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人間の歴史。  作者: TAK
近世ヨーロッパ
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日本、皇紀2600年とか複雑な気持ちになります

日本の建国っていつ?


と聞かれるとなかなかに複雑な気持ちになります。


「2600年前に神武天皇が~」


みたいなこと言われてもそのころは弥生時代で、しかも単純比較なんて出来ないけど他国様から言うと新石器時代とあんま変わらん微妙な立ち位置。

猫額な土地、峻険な山々、深く覆われた森、狩猟民族の天国、農耕民族の地獄、こんな土地を他国と比較してもしょうがないんですけどね。

そして世界最古の王家なのは間違いないでしょうが、奈良時代当たりから相当な冷い仕打ち、南北朝時代は天皇家は拒否され、応仁の乱でさえリーダーは「足利将軍家」の認識。

なんか公家が傘貼りして生計を立てていたというのは本当でしょうか?


織田、豊臣はいずれ日本のリーダーにと育てていたようですが、江戸時代の町民も末期まで自分のリーダーが「天皇家」自分が「日本国民」とは思っていなかったでしょうね。

なんとなく江戸時代で意識が醸成され、共有されてきたのはわかりますが。

下手すりゃ明治時代が日本の建国じゃあと思ってしまいます。




じゃあヨーロッパは?

というと、それも神聖ローマ帝国が文明国?ヨーロッパの中世がフランク王国以外まともな国として扱われたっけ?とか考えてしまいます。


「アメリカは歴史がなくてかわいそう」


日本やヨーロッパを考えると「んなことねーだろ」と思ってしまいます。

アメリカがアメリカらしい国としての共有は、ヨーロッパの各国が「俺は~人」と考え始める時期を考えると100年くらいしか差はありません。

そして、それは他国がヨーロッパを文明国と考える時期と同じ。

16世紀~17世紀がまさにそういう時期です。

別に日本もヨーロッパも「歴史がある」というほどの国家でもなく、出自があやふやで幻の歴史を勘違いしているだけ。

そして16-17世紀から今の教科書で言う「歴史」が始まります。

「日本人」「アメリカ人」「イギリス人」「フランス人」「ドイツ人」「イタリア人」「ロシア人」

こういう認識が生まれるのはこれからのこと。

そしてこれからたった100年ほどで、その歴史というのがすごい勢いで回り始めます。

「俺はフランス人」

「俺はドイツ人」

「俺はイギリス人」

間違いなく、その粘ついた感覚が身につき、それが力となるのです。







さて、世界中で貿易が主流になり、その対立も深まる中、ヨーロッパは多分に複雑な状態になりました。

まずビザンティンが滅び、そこをオスマン帝国が占領します。

いまトルコが中東なのか東ヨーロッパなのか微妙な立場ですが、その立場はここからですね。

ヨーロッパ諸国の中にトルコが自然に入るのは、イスタンブールが首都になってから。


オスマン帝国は地中海、紅海、インド洋だけではなく、カスピ海や黒海まで自分の浴槽になり、かってない力を手に入れるともに、本格的にヨーロッパと衝突することになります。

そしてその対立相手がポーランド・リトアニア共和国とロシア。

特に現代でもロシアとトルコは敵対している犬猿の仲、それはこの時代からですね。




対抗のロシアは、1480年にキプチャク・ハン国、モンゴルからようやく脱し、モスクワ公国として周辺のルーシー諸国を取り込みました。

そして後継者争いで弱体化しているカザン・ハン国、アストラハン・ハン国、シビル・ハン国を滅ぼしてかって北方のハーン国だった場所を占めることになります。


さすがモンゴルの末裔、かつモンゴルを併呑した連中。

今のロシアから想像できるように、このころから徹頭徹尾、乱暴者の国です。

そこら中に喧嘩を売り、そこら中に拡張し、バルト海沿岸のリヴォニア騎士団を無法にも蹂躙しようとして当時の強国達を呼び寄せます。


ポーランド・リトアニア、スウェーデン、デンマークと争いはじめ、しかもモンゴルの悪いところだけを真似したのか、1570年にはノヴゴロド市民数万人が虐殺した恐怖政治をします。

