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人間の歴史。  作者: TAK
ナポレオン
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強者への道標

さて、前回はフランス革命のなかなかえげつない状況を書きました。

ま、「民主主義」とか「多数決」とか「正義」とか「平等」とか信用しすぎるとロクなことにはなりゃしないことは知っておいた方が良いです。




もちろん、私は民主主義の否定主義者ではないですよ?

機会平等というか、「皆がこうあるべき」と言う部分のエッセンスは必要でしょう。

そして皆で作った社会なら、誰でも何かしら恩恵を受けることは大事なことです。

だが、重要なのは中身。


少なくとも古代の王制から、王は民衆の顔色を伺いながら政治をやっていたという事実を知ったら、民主主義とは制度上の一形態としか見なくなりました。

暴虐の王など昔からいないのです。


アッシリアの王は暴虐の王ではなくて暴虐な民の王なのです。

アッシリア人がこうありたいという思った代表が王だったりします。

アッシリア人がこうありたくないという王が現れたとき、その王を民は殺せるのです。

単に歴史は、その教科書を作ったとき、近代以降の「暴虐な独裁者」をみて、古代の暴虐の王はこうだったに違いないと思い浮かべているだけ。




そしてなぜ近代以降に暴虐な独裁者が生まれるのを許されるのか、、、それは軍事力、兵器の発達でしょう。

トムクランシー「戦争のテクノロジー」という絶版本があります。


この本は、兵器の性能、新規性、特性、その他一切無視し、ただ人を殺せる性能だけを数値化しています。

私は昔コンサルやっているのですが、そのうちのOR (オペレーションリサーチズ)という手法ですね。


単純に言うと「サイコロで6が出る確率を知りたければ1万回でもサイコロを振って見よ」って奴ですね。


サイコロも工業製品なので、誤差も精度もあります。

それを形状、数値、振り方のばらつきや分布、重力、高さ、その他諸々を計算して正確な数字を出そうとします?

きっと偉い先生なら出来るでしょうが、そんな難しいことをやる前に実際ふってみたほうがよくね?という考え方。


コスト当たり、時間あたり、人数当たり、破壊力あたり、いろいろな数値の結果だけをまとめてみると...小銃だの拳銃だの悲しいくらいの殺傷力しかありません。

そしてその1000倍以上の威力があるのは機関銃、大砲。

意外なことに、最新の爆撃機でさえ核を積んでなければ負けます。

一人で何千人も殺せる兵器。

これがフランス革命前後の重要なポイント。


フランス革命、事件だけを見ると世界に何をもたらしたかを考えると「思想」だけに思えます。

しかし実はこの事件は、いろいろなものの引きトリガになっています。

それこそ、中世ののんびりした国家ではない何かの異分子が突然出現したきっかけとか。


ヨーロッパ型の軍隊が世界一になったこと、

民衆は独裁者を殺せなくなる武器が手に入ったこと、

それを活用する為に、多くの犠牲いけにえを捧げることになったこと


そしてそれを現代は「民主主義」と呼んでいます。






さて、民主主義ってなんでしょう?


言葉の雰囲気から察するに、民衆が主であれば良さそうです。

実際、そんな感じが定義となっていますね。

「人民権力」「民衆支配」「国民主権」

そんなワードが全てっぽいです。


しかし、日本は政体だけであれば「帝政」ですが、そんなん左巻きな人以外は忘れてますよね?

逆に北朝鮮のキムさん一家は形だけなら古代ギリシャ以上の直接民主主義で、国民一人一人が、直接投票して首長を選んでします。

国名も「朝鮮民主主義人民共和国」、一番民主主義っぽいですもんね?

