーが教科書に書かれ、古代のガリレオが書かれているのに、中世や近世が書いていないのに矛盾を感じたモノで。



医学でも解剖学と細菌学は飛び抜けてヨーロッパで発達したのは確かですが、、望遠鏡の発明に寄与したガラス加工、レンズは望遠鏡以外に顕微鏡の性能も影響受けてます、、実際に本当に西洋医学が東洋を抜き去ったのは1870年くらいまでで、それまでは東洋医学の方がよほど有用では?という良くコメント聞きます。


農業の方でも、四圃制まで導入した自分たちの技術に自信を持って、東南アジアの農業を発展させようと中途半端に改革しようとしたら大失敗したとか。


衛生、都市工学、製紙と言った工業、軍事以外はヨーロッパが飛び抜けていたとは考えにくいのが現状でした。

まだまだヨーロッパは先進国にはなりましたが世界一ではありません。




軍事の方は、

こちらは近世の戦乱から海軍の発展、ナポレオン、ヨーロッパが飛び抜けて発展したので相対的に低くなっています。


東洋、中国では相対的なモノだけでなく、絶対的にも低くなっているでしょうか。


日本は、世界有数の鉄砲生産地だったのが、包丁、鉄管、建材、平和利用に完全にシフトしています。

明治維新の頃、世界は後装砲のライフル線条が入ったアームストロング砲、カートリッジに入った弾、撃針のついた後装銃に対して、時代遅れの青銅砲、槍、火縄銃で対抗しようとしました。

どころか個人携行兵器としてはともかく、軍備としては役に立たない日本刀で攻めてますね。

逆行してます。


中国も、秀吉が攻めてきたときの鉄砲装備率にびびって、一瞬だけ増産しましたがその後は廃れています。

清の軍隊を描いた絵は、後代でも長槍持って整列してました。



オスマントルコについては、


たとえば兵器の性能は、工作技術と冶金術で決まると言われてますが。。。。零戦や戦艦大和だって、それが構成する優れた栄エンジン、装甲板、砲身の材質、溶接技術etcetc、これが確立してはじめて作れますから。


富国と強兵:中野 剛志


これによると15世紀頃のトルコ、ロシアが火薬の生産技術と大砲製造を独占し、その後に発展は止まったとなっていますが、じゃあヨーロッパではどう発展したのか?


「ぶどう弾(キャニスター弾)」というワードはヨーロッパの発明としてたくさん聞きますが、トルコ要塞の記録で、普通に榴弾を常用兵器の備蓄として定数が決まっています。

常用軍「イェニチェリ」が古い、頑張って「ニザーム・ジェディード」を軍を改正して作ったは見たモノのの時代遅れで使い物にならないとかコメントありますが、産業革命前後で混じっちゃってます。

普通に発展している逆説的な証拠では?


