もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心がけるべし
18世紀になると、ヨーロッパがいよいよ先進国っぽい立ち位置に近付きます。
やはり大きいのは「科学」でしょう。
17世紀頃から「啓蒙主義」として、世の理を宗教と切り離して考え、自然科学的方法を重視しはじめます。
日本人的には自然宗教なので、現実を宗教に当てはめるのは当たり前のこと、イスラム教徒や仏教徒的には「それはそれこれはこれ」
あるいは仏陀の理解した「真理」と現実の間は別に説明したわけでもなし、中国になると太平道といった自然宗教的な考え方も入っているので特に違和感を感じません。
が、教会の理屈で全てが動いていたカソリック教徒(あるいはプロテスタントの一部)的にはありとあらゆる世界がひっくり返った感じですが。
特に科学者を中心に、極端から極端に走る人も増えました。
神などいない「無神論」というやっぱり宗教的なものが流行したり、聖書を歴史的な資料とし始めたり。
ローマの研究、ラテン語へのこだわりとかもこの時代の流行ですね。
この西洋人の科学者、博士とかかたくなに「無神論」にこだわる人とか戦後まで続いて世間と争ってます。
あとアインシュタインとかは凡神論とかスピノザとかにこだわってますね。
もうこうなったらユダヤ教でもキリスト教でもありません。
日本が西洋のインテリゲンチャに好まれる理由はそこらへんもあるかもしれません。
科学者が感動するほど日本人が優れているとかないのですが、西洋科学者が行き着く先のなんとなく「凡神論」を子供でも知っている。
この「神と自然科学は一体」的な考え方を日本人は自然に持ってますから。
我々としては、彼らの世界の理を考え抜いた末の悲壮感漂う無神論を言われても、そんな強い意志なんてさっぱりないんで困っちゃいますが。
まあその影響か、あるいは文明や科学を得るにはカルトからは逃げられないのでしょうか?
妙ちきりんな似非科学がとても流行します。
ペストは風呂が原因と16世紀頃から全面的に禁止されたり、ついでに入浴すると妊娠してしまうそうです。
中世は公衆浴場がそこら中にあったんですけどね。後退してます。
樹木、鳥、カップとか妙ちきりんなヘアスタイルが流行し、そのための髪の毛を固めるのは小麦粉...虱を飼っているようなものですね。
馬車がだんだんとメジャーになって、道ばたは人糞以外に馬糞までそこら中にころがって恐ろしいほどヨーロッパは不潔な地でした。
そして公開処刑が大流行?といっていいのか?
罪人が死んだ後、その肉片や髪の毛を競って拾い集め、お守りがわりにしたり、一大エンターテインメントが公開処刑って社会的にどうなんでしょう?
現在は「死刑廃止」ですが、これも極端から極端というか。
赤ん坊は生まれてすぐに包帯でぐるぐる巻きにすると奇形にならないという神話で新生児の約半分は1歳を迎える前に死亡
町の中には魔女、邪眼を持った人がいるそうです。厨二か!
で、何か不幸なことが起こったら、「そいつが邪眼持ちだ!」と罪のない人が処刑されたり、
医療もすごいことになりました。
なぜか聖職者が血に汚れることはいけないこととされ、中世での教会の医療行為が禁止されました。
で、床屋が治療をすることになりました。
体の一部を傷つけて大量に出血させる瀉血、ちなみに斬る道具は麻酔なしでのこぎりです。
体中に水銀を塗りたくる水銀治療、
絶対に治療されたくないです。
というか科学的には後退してますよね??
教会的にもどうなんでしょうか?
実際問題として、彼らは間違いなく中世からのインテリゲンチャ、人間の体の中身も構造も知っており、騎士と同じく医学行為も出来るは、その知識を扱える知性もしっかり持っているは、人を救える克己心もあったはずですが、その彼らが医療行為を拒否される気持ちって知りたいモノです。
いまでもヴァチカンに科学者達が集まっていますが、彼らは科学の発展を祈っているのでしょうか、信心を阻害していると思っているのでしょうか?
