殺っておしまい!
中世になって、なんかユーラシア大陸の主だった国が軒並み古代のきちんとした帝国ではなくなり、雑多でいい加減な体制に変わりつつあります。
そんな中、国とさえ認められていないヨーロッパの国だけがもがき苦しんでいます。
そして始めたのが「十字軍」
西洋史である現在の世界史では、十字軍は真剣で複雑な儀式で、かつ正義ですが、たとえばそのころの文明の中心であるイスラム国家からみたら、第一次、第二次をみると辺境のトラブル程度の扱いです。
そして通り道である国々は、あまり宗教的な儀式というより、民族の侵入、大暴れ。
お願いしたヴィザンチンまでちょっとドン引き。
言った本人だろうに。。。
地球全体で見た十字軍、そんな感じなのでちっちゃなイベントと言えます。
が、第三次の「英雄登場」、そして数百年後にこれがとても重要な意味を持つので、今回のテーマは「十字軍」にしましょう。
西洋史にとっては一大イベントであった十字軍とはなんでしょう?
それはとっても政治的なものでした。
しかも、当事者全員がとても軽くみていたようです。
当時、ヨーロッパは見捨てられた土地。
とはいいつつ、少しづつではありますが人口は増加していきます。
三圃制農業、鉄製農具、牛馬を使っての耕作、水車、開放耕地。
他国から見るとそんな大した技術ではありませんが、一度は崩壊し、絶望を感じ、キリスト教会を中心として作り直したコミュニティが少しづつ大きくなっていったのです。
当事者としては誇らしいでしょう。
そしてスペイン。
イベリア半島はイスラム国歌の支配地でしたが、ここらへんで唯一まともな国の体をなしていたフランク王国が後押ししています。
キリスト教徒が勇猛というか、凶戦士というか、当時の先進国から「面倒な奴ら」と思われていた時期。
キリスト教。
さらにビザンチン。
もろにイスラム国家の前面に立ち、小競り合い、運動戦を繰り返していたローマ帝国の末裔。
もう国自体が身分の固定化、発展の気概なし、周りは面倒な連中に囲まれて、でもローマ帝国としてプライド高い、イメージとしては老舗でバカ殿が仕切っている感じですかね?
そして主要な民族はギリシャ人。
社会に非協力的な割には、社会に助けを求めるのは現代に限らず、ローマ帝国絶頂の頃からのギリシャ人の悪評でした。
ちなみに同じくトラブルメーカーなユダヤ人と対を成した存在。
案の定、キリスト国家であるビザンチンでは、ユダヤ人の方は根性あるし有能だけど社会に反抗しまくり、「盗んだバイクで走りだす~」的な存在。
キリスト正教はカソリックと違って異教徒に寛容なので許されてはいますがね。
こういう民族はイスラエルとかマサダとかに閉じ込めないで、現代アメリカや昔のローマ帝国、あるいは中世のイスラム帝国あたりでほっといた方が良いんじゃないですかね?
閉ざされた世界で協調を求められる社会だと不評です。
そんな中でビザンチン、神聖ローマ帝国だのモスクワだの当時の北欧だの、従わない、無法、乱暴という連中に囲まれた真面目な(しかし小狡い)優等生はもみくちゃにされていました。
そして、素直に強くて頭良くて出木杉君みたいな人に喧嘩吹っかけているのがイスラム帝国。
いや、科学は発達しているけど意外に政治的行動はアホだからジャイアンか?
半分自業自得ですけどね。
ペルシアからのいちゃもんをぐちぐち言い続け、あと普通に弱くなっているので戦争ふっかけられてもあまり文句は言えません。
そして普通に弱いのでいよいよ困り果てている優等生。
そんな領地争いで困り果て、小狡いこいつはちょっくら周り騙して焚き付けようかっなと。
だって、周りは俺より頭悪い野蛮人だけどキリスト教徒とかいってるし?
そして元の西ローマはローマ帝国じゃん。仲間じゃん?
