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人間の歴史。  作者: TAK
ナポレオン
90/176

人口2000万人のフランスが総力戦を行い300万人が戦死する。死因:凍死、餓死

ようやく長い出張が終わりました。


やはりアメリカ人(中部)は話が早いので助かる。

日本人のように「XXっていくら?」って聞いたら「規則ですんで」と一週間かけてはんこ押して見積書を内容証明で送ってくるようなぐだぐだとは違うわ。


でもトランプ代表の蝶ネクタイはめるようなアメリカ人(東部)の経営者や、逆にクリントン代表口ばっかな惰弱アメリカ人とか、きっと色々問題あるんだあろうなぁ。

今度そっちに行かねばならないらしい。

snip!

何をもって?


という部分もありますが、フランスで、世界で最初の独裁政権が誕生しました。


自称)民衆が勝ち取ったフランス革命は木端微塵。



まあギャングの殺し合いみたいな政権争いで全然うまく行ってませんでしたからね。

民主主義が成り立つためには民度が必要。

まだまだ足りなかったようです。



あと、ナポレオンは「皇帝」「独裁者」なはずですが、なぜかフランス革命の延長、民衆の代表として尊ばれていたようです。

後代の私らから見れば奇異な感じですが、ブルボン家 VS ボナパルト家 で良いのですかね?

まあ、歴史を巻き戻しで見ている私らにはわからない何かはあるのでしょう。


混沌の世界では、そのぐちゃぐちゃを強引であろうと整理/解決する英雄はかっこよく見えます。

しかも似非な革命政府と違って、「軍事力」は間違いなくありそう。


フランス全土が彼を支持します。

ボナパルティストというへんちくりんな政治活動は全国的なモノ、どころかドイツやイタリア、東方までいます。

交響曲第3番変ホ長調『英雄』は、ベートーベンが彼を好きすぎて作った歌です。


混沌 VS 秩序

旧  VS 新


と考えると中身がどうあろうとそれで良いのかもしれない。

とにかく「英雄」は誕生しました。





しかし各国に大包囲された風前の灯のフランス。

王家の残党も元気で、積極的に海外から軍隊を引き入れようとしています。

内憂外患そのものです。

そしてナポレオンはそれを何とかするためだけに独裁者になったのです。

がんばって解決してもらいましょうか。




独裁者となっていろいろな改革をしましたが、一番大きいのは徴兵制度でしょう。

別に新規なモノではなく、スウェーデンを皓歯に各国でやっていることです。


それ以外にも全国的な税制度、行政制度の整備、フランス銀行設立で通貨と経済の安定、産業振興、レジオンドヌール勲章を創設、道路整備。


そして1804年の「フランス民法典」、いわゆるナポレオン法典で「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」近代自我を謳い上げたモノです。


どれもこれも当たり前なこと。

ただ先人がやろうとしたことを踏襲したことだけ。

むしろルイ16世がやろうとしたことかもしれません。


しかしギャングの殺し合いのような政党争い、強権が発動出来ない弱体な政府、ほっとかれる産業界や地方、そんな混沌とした世で、当たり前のことをやる強さと頭脳は何者にも代えがたい光であり、まさに英雄であったのです。


そしてその光は国民が政治参加する「国民国家」の理念に繋がり、国家の政治、軍事が王様と貴族のものではなく、国民自ら血を流して行うものであるという理念が生まれました。


「国民軍」の概念を作り上げました。



そしてその力で、今までフランスを食い荒らそうとした周辺諸国に牙を剥くことになります。


まずはマレンゴの戦い。

オーストリア軍に対して奇跡の勝利です。


フランス 23,000, 野砲24門 - 31,000, 野砲100門 ハプスブルク家


劣勢のフランス軍でしたが後退してオーストリア軍を誘引し、勝利を確信したオーストリア軍が前進する中、別働隊のドゼーが5000人で殴りかかり勝利します。

その後もウルムの戦いでウィーンを占領、アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリアに完勝し、オーストリアを完全に従属します。


