イスラムのみなさん、ありがとう❤
中世が「イスラム」と「唐」の2強で固められつつある状況。
といっても古代とずいぶん違います。
まずイスラム自体は、たった数世代でシーア派とスンニ派に分かれて対立してますので、一体といえばそうでもない。
ただ、キリスト教徒のように血みどろなものではなく、現代に続く後継者争い、利権争いに近いものだったりするので、宗教対立のようなドロドロとしたものではありません。
現代でもそうですが(現代は石油利権、イニシアティブの奪い合い、信者の獲得争い程度。イランが本気でサウジアラビアと殲滅戦争はしないでしょう)ええ加減な政治、国境、別れたりくっついたり、でもなんか宗教的な一体感があって「イスラム国」と言えるのか言えないのかわからない混沌とした帝国です。
「漢」が古代からの延長のしっかりした帝国なので対照的です。
国境線もあやふやでしっかりしていない。
世界帝国 歴代8位のウマイヤ朝が最大領土1300万㎢ですが、アッパース朝だの正統カリフだの含めて、カリフが一人なのか、国境がどこなのか、Googleマップのように綺麗な線は引けないし、てきとーさ加減がよくわかります。
王同士で争うもなんとなく一体感もあり、人の行き来も自由で他宗教も寛容でエルサレムに限らず、他都市でももユダヤ教、カソリックも含めたキリスト教の各宗派、イスラム教、バラモン教、普通に教会が並んでいます。
そんなええ加減なのがイスラム。
ただ中身は後世に大きく寄与している、中身がしっかり詰まった立派な国です。
科学、芸術の保護、振興も率先して行い、第7代カリフマアムーンが創設した研究施設「バイト・アル=ヒクマ(智恵の館)」には多くの科学者が集まって科学の発展に寄与していました。
もちろん科学の種類も出自も多岐にわたり、科学者の出身も問わず。
「イスラム科学」と呼ばれていますがユダヤ教徒やキリスト教徒など多数が仕えています。
そもそも彼らが支配した地域、間接的に支配している地域、貿易相手、民族的なつながりで節操なく受け入れており、東は中央アジアから西はイベリア半島まで、ペルシア人、トルコ人、中国人、インド人、ギリシャ人も含まれています。
範囲がイスラムに限っていないので「アラビア科学」と呼ばれることもありますね。
内容はこちら。
固有学問
法学・神学・語学・文学
外来の学問-ギリシャやローマからのつながり
哲学、論理学、幾何学、天文学、医学、錬金術
外来の学問-イスラムにふさわしい行為と奨励
博物学、地誌学
具体的な活躍
アラビア数学:
代数学や三角法はこちらから。インドから「ゼロ」も取り入れてる
ユナニ医学:
健康、自然治癒、予防を概念としてギリシャ医学から発展してます。
生活習慣病、食材相談、食餌療法、下剤、世界各地の生薬、尿検査、便診、脈診、血の状態を見るための瀉血、マッサージ、整体、整骨、鍼灸、電気ウナギを使った電気療法
マッサージ屋さんによく行く人、整骨院とか、針灸とかする人、イスラム教があって良かったよね!!
あと薬が苦手な人も感謝しておくと良い。
のみやすい錠剤、トローチ剤とかも彼ら。
練り薬、保存剤、点眼剤、カルシウムコーティング剤とかも彼ら。
光学:
プトレマイオスとか、ギリシャ人偉いとかのはったりに惑わされず、きちんと否定して自分で科学してます。
光を極めました。
太陽その他の光源から放出された光が対象に反射し、それが目に入って像を結ぶという理論は彼ら。
ちなみに目の構造とかも。
錬金術:
ずうずうしくも
ヨーロッパ人がやったんだぜ!
化学の寄与はヨーロッパだ!!