立候補者がキムさんだけ、キムさん以外の人に投票しちゃうと銃殺ですが。



なので、今の民主主義の定義は「独裁ではない」「特定の人が権力を持っていない」と思って良いです。

民主主義はただの何かの否定です。

特定の定義は実はありません。



民主主義指数というものがわかりやすいと思います。


「選挙手続と多元主義」「政府の機能」「政治への参加」「政治文化」「市民の自由」


複雑ですが言いたいことはわかります。


それこそキムさんの国が一番駄目と感じれる定義ですね。


ちなみに上の指数でさえ曖昧です。

結局は定義出来てない。


例えば多元主義。

「自民党等という中庸政党が支持率のほとんどを持って行くのはけしからん」

でも中庸以外は革命前提の前近代的な共産主義政党。

日本以外の東アジアがスポンサーの政党

「戦争」「愛国」と叫ぶだけの政党。


でもこれは多元主義とは言わないわけです。


だって、主義主張が民主主義指数を後退させるようなものばかりですもん。


最近、「俺の耳心地良い意見を言う以外の国民は政党に参加するな!」って言い切る野党政治家やマスコミ多いですしね。


もちろん意訳ですが、論理だけ組み合わせると実はこう言ってる政治家多いです。

色々探してみよう!


ほんとに大学教育受けてるんですかね?

ま、普通の会社もバカばっかでえらそうに言えないので、仕方ないことと諦めるしかないですね。


何にせよ、中身が肝心。

民度とも言ってますが、民主っぽいなにかが重要で、その民主っぽい何かは独裁の否定から始まっており、民主主義政体などそれっぽい何かはどちらかというと独裁を民衆から欺すための装飾でしかありません。




ま、それがわかることは良い事です。

マスコミを権力者が握ったら、あるいは握ったら権力者になれる報道手段しかない頃は、結構「洗脳」「バイアス」「世論誘導」とかやばかったですから。

今はそういうの情報の独占は無理になってきました。



ナチ党ゲッペルスが逆説的に私らに良い指標を遺してくれてます。

そしてようやく我々がGoogleを使用出来ることになり、下のようなことが実感出来るようになっているわけです。


「周りが常識、良識と思っているところに旨味がある」

「だれもが耳心地が良い言葉を望んでいる」

「正義の味方になれば、だれもが容赦なくなる」

「あの人もやってますは安心させるための常套句。

 そしてそれを何人か信用させればいつの間に真実になる」

「犯罪はでかい方が成功しやすい」




そして上記のような「民主主義」はどのように出来たか?

世間ではまるでフランス革命が元祖的なことを言ったますが、上記になると嘘がわかります。


「選挙手続と多元主義」「政府の機能」「政治への参加」「政治文化」「市民の自由」


恐怖政治、逆らった奴は死刑、投票は何度もやり直し、民衆を誘導して自由な意見を言えなくする、踏み絵、リンチ。

この北朝鮮並みの政治を「民主主義」と言い切ったら笑えます。

そもそも「市民」とやらはブルジョアで「国民」のほんの一部ですしね。

民衆は尊敬しているルイ16世を殺されてムカつきまくりです。



じゃあ誰がヨーロッパの民主主義をつくったのか?


実は矛盾しているようですが、これはルイ16世のような王族が最初に認識していた、政治の行き着く先です。

...フランス王家を持ち出すのはいかがなモノかというのはありますね。

ルイ16世以外はクズでしたし。


でもアメリカが素直に民主主義的な共和制を導入したのは、最初の核が聖職者で、そしてそれと対等にお話しする本当の「市民」が単位だったから。

英国の清教徒革命しかり、教育を受けた人はなんとなく行き着く先は、制度ではなく「民主主義指数」を高めることと知っていた節があります。



モンテスキュー「三権分立」、

ルソー「人権宣言」、

ミラノ勅令やらマグナカルタやらで「信教の自由」


我々がフランス革命で民衆が勝ち取ったものは、この時点でキリスト教徒だったら当たり前のような考え方だったことがわかります。


アメリカの独立宣言、

イギリスのクロムウェル、


フランス革命はその意識を明確化したと言えなくもない。

フランス革命政府は、それを形だけ真似してむしろ「民主主義指数」は後退しているようにも見えますが。





なぜにヨーロッパだけがこのような動きが発生したのでしょう?