日本人にはわからん考えです。
ま、そんな世界、なんやかんやで政治学という科学も発展します。
啓蒙思想のひとつとして「自由主義」という言葉も流行ります。
内容は今と同じで良いかな。
「人間は理性を持ち従来の権威から自由であり自己決定権を持つ!」
かっけぇ。
現代でも通じる言葉です。
基本的人権、宗教改革の頃の「私は人間です」から大きく発展しました。
ただ、これは常には君主制・貴族制・神政政治の否定の道具だったり、直截な暴力革命を目論む連中の武器だったり、これを唱えたイギリス人「ロック」といった科学者の意と違って、正直日本にもいた学生運動の屁理屈屋っぽい人ばかり唱えることになります。
今と同じですね。
知識はその裏付けになる知性がないと醜い所業となる。
まあ民主主義(自由主義)自体は古い考えですからね。
古代ギリシアの直接民主制、・・・奴隷が市民でないからこそ出来る民主主義ですが・・は紀元前からやってます。
当時から疑問符がついていた政治体制ですが。
罪もない民主主義ではないというだけの都市国家を蹂躙し、
"Viva Democracy!"
と唱える行為はどうなんでしょうか?
当時から「衆愚政治」と批判している知識人多数。
案の定、民衆という責任のない連中がエゴイズムをむき出しにして早々にアテナは滅びました。
その後、「デモクラシー」と言う言葉は良い言葉と言うより、そのエゴ剥き出しで国を滅ぼす「衆愚」という民衆の姿を重ねて良い言葉とは取られてないです。
実際、その後のローマは共和制を取ります。
元老院という貴族ではないものの(名士ということだけが制限で、一定数ではあるものの誰でも入れます)貴族共和制的な政治体制を選択しました。
世界各国は立憲君主制が多いですね。
人間の屑にも思えちゃう「アッシリア」「アステカ」も含め、王国が生まれてこの方大抵の王国は「立憲君主」で王は法に従ってます。
意外に思うかもしれませんが古代からこの方、独裁国家であろうが、狂信的な国家であろうが民意は反映しようとするのです。
当たり前ですね。
民はいつでも王を殺せる。
王は民にいつだって媚び売らねばならないのです。
王権神授説の神だって、うがって考えれば民を従わせるための道具。
実は宗教もおんなじ。
かなりバッファもあるし、強引に見えますが、民意から離れたらその宗教は滅びます。
極端な話、中世の教会の医療行為がなくなった理由も民意。
「血は汚れているから聖職者は医療行為を行わない」という価値観や常識は、まさに民にあわせたモノ。
例えアホな理屈でもそうなんです。
今でもそうやって決まっていくことも多いですね。
ドイツなんて現代でも超危ない国です。
随分前ですがみんなが狂ったように「エコ」とか唱えた頃、怪しげだなあと思いつつ「やってみなけらばわかるまい」と自宅マンションに試しに太陽電池を入れてみたんですが、案の定散々でした。
どう計算しても、割に合わないんでよね。
だって電気って貯電するほうがよっぽどお金かかるじゃないですか。
けっきょく必要な時に必要な発電が出来た方が安いというのが本質的にあるんですよね。
身近なところだと自動車とか。
プリウスをエンジンで充電する時間と、それを放電する時間、その差と電池のコストを考えると、貯電ってただ発電するよりよほど大変なわけですよ。
火力発電所だって、最近一部はジェットエンジンなんですよ。
だっていくら廃熱だろうが燃料安かろうが、ボイラーで釜焚きして、お湯を沸騰させてタービン回せるまで時間かかると。
それより高かろうが、燃費悪かろうが、必要な時が来たらオンオフできるジェットエンジン(ガスタービン)の方が結果的に安くすむという。
電力を貯電するより、必要な時に多少燃料高くてもぶん回せる、普段は切っておける方が大事だったり。
そんな苦労しているのになぜかその逆行ってる太陽電池だけ特別扱いなのか。
それ以外も、そもそも使っている金属がよろしくない、立てた土地の下はどうすんの、その発電量とメンテの兼ね合いはどうなのとか、電力会社との接続とか、それでどれだけ電力量が助かるのかとか。
太陽電池のパネルの下の掃除って大変ですよ?