その間にハイチを失い、トラファルガー海戦で負け、英国上陸を阻止されましたが、総合的にはナポレオンにとっては大成功でしょう。



ちなみにトラファルガー海戦はネルソンを一躍有名にしました。

そしてナポレオンの当時の戦争にとっては英国を諦めた以外は大した意味はありませんし、アウステルリッツで完勝したのでフォローもできたと考えられましたが、


・失った艦艇を取り戻し、再び制海権を握るのはとっても苦労する

・ナポレオンがロシアに手を出さなければならない理由は制海権を利用した貿易封鎖

・ロシア戦が耐え抜いた理由も海からの補給


そういった制海権/海運という概念に一考を投じたこと、ナポレオンの負けるきっかけ、英国が進む道標となった、歴史的には大きな出来事でした。





その後はイエナの戦い・アウエルシュタットの戦いでプロイセンを撃破。

長く続いた神聖ローマ帝国が滅亡、その勢いでポーランド、北欧も保護下に置き、ロシアも従属させ、イスラム (ギリシャ)、イギリスを除くほぼヨーロッパ全域を勢力下におきます。



まさに後年、ヒトラーが夢見た「ヨーロッパ帝国」でした。


ヒトラーと違ってここで攻勢から守勢に回り、安定化したらそのまま「ヨーロッパ帝国」になってたかもしれない。

なにしろヨーロッパ諸国が近代自我を持つ前、フランス以外はまだまだ「国民軍」の概念はないし、充分維持出来る可能性はあったと思います。



その場合は現代の煌びやかな、しかしちょっと人の幸せとしてはストレスがたまる世界は出来なかったかもしれません。

中世の延長、電気も工業も一応あるけど、今の世ほど殺伐とはしてなかったかもしれません。

ヨーロッパ史を「世界史」と呼ぶ世界ではなかったかもしれません。

歴史の転換点です。




しかしそれは永遠に失われました。


ヨーロッパは統一されることなく、

ヨーロッパ自体は群雄割拠したままま全世界がパイのようにヨーロッパ各国に切り取られ、

産業革命を起こして物質文明になり、中世や近世では考えられないエネルギーを消費し、人が必要とする以上の製品を作る不思議な経済世界がはじまりました。





この後、ナポレオンの凋落を。



まず制海権を持つイギリスが大陸封鎖、ヨーロッパの民衆は不満を募らせました。

フランスは逆に、英国を仲間外れ(ハブ)にして孤立させるつもりでしたが。


更にスペイン内紛に手を出して、それがかなり強引だったので農民を搾取されたことになります。


内乱、一揆が多発します。


そしてそれをチャンスと見た英国とハプスブルク家、第五次対仏大同盟を組み、フランスに対抗しようとします。


まずはスペインにアーサー・ウェルズリーを派遣して反乱勢力を支援します。


そしてオーストリア軍は臥薪嘗胆として、まんまフランスの軍政を真似します。

国民皆兵。



ブルボン王朝のアンチテーゼとしてフランス国民軍が創設されましたが、皮肉なことに横暴なフランス国民軍をアンチテーゼとしてオーストリア国民軍の自我が生まれたのです。


オーストリア国防軍は15,000人→24万人

ドイツ「国防軍」(Landwehr)は現代につながる強力な軍隊。




この後、「国民軍」vs「国防軍」の凄惨な戦いが始まります。


オーストリアのバイエルン侵攻をきっかけに始まったエックミュールの戦い、フランスが一応勝ちます。

フランス軍18万人、オーストリア軍20万人、犠牲者10万人。

投入戦力も、犠牲者も今までより桁が一つ増えました。


アスペルン・エスリンクの戦いで引き続き勝ちますが、こちらも10万以上の多大な犠牲。


フランス国民でさえドン引きする犠牲。

ヨーロッパ中で不満が吹き荒れます。

更にナポレオン二世をイタリア国王にするという、民主主義とは何だったの状態。


それ以外の戦いも全て10万単位の犠牲を出すことになります。



