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人間の歴史。  作者: TAK
近世への道筋
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騎士の権威

さて、教会の権威が失墜し、その親玉が危うくなったら当然子分である騎士も少し危なげな立場です。


そもそも、すでにけっこうボロが出ている部分もありました。

たとえば1139年、インノケンティウス2世が召集した第2ラテラン公会議で、ボウガンのキリスト教徒への使用は非人道的として禁止する教令が出されました。


なんかぬるいというか、戦争に


「ちゃんとルールを守ろうね♪」


がそもそも如何なものかという部分もありますし、


「じゃあルールを守るキリスト教徒としか戦争できないね♪」


という悲しい現実があるのが何ともですが、そしてイスラム教徒やモンゴル人には見事に通用してません。



ようするに騎士なんて槍ぶすまや弓ぶすまで簡単に撃退できちゃうのです。


重装甲で騎乗し、その重い装備のままに槍で突撃チャージ、果し合いとしての剣による決闘、戦術のお勉強、騎士になるためには一生かけて訓練する必要があるのです。

それを誰でも使えるボウガンで崩される兵種。

教会が保証し、聖なるものと崇め奉らなければ「アホ」の代名詞です。



ついでに、それを聖なるものと崇め奉い特定の身分として教会や王が褒美代わりに名誉としてあてがうと、身分の売り買いが始まります。

ドイツ騎士の黄金時代は13世紀と呼ばれますが、それはは一種の貴族としての性格を強め、王や教会が特権階級として特典を与えるようになります。

ちなみに北欧との通り道として職人が定着し、プレートアーマーが唯一造れる工業先進国としてお金儲けする時期と同じです。

防御力が絶大になりましたが、チェーンメールでさえ大変な機動力が最悪になります。

他国で大活躍している、たとえばモンゴルの重騎兵でもせいぜい鎧は胸甲騎兵なのに、何考えてんだか。

そして、そこまでしてもボウガンは騎士を撃ち抜けます。

ただ、とてもかっこいい。

とくにヘルメットのデザインはとっても工夫します。

こうやってお金儲けするわけですね。

今も昔もブランド力が高いドイツ人。

そういえば最近、


「なぜ日本人はポルシェやベンツなぞというはったり車を気に入るのだ。日産やトヨタの方がええ車だろうに!」


と説教されました。

言われてみればその通りかも。



敵を倒すための身分から、名誉階級としての傾向が更に強まります。

将来、ビートルズが女王陛下から騎士の称号をもらいますがそんな感じ。


そして、冷静に考えれば、戦術は突撃チャージと一騎打ちのみ。

つかえねぇ~


重い鎧と徒歩の従者でのたくた歩くので戦略的な機動性は皆無。

 #戦略的...まあ三日以上のスパンで軍隊を

  どう考えるか程度とお考えください。

  鎧の準備、手入れ、食べ物、輸送、そういうものを

  含んでの機動性。

  戦術的になると、装備整えて全部準備出来た後に

  どこまで馬と一緒に動けるかという単純な機動性


敵の側背を突くほどの戦術的な機動性もなし

鎧の手入れから部品の調達、整備するための油も必要でしょう。

ついでに入浴やら下着やら。


もちろん、今までこういう兵種が存在できたというだけで、それが意味ないとは言いません。

どころか馬も人も槍も鉄の塊、それが轟音立てて追いかけてきてぶっ叩かれるのは恐怖でしょう。


でもそれだけとも言えます。


それこそ文明国のイスラムにはたちまちそのメッキが剥がれ、軽弓もった奴隷たちに矢をパカパカ撃たれただけで崩壊する。

文明国でない日本人にも勝てないでしょう。

ヨーロッパの騎士でないモンゴル重騎兵でもびびらない狂戦士バーサーカーである武士も、落ち着いて日本刀で馬を斬り、落馬した騎士の鎧の隙間を狙って冷静に殺害する根性が武士にはあります。

というかモンゴル騎兵にそうしてました。


そんな破城槌のようなすごいけど使いどころが難しい兵種。



そういうボロが如実に出たのがイギリスとの戦い「百年戦争」。


新参者のイギリス人、北欧人が

~不信心なので、一応カソリックですがどこまで信じているのやら~

がヨーロッパの戦争にちょっかいを仕掛け、教会に盲従しているわけではないので


「みんなルールをまもろうね♪」


もどこまで信用できるやら。


そんな戦争です。



戦争のきっかけはくだらないこと。

教会の失墜とも関係あります。


100年戦争の「100年」は、ヴァロワ朝フランスと、プランタジネット朝&ランカスター朝イングランドとの対立が100年以上続いただけで、実際の戦争は間欠的で年がら年中戦争していたわけではありません。



