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人間の歴史。  作者: TAK
中世の日本
47/176

中世の日本?

私は、この年になるまでに10回転職してます。

一応、本当に嫌になって辞めたのは一回だけ、それ以外は求められるままに転がる石のようになのであんま抵抗もなかったのですが。



そんな中、一回だけ...正確には二回か?まあいわゆる電労連の会社に入ったことあります。

私は家電など作ったことないのですが、仮としてこんな感じ。


「次の商品どうしよっか?」

「冷蔵庫にパソコンくっつけてインターネット冷蔵庫はどうでしょう?」

「お、それ以外新しいアイデアない?じゃあ良いね?それでいこう!」

「さすが事業部長!僕もそう思っていました!」

「私も、私も!」


で、やっちゃうわけですよ。こんな203高地なアイデアを。

....冷蔵庫なんてコンタミ通り越して陳腐化になっているだろう。

黙って同じ性能の冷蔵庫を安くするか、信頼性高めるか、そのままほっかむりして売り続けた方がよくないっすかねぇ?


で、私は無駄にコミュニケーション能力あったので関係者全員に聞くわけですよ。

全員「僕もそう思うよ!」


でも変わらないわけですよ。

だって自分の会社の勝手に決めた、勝手ルールに則ってないから。


・ひとつ、売り上げは常に上向きじゃなければならない

・ひとつ、X年毎に商品はつくらなければならない

・ひとつ、カタログは常に新機能を唱わねばならない

・ひとつ、マーケティング資料はつねに3年5組でなければならない

・ひとつ、商品は常に夢がなければならない

・ひとつ、リスクは最小限でなければならない


...ばっかじゃなかろうか?

だって、上は全部会社都合でしょう?

市場や、ユーザー、そんな外の事を全然考えていないでしょう?



売り上げがどうこうなんて商品性か景気で決まるものだし、年毎に作るかなんて市場のニーズが第一だし、新機能があると儲かるかなんて内容によるし、3年で元が取れるかどうかも商品性と市場の問題、そして夢があるから商品作るんで逆じゃないですよね?で、夢を詰め込んだらリスク出ますよね?


で、その問題を上から下までみんな知ってるわけですよ。

私よりよほど頭良いわけですから。


でもこれ変えるとすごく面倒なんですよ。組織的に。

本質的に日本の組織は減点主義なんで、変えて失敗するリスクより、変えないで評価変わらずの方が楽なわけです。

で、どんどん底辺へ突き進むと。

けっこう能力高い人多いのに...


え!?私!?

もちろん、2-3回は改善試みましたが、それ以降は「ですよねー」と同調してモグラのように黙り始めました。

だって余計なこといって「空気読めないやつ」扱いされますやん。

ずーっと潜んで、どうやって勝ち逃げするかばかし考えていました。






まあくだらない話をしましたが、兎にも角にも日本の平安時代は中央集権を維持した連中が上のようなことをやり続け、減点主義で邪魔な奴を蹴飛ばし続け、最後は実力者「武士」に逃げられちゃいました。