下にへんな苔まで生えてきて。
電気が流れるもののメンテも大変ですよ?
#でもうちのマンションは今でも動いています。
閉鎖独立システムにしたらお手軽超便利。
配線しなくてよいもの
太陽電池の旨味はエコではなくて独立性だと思います。
案の定、太陽電池で山死んだり、そのおかげで洪水になったり、畑潰して太陽電池にしてお金にならない欺されたとか、火事になったときに太陽電池で感電死怖くて消火活動できないとか。
ま、手塚治虫が書く漫画のようなわかりやすい世界を持ち出したら一度は疑った方が良いです。
漫画はエッセンスと意思と感動と素晴らしさだけを得ればよろしい。
ありがちな話はありがちな嘘がたくさんなので慎重に。
自然エネルギーなんていくらでもあるのにね。
地熱発電はかなりこなれた技術です。
アイスランドの主要発電手段。
日本がやらない理由は田舎のくだらない老害ども。
でもドイツ人やべぇ。
そういう失敗が10年前からわかっているのにまだまだ続けるわけですよ。
もう宗教みたいに。
原子力発電持ってるフランス人から電気買って。
そして
「ドイツは安い太陽電池買って大発展」
「移民で大成長!」
「ディーゼルはエコ!」
とかデータまでねつ造して。
その膨大な垂れ流しを続けて、ドイツ国民よく怒らないなぁと。
というかきっと民意なんですよね?
ディーゼルは地球に優しい、太陽電池はエコ、移民は正義。
そのままだらだらとお金垂れ流して最後はどうするんすかね?
そんなん何度も繰り返している国がドイツです。
ナチスも実は民意なわけですよ。
狂ったように見えても民意反映してます。
さてさて、そんな現実からいろいろな動きがあるのが18世紀。
ところで、私が政府というものを子供の頃に根源的に理解したモノは少年ジャンプです。
小学生の頃、両津勘吉が税金払いたくないと駄々こねたときに部長がやった紙芝居は秀逸でした。
「みんなが橋を作りたいと思いました。みんなが少しづつお金を出し合って橋を作りました」
もちろん漫画では両津勘吉、税金払いたくないと逃げまくり、ドタバタ喜劇で最後は大損といつもの話でしたが。
良い事書いてますね、
政府の役割はお金の徴収と利益の配分。
これが本質だったりします。
ビッグマンだか酋長だかリーダーだか呼ばれたかは知りませんが、人間に組織というモノが出来たときにその存在意義は富の偏在です。
一人一人は少ないリソースしか持っていないので、軍事力か労働力かお金か知りませんが、それを出し合って集中させ、何かを成し遂げ、その利益を分配すると。
もちろん、だからこそ本質的に行政に平等はありません。
だって役所の場所だけでも平等はあり得ないじゃないですか。
私が役所の窓口が遠いから近くにつくれとわがまま言っても出来るわけがない。
出来るとすれば、同じような利をもつ人が多数現れた場合です。
行政府は本質的に平等を目指すのではなく、最大多数の幸福を目指すモノです。
そしてそれを行うのが王か民主主義政府かは本質的には関係ないのです。
しかしその行動規範となる立法と司法は別です。
たとえ私が不利益を被るにしても、それは納得できるルールでありたいと思うわけです。
なのでこちらは突き詰めると欲しいのは「平等」。
「神の前では誰もが等しい」
これこそ、民意を反映した最初の文章かもしれません。
でも別な次元でそううまくいかないのが現実。
スケールが小さいのであれ多数決で良さそうですが、それさえうまくいきません。
金の卵を産む鶏がいたとしても、いつだってすぐにかっさばきたいと思う輩はいるわけです。
そもそも金の卵を産む鶏をかっさばくやつが本当に馬鹿かどうかもわかりません。
物語では「アホ」と決めつけていますが、もしかしたらかっさばいたら100倍の金がもらえ、かっさばなかったら明日から卵は産まなくなるかもしれないじゃないですか?
