はじめての中国
モンゴルが絶大の力を持ったのは中世になってからです。
古代までは人口増加や商業の立ち位置で、それが戦力になるほど人口は増えない。
逆に近世以降は、中世と違って明確な国境線と防御が基本になっているので、強さはそのままでも、比較系で化け物じみた力はない。
ただ「もしも」というのが許されるなら、騎馬民族がそのまま世界を席巻した場合の世界というのを見てみたいという気持ちはあります。
確かに「無敵の騎馬軍」というものは有効期限があるものの、それ以外の彼らの力も充分あります。
その現実主義、科学力、金融のセンス、商売上手、宗教にとらわれない物質主義、そしてなにより人生と楽しみを知る彼らに世界をつくらせたらどのようになっていたのだろうと。
そのヒントらしきものは「元」と、その後の中国の歴代国家群です。
国民党、共産主義といったくだらない政府になるまでは、中国はそれは雑多で面白い国でした。
上海とか香港とか、あるいは現代の台湾か?
イギリスが海に出なければ、イギリスの力の源泉であるインドが存在しなければ、その面白い国はまだまだ続いていたかもしれません。
これらヨーロッパ人が作ったように言われますが間違いです。
このような都市はヨーロッパ中探しても当時ありません。
逆に「元」の後の中国はそういうものが延長にあるような楽しい都市でした。
商業で自由に国を跨いで商売する都市というのは、どこであろうと面白いのです。
雑多で、アンモラルで、元気があって、誰でも夢が得られる街。
退廃的?
そういう街が本当の退廃に向かうことはありません。
こういう都市を批判するのは、悪い意味で「委員長」みたいな連中です。
自分の想像力のなさとうまく行かない不満を他者に攻撃することで満たす連中。
私はアメリカ人以外のヨーロッパ人をあんまり信用しません。
まさに現在のそういう立場ですからね。
アラブ人にぶん殴られている状態をみて「ザマーミロ」ですね。
日本もくだらない「委員長」、いやいやどちらかというとやくざより性質の悪い自称「優等生」か、「ざます」おばさんか、そんな連中に仕切られる時代が来ないことを祈ります。
なにせ世の中の悪徳と呼ばれるものは、それがゲームやらアニメやらおたくやら、酒、たばこ、ギャンブルまで、私は世の中の合法的な「悪徳」を全て愛しているもので。
人に迷惑かけない限界まで悪徳しまくるつもりです。
話が外れました。
モンゴルでしたね。
今回はその、みなが想像できる楽しい楽しい中国人、
今の「人生を楽しめない」「くだらないことにうつつをぬかす」「くだらないヨーロッパを追いかけるくだらない国」中国人ではない頃の中国です。
自分たちが「漢民族」と思い込んでいて、それは頭が良くて、実力があって、功利的、しかし情があり、どこかで国や家族に忠節を近い、中国を愛している。
「中国人は、必要とあれば恩人のいる国へ容赦なく核ミサイルのボタンを押す。しかし義務を果たした後は命を賭けて恩人を助ける」
ちょっと彼らの本質をついてます。
良い悪いはともかく、私の友人な中国人はそんな感じです。
そしてそんな中国人の気質はモンゴル人がつくった事、それは現代の中国人に認められるものなんですかね?
何にせよ、「秦」「漢」からはじまった、非常に強力だがどこか泥臭い農業国家、それを払拭したのがモンゴル人の作った「元」です。
前回書きましたが、モンゴルはお家騒動です。
すでに3代目からキナ臭い匂いがしていたのですが、4代目から如実に大きくなりました。
というか、そもそもモンゴル人の弱点ってとってもわかりやすいです。
家族や仲間は大事だけど血統なんて全く大事にしない。
享楽的で実利的で実力主義。
自由奔放。
すぐ飽きる。
損得勘定に聡い。
そもそも、モンゴルの最大の敵はモンゴルです。
モンゴルの征服事業がとん挫した理由は全部上のどれか。
西方征服がとん挫した理由は、2代目の代替わりの時。
ポーランドのドイツ騎士、住民を大虐殺した後、
「二代目死にました。クリルタイ開催しまーす♪」
「うぃーっす♪」
ヨーロッパ人が「我が誇る聖ドイツ騎士団がモンゴルを叩き潰した!」とかいう内容の真実はこれです。
日本やベトナム征服をあきらめた理由は
「あいつらひつこい、面倒くさくなったなぁ」
「いんじゃない。死んだの朝鮮人や中国人ばっかだし。やめ、やめ!」
まあ日本征服の最初は征服中「宋」を孤立させるための作戦でしたし、無事「宋」を占領出来たら終了ですけどね。
#本当に日本は黄金国だったので
二回目も結構本気だったらしいです。
金融政策。経済の話で。
実際、後年で日本は金融政策で中国の為替を
操作したりして迷惑かけてます。
実際の話、
「シャングルだからできなかった」
「島国だからできなかった」
「馬が動けない場所は苦手」
半分本当ですが、本気になればどうだったでしょうかね?