それでも公家を中心とした中央集権政治は変わっていません。

源頼朝が鎌倉に逃げようが、別に公家たちの荘園経営がなくなっちゃったわけでもないわけです。

経営基盤、軍事基盤は全く変わりません。


しかし、自分たちの経営する場所以外は誰も言うことを聞かなくなりました。

自分たちが内にこもって好きなゲームをやっているうちに、周りには誰もいなくなってしまいました。

そんな話が鎌倉時代、室町時代。




さて、とうとう日本は封建主義になりました。

清盛、あるいはそれ以前の奥州藤原氏から既に幕府がありましたが、それが全国津々浦々まで浸透したのは鎌倉幕府が最初。

1192年に源頼朝が征夷大将軍に任官してからと言われます。

まあこれ以前から平清盛の反抗勢力をまとめているので、徴税権も含めて、権力はとっくにもっていましたが。



本来「幕府」は中国の制度で、緊急時の軍政ルールです。

征夷大将軍(鎮守府将軍)が非常時に行政及び軍事を行う行政機関を「幕府」と言います。


が、すでに平安時代は白江村の戦い、さらに内戦で疲弊しまくっているのではじめっから緊急時のルールで好きなようにしていたのが奥州藤原氏。

それでも藤原氏は外戚なのでまあまあ良いでしょう。


次にやったのが平清盛。

こちらも自分が外戚になろうと四苦八苦してましたし、まだまだ朝廷の権威を認めていました。


しかしとんずらした源頼朝、こちらの方は朝廷などほぼ気にかける気はなくなりました。

一応「任されている」という形式はありましたが。

全国の守護を任されているというだけで、それにまつわる権力以外は持っていなかったはず。

実際、院政の時の荘園は手つかず。

が、そんなの極小でどんどん存在感をなくし、以降に朝廷が政治に顔出すのは江戸時代末期です。




この時代、日本の立ち位置はどんな感じだったか?


まあ端的に言うと野蛮な弱小国です。

当たり前ですね。

山がちで森ばかり、各地は分断されて人口集中地帯がない、食糧増産がままならない、古代の科学レベルではとても肥沃にはなりえない地でした。

一応、周辺諸国は「大国」と認識していたのですが、おどろおどろしい状態。「羅生門」


しかしながら頼朝の体制は盤石でした。

強敵の平清盛を倒した後は、奥州藤原氏は義経と一緒にブルドーザー。

強固な坂東武者の地盤で自由に国の経営始めます。

1221年の承久の乱で、荘園経営がうまくいかなくなった後鳥羽上皇が討伐しに来ましたが、そもそもうまく行かなくなった理由が


「さーせん、もう俺は武士なんで、荘園経営者じゃないんで」


なので勝てるはずもなく、朝廷は東国だけでなく、西国の方もぽろぽろと失っていきました。

もう朝廷を積極的に上に抱く者がいなくなります。

表向きの制度は変わらないのに。


更に、公家からも

「あ~、おれ一条家なんで。豪族なんで、武士なんで」

「あ!偶然っす。おれ北畑家っす。武士っす。公家なんかなったことないっす」

「藤原なんて知らない。私はもとから上杉ネ~」


こんな感じで離反。

なかなか可哀そうな感じになってきました。


北条家が滅んだ時、一瞬だけ後醍醐天皇担いで楠正成が頑張りましたが、他の武士たちが

「今更ふざけんな」

状態で、そのまま武家政治を継続させます。



武家政権は豪族というか農民にとって楽だったんでしょうね。


イスラムではないけど、経済の発展は自由経済です。

あくまで農民の延長である武士が仕切り、その頭領は土地管理、戸籍管理と裁判だけ。

それでも鎌倉幕府は一定の忠誠や義務がありましたが、室町幕府は残った連中で一応強そうで強権奮わなそうな足利を選んだだけ。

ますます自由経済になります。


こんな感じが鎌倉時代、室町時代。





この時代から完全に中国式の国経営を捨て(正確には公家がやっているのですが極小)、農民の寄り合い所帯の延長としての雑多な状況になります。

そして日本らしさ(の一部)が生まれます。

何しろ貧乏、人口は少ない、鉄は取れない。農民ばかり。疫病蔓延。

でもだからこその特徴が、例えば「職人が異常に多い」

とにかく鉄が大量生産できなくなった代わりに、身分区別なしに鉄器が手に入ることになりました。

農民が武装して「武士」、寺社が武装して「僧兵」、商人も、公家も、みんな強力な武装が出来るようになってしまいました。


そして高価で大量生産が出来ない代わりに滅茶苦茶なハイテクのものが出回ります。

例えて言うと。。たとえばPCとかで


「ネトゲをやることしか考えてない頭の悪いPC」


みたいな?



日本刀なんてそうですね。

鉄を溶かした安普請の鋳鉄の剣が作れなくなったので、蹈鞴製鉄、炭素を自由に混ぜる技術て硬い鉄、粘りのある鉄を複層で組み合わせた「鉄を斬る剣」である日本刀が主流になりました。

その代り、鉄を型に溶かして一日何十本も作れる海外の剣に比べて大変でしたが。


もっとも日本刀自体は戦争にはあまり役には立ちませんでしたが。

単純に個人装備としては優秀ですが軍隊の武器としてはいかにも軽装すぎますから。


日本刀が世界で有名になったのは倭寇からです。

海戦での切り込みは、まさにメインウェポンとして恐るべき威力を発揮したようです。





じゃあ役に立ったのは?