カソリックとかなんか、狂犬みたいでまともじゃなさそうだけど一応おれを尊敬してくれるみたいだし。
フランスだのスペインだので凶戦士みたいに大活躍している「騎士」ってすごそうだし。
イスラム教徒に比べて弱かった東ローマ帝国がローマ教皇に
「協力して♥」
とお願いしたのが最初の十字軍。
でも、カソリックの連中はビザンチンが自分たち程度には話しできると思い込んでいたのが運の尽き。
ローマ教皇は、本流から大きく外れている自分たちがご本尊にお願いされたのでうれしかったのでしょうか?
西ヨーロッパでは想像以上にキリスト教は社会の中心だったからでしょうか?
スペインでイスラム教徒相手にゲリラ戦を仕掛けていた「騎士」達が想像以上にイスラム教徒を憎んでいたのかもしれません。
あるいは普通に、中途半端に人口が増えていたので略奪気分で参加したかもしれません。
ま、とにかく、ローマ教皇が
「殺っておしまい!」
といってから仁義なき戦いがはじまったのが十字軍です。
だいたい、その命令を発した「ローマ教皇」「ローマ法王」からして怪しい組織なのです。
現代の尺度での「ローマ」「バチカン市国」の存在で考えてはいけません。
古代の「ローマ帝国」「首都」「百万都市!」といった尺度でもダメです。
だって一度は滅ぼされ、まだまだヨーロッパがど田舎、蛮族のローマですから。
そもそも「ローマ教皇」「ローマ法王」は、ローマの首都で布教活動をおこなったペトロという司教の後継者という意味です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
そしてローマで布教活動を行うという意味も、そこに敬称的な意味合いは全くありません。
キリスト教の組織的な布教活動はローマ、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノーブル、アレクサンドリアがありました。
アンティオキア(当時はコンスタンティノーブルより大都市)は
ローマ第三位の都市だったのが地震で壊滅し、廃れた後にペルシアに征服されて脱退。
脱退の頃はコンスタンティノーブルが近くにあるだけあって過去の栄光が見る影もない田舎都市。
アレキサンドリア(エジプト)はローマ第二位の都市でしたがこちらイスラム教圏へ。
今もエジプトはイスラム教ですね。
エルサレムはある意味教義上では一番重要な地ですが、そもそもアブラハムの宗教全てに重要な地、ユダヤ教のユダ王国からペルシア、シリア、再びユダヤ人のハスモン、イスラム教のファーティマ、ゼルジューク朝ペルシア、キリスト教のエルサレム王国全てに大事。
ここはイスラム教とキャッチボールのように主人が替わります。
イスラム教はあまり本気ではないですけどね。
一応メッカ、メディナ、エルサレムはイスラム教にとっての三大聖地ですが、メッカが最重要っぽいです。
そして、宗教的にはお参りできればいいので、エルサレムを他国が支配してもあんまうるさく言ったことありません。
異教徒殲滅戦争などビザンチン滅亡時は出したくせに、エルサレムのために出したことなど現代になるまではありません。
エルサレムにそれを出したことなど現代の中東戦争になってから。
「大統領」だの「大佐」だの欲にまみれた連中が「聖なる」命令を出してもね?
いくら相手が横暴としても、その正当性はとっても怪しい。
まあ当時はそんなことしなくても、イスラム帝国は強かったので本気になれば鎧袖一触ですけどね。
十字軍であんなにがんばったのにキリスト教が支配した時間は一瞬です。
コンスタンティノーブルは後半、あるいはヴィザンチンといわれたローマ国の首都でしたが、なぜだか第四回目の十字軍に征服されたりいろいろその後は正教会の中心としてきちんとしてました。
ほとんどの時代、キリスト教の中心は実はこちらですね。
ローマとは格が違う上位。
ローマ法王など利用できればどうでも良いという存在。
そもそも東ローマ帝国は西ローマ帝国が嫌いだったしね。
ということで「ローマ教皇」なるものは、あまり重要ではない、いくつもある布教区のたった一つの親分に過ぎない地位です。
今は「昔から偉かったです」という感じで、世界で一番「魔力」とか「法力」とか「MP」とか持ってそうな、「メラゾーマ」やら「メラガイア」より強力そうな「メラ」を小指で放ちそうなカリスマなのは何で?