モンゴルの方は飴と鞭の「飴」の使い方も巧みだったんですけどね。


もちろんそれだけではうまくいかず、内乱多発、お家騒動多発、報復合戦、都市蹂躙。

彼らの皇帝ツァーリは恐怖だけをそこら中にまき散らし、他国を食い破ろうとし、自国も食い破ろうとし、血族も殺し合い、なかなかに陰惨な国となります。

そしてウクライナも呑み込み、いまのウクライナ問題につながる圧政を引くと。

そしてクリミアハーン国とも争い、それを通してオスマン帝国とも争い、殺し殺され修羅の国に。


皮肉なことに、北ヨーロッパ、ヴァイキング達の貿易路の通り道、ヴィザンティンの衛星都市であるルーシー諸国も取り込み、モンゴルも取り込み、なかなかの技術国、科学国でもあります。

WW2のT34戦車有名ですね。

どこよりも強かった戦車。


そして正直なところ、陸路が廃れまともな海も港も持っていないのでこの時代でも貧乏。

皇帝ツァーリだけがお金持ち、それ以外はその他大勢の農奴という評価し難い複雑な国となりました。


ただ、ロシア最大の武器を考えるとしょうがないかもしれません。

もう1600年の時点で既に何度も使っている「焦土作戦」。

敵と自分たちの間の味方を全てかっぱぎ、焼け野原にして相手を疲弊する作戦。

農奴や民衆などこの頃から使い捨てなのです。

WW2まで多用し、各国の軍隊を数十万規模で呑み込む冬将軍。

肥沃でもなく、人口密度が小さい、寒冷地ロシアのみ行える無敵の技。

民衆の命など確かに安そうです。







そしてオスマン帝国とロシア帝国というという2大強国を受け止めていたのがポーランド・リトアニア共和国。

ナチスドイツの頃のポーランドは弱者で蹂躙される印象でしたが、そもそもそれは時計の逆回し。

WW2前のドイツ人的にはウザくて怖い、強大なポーランドに脅かされているという意識でした。

16世紀前後でもオスマン帝国に続いてヨーロッパ第二位の領土。

そして文明の交差点でバルト人、トルコ人、サルマタイ人、スキタイ人、ゲルマン人、スラヴ人が元からすんでいる多民族国家。

ユダヤ人も堂々と受け入れてます。

逆にモンゴル侵攻の防波堤、トルコ侵攻の防波堤、ロシアからの防波堤、ドイツからの防波堤。

ここらへんも場所的な運命ですな。

そして文明的な交雑点で技術も高く、彼らの相手で政治的にもまとまっており、なかなかに強力な国です。


場所的に神聖ローマ帝国の一部的な扱いの蛮族でしたが、ローマに近い、トルコに近い、ヴィザンティンに近いとかでポーランドはいち早く独立国になりました。8世紀には既に名前が出ています。

そしてポーランド・リトアニア共和国は民主制、立憲君主制、連邦制の先駆的存在とかリベラルの人に賞賛されてます。

それが真実かどうかはなんとも評価し難いのですが、まとまって頑張っていて、先進的だったのは確かです。




そしてその西側の相手は神聖ローマ帝国という怪しげな地。

そこから三つの怪しげな連中が生まれます。


ひとつめ

ドイツ王、神聖ローマ帝国皇帝ハプスブルク家。


11世紀頃あたりから辿ることが出来る有力部族というか貴族。

ならず者国家のリーダーっぽい家が何百年もかけてヨーロッパ中に侵食していきます。

婚姻政策という気の遠くなるような世代を重ねて有力部族と係累になり、13世紀頃からドイツ王(ドイツは神聖ローマ帝国の一部をなす王国)となり、16世紀頃から世襲制の神聖ローマ帝国の皇帝となり(それまでは教皇の指名)、王族とどんどん縁戚を結びネーデルラント、ブルゴーニュ、スペイン王国、ナポリ王国、シチリア王国、ハンガリー王、ボヘミア王。