和弓ですね。

どちらかというとこちらがメインウェポン。

平安時代こそ竹と木を組み合わせただけのものですが複合弓です。

時代を重ねるごとにどんどん優秀になっていきます。

弽とか?

もうこれでもかというほど複数の材質で複雑な構造しています。


他国では複合弓って、たとえば馬に乗るから「大きくできない、でも強力な弓が欲しい!」なんですよ。

だって歩いていいんならば長くすれば良いですからね。

イギリスの長弓とかものように。

そっちの方が作りやすい。


でも和弓って、


2メーター以上のながーい弓で、


さらにちょっとでも長くするために持つところの上と下の長さが違う(だから超テクニックがいる)


さらにわけのわからない外と中、上と下が違う構造と材質にして目いっぱい張力を稼ぐと。


まさに「撃つことしか考えていない頭の悪そうな弓」なわけです。

生産も訓練も何も考えていない感じ。

他国からすると、なんでそんな訓練だけでも大変そうなもの持つのかと。



もう、そんな感じなものばっかでした。


ちなみに鉄の必要性って武器よりも何よりも農機具です。

鋳鉄ではなく鋼鉄という贅沢な農機具は鎌倉時代、室町時代に常識外れの食糧増産を実現します。

棚田(段々畑)とか、細い川なのに田んぼ全部に行き渡る治水とか。

山も大改造です。

もう武家政治になって、国民全員農民みたいな感じになったので(武士は農民の延長)、もう少しでも使える土地は大改造。

自分の役立つ川、自分の役立つ山、自分に役立つ木。

皮肉なことに、平安時代では考えられないような増産が実現しました。

猫額な土地でも石だらけの土地も開墾しましたから。

なにせ自分の財産になる。

鋼鉄の鍬という常識はずれな農機具はこんなに役に立ったのです。

古代の

「土地がない」

「平野は水はけが悪い」

「急流で灌漑が難しい」

「やまがちで行き来が難しい」

こんな欠点は、土地大改造ですべて解決しました。

そうなると四季のある温暖な土地は日本をどんどん強国に育てます。




ちなみに特記事項。

なんか武士=馬みたいなイメージありますがウソです。

ほとんど馬ありません。

あっても蒙古馬をさらに小さくしたポニーみたいな馬。



義経が騎馬戦の達人?

末裔がチンギスハーンになった?


あほか。

騎馬が日本で重要になったのは、極端なこというと日露戦争からです。


そもそも日本の馬は馬格が小さくかっこわるい。


武田騎馬群、島津の伝説の頃でも騎馬はせいぜい数百人の一個中隊程度の装備率。

騎馬だけではまともな軍隊とはなり得ません。


というかそもそも日本は馬用の武器がほとんどないっす。

他国では馬用のランスとかるけど、日本では将軍クラスの人しか馬上用の槍とか使ってないっすね。

どちらかというと武芸の範疇。


武芸、馬上試合ならともかく、戦争中は他国でも騎馬兵は降りて戦ってましたね。

日本だけではないっす。


第二次大戦で大活躍したポーランド騎兵は、銃や機関銃を持って戦車も通れないような森林を駆け抜け、裏に回って降りて戦って大活躍しました。

そんなイメージを持っていれば。


馬での突撃チャージって意外と強くなくて、馬+人の高さからの位置エネルギーは、片手であることや不安定な足場でそれほど有利ではないようです。

まあ本田忠勝のように一生槍にささげます的にふつうに有利不利関係なく強い人が多そうですが。


日本で騎馬隊大活躍は現実はずいぶんと異なると思います。

踏破能力、移動力はそのままなので強いでしょうが、突撃チャージして歩兵をぶった切るとかはなさそうです。

あと馬の数はそろわないので混成部隊。

「武田騎馬軍はなかった」

とは言いませんが、そんな大河ドラマの勇壮な部隊ではありません。

西部劇でのインディアンが鉄砲もって馬に乗っているのと同じはったり伝説と後代のテレビドラマの影響です。




あとは宗教かなあ。


東南アジア、チベット、バンクラディッシュ、仏教は世界3大宗教と呼ばれる宗教が朝鮮半島の経営に乗り出した頃に入ってきました。

でもまあ、海外ではガソリン自殺するお坊さん、反乱おきるほどのとんがったカルトな宗教のイメージですが(唐の滅亡も仏教が一役買った)、日本では比較的緩いイメージです。