一応、英国を仲間はずれにして日干しにするつもりでしたが、ロシアがとうとうぶち切れ、フランスを無視して敵国イギリスと勝手に貿易しはじめます。

そもそも、英国が海上封鎖しているので貿易がスムースではなかった不満もあったもので。



誰かが破ると我も我もと始めます。

英国孤立なんて愚者の夢のような笑い話になりました。

フランス本国でさえ不満を募らせ、ヨーロッパが破綻し始めます。

ヨーロッパ統一は一瞬の夢でした。



そして、それを一気に打破するためにロシアに攻め込みます。

ロシアを従属国に戻せば、ヨーロッパVS英国の構図に戻せると思ったモノですから。



60万の大軍でロシア遠征するも、実は近代軍隊として初めての長距離遠征。

なぜか補給について、中世、近世の概念が残っており、現地徴発すれば良いやと進みます。

数が一桁二桁違うのにね。

村の食料全てが根こそぎなくなることになるのに。。。

案の定、大反感買いました。


ちなみに略奪じゃないですよ?

徴発はきちんと現地で購入することで略奪とは違います。

結構、横暴な値段な事多いですが。



しかし、さすがツァーリから続く命が安っすいロシア。

いつものように焦土戦術でロシア自身が自国までの通り道を根こそぎ廃墟にします。

徴発どころか略奪さえ出来ません。

誰もいませんから。



ポロジノの戦いで勝利するも、兵力は1/3、実に40万人が消え去りました。


こりゃたまらんと撤退するも、コサック騎兵の奇襲でちくちくと兵力を減らし、冬になって飢え寒さで減らし、生還できたのはたった5000人。


負けてもいないのにフランス兵は消え去りました。




後はついでのようなナポレオンの歴史です。


伝記とかではここら辺から退位まで、あるいはエルバ島に放逐されて戻ってくるまで、いろいろ詳しく書いて「ナポレオンの勝ったぜ、俺らツエー」的に誇っていますが、もう屈強なフランス兵はロシアの野で消え去っており、どうでもよい闘いだったりします。



1814年、オーストリア・プロイセン軍25万、スウェーデン軍16万、イギリス軍10万、フランス見習い、フランスの真似をして各国、桁の違う数の兵士を用意し、フランスを包囲します。



そしてナポレオン率いる軍隊も、ある意味桁の違う軍隊を用意しました。


わずか7万。

延べ300万人の軍隊は、ロシアとヨーロッパのどこかに消え去ってます。




3月31日、当たり前ですが首都パリが陥落。


ナポレオンはマルモン元帥らの裏切りによって無条件に退位。

地中海コルシカ島とイタリア本土の間にあるエルバ島の小領主として追放されました。


なんかナポレオン、皇帝になったときは解放者だったはずですが、皮肉なことにナポレオンを倒すための一連の戦争は「解放戦争」と呼ばれました。



フランスはこの後いろいろすったもんだがありましたが各国が勝手に決め、ブルボン家が後継に選ばれて王政復古がなされます。

が、民主主義で産みの苦しみを味わい、ナポレオンの元に国民軍が創設され、ナポレオンがいつの間になんか下らない王として君臨しようとしてたんでドン引きはしましたが、もう時計を逆回しにして今更ブルボン家に忠誠誓おうとは思いませんでした。


民衆に反感を持たれてナポレオン復帰、百日天下が起こりましたがもちろん潰され、とは言いつつ王国復活も諦め、なし崩し的に民主主義フランスが出来上がります。





ナポレオンは、英雄であり、侵略者であり、天才であり、破壊者であり、新たな時代を切り開いた開拓者です。

そしてヨーロッパ中を火の海にして、その死屍累々の残滓を遺したままナポレオンは去って行きました。

300万人の屈強なフランス男子と一緒に。

初音ミクコンサート、行く人いるでしょうか?


結構関わっているので、感想聞きたいものだ。

Spiderはもうお腹いっぱいで見たくないけど。

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