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人間の歴史。  作者: TAK
The Islamic world&The Tang world
38/176

ズイ₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾ズイ

西側の主人公)イスラムが立ち上がる(622~)ちょっと前、東側も帝国が300年ぶりに立ち上がります。



中国の中世ってどんなでしょう?


前半は一言で言うと「唐」。

こちら制度は「漢」の延長ですが極限までスリム化して強国になりました。

西はイスラム国家と戦うほどに領域を広げ、全盛期の漢と匹敵するほどの領土の広さ。

似たような産業、軍隊、国のようすで、かっての漢が復活したようなイメージです。



ただ中身は異民族の集まり。

そして儒教一辺倒だった宗教もいろいろ雑多になります。


産業からして大陸国家的な雰囲気は変わらず、主要産業は農業です。

まだまだドンくさい中央集権で農奴制度です。


あんまり、我々がイメージするナマズ髭で「~アル」とか、華僑のクレバーだがえげつないイメージとかからほど遠い農業国家。。


しかしイスラム国家との取引、シルクロード等々で富はあつまり、なかなか幸せな国家。




そして後半...大激変が起こって中国のありとあらゆる価値観が破壊されます。

大陸国家的なイメージが全て払拭され、ありとあらゆる宗教は力を持たなくなり、クレバーでえげつない、だが優秀な中国商人が跳梁跋扈する世界に作り変えてしまいます。

イスラム商人に成り代わって世界中を駆け巡ることになります。


どういう構成かはまだ考え中ですがまずは前半の「唐」を語りましょうか。




さて、漢が滅びた後は中国は千々に乱れました。


直後の三国時代は魏、呉、蜀で長い戦乱で疲弊。人口激減、人口1000万人以下になっちゃいます。

 ↓

疲弊ながらも魏でほぼ統一→晋となり、物語で孔明にいいようにやられた司馬氏

 「ああ、それは孔明の罠だ」

の一族でいったんまとまりました。

と思ったら女色に耽って政治を省みない為政者、すぐに裏切り、分裂が続いて滅びます。

 ↓

五胡十六国時代は三国時代に引き入れた異民族、匈奴、 鮮卑、羯、羌、氐も含めて更にぐっちゃぐちゃになります。

 ↓

その後ちょっとづつプレイヤーが減ってき魏、晋の南北朝時代て宋、北魏までまとまります(国号代えたり分裂したり、いろいろあったので綺麗に南北に分かれていたわけではありませんが)。でもまだまだ戦乱。

 ↓

北魏が西魏・東魏に分裂する際に活躍した楊忠が大将軍になり、当時の皇帝が無能だったのでその息子)楊堅が丞相をして国がまとまり、周り中の敵を全部ぶっ潰して禅譲されて隋の皇帝となります。


この長い戦乱で多数の異民族を傭兵として雇っていたり、取り込んだり。

この影響でいったい漢民族とはなんなんだというくらい異民族が大活躍します。


随の初代皇帝)楊堅は北方異民族の普六茹氏です。

ちなみにその直後の王朝も鮮卑系の李淵。


都は何度も蹂躙され、すでに三国時代で数分の一の人口がどれだけ減り、そして異民族の侵入でどれだけ入れ替わったかもわかりません。

とにかく、もう漢人などどこにいるんだろうという状況で新しい国「隋」が立ち上がります。




隋の特徴。



・とにかく外国人だらけ。


漢民族なんてどこにいるの?状態です。

中国の周辺、朝鮮半島から鮮卑、匈奴、烏丸、湖(西のオアシス国家)、南方系、三国志時代に引き入れた傭兵たちを中心に、とにかくありとあらゆる場所からかき集めた兵力で戦乱の世を戦い続けたのです。

火種たくさん。



・宗教もたくさん


元からの「儒教」

そもそも漢帝国が腐敗したカウンターが黄巾族。後に「道教」

インドからとんがった「仏教」

異民族が持ち寄ったさまざまな宗教で大混乱



・科挙


現代日本のキャリア試験という感じ?

これだけ書くと悪制度っぽいですが、当時は血統や家柄、コネ、賄賂で決まっていて貴族独占の官僚が、才能あるものに門戸が開かれたなかなか良い制度。




・三省六部


内閣みたいなもの?と立法府。

まあ法律は結局、皇帝が作るので国会ではありません。

今までは必要に応じて、あるいは賄賂に応じて作っていたものをきちんと定義した感じ。





それ以外は「漢」のスリム版という感じです。




中国は人口の大半を食いつぶし、多民族に揉まれて学びました。

ただ、あくまで「漢」の延長とも言えます。

同じく中央集権国家、門戸は開いたものの血統は当たり前のように重視してます。

(当たり前ですね。今のように報道が広まっても政治家の良し悪し、適正なんてわかりゃしない)