ってのは嘘です。
イスラム科学では8世紀からやってます。
というか、ヨーロッパの錬金術の始祖8世紀、 ジーベルは5代目カリフに仕えたジャービル・イブン・ハイヤーンですね。
そもそも英語の Chimica(化学)はアラビア語のal-kīmiyā(錬金術)
それ以外にも「科学的帰納法」とかも彼らです。
ちなみにラテン語を保存して後世に残したのもイスラム。
なんか、何度も図々しいというのも飽きましたが
自分たちがエーゲ文明の末裔で、ギリシャ語ラテン語から発達してぇ♪
僕たち元から文明人!暗黒時代でちょっと寄り道しただけ♪
とかいうのも嘘っぱちなのもよく分かりますね。
ギリシャ人やローマ人の軍隊、兵站、科学を受け継いだのはイスラム。
ついでに言葉さえも。
ヨーロッパ人が彼らの言う「優れた文明」は自分たちが滅ぼした奴です。
保護したのはイスラム人。
そう考えるとラテン語を一生懸命習うヨーロッパ人におかしみを感じます。
だって彼らは昔、アラブ語を一生懸命習い、その後にラテン語の存在に気づいたのでしょうから。
現代ヨーロッパ人は、ラテン語の前にアラブ語習うべきなのは忘れちゃってますね。
では彼らの言う図々しいルネッサンスはどんなでしょうか?
辞書上ではこんな感じ-----------
「再生」「復活」を意味するフランス語。
一義的には古典古代(ギリシア、ローマ)の
文化を復興しようとする文化運動であり、
14世紀にイタリアで始まり、
やがて西欧各国に広まった
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ローマの誇る文化が廃れ、暗黒時代になって
その後偉大なる僕らの古代の技術を復活させたよ!
と言いたいのでしょうな。
ちなみにこの言葉が言われたのは19世紀であり、当時のヨーロッパ人が
「復活しよ!」
と感じていたわけではないです。
歴史修正学者の後付の設定。
ちなみにローマの継承者と言っていいプレイヤーは、ヨーロッパ内では3つの集団だけ。
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ヴィザンチン:
直接的に政府、国を継承しているのはこちら。
ただし、文明、文化、技術を継承したかというと疑問...
些末な部分はきちんと継承していますが継承したものに見るべき部分はないです。
ギリシャ火とか騎馬戦術とかは残っていますね。
政治的には....SPQRなものではなくて、滅ぶ原因だった身分の固定化や皇帝(王制)を継承しちゃっているので、どんどん縮小している帝国です。
よい感じに落ちぶれてます。
貴族制にいつのまになって公国とかありますが、こちらも別に....
モスクワとかキエフとか、ロシアの下地をいつのまに作ってます。
多少封建制ぽいですかね?
継承したといっても、後世に見れるような立派なものはないです。
北欧のヴァイキングがいるおかげで、北欧-イスラム圏の通り道で潤ってはいます。
でも領土はどんどん失って、終わりが近づいている感じ。
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ジェノバ、ヴェネツィアといったイタリアの都市国家:
ローマが滅んだ時に、その残滓が残った感じ。
こちらも科学的にはあまり見るべきものはないです。
なにしろ帝国経営から都市国家と突然小さくなっちゃったので継承する必要のあるものは少ない。
船舶技術ぐらい?
