近世への道筋
モンゴル人が去った後、しばらくは中東、中国が中心となり、その真ん中をハーンの末裔?達が仕切るという状態が続きます。
まあ、何が中世かという部分もありますが。
1600年くらいまでが中世と呼ばれています。
もっともそれはヨーロッパ人の定義で、極論するとその他地域はヨーロッパ人が来るまでが中世と言えなくもない。
なにしろみんなが幸せなんで大きな改革はおこりませんし。
いろいろとイベントはありましたが、まあ中世なんでその年表と関係なく人々が幸せに生きてます。
一言でいうと、ユーラシア大陸とアフリカ大陸はイスラムだらけ!
それにタタール人という民族でもないばらばらな集団が補完している感じ。
そもそも、モンゴル人が作ったたくさんのモンゴル帝国の官僚たいていはイスラム人なので、それがたとえば明になろうがロシアになろうが、ティムールになろうがあんま関係ないです。
イスラムなんて、そもそもイスラム商人の理想の国がモンゴル帝国なので、それを参考にイスラムを作り変えても何ら問題なし。
モンゴル人が去っても変わらず中世は続きました。
一応、そのころの世界を描いてみましょうか。
・アフリカ大陸
相変わらず暗黒大陸です。たぶん人類誕生の地、いろいろあったとは思いますが。
もっとも、文明の発達した中東が接触することで少しづつ歴史が見えています。
エチオピアでは古代のキリスト教と、新しく流れ込んできたイスラム教を融合したザグウェ朝、ソロモン朝の存在が確認されています。
「大都」という強大な都市と、そこから送り込まれる世界中の船と商人は、イスラムと看板を替え、アフリカ大陸に出まくるようになりました。
もっともそれでも中央部、南部が広大で暗黒すぎる感じですが。
東沿岸部もイスラムの貿易圏内で、スワヒリ文化圏と言われる何らかの文明、 国家があったとのこと確認できます。
家は昔ながらの茅葺屋根、農作物はアフリカ圏のタロイモ、家畜は牛とかインド圏、お金持ちやモスクはイスラム風の石造り、ハイブリッドな生活をしています。
ちなみに船はキャラベルに比すべき大型船(50トン以上)です。
インド洋と昔から貿易していたので、それが自国オリジナルか、他人の技術を盗んだのかはそれなり高度な文明でした。
正直、ヨーロッパより船舶・海洋工学は進んでいます。
なにしろ大型船の竜骨を作る技術は文明の一つの通過点ですから。
西沿岸部もイスラム教のおかげで少しづつわかってきました。
こちらは昔からのサハラ砂漠を通る地中海との貿易のための陸路があったのですが、北アフリカがイスラム圏になると同時に、こちらとの貿易の状況がわかるようになったという感じです。
ニジェール川、チャド湖を中心とした青銅器文明「エシエ文化」からイスラムと融合したカネム・ボルヌ帝国、あるいはガーナ帝国?マリ王国といった現在に続く国家が出てきました。
なのでここらへん一帯はイスラム圏
暗黒な中央部、南部は全然わかりません。
が、バヌゥツー族の広がり、ヴィクトリア湖周辺の状況証拠から相当発達していたと思われます。なんせ人類の発祥の地、歴史の長さが違います。
しかしながら、後にヨーロッパ人にコンゴとして紹介されるまでは教科書では暗黒大陸です。
あと、グレートジンバブエとか金鉱等の鉱物資源で多少痕跡が残っています。
こちらもバヌゥツー族の痕跡です。
サハラ以南の北から南までたいしたもんだ。
こちらもヨーロッパが後に接触するまで謎の国ですが、 バヌゥツー族がいろいろ生活していたと思います。
・中央アジア
ハーンの末裔たちが台頭してます。
その周辺諸国は超気を遣ってます。
人口が少ない、気まぐれ、まとまりがないというのも相変わらずですが現代戦の教科書になるほどの運動戦、突破戦、都市包囲戦闘に長けた力は相変わらずです。
ついでに科学、諜報といった技術、政治力も。
ここらへんの周辺は、それを利用したりされたり、気まぐれに国をつくったり等々
ロシアは後にロシア帝国の前身であるモスクワ大公国が存在してました。
モンゴル人に政治的に禅譲し、モンゴル人の力で周辺諸国を平定しました。