それでもる開皇律令やら改革を推進し、一方では周辺諸国を平定し、どんどんと新しい中国を作り上げていきました。

多少後継者あらそいとかはありましたが可愛いもの、このままうまく行くような感じでしたが。。。。



いきなり大事故です。


612年高句麗遠征、113万人の動員、しかし大敗。

613年は煬帝自身が軍を率いて高句麗を攻める。しかし結果は得られず

614年に行なわれた3度目の遠征でようやく恭順するが裏切り失敗。


100万の兵士を動員して失敗すること、これによる民衆の疲弊、周辺諸国の蠢動、高句麗遠征軍の反乱離脱、裏切り裏切りで手が付けられなくなります。


北方は突厥軍に破れて事実上放棄、南に逃げ、重臣たちは裏切り。


煬帝は次第に酒と宴会に溺れて国政を省みなくなり、諫言や提言する臣下に対して殺戮で臨むようになり、民心を失い、最後は618年に重臣の宇文化及が謀反を起こされて殺されました。


581年に全国統一し618年に唐に禅譲、40年に満たない治世でした。

まあ秦の頃でもよくあること、短命の政権後は本命の「唐」となり、強大な帝国にします。




唐自体は隋とあんまり変わらないので中身は端折ります。



初代皇帝「高祖」が鮮卑系で、相変わらず中国の親分は外国人。

途中で女帝「武則天」でちゃちゃを入れ、690年に国号が周となりましたが中身は同じ。

712年の玄宗が絶頂期です。


オアシス国家を飲み込んで、西はイスラム帝国まで続き、世界帝国歴代10位 最大領土1100万㎢

陸はシルクロード、海は市船司という海を統括する部署を広州に置き、イスラムと並んで貿易に力を入れました。

それこそ東南アジア、南太平洋、インド洋、イスラム、アフリカまで。

イスラムに引っ張られて商業が盛んになります。

更に交易が増加したために現金が不足し、その影響で高利貸し、信用取引も始まり、金融業も大きく発達します。



あと儒教が弱くなったために女性が活躍しているのも特色でしょうか。


政治は武則天をはじめ、韋皇后、安楽公主、太平公主。

軍事は高祖の娘である平陽昭公主、陳碩真。

唐詩で上官婉児・李季蘭・薛濤・魚玄機

傾国の美女楊貴妃も音楽の名人


ついでに、いろいろ記録を見ると「恐妻家」も増えているようですね。

今でもそうですが、男尊女卑だけどそうでない、なんとも微妙な扱いが中国人。

現代でもそうですね。



....それにしてもなかなか楽しそうじゃねーか「唐」

それにおめぇ、中世は古代のルールじゃうまく行かねぇ云々言ってなかったか?



ご尤も。


「唐」は古代の帝国の制度を極限までスリムにしてひっぱってひっぱって、ひっぱりまくりました。

中央集権は現代でもうまくいくんで、中世もなんとなく上手くいくような感じでもありました。



しかし、現代の独裁国家、共産国家、その他軍政でも言えるのですが、統治機構をその時代に合わせて国家をピーキーに合わせるほど、その国家は時代の変化に脆弱になります。

共産主義国家は強大だったが科学発展に難ありだの、情報化に立ち遅れたとか、電子機器はタコだのいろいろご意見を聞きますが、例えば旧ソ連、その時に必要な科学力って実はとても高かったのご存知でした?

ミグ25が亡命していた時、


「機体が鉄板ww」

「真空管ww」

「レーダーしょぼww」


中身を見てない人が言うことです。

何事も強弱に物差しなどありませんが、当時の技術者がせせら笑えるほどのことじゃないです。


この辺りはスペック的にソ連と米国は拮抗していて、それで慌ててお金を湯水のようにかけてつくったのが米の第4世代ジェット戦闘機。

でもその後は歴史どおり。


人間、だれでも一日24時間しかありません。

そしてその有限のリソースは、それが目的が定まっており、それに効率よくリソースがつぎ込むからこそ、それ以外のものが疎かになるのです。

そして、大抵の時代の変化は、その疎かになったものこそ必要とします。




唐にとっての時代の変化「貿易」「宗教」

この二つが「唐」の滅びに大きく影響をうけています。



古代では法と力で統治できました。


軍事力で安全を確保し、法で秩序を保ち、従っていればお金が儲かる、食べ物が確保できる、これが保てるならシステムに従うのは当然のことです。

ところが軍事技術の発達(とくに騎馬)、商業という複雑な社会が出現し、法と力では対応できない状況になってしまいました。


すばやい運動戦、ゲリラ戦に持ち込まれると、強大な力で勝つことは出来たとしてもどうやっても国土に被害を受けるようになってしまうのです。


かといっても、


「それでも我慢しろ。これが一番ましな統治なのだから」


と教育、 情報、科学で証明できる現代と違い、中世では分野を超えた体系だった知識が皆無なので(古代でも個人レベルの知識はかなりの所まで行ってます)それを言い切れないのです。