だって、騎馬が通用しなくても、豊富な経済力、作戦能力、科学、頭脳、実際インドとか中東やウラル森林地帯、朝鮮半島、騎馬が苦手な場所もきちんと突破してますし。
物質主義者で資金力合って人材豊富。
これだけでも十分強いです。
そもそも元になったら巨大船が行き交う一大海運国、海軍国になりましたしね。
しかし、モンゴル人の敵はモンゴル人。
3代目からの継承で大いに躓きました。
そもそも、モンゴルの継承は末子継承です。
単純に牧畜と考えると、財産よりノウハウや経験。
長子から順番に独り立ちして、残った末子に残りの全てを託すのはまあ妥当かなあと。
そしてなにかあったらクリルタイ。
部族集めて話あい。
見れる範囲の部族だけで、しかも隣部族は地平線の遥か彼方にいるような広大な草原で。
まあ牧畜やっているだけならそれでも良いかも。
しかし、それを歴代二位の世界帝国でやっていくのは...
ヨーロッパも日本も、こういうことにとても気を使ってます。
しかも家の単位で細かな取り決めも。
たとえば私の家は長子相続、女系もOK。
神職からの家なのでこういうことが許される。
商家とかもそうですね。
実力主義で女系が活躍していたらそういうこともありです。
たとえば天皇家は男子のみの相続。
複雑な家系かつ長く続けるため、+他家の血での権力争いを避けるためとかなんとか。
確かに女系とか認めちゃうと、他家どころか他国に乗っ取られかねません。
逆ですごいのはイスラム国家群。
男性のみの相続ですが、ハーレムがあるので王家のみほぼ外国人。
というか全世界からハーレムの名だたる美人を連れてきたら、その子孫を歴代重ねるとほぼ外国人ですね。
誠に国際国家であるイスラムにふさわしい。
日本もかなりの名家が「養子」を高い順列に置いたりします。
日本は人、子供より「家」が重要なので、その墓守役を無能な長男に継がれるより、しっかりした養子に後継がせた方が良いとかあるので。
血の継承はぶっきりになるけど、それはそれでありなわけです。
いろいろと世界中がこういう事に気を使ってます。
兄弟平等なんてやってたら財産なんてたちまち失っちゃうわけです。
しかも土地とか分けて細かくされたら意味はないわ、ある法人としての代表さえ失われると。
だってある意味、「家」「血統」って幻じゃないですか。
一族が従う理由を見つければ良いわけで理屈じゃないわけです。
そしてその理屈は事実、スタンダートより、従う理由の方が重要なのは当たり前のこと。
なので「天皇家に女系を認めろ!」「男女差別!」とか別な理屈を政治的に画策する連中はほぼ乗っ取りを画策していると思った方が良いです。
親分の共産主義国が血の継承やってるくせになにやってるんだか。
ハプスブルク家やデーン家には文句言わない、天皇家には文句を言う理由ってそれ以外あるわけないじゃないですか?
根拠がないからこそ守るルールってあるんです。
で、他の国がその地の継承にとっても苦労してルールを作るのに、モンゴルは全くないわけです。
歴代二位の超国家の継承者が牧場主の後継者を決めるのと同んなじ感覚。
なめてます。
案の定でした。
クビライハーンはそういう曖昧な家で、一生懸命中国(南宋)侵略を続けていました。
とても粘り強く、チベットを占領、朝鮮半島を占領して包囲し、南宋の貿易相手を脅して孤立させると。
日本侵略もその一環です。
なかなかに粘り強く、したたかに巨大帝国を締め上げてました。
だが多方面の軍団に比べて浮いてたというのもあります。
兄であり、親分であるモンケからいちゃもんつけられるし、他の連中に「飽きた~♪」といった声で結構立場なくなりつつ
そんななか、一番中国征服に理解なさそうなアリクブケが次代の第一候補になっちゃいます。
そしてその継承の根拠が「末子」「クリルタイでの話し合い」だけ。
私でも「やっちゃるか!」と思っちゃいますね。
クビライハーンはやっちゃいました。
クリルタイをぐちゃぐちゃにし、名だたる部族を籠絡し、のんびり血の継承を待っていたアリクブケをさしおいて継承者になっちゃいます。
そしてそれに怒ったアリクブケ内乱が起こりますが、中国という超大国を手玉に取っていたクビライはアリクブケをあっさりと下しました。
ちなみにアリクブケ、別に負けてもそのまま部下になってクビライハーンの下で活躍します。
このドライさもモンゴルらしいというか何というか。
そして中国征服事業を本格的にします。
まあ戦いはホントの物語を見ていただくとして。