なので、全員が狩猟し、耕すのが一番お金を得る手段かもしれませんが、ちょっとそういったことがわかる知識人を置いてみようか、雇ってみようか、専門家を育ててみようか。
そんなことを考えるのも自然なわけです。
それが政府であり、教育機関であり、研究機関であり、軍隊な訳です。
そもそも統治者を選択するという手段、それが多数決が良いかどうかもわからないのです。
それが正しいかどうかの知識はどこから持ってくるのでしょう?
貴重な「耕す」「狩る」時間をそれに割くのはもったいないですよね。
もしか統治者の選択、それさえ長年それだけをやっていた政治のプロ、識者に任せた方が良いかもしれません。
それが王家であり、貴族であり、元老院であり、将軍だったりします。
こういった政治体制は現実や当時の価値観、民意から反映されてます。
ギリシャが直接民主主義なのも、市民全員が重歩兵、ある程度専門知識もある、ほかの国が民衆と呼んでいるのは全員奴隷。
奴隷は何も考えずに耕す、一部の専門知識階級を「市民」と呼んでそれを考える。その代表者が実行する。
ま、理屈はあってます。
ローマはより高度と言えます。
元老院が専門の知識を持つ。
でも世の中の移り変わりは激しいから、それになれる資格は「識者」というだけ。
世の中が変化して識者の定義が変わったら元老院のメンバも変わるわけです。
しかしなんだかんだで元老院でない民衆からダイレクトに政治を反映させたので、それが「護民官」
執政官は元老院だけを基準にせず、軍(執政官は本質的に将軍で軍代表)、元老院、護民官の各所から決められた数の人数を参加させ、反映させるわけです。
ヴェネティアも同様かな。
これが共和制。
他の国も民意を反映させるという点では本質的に同じですが「立憲君主制」をとってます。
王-大臣-貴族-地方官-民衆という単純なルートなので、共和制より反映は遅いです。
しかし、民衆が「農奴」だったりすると、まさに金の鶏を即座にかっさばくような教育程度なので(そもそも耕すために教育は必要ないので合理的ではある)これはこれという感じ。
もちろん、それがマヤだろうがアステカだろうがアッシリアだろうが、王が政治に失敗したら殺される可能性は高まります。
というか、多くの国では「王」は神に捧げる犠牲の筆頭候補で、殺されるのが商売というところさえある。
そして時代の流れで、民衆の価値観が「残酷」の定義が変わったり、商人というまた違った知識人ができたり、農業で必要な教育レベルが上がったり、それでいろいろ同じ立憲君主制でも体制が変わると。
封建主義とか入れ子の入れ子ですもんね。
ヨーロッパは国境線が固まるにつれ、公爵の領地は減っていきましたが。
しかし18世紀、この時代のヨーロッパはドラスティックにこの体制が変わります。
ヨーロッパ諸国は基本的に立憲君主制か共和制で特に困ってはいません。
なにしろ同じ立憲君主制だとしても各国、国情にあわせてます。
ロシアは暴君が民衆を好きなように扱い、焦土作戦まで要求します。
イギリスは王不在が多くて、立憲君主制は名ばかりに近くなり、共和制、しかも民主主義に近くなっていきます。
でも困ってなくても大きな蠢動がありました。
変わる方法は2方向。
一つは
民衆全員の知識レベルが上がるような国だったらどういうのが理想の体制?
もう一つ
鶏の腹をかっさばくような教育程度の民衆が「政治させろ」と要求してらどうなっちゃうの?
それが18世紀の大きな動き。
世界中の現代の政治体制が確立した時代です。
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「古代からこの方、国は民意を反映させている」
そんなことはないだろう。
あり得ないような国って現実にあるじゃん。
それが民意を反映させてるって何?