あとギリシャ火はこちらにも伝わってますね。
(イスラムのほうの文献に書いてます。)
しかし、科学技術はうまく継承されていなくても、政治制度はきちんとSPQRの意識が残ってます。
1000年帝国と言われたのは伊達ではない。
共和制、多党制、より洗練された政治体制になってその後のヨーロッパに多大な影響を及ぼします。
初めこそドージェという独裁官による王制でしたが就任の際に宣誓をするということで大評議会(議会制)
最高裁判所Quarantiaによる三権分立、シニョリーアによる内閣という感じで、すでに13世紀で現在まで脈々と伝わる共和政治になってます。
活発な成功失敗に身分が関係ない商業だからか、妙ちきりんな身分制度も、キリスト教が根付いているにも
関わらず宗教の縛りも関係なく、立派にローマの自由闊達な雰囲気を継承してます。
ちっちゃいですが。
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・イタリア
西ローマ滅亡後、いったんはヴィザンチンに征服されて東ローマ帝国の地方となり、その後また裏切り、征服、混乱 独立と状況はいろいろと変化しましたが、8世紀にフランク王国から譲られる形で教皇領となりました。
ま、この辺はあんまローマと関係ないですが、もともと元老院というお金持ちの住処、さらに教皇領という形でヨーロッパの富があつまり、経済力を継承したのはこちらというところでしょうか。
ルネッサンスなど実はないのでがっかりな感じですが、経済力があるので芸術復興、文化復興はこちらからの発信。
経済力が科学芸術につながるのはいつの時代でも当たり前。
だって生きていくのがやっとというところは科学技術や芸術はなかなか育ちません。
え、お金がなくても一生懸命勉強して立派な人がいるじゃん?
いえいえ、立派になったとして、その雇用先も経済力がなきゃ。
自転車操業な企業は基礎研究なんてしませんよ。
お金は立派なルネッサンスの原因です。
ということで、一応ルネッサンスの発信源。
ただし習ったところはイスラムから。
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ま、こんな感じでローマは継承されてます如何にも力不足ばかりです。
しかし、最大の継承者は先の通りヨーロッパ外です。
イスラム帝国はそもそも前身のパルティアの頃から何度もローマに煮え湯を飲まされた状態。
さらにローマ最大のシンクタンク、エジプトのアキレサンドリア図書館も彼らの持ち物に代わりました。
彼らの一番重要な食い扶持、貿易の源泉である船舶技術、
彼らの力の源泉である軍事、
それ以外にもバグダードに設立された「知恵の館」で文明の保護、ラテン語さえ知識として貯め込む経済力は先の通り。
軽歩兵、騎馬戦術、兵站、商業はローマのにおいがプンプンします。
砂漠の片隅の田舎から発祥したイスラムは、まずローマと戦って鍛えられたパルティアを吸収し(たとえば軽弓兵とかはこの時点でローマから学んだ)、 ローマから北アフリカを奪うことでエジプト、アキレサンドリア図書館、肥沃な北アフリカの灌漑、農業を学び
さらにローマが滅びた後は地中海、インド洋の貿易を継承し、
さらに中国、モンゴルから商業を確立し、宗教国家の割には宗教の縛りがあまりないことから自由闊達な状況となりながら大きく発展します。
ということでヨーロッパ人が後に言う復興は、実は状況は中国の隣にいた日本と同じで
「隣に大帝国がいたので、それを学びました」
というだけ。
ルネッサンスは12世紀ごろから静かに始まってます。
内容は、
・イスラム帝国の文献を翻訳して学ぶこと
ラテン語(ローマ語)さえ彼らから学んでいます。
知識はその時々に合わせてで、実に17世紀ごろまで続きます。
延べ500年!
ヨーロッパはイスラムから学ぶ立場だったのです。
いつの間にか、ルネッサンスに一番重要な要素
「学んだ国はイスラムから」
というのだけは小声ですが。
ヨーロッパの中で比較的経済力のあるキリスト教徒からはじまり、フィレンツェといった文化、科学技術を
大事にした国でレオナルドダヴィンチが生まれ、さらに発達してイタリア以外でも育ちはじめたのが15-6世紀。
普通に蛮族から文明国へと発達する過程ですね。
たぶん、昔のローマの知識以外にも、イスラムの知識をいっぱいに吸収したでしょう。
だってヨーロッパが世界征服できる源泉は、明らかにイスラム帝国の技術でしたから。
ということで、決定的にヨーロッパをヨーロッパたらしめたものはすべて「イスラム」です。
ヨーロッパ人は中東人に感謝すべきです。
実際は恩を仇で返して「ナポレオン」「アラビアのロレンス」といった極悪非道の連中が中東人をぶん殴りますが。