いつも通りの征服の仕方です。
全体的には運動戦。
拠点を少しずつ中国を包囲する方向に移しながら、根拠地から敵地を走り回ります。
野戦では騎馬使ってちくちくちくちくと。
逃げれば追い、追われれば逃げ。
都市攻略では孤立させて偽情報流して士気を削ぐ。
降伏は寛大に、逆らったら焼け野原、イスラム人の科学力も大いに使って鉄壁な都市も攻略されていきます。
そして中国全土で運動し続けることで敵はいつのまに首都の臨安以外は失っていると。
運動戦でも首都攻略はしなければなりません。
南宋も大層頑張ったようですが、河川の治水、新兵器、降将、外交による孤立、情報遮断、ありとあらゆる手管を行い、降伏させたのは1276年。
もちろん雄々しくたたかった南宋の将を大いにたたえながら占領しました。
とうとう世界の雄「中国」を下します。
今までの占領地に比べて、限りなく価値のある場所。
なんせ、ほとんどの時代世界の中心、「中」心の「国」。
クビライ、もうお腹いっぱいだったのでしょう。
一生かけた夢でしたし。
そして歴代二位の超大国にそぐわない継承ルールに加えて、とうとう引導を渡しちゃいます。
元々アリクブケの乱以来、中央アジアのオゴデイ家とチャガタイ家、甘粛方面の諸王、いろいろと疎かにしていたことも含めていろいろと対応が必要になっちゃいました。
その答え...いきなり4つに分けやがりました。
一応連合国家の体をなしてはいますが、いきなり分かれるだろうなと誰もがわかるような状態。
そして案の定そうなりました。
その後、いろいろと内乱や継承問題が起こる度に散り散りになっていきます
さらにその細かな国家も跡継ぎにこまりません。
なにせチンギスハーンだけで子孫が何百人いるのやら。
やりまくってましたからね。
あーあ。
世界歴代二位の超国家は、もうこの時点で消えてなくなることは予約済みになりました。
そしてその通りに消えてなくなってしまいます。
ただの帝国が生まれ、その帝国さえ消え、いまは伝説と子孫と想いだけ。
その代りと言ってなんですが、その高度な文明、国家は目を見張るものとなりました。
世界的にはこれの方が良かったかもしれません。
そしてその代表が「元」
クビライハーンが高い能力の全てを注ぎ込んだ国。
その高度さは目を見張らせるものがあります。
かっての中国を統治した不合理な体制ではなく、合理的な機会主義者であり、技術も統治方法も意思もあるクビライは究極の中世国家を作りました。
首都である大都(北京)はいままでにない巨大都市であり、大工事で強引に作った運河はかっての農業国だった様子はない、世界中の富をあつめるハイウェイとなり、ユーラシア大陸全域に貿易網を張り巡らせた終着駅が「大都」(現代は北京)。
庶民の生活も、いままでは高価か、あるいは店頭にはない文物、食材が、流通し、産業も農業から商業にシフトし、軍隊で培った情報インフラは国家全体で根本的には農民で田舎だった中国を激変させます。
ついでに国民意識の合理性も。
皇族の行脚よりも飛脚を優先させる合理性は、その後に根本的に中国に宗教観や産業、政治の考え方を変えさせます。
モンゴル人が中国を去ったあとの中国は、後代の共産主義まで、カルトな宗教は二度と力を持つことはなくなりました。
当時の前と後の文学を見るとその雰囲気がわかります。
ヨーロッパのルネッサンスが、この地、この時代の中国ではモンゴル人の手で行われたことが想像つきます。
現代の日本人感は、実は短期間の江戸時代に醸成されているように現代中国人が想像している自称漢民族の特徴は、実はここらへんで定着していたのです。
世界中に散らばるしたたかな商人である中国人は、べつに本当の漢民族である農業な雰囲気は全く感じません。
漢民族を標榜し、モンゴルや満州を統治しているつもりの現代の中国人には許しがたいでしょうか、ある意味、その後の中国の繁栄はクビライがつくったといって良いでしょう。
その後の大都市、首都「大都」はそのまま「北京」として使われ続けることになりますし。
中東まで含めた、人が自由に行き来できる安全な国家、周辺諸国も連合国なので争う必要はない平和な体制が続きます。
世界中はパクス・タタリカと呼ばれる繁栄を享受します。
ユーラシア大陸の連中がいまだにチンギスハーンを支持していることがこの繁栄さが半端なかったことが想像できます。
こうして、世界の中心「元」が突如世界の中心に出現したのです。