...たまたまです。
権威を持ちたい蛮族がかつぎ、「カエサルのものはカエサルに」という教義だったのが
いつのまに財産を持ち、土地を持ち、軍隊を持ち最後はイタリア統一の内戦での
有力候補だったり...なんつーか世俗にまみれています。
そもそもストイックから支持されたローマ帝国での活動では、キリスト教はほぼ権力からは無関係な位置づけでした。
ローマ帝国の国教となってローマ帝国が変遷しても、その触媒だったキリスト教自体はそう大きなスタンスの変化はありません。
かっこいい。
さらに東西に別れ、中心がコンスタンティノーブルに移り、ローマが滅び、東側からは蔑まれて無視状態、西側はぐちゃぐちゃでローマ司教が権威をもつ要素などなかったのです。
それどころか、「ペンは剣より強し」を地でいったのかアッティラといった蛮族を、司教の説得だけで退けたり、なかなかに神の御子ぶりでした。
しかしながら、だんだんとローマを懐かしみ、文明を欲しがる蛮族に支持されはじめます。
754年にフランク王国から土地を寄進されて国らしきものになり、800年には教皇がフランク王国の戴冠を行って王より上の位置の感じになり、教皇領を保つために軍隊を持ちはじめ、
本来王を権威つけるための宗教だったのが、いつのまに目的と手段が逆転して「カノッサの屈辱」が起こると...
カノッサの屈辱を、
「王をキリスト教皇がいじめたよ」
的な勘違いをする方がいますが逆ですからね。
いままでは王が権威づけの為だけに教皇を利用しただけのつもりが、立場が逆転していた事実を知ったのが理由ですからね。
ストイックで、人の為だけにひたすら奉仕活動をし、無償の愛を周り中に提供し続けたキリスト教が結実したと。
そして、その後は権力闘争にまっしぐら。
力を持ったら使わなきゃ損!
こんな感じで権威の裏付けをほしがったフランク王国、神聖ローマ帝国といった蛮族の酋長どもがキリスト教を世俗にまみれさせたのです。
まあその後ひどいことひどいこと、酒池肉林なアレクサンドル6世、軍事的にとてつもない才能をもったユリウス2世(どういう聖職者じゃ)、プロテスタントや復古主義でストイックに立ち戻るまではなんつーかもう、聖職者というより悪の組織に近いような気が..
(いまは清廉ですよ。...多分)
そんな状況なので、本来の一番の大人口をかけておりローマ帝国の継承者であったヴィザンチンの正教会は最初は「弱小だった」から、後は「下品な蛮族に祭り上げられた下品な宗教」完璧に無視です。
だから「なぜ教皇様はそんなにえらいんですか」となると、キリスト教で生き残った司教たちがローマだったからです。
最後まで残ったから。
正教会の一番中心であったコンスタンティノーブルはイスタンブールになっちゃいましたから。
ついでに、後に世界を席巻したヨーロッパに所属していたからです。
正教会はいまのキリスト教では信者数は多いが微妙な位置づけ、なんかイギリスにもそれらしきものがあるし。
そして我々も「キリスト教」といったらローマ法王を思い出し、カソリックかその派生の「プロテスタント」を自然に思い浮かべます。
「生き残っちゃった」
「生き残った地が後に世界の中心になっちゃった」
それ以外にローマ教皇が偉い理由は何もないのです。
あ、もちろん重ねて言いますが、いまの聖職者は聖職だと思いますよ。
べつにキリスト教に喧嘩を売っているわけではない。
そもそも大化の改新の時の神道、比叡山の頃の仏教とか考えると、日本の宗教団体も含めてすべての宗教は偉そうに言えない時期が必ずあるでしょう。
そして、カソリックは中世初期でまさにそんな時期。
狂信的で、膨張主義で、教育を受けていない、頭が悪い、金がなくて腹が減っている蛮族に「神様の権威」を示しながら攻めさせるとどうなるか。
さあ、虐殺のはじまりですよ~♪