まず、それ以外の中世の大国が幸せだったのが挙げられます。



別に農奴や奴隷という制度があっても、それを極悪非道に扱うほどひどい生活はしていません。

むしろ能力のある奴隷は人気があったので 立場が上だったり。

農奴も出来る限り幸せにしたいという政権が続きました。


考えてみれば当たり前ですね。


飢えていないのであれば、優秀な人材は家畜のように働かせるより、よりお金になる仕事をしてほしいでしょうしね。

余裕があるなら、だれでもより大多数の農奴を幸せにしたいでしょう。

奴隷主も大儲け出来ますし。


そして、そういう制度をなあなあに過ごせたのがヨーロッパ以外の中世です。

そもそも人権だの三権分立だのといった体系を関係なく、それなりの人権意識で問題もなくすごしています。

失敗しちゃったら政権交代、民衆も、特に商人は言うこと聞きゃしねぇ、金持ってるし。



中国なんて、元以降、基本的に政権は変わってもほとんど民衆の性格は変わらなくなりました。

経済活動も、生活基盤も、ずーっとおんなじです。


日本なんて政権さえ変わりません。

というか、民衆にあわせて歴代の将軍は融通効かせます。


イスラムなんて、いくつもシャーだの皇帝だのいろいろ戦争していたのに気づきもしません。

千夜一夜物語アラビアンナイトの主人公は、そこにお姫様がいるかどうか以外興味なさそうです。

そもそも王様自体外国人でしたしね。

一夫多妻制の帝で、美人を外国で漁ってたら、いつのまに子孫は外国人の血統になってました。

教育程度が上がったら、ヨーロッパ以外の民衆は、適当に夜警国家になってくれればそれでいいや。

税金払ってるからインフラ投資は適当にやっといて!


どころか日本の大商人は、お金儲けすぎて反感買いたくないので自主的にインフラ投資を政府と関係なくやってます。

藩も政治的にどう位置づけるかはともかく、適当に産業発展させてます。

古代ローマみたいですね。

政府や国など、何となくの自分の価値観の枠でしかなかったわけです。


タイに日本人の遺伝子がたくさんある、インド人の天文学者の血統が中国やイスラムにいる、才能ある人は気に入らなければ国超えてます。

なんとまあ適当で幸せな世紀。





そんな中、ヨーロッパだけが特別です。

キリスト教のカソリックに元々内包していて、それを実現したのが18世紀なのです。



封建主義とは名ばかりの、部族の寄り合い所帯的な国々から、少しづつルネッサンスだの大航海時代だの経験し、ようやく国体らしきものが出現したので、キリスト教徒が理想とする「国」がここでようやく出来たと言えます。

その前は?

領主の寄り合い所帯的な感じ?


だって中世以前のヨーロッパって「騎士」以外知ってます?


城?

それは近世どころか近代。

どころか現代の別荘。


料理、食器、舗装道路、セーヌ川の町並み?

蒸気機関、銃、馬、大砲?


どれもどれも産業革命以降。


そもそも騎士だって、現代のかっこいい奴は物語か、近世で馬上試合か決闘でしかいません。


ヨーロッパらしさなんてどこにもないわけです。

ただの寄り合い所帯。

なんとなく神聖ローマ帝国と同じで、風習、土俗性だけ。


そんな中、ルネッサンスから脈々と吸収し、食糧増産が成功し、ようやく文明国になることが許されました。


イギリスらしさ、フランスらしさ、ドイツらしさより前にヨーロッパらしさがまず出来上がることになります。


あるいはカソリックらしさというべきでしょうか?

もちろんプロテスタント、イギリス正教となっていますが元の元はカソリックなので。




さて、では彼らキリスト教国の理想ってなんでしょう?