ま、もともとは貧乏国家でしたが、東ヨーロッパであるスラブ人の国、正教のご本尊であったヴィザンチンが滅びたので脚光を浴びたとかいろいろあったので、のちに世界を恐怖に陥れる(が相変わらずどんくさい)
ロシア(ソ連)が産まれますが、このころは当然ぱっとしません。
中央アジアは長らくモンゴルの末裔そのもの、あるいは末裔といえないまでも文明を継承した者たちがシルクロードの旨みを長らくちゅーちゅー吸います。
チャガタイ・ハン国、ティムール朝、イランイラクで中東に迫るまで強国として長い間支配をします。
ちなみに、モンゴル人は宗教は原始キリスト教でしたが、イスラム商人を官僚として重用したので、自然にイスラム圏の一つとなりイスラム教を習ってます。
そういえば中国西部のモンゴル人末裔の村は仏教でしたね。
まあ役に立てば平気で改宗しそうなのがモンゴル人。
後にヴィンラディンが潜伏するような地となりますが、歴史の大半は騎馬の民で現実主義者の中心でした。
そのあとは今までの恨み百倍にしてソ連に吸収されるので後々は不幸な地となりますが、当時はそれなり幸せかな。
むしろ征服されなかった南部がその後紛争の地で悲惨な目に。
・インド
ガズナ朝、ゴール朝といったイスラム圏です。
いまのインドらしいヒンドゥー王国はもう少し後ですね。
四大文明を誇る割には歴史の表舞台にはなかなか現れません。
中世が終わる直前に「ムガル帝国」と呼ばれるインド統一国家が出来上がります。
実はティムール帝国(モンゴルの末裔)の親戚が王族なので、モンゴルの広義の意味では末裔です。
そしてその後イギリス人にカモにされます。
ヨーロッパの近代はこの国の麻薬で作ったようなもの。
・中国
もう一方の主人公ですが、意外と地味かな。
「明」が出来ましたが。
親分が紅巾党の末裔です。
その後、「清」ができます。
女真族の王ですが、じつはモンゴルともつながってます。
イギリス人にカモにされます。
ヨーロッパの近代はこの国のお茶で作ったようなもの。
・東南アジア
こちらもイスラム教圏。イスラム商人はそこらじゅう顔だしてます。
のちにヒンデゥー圏と骨肉の争い。
その後に悪名高い東インド会社としてヨーロッパから搾取されるまで続きます。
宗教紛争、植民としての搾取、日本が解放するまで、あるいは解放した後も不幸な地として続きますが、イスラム圏のうちはそれなり幸せの地でしょうか。
もっとも後にタイとして続くアユタヤ王朝だけは元々は仏教圏(尖がった小乗仏教)で、ベトナムであるクメールを吸収してそれなりの地歩を築きます。
モンゴルもあっさり跳ね返す。
モンゴルのおかげで貿易が発達し、モンゴルが消え去った後も中継点として美味しい思いをして幸せな国です。
第二次世界大戦もれっきとした独立国。
あっけらかんとしている国民性なので、西洋文明に席巻されたいまは将来性以外はぱっとしませんが
・日本
後に太平洋を席巻する強大国になりますが、このころは弱小です。
モンゴルのおかげで政権が維持できなくなり、モンゴルに比すべき超唯物的で現実的で強力な北条政権が倒れます。
もともと中央集権では無理な国土なのに楠正成とかむりくり 中央集権にしようとしてして疲弊します。
皇族、公家、このころは武士に嫌われてます。
元々ぱっとしない足利政権ができた理由は、あいつらよりまし程度。
大して強くない軍事力、経済力、政治力で、それでも仕方ないんで粛々と足利政権が続きます。
室町時代初期は元寇、そのごの政権崩壊、戦乱で平安時代以下に国力が下がり、結構不幸な日本国民だったと思います。
しかし、後に太平洋を席巻する国力が、ここで熟成されることになります。
なんったって国土が広くて肥沃で、四季折々、耕地面積は素のままだと少ないが耕せばいくらでもお金が手に入る。
そして火山国なので本当の意味で「黄金の国」「銀の国」
しかも人口が多い。
国民の教育もしっかりしている。
これで強くならないわけがない...といかないのが歴史の不思議
・アメリカ大陸、ヨーロッパ
次の主人公になりそうなので端折ります。