原因はフランス王朝の後継者争い。


ずーっと続いていたカペー朝が途絶えて、


「従弟の俺が継ぐぞ!」


「いやいやはイギリス王であるわしの方が血は濃いぜ!後継者は俺だ!」


てな感じで後継者争いが始まります。


まあ中身は実際の物語を見ていただく方が楽しいですが、注目する点は二点。


一点目は1346年クレシーの戦い、アジャンクールの戦い。

フランス騎士の突撃をイギリスの長弓部隊ロングボウが撃退した有名な話ですね。

訓練された騎士が弓兵に叩きのめされる。

まあ、有名ですから詳しくは申しません。

ただ皆様が誤解している点を一応トピックとして挙げておきます。


どこぞの歴史書の


ボウガンより優れた長弓ロングボウTUEEE!!」


は嘘ですから。

別に長弓なんてアフリカ原始人も使っていますしグンマーも使っています。

ボウガンの方が威力も連射も優れていますから。とは言い切れませんが、それは作りの問題ですから。

ここの注目点はこんな感じですかね。


・イギリス王は国民に狩猟の趣味を強制したこと。


・その何十年スパンで育て上げた民衆に、

 安い長弓を与えて、安く強い兵士を作ったこと


・単純な攻撃力という点ではフランス騎兵、

 フランス弩弓兵ボウガンの方が優れています。

 注目点は戦争の専門家、訓練された騎兵、弩弓兵が

 ただの民衆にあっさり敗れたこと


・そもそもロビンフッドはそういう物語。

 ただの弓が得意な義賊が王や王女を盛り立てる 


なんにせよ、一生かけて訓練した専門兵士が民衆に敗れる..こんな騎士の在り様では当たり前ですが..引導を渡した事件といえましょう。

フランスはイギリスに対して圧倒的な科学力、人口、兵力なのに負けてしまいました。



二点目はジャンヌダルク。

こちらも有名です。


1429年4月29日、ただの小娘であるジャンヌダルクはオルレアン防衛軍と合流して次々と包囲砦を陥落させ、

イギリスを打ち破り、撤退させてます。



・農民の無学な少女が神の啓示を受けて聖女となった?

この真実はわかりません。

が、ジャンヌダルクが魔女となり処刑された後も名誉回復を望むものが非常に多かったことからして聖女に従った人は多いでしょう。


・彼女は敬虔なキリスト教徒であった。

これは真実。

というか、この敬虔さ、ストイックさで協力者が多数でき、そのおかげでただの小娘がオルレアン防衛軍と合流でき、シャルル王太子の片側に居られたのです。



・ジャンヌダルクがそもそも身分が高くて強力だった。

これも真実はわかりませんが、彼女の身分が低くても彼女を聖女に仕立て上げて侍らせることは有効だったでしょうから低くても問題なし。

ちなみに戦場での役割はほぼ旗持ちでした。

勇敢なのは確かですが強かったのはないでしょう。


・ジャンヌダルクは悪い教会に騙され、王大使やフランス貴族に疎まれて殺された

それもないんじゃないかな。

あくまで予想ですが、数年たって彼女を庇う理由がなくなってしまっても名誉回復を望む人達が多数いました。

数百年後のナポレオンまで彼女の救世主っぷりを利用しようとしました。

フランス人は基本的に彼女に感謝し、救世主という認識だったのはどの時代を巡っても確かだったと思います。



じゃあなぜ彼女は火刑というキリスト教徒にとっては最悪の形で殺されたのででしょうか。

ここらへん「歴史を逆回しで見るな」という観点であれば実は整合性が取れます。


彼女がフランスの救世主であり、聖女であり、信奉されていた。


はあくまで結果でそこから始めるのではなく。

彼女はそもそもキリスト教徒であり、どう戦って勝ったか




当時の戦いがキリスト教徒同士であり、イギリスが強かったのは禁止された弩弓兵のかわりに長弓兵を使ってルールの隙間を縫って(破ってはいない)勝っていたというところにあります。

これは一応キリスト教徒に則っています。


そしてその戦いの中で突然、戦い方がわかっていない異分子ジャンヌダルクが介入してきたと。

ギリのルール則っていたイギリス軍に対し、全くルールを守らないやつが現れたと。



当時のキリスト教徒の戦い方、あるいは貴族、騎士、傭兵といった戦争を職業としている人たちから言うと

「ド外道」


そういえば、

「日本にモンゴルが攻めてきたとき、日本人は名乗りをあげて武士の流儀を守っていたのに、モンゴル兵が外道にも無視し、苦戦した。」

なんてそんな伝説がありました。


もちろんそんなのは嘘っぱちで、既に日本の武士こそド外道だったのがわかっちゃいますが、フランスの場合、まさにそういったド外道をやっちゃったのがジャンヌダルクだったのです。