あまり明確なものではありませんでした。


でも、現代の考える「民主主義」「政府」のありかたはすべてキリスト教が内包していたものでした。

極論すると「民主主義指数」



そもそも、キリスト教そのものがローマ帝国にうまく入り込むために改変したユダヤ教なのです。

その時点でローマ帝国に逆らわないためにローマの民衆に耳心地のよい教義が入っていました。


カエサルのものはカエサルに→へたに政治に口出すなよ


あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい

→たとえ娼婦であっても仲間だ。大事にしろよ


そしてローマでミラノ勅令が発布され、信教の自由が唱えられます。

もっともキリスト教「も」信じるのは自由だぞという立場ですが。



そして、その依り代であるローマが崩壊していき、キリスト教が変質していってもその思想は変わらず残ります。



どころかヨーロッパの西側は先鋭化さえします。


東ヨーロッパ、直接のローマ帝国の後継、ヴィザンチン、というか国名はローマ帝国では中身はぼろぼろ、彼らは権威にすがり、宗教にすがり、キリスト正教を国教にします。


ただの王国になり、帝国とは名ばかりの小イスラムと同様な国家になって数百年かけて少しづつ枯死していきました。



そして東側が本流というコンプレックスを持ち、ありとあらゆる連中から見捨てられている西ヨーロッパは自分の正当性を必死にアピールしなければなりません。



他のアブラハムの宗教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト正教は預言者を排除し、ラビ(賢者)が審判者として幅を利かせるようになります。

だって新しい教えなんてお腹いっぱいですし、次から次えと教えを変えると馬鹿にされますもん。

宗教は歴史の重みでもあります。

長く続いたから偉いという一面がありますから。



しかし、西ヨーロッパのキリスト教徒の宗教家は司祭、法王、同じ賢者でも研究所、研究者としての方向性へと変化していきます。


西ヨーロッパの教育機関、研究機関が教会にしかなかったという西ヨーロッパの蛮族ぶりもそれを後押ししたでしょう。


自分たちの正当性を主張するために、明確に教えを解釈し、整理し、積み上げていきました。

科学者と同様、宗教家もその解釈だけで一生を過ごす職があったのが大きいです。


教会の派生である大学が、これらを整理し、科学と同様に思想として確立されていったのが12-18世紀の動きです。

カソリック、あるいはその分派であるイギリス正教、プロテスタントだけが社会の階層のあらゆる階層に、明確に生き方を定義できたのです。


そして、元々内包していたものを突き詰めた結果、他の中世国家が不真面目にラビを置き、宗教と政治をなんとなく整合性をとった弾力的運用をしていた中、西ヨーロッパだけがまじめに宗教国家を突き詰めました。


神の名を元にみな平等=基本的人権、民主主義。。


つまり道具としての王以外は特権階級など必要ないという結論になりました。


そして科学は自らのキリスト教を否定し、「科学」というものに宗教色を排除しはじめます。

18世紀は本当の無神論者、むしろ神を否定する科学者が多数いたのは皮肉です。

キリスト教会が極めた「科学」は「神は科学的ではない」と進み始めました。


本来、一神教を突き詰めたらそうなるんですけどね。

一神教は多神教の背反ではありません。

神が一つか複数かは問題ではありません。


自然発生した多神を否定することからはじまっているのです。

なのでその最後の神も否定し始めるのも自然なこと。

その場合、その高位の何かが出来上がっちゃいますが。


じつは仏教も同じです。

一神教を突き詰めると特権階級は必ず否定され、知識に神が排除されます(否定しているわけではない、その高みにおくことで排除されます)


しかし中世国家はそんな先鋭化は必要ありません。みな幸せでしたし

そんな研究より富を貯める方が価値がある。



西ヨーロッパだけが違っていました。


。。。そして、それがどうでも良い結果だったら何も起こらなかったでしょう。

西ヨーロッパはイスラムに席巻されて消えただけだったかも、

昔のロシアのように貧乏国で終わったかも。


しかし、それはどうでも良くなかったのです。

それら材料は世界を滅ぼしかねない強者への鍵でした。


フランス革命が作った最大のモノ、それは次回のメインテーマ「ナポレオン」


それはヨーロッパがいつのまに世界征服も可能なほどの強者になっていたことを証明しました。

そしてそれはいい加減になあなあで生きていく中世国家より犠牲を強い、誰もが不幸になるような劇薬でした。


それが「民主主義」「議会政治」

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