ヨーロッパ中親戚だらけ。

この家が尊ばれ、ウザがられ、ヨーロッパ中に権力を発し、調整者としても混乱者としても機能します。

WW1の悲劇はこういう考え方でがんじがらめになり、大戦争になったと言えるでしょう。

彼らがこれからの戦争の原因の一つとなり続けます。



ふたつめ

ドイツ騎士団

十字軍からこの方、民衆を搾取するならず者一団。

十字軍で功を得、イスラムから民衆を守り?ハンガリー地方やプロイセン地方に地歩を築いてます。

そして宗教改革前後のプロテスタントの蔓延を憂鬱に思った教皇からカソリックへの教化(という名の粛正)を命じ、大活躍します。

された方はたまったもんじゃないですが。

その後は和解し、オスマントルコと20世紀近くまで戦うことになりますが、まあ正直迷惑な連中と思ってしまいます。

結局彼らはポーランドに組み込まれたり、プロイセンに組み込まれたり、傭兵になったり。

ドイツ名物は「戦争」と言い切れるほどの下地と、常に後ろ暗い裏がありそうな国な理由はすでにここからある。




みっつめ

プロイセン。

ドイツ騎士団にいじめられた連中がむかついて反抗します。

ポーランド王と一緒になってドイツ騎士団に立ち向かい、プロイセン公国としてはじめてドイツにまともな国家が出来ました。

ルターの宗教改革からこの方、プロテスタントってよくわからない位置づけなのですが、はじめてプロテスタントの国家が出来上がります。

この頃になると、キリスト正教までプロテスタントと見られることもある、カソリックvsそれ以外の様相を示すのですが。


ドイツ騎士団も恭順し、ポーランドの従属国家としてプロイセン一帯を国とします。

はじめてのまともなこの国は、後のドイツの核となります。


ポーランドと同じく異民族やユダヤ教に優しい国家。

1939年あたりの国家社会主義の台頭はここまで原因は遡る。

ユダヤ人迫害、よく考えればユダヤ人がたくさん居なければできませんものね。

そして彼らがドイツにたくさん居る理由は、周辺諸国が冷たいし仕打ちなのにドイツとアメリカだけが優しかったから。

歴史はパズルです。

何が功で、何が因なのかわからんものです。




フランス

フランス王国になってから戦争、戦争、戦争、戦争、戦争、戦争、戦争、戦争。

ヨーロッパの真ん中の一等地、ヨーロッパで唯一の国らしい国。

イギリスと争った後はオランダと一悶着あり、イタリアというか教皇領と一悶着あり、北方にも手を出し、スペインと一緒に周辺諸国にウザがられ。

ただ世界が重商主義になって、フランスが一番の被害者かもしれません。

お金さえあれば戦争が出来るようになり、そして「フランス」という古代から唯一続いている国家。

とっても借金が出来ます。

戦争のたびに傭兵を雇い、戦争を仕掛け、雪だるま式に借金が増えていきます。


フランス王家、なんかFXで溶かした廃人みたいになってきました。



スペイン

太陽帝国と呼ばれ、絶頂期。

しかし戦争、戦争、戦争、戦争、戦争、戦争。

イタリア戦争、コムニダーデス反乱、八十年戦争、モリスコの反乱、レパントの海戦、英西戦争、フランス・スペイン戦争、アルマダ海戦、三十年戦争、ネルトリンゲンの戦い。

フランスと違ってお金持ちだったので借金漬けではないですが、衰退しまくり、いつのまに小国になってます。

戦争は良くないですね。




イタリア

ぐっちゃぐちゃ。

スペインの愛人的な立ち位置で、ドイツのパトロン的な立ち位置なので、カソリックとプロテスタントの争いでスペインとともにいっちゃいます。



ということで、ヨーロッパでロシア、ドイツという国の先駆けが出来上がり、既存の国であるフランス、スペインがちょっかい出しつつお金を無駄遣いしつつという感じ。

そして今まで無視してきた、そして国だかなんだかわからない状態で無視されるのも同然なイギリス、北欧諸国が飛び込んできて、オランダ、イタリア、ドイツのぐっちゃぐちゃの状態にちょっかいをかけてきます。

平和な他地域をよそに、そのぐっちゃぐちゃ状態のヨーロッパ諸国は争い続け、さらに追い打ちをかけるように疫病も蔓延し、そして日本におくれること100-200年、とうとう近世の軍隊を本格的に手に入れます。

ただし、日本が作り上げた近世軍隊とちょびっとだけ違います。

それはなんというか、少しネバネバした情緒のようなモノがおまけとしてついてきて、それは悲劇がもれなくついてくる形になりますが。


次はそんな感じの話を。

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