欧州の国々というのは、どこの王族もみな大体親戚です。

なので、別の国の王位継承権を持っている王なんてのも珍しくありませんでした。

親戚同士なので、徹底的に殺したりというのはありません。


そこに、戦いの日時も決めず、流儀も守らず、聖女であることを盾に全部無視してぶっこんでいく。

しかも戦争は商売で、身代金で儲ける騎士や傭兵達に殺し、殺害、虐殺、とにかく空気読まずに突っ込んでいったのです。


そりゃまあフランス人にとっては国家の存亡、生き死にの問題だったので「聖女」「救世主」として崇めてもおかしくないのですが、第三者としては如何なものか?


そもそも山越しで下賤な農民が雅で拠所無き王大使の横に侍ること自体、その当時のルールから言うと不遜なわけです。

ヨーロッパで王権神授説的な細い理由で民衆に威張っていた王たちにはたまらんものがありました。



ジャンヌダルクが処刑されたのは、当時の価値観から言うと、まあ「あり」なのは確かです。

後年から時計を逆回ししてみた場合は「聖女」を殺したとんでもない行為ですが、当時の価値観を積み重ねれば、キリスト教徒的には悪でもありました。


いえ、当時からして微妙な境目でした。

それは後から様相が変わってしまった戦争でわかります。



その後の戦いは以降フランスに有利に戦い、イギリスを追い落とします。


1453年、百年戦争でフランスがイギリスにとどめを刺すカスティヨンの戦いでは騎士は将軍/指揮官でしか存在せず、1300人の騎乗兵(騎士ではない)の前衛部隊、自由射手(弓の訓練をする代わりに租税を免除された民兵)、民兵、弓兵、臼砲、大砲、小火器、塹壕。

騎士の突撃などイギリスもフランスも欠片も考えていません。


戦争の主流は傭兵とそれを率いる指揮官が主力となりました。

まさにジャンヌダルクがその境目をぶっ壊してしまったのです。

騎士が何千人集まってこちゃこちゃやるより、ジャンヌダルクが600人ほど引き連れたならず者の方が強かったと。



当時は既にプレートアーマーなど飾り以外の何物ではなく、騎士は軍事の専門家としての頭脳労働者か、箔をつけるための勲章か、失業者や職がなくて堕ちた賊か、あるいはドンキホーテのように過去を追い求める懐古主義者でしかありませんでした。


その後、19世紀までお城は建てられ、プレートアーマーは生産され続け、インテリアとして飾りつけられましたが実戦を体験することはありませんでした。


騎士道を保つための決闘は、当時は全く使わなかった、実戦では役立たずの小剣か、ピストルがメインとなりました。



そして騎士など身分制度以外には存在していない16世紀に「騎士道」の物語がベストセラーになりました。

その中の騎士は、道徳的で略奪や強姦などもってのほかなことになっていました。

実際は騎士の勝った報酬そのものが略奪や強姦でしたが、そんなものどこにも書いていません。


なぜか「ロマン騎士道」なる言葉が出てきました。

騎士はレディを崇拝し、保護し、心の中だけで愛する存在として登場し、レディはそれに対して慈愛を与えるものとなっています。

そもそも女性に貞淑を求めるのは、性病が流行する近世までは聖職者以外はそれほど強烈ではありません。

むしろ中世の前半は男女の出会いはお祭りと、日本と大して変わりません。

処女信仰も近世になってから。

そもそもそれにこだわる宗派が多いプロテスタントが、ロマン騎士道と同時代なこと自体、偶然ではありまえん。

「ロマン」「騎士道」は後から作られたものです。



そしてその100年後の17世紀、セルバンテスの書いた物語『ドン・キホーテ』はそもそもそのパロディです。

騎士道なる、過去どこにも存在していないものを揶揄ったものです。



そして現代でそれを真面目に語るアメリカのミュージカル『ラ・マンチャの男』は、そのパロディを真面目な悲哀としてつくりなおしたもの。

どこにも存在していなかった事実は忘れてます。


じつはパロディをパロディではない物語と重ねてしまった入れ子で複雑な事情の物語になっています。

帝国劇場でみると面白いですが、そういった背景と併せるとより面白いかもしれません。


騎士は、騎士がいなくなった時、高潔になったのです。

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