おまえ強弁すぎじゃね?
ご尤も。
とても民意を反映していない国って。
古代ならその場合は即座に王は処刑。
実は処刑された王が正しいよなと思うようなことでも。
しかし、ある時期からそれが出来なくなりました。
それが如実にわかるのは戦後の北朝鮮とかカンボジア
実はこれは二つの理屈で
「民衆は王を殺せる」
という図式が崩れているのです。
まず一つ目は「火力の増大」
私が好きな本の一つ
「戦争のテクノロジー」ジェイムズ F.ダニガン
もう古い本で入手できるかどうかは別ですが、ここに興味深いことが書かれています。
各種の武器を、その中身や使われ方、時代、テクノロジー、数とかを全て無視して人を殺せ「た」ユニットとしての「火力」というものだけを数値化した表があります。
最低単位が「小銃」で「1」とすると機関銃の数値は桁違い、大砲になると2桁違い。
大砲になると下手すりゃ航空機の爆弾とか核兵器より強力な殺傷兵器。
事実上、一番人を殺しています。
それを揃えれば勝てるかどうかは別問題ですが。
銃を持った歩兵は占領行為を行えますが、火力は悲しいほど少なく、銃以下の槍や弓はさらに悲しいでしょう。
そして機関銃や大砲は思ったより人は殺せるのです。
端的に言うと、将軍様か大佐かポルポトというのかわかりませんが、彼とその取り巻きだけで多くの住民を殺せます。
ギリシャの直接民主主義の極端な形を想像してみれば良いです。
「将軍様か大佐かポルポトとその取り巻き」だけの直接民主主義、それ以外が100倍いようが1000倍いようが奴隷。
実際、ポルポトの意思だけで170万人死んでるわけです。
もう一つは「報道」
ナチスドイツのゲッペルス
「嘘を百回言えば嘘でなくなる」
「娯楽の中に宣伝を刷り込ませ、相手に宣伝と気づかれないように宣伝を行う」
「宣伝したい内容を直接キャッチフレーズ化して強調・連呼せず、心の中で思っているであろう不満・疑問・欲望を遠まわしに刺激し暴発させる」
「もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心がける」
民衆が王を誘導するのではなく、王が民衆を洗脳する。
18世紀の凄惨な衆愚政治を科学的に方向を向けたのがこちら。
ナチスドイツは民意を反映させた政府と思っていますが、それ以降、多くの国家が彼らの弟子となっています。
日本の報道なんて、彼のまとめた報道のあり方を知ってから動きを見ると恐ろしいですよ。
クイズ番組、お笑い番組、報道のコメンテータ、彼らに一方向のバイアスをかけるべく鏤めています。
ただ、とっても手法が古くさいので、ゲッペルスの手法を知ってると如実にわかります。
多分、アメリカ政府とかはもっと巧妙にやってるのではないかな。
共産国家も古くさいまま杓子定規にこれを実行してます。
彼の忠実な弟子です。
この二つで、民意を反映していない独裁国家が存在できるようになりました。
眼鏡かけているだけで死刑、医者は死刑、英語を喋れるから死刑、子供を叱ったから死刑
大量虐殺を行った国家は軒並み火力が揃った19世紀以降です。
そして一方的な洗脳国家になると戦後。
皆さんが想像するような悪の国家は、戦後でないと成り立たないのです。
ナチスは民意を限りなく反映されてると思いますので除きますが、多分、悪の国家筆頭は毛沢東の中国政府。
彼の言葉で7800万人が死んでます。
ソ連は微妙ですがスターリンは2300万人。
ま、彼はロシアがピンチの時に虐殺して焦土作戦をした歴代の皇帝の最後と言えるので民意を反映していないかどうかは実は微妙ですが。
ポルポトさんや金さんは上に比べるとかわいい気がします。
悪の国家の図式はこんな感じ。