兵器的には同等か、むしろウーツ鋼で有名な優れた素材を持っていたわけですから性能が良いかもしれません。

希望的観測を無視しても、性能はまあ同等だったと思って良いでしょう。




しかしソフトウェア的には。。。


ロシアの南下で露土戦争が起こり負けており、ナポレオンにエジプトを良いようにされ、産業革命を見るまでもなく落日が見えてました。

制度も「国民軍」として真似ようとしましたが、政府がそのままで国民に「愛国」を強要するのは図々しい限り。

結局、内戦、反抗、中世の匂いがした不効率な工業、政体が近代化に重要なのは確かで、それをなかなか変えずに何とかしようとしてもどうにもならなかったようです。




ということで産業革命直前、世界はこんな感じになってました。


ヨーロッパ人は血を吐きまくって軍事的なもののうち、ソフトウェアを発展させます。

政体を民主的にし、「国民軍」を徴兵し、マスケットを並べ、大砲を並べ、騎兵運用も中世とは違う形で確立し、新たな三兵編成を作り上げます。


海軍も然り、

他はともかく、英海軍、仏海軍は肉薄、接舷、斬り込みなどは完全に辞め、戦列艦という多層甲板に大砲をできるだけ多く並べた、叩きのめす方針に切り替えました。

確かに陸とちがって、海戦に大砲は有用ですね。

接舷しなければ、いくら近くても飛び道具以外で反撃出来ませんね。

陸のように、犠牲を無視して斬り込めば日本刀でも何とかなるようなものでもないですしね。

技術的なブレイクスルーはなくても、海でも戦術ソフトウェアでは引き離し始めました。



それ以外、たとえば兵器の性能、それ以外はまだまだ。

ただしチューリップ戦争ではないですが、一方的に技術や科学を恵んでもらったり買う方ではなく、売る方にもなりました。

立派な「先進国」になりました。

全世界はヨーロッパから発する科学を尊ぶことになります。





さて、そんな状況の中、ヨーロッパで特殊な状況をピックアップしておきましょう。


そもそも重商主義にシフトした近世のヨーロッパ、中東、東洋から一方的に富を持ち出し搾取される立場だったヨーロッパは、例えば織物、例えばヴェネティアングラス、東方だと機械や工芸品とか、原産物では太刀打ち出来ないので製造物で一方的な持ち出しを避けようと努力しました。


そこで得たノウハウが分業制。

大量生産の元になる技術です。


尤も、これは世界各地で行われたことです。

室町時代の工場もそんなことやってました。

中国の製紙も分業制による大量生産です。

動力こそ使ってませんが。



しかしその中もヨーロッパ特有の工夫もありました。


ヴェネティアの時にすでに概念はあったのですが、規格化、標準化、公差、品質管理。


フランスが各種学校を設立するときに既にあったのですが、技術学校の設立とノウハウのマニュアル化、ネジや部品の互換性。


その技術でパリで5000人の労働者が30の工場で働き、1000丁/日の銃が生産されました。

そのノウハウを冶金も加工技術も優れた東欧に持ってっても、全く上手く行かなかったようです。

職人が優れているからこそ、規格化、標準化などばかばかしいと思うのでしょうか。

そういえば日本はWW2後まで、ノウハウは知っていても、概念の方が徹底的に駄目でしたね。




私も技術屋の端くれなので、しかも製造業に勤めていたこともあり、興味を持っていろいろ歴史を調べてみましたが、中東も、東洋も、日本も、生産技術、分業、設計その他はいろいろ面白い、優れているところをみつけて楽しみましたが、こういう概念はどれもヨーロッパに紐付いてます。


キリスト教-科学-学校・学会


この概念からしか、こういうものは生まれないのかもしれませんね。




そしてもう一つのトピック。


18-19世紀、ヨーロッパの製造、生産技術で大砲だけが飛び抜けてます。

トルコより性能が良い大砲を作ったという文献はありませんが、生産の面でトルコより飛び抜けていたという証拠がたくさん。

大砲の製造法についても、Googleにちょっと入力しただけでばらばらとWebページが出てきます。

特にフランスと英国が飛び抜けてます。


そして同時期、イギリス海軍は延べ344隻の船と103,660名の海兵を失ってます。

そしてナポレオンが敗戦したときの隻数は99隻くらい?


そして当時の戦列艦の火砲の搭載数。

120門艦、90門艦が主流のようなのでそれくらい?


英国海軍だけでも、たった数十年で少なくとも4万門以上の大砲を作ったことになります。



そしてフランス、アメリカで使用された陸戦の大砲数だと想像つきません。

12ポンドナポレオン砲という、たった1種類の大砲だけでも生産数2000門以上。そしてその装備率は仏軍でも30%以下、それ以外の大砲が、仏軍以外の国がその数十倍以上生産されている計算になります。



15世紀末期日本が世界最大の陸軍を擁していて、鉄砲の生産量も延べ数で数十万丁!

世界最強!!


と言ってるたった200年後に、ヨーロッパでは小銃ではなく大砲が数十万門生産されていたことになるのでしょうか。

 #はっきりした数字は見つけられませんでしたが


兵士も銃も、「当たらなければ数を用意すれば良い」という結論を、大砲でも既にやっていたことになります。





本作で


ヨーロッパでは分業が発達してて産業革命の芽は既にあったよ!

 ↓

何言ってんの!?そんなん世界中のどこでもやってたよ!


という話になるのかなぁと思ってましたし、一応結論はその通りだったのですが、それ以外の結論は想像の埒外でした。


確かにヨーロッパは18世紀初頭で産業革命の芽がありました。

他国に比べて桁違いの数の製造物を既に生産し、そのノウハウを得てました。


そして、そんな状況で産業革命が始まります。

結果として、「世界史」=「ヨーロッパ史」となる、何もかもが他国を圧倒的に引き離すことになります。


そんな話を次ぎ以降に。

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