そもそも最初が仏陀そのものが蕃神となりのくにのかみで八百万の神の一人なので、いったい仏陀の真理とやらはどこにいったのやら、最初のスタートですでに間違ってます。

更に興福寺における春日大社、東大寺における宇佐八幡神、お寺の守護神に神道の神を祀ったり、もう初めっからわけがわかりません。


日本でも定着させようとした人多数。

蘇我氏とかが有名ですかね。

あるいは中国式の律令制を行おうとした聖徳太子、持統天皇とか。


政治的影響力を駆使しようとで多数がいろいろな時期に取りこもうとしました。

(たとえば飛鳥時代の仏教がうざいんで奈良時代に密教(なんかヒンズー教に影響受けまくりな仏教?)



尤も反対勢力も多く「645ろされた大化の改新」とか、国津神(縄文時代の神?)、天津神(中国人の神?)の中に仏教を入れようと四苦八苦したり、政治の道具として建立したり、あるいは中国文化と一体として勘違いされたり、他国とかけ離れた宗教の体を成してきます。



ついでに平安時代は魑魅魍魎で閉塞感のある頂けない世界になってなんともな状況。

更に政権が公家の手を離れて武士の世界になった鎌倉時代には政治的な道具から民衆の伝承宗教、さらに新たに陰陽道が入ってきて山伏と言った別な世界とまざるともうわけわかりません。

いつのまにか日本の宗教は政治色は消え、独立勢力として地域をまとめていました。

ちなみに僧兵までいて一大勢力です。



結論!

・そもそも神仏の境目なくて、仏教に入ってきたとたんにたちまち神道の一部になっちゃった。

・政治的な道具として公家は(あるいは藤原、平家といった半公家半武家は)土木建築、中国からの文化の伝来、律令と言った政治と境目なしの混在でよくわかんない状況で四苦八苦

・結局、武家が政権を手に入れたら民衆の土俗宗教の一つになって他国の仏教とにても似つかぬ状況へ

・結局日本は、仏教国とは言い難い自然宗教

・その割に寺社勢力も武力持っており面倒な連中。信長が虐殺ジェノサイドするまでふざけたやくざ。


さらにおまけ

・ついでに山伏、密教、ヒンズー教、風水も混じってさらにわけのわからんことに

・わたり巫女とか移動寺社仏閣みたいな日本らしい職業も。これの延長で芸能も

・織田信長が政治に口出す宗教を烈火のごとく怒ってジェノサイド。

 以降、欧米に教えてもらうまでもなく政教分離体制に。


・最近、真理を追究する宗教にもかかわらず、

 池田○作を拝めと言うわけのわからない仏教ライクな

 宗教が政治や経済に口出すように。



まあといううことで、日本は鎌倉・室町時代までは大変マイナーな国家で世界に微々たる影響しか与えていませんが、ユニークで特有の歴史を歩んでいました。


ゲルマン国家やアユタヤ王国と同じで森やジャングルの中、騎馬が通用しない特殊な世界なのでこうなったのかもしれません。


更に、それは豪族、土着な民族が貴族、公家、武家、漁師、水軍、全てがあんま境目はなかったと言って良いでしょう。

ちなみに農民が武士に転職できなくなるのは徳川政権からで、べつにここら辺もゆるい原始世界です。


鎌倉幕府崩壊直前、最初に大々的に世界デビューを果たします。

やったことはアユタヤと同じですが、伝説もあいまって影響力は大きいでしょうか。

黄金の国とあわせもって世界に数々の伝説を残すようになります。

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