「ゲームオーバーはもうすぐなアメリカ大陸」で描きましたが、アメリカ大陸はもうすぐゲームオーバーです。
ということで、モンゴルが去っても中世が続きます。
アメリカ大陸とヨーロッパのみが浮いている状態で、それ以外はイスラムを中心に世界中が商業を楽しみ、富を増やすことを楽しんでいます。
戦争はそれなり続きますが、そもそも「運動戦」がメインで、これはせいぜい小競り合い程度。
ビゼンティンは滅ぶし、イスラムは征服戦争を相変わらずしているし、クリミアタタールがロシアを何度も蹂躙し、さらに恨み骨髄で逆をやらかし、南アジアも争いの地、地中海やらそれなり大規模な戦争がおきているので
「小競り合いとは何事ぞ!」
な感じですが、その後に続き戦乱の時代を考えるとかわいい争いです。
なにしろその後は大殺戮の時代が来るわけですから。
「近世ってなんですか?」
とされると、教科書ではこんなことが書いています。
東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス・宗教改革・大航海時代あたり(15世紀~16世紀前半)から、
市民革命・産業革命の時代の前あたり(18世紀後半~19世紀初頭)まで
そういう定義話ではないところでは
ヨーロッパ人はルネッサンスからフランス革命あたりまでとされることが多いです。
日本は安土桃山時代と江戸時代のこと。
中国は明朝、清朝
イスラム国家は、15世紀あたりの強力な常備軍と火器を備えた時代のこと
それぞれで一見あやふやです。
しかし、ここら辺中身を見ると結構ヒントが出ています。
「フランス革命あたり」
「安土桃山と江戸時代」
「強力な常備軍と火器が」
更に私も出してました。
「極論するとその他地域はヨーロッパ人が来るまでが中世と言えなくもない。」
となるとあやふやながらもヒントが出てきました。
「フランス革命あたり」
「安土桃山と江戸時代」
「強力な常備軍と火器」
ここで共通しているのはイスラムに書いてある「常備軍」と「火器」。
フランス革命後、ナポレオンがまさに徴兵して常備軍を作り、マスケットを使い始めました。
安土桃山時代に信長が常備軍を作り、火縄銃を使い始めました。
そしてイスラム国家は続くのに、彼らはマスケットと常備軍で中世と近世の区分を分けています。
そして「極論するとその他地域はヨーロッパ人が来るまでが中世と言えなくもない。」
これは逆に、マスケットと常備軍の洗礼を受けるまでといえましょう。
始まりの方は更にあやふやですが...
ここで言葉のあやふやさが多分「ルネッサンス」
本当のルネッサンス活動が12世紀からイスラム国家の文化を吸収したことですが、そうではなく14-15世紀あたりの王家や貴族が主導とした文化活動だと思います。
いわゆるロレンツォ・デ・メディチ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロとか。
安土桃山時代が足利時代と異なるのも、「国」という国家意識が生まれ、泥田で戦うような小競り合いの戦いがなくなる頃ですね。
イスラムもいわゆる中世のあやふやな軍隊ではなく、「常備軍」という明確な国家意識がないと生まれないものを作り上げたと。
..すいません。
やっぱりあやふやですね。
でも終点がわかりました。
「常備軍」「マスケット」
これを中心に中世と近世の境目を探れば次の時代の役割がわかるようになります。
私の知識で、近世の役割はこちらです。
「ナポレオンが大戦争を起こしてヨーロッパ中を壊滅状態にすること」
この戦争は数百万単位で兵隊を死なせるような大きな犠牲を強いる戦争でした。
それは中世では起こりえないような行為です。
それこそモンゴルがおこなったような時代をひっくり返すような所業。
そして中世と近世の境目ははっきりしていないこと、
ヨーロッパ人が言うような15世紀ではなく、12世紀でも実はルネッサンスの萌芽があったように、こういったナポレオンの軍隊がある世界を作るための欠片を探るのが
「近世」
がわかることなんだと思います。
以降はこんな感じで続けていきましょう。