結局「一番マシ」と説得するのは神を持ち出すのが一番簡単でした。

 #もちろん、宗教の成り立ちを

  説明しているわけではありません。

  中世で宗教と政治が巨大な関わりを

  持ち始めた理由と言うだけです。

  

多神教のような、学業の神は湯島天神、お金を儲けたければエビス様、といった信者の利害を主とするモノではなく、そもそも一神教は「まずはXXに従え」という前提があり、損得勘定抜きに人の生き方として従わねばならないのです。


国に従うことは試練。

損得勘定抜きに実現できる便利な宗教。

 #もちろん宗教そのものに

  損得勘定を持ち出すつもりは

  ありません。

  あくまでそれを利用していた

  為政者にとって


もちろんXXは神がメジャーですが、宇宙の真理、共産主義、金正恩、説得力さえあれば何でもよいわけです。


しかし、ここら辺の説得力は、実際に敬うことの出来る教えの方がよいし、行動もそれに伴っていた方が

支持がし易く、ここら辺が世界3大宗教がストイックな部分である原因かもしれません。

卵が先か鶏が先かは別にして。

 #仏教は神に帰依するわけではなく、

  絶対服従を神が要求するわけでは

  ありません。

  しかし、開祖も含めて特殊な人以外は

  誰も知らない「真理」があって、

  社会的には個の利害をこえた

  「俺に従え」という考え方は

  社会に対する役目として一神教と

  同列に並ぶでしょう



中国は誠に中国らしく、宗教の考え方も石器時代から現代まで混沌としています。


他地域と同様に、自然発生的な多神教ではあったものの、かなり初期の頃から宗教を政治に利用し、一神教のようにストイックな部分は、実に古代以前とも言えるときの儒教から萌芽が見えていました。



中国で元々あった儒教が、そもそも多神教とは言い難い微妙な位置づけです。

冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団が元々でした。


それだけを考えれば多神教に近い位置づけかもしれませんが、

それを春秋戦国時代の秩序のないぐちゃぐちゃな状態の中、孔子が

身分秩序の再編と「仁」を中心に人の道を説いた状況で、元々の神の部分が

すっぱり抜け落ちた珍しい宗教です。

  #なのに冠婚葬祭に儀礼が

   あるのは何で?

   というのはいいっこなし

   一応、儒教は神の教えではないので

   宗教ではないということに

   なっています。

   共産主義と同様に


なので、そもそも中国では古代から「仁」という考え方を体現した孔子を中心に、一神教に似た


「利害の前にまず俺に従え」


という土壌があったのかもしれません。




それは、秦が作り上げた法制度と両輪で中国の秩序を長く保っていました。


なかなかに良くできた制度でしたが、官僚の肥大化と、そもそも肥大化の原因に儒教がなってしまい、為政者が儒教の思想を利用しまくったためにこちら大衆に見捨てられはじめました。



大衆が次に選んだのは太平道(後に道教)です。五斗米道も同じ根っこです。

こちらはそもそも、漢の滅びの原因である「黄巾の乱」そのものの原因で有名です。

「黄巾の乱」は道教と儒教が戦った宗教戦争ともいえるのです。


道教自体も、そもそもは多神教です。

こちらも神とは言いがたいかもしれません。

日本でも陰陽師とか風水とかいいますが、あれですね。


こちらも、鬼、仙人、竜脈と言った土俗の宗教で、なにかしらの権力に結びつくようなものではなかったのですが、漢帝国の腐敗と帳角が中心に体系づけたので力を持ち始めました。


絶対神はいないものの、神仙の類になるための人の道を説きつつやはり絶対の何かの価値観があって、それに「従え」という一神教の匂いがします。


当然ながら、仙人になるのは霞を食べなければならないほど我欲を捨てねばならないのでストイックさが含まれています。


 #ちなみに道教の「道」は、その中心を

  仏陀にしても孔子にしても

  良いところがおもしろい



こちらは五斗米道として三国志で有名な曹操が保護し、晋で順調に力をつけて、今日に至ります。


もしか曹操は儒教という、自分の政治に邪魔になり始めた宗教を対立させるために、道教を保護したのかもしれません。

それ以外でも、たとえば日本の神道にいつのまにか混じってたり、漢字文化の国々では道教は一定の地歩を築いていますね。




さてそんな中で、唐は基本的には儒教の思想が引き継がれ科挙等にも必須科目とされています。


しかしながら、曹操から保護されていた道教も同じく唐は保護されていました。

それはあくまでも支配者側の理屈で。


そして混乱の時代はストイックな宗教を望むのでしょうか。

魏晋南北朝時代の混乱の中で、インドという外来からきた仏教が飛躍的にその勢力を伸ばし、道教を圧する勢いで存在しています。


唐の王朝は民衆のガス抜きとして、これらは支持し、保護していきました。




西遊記などを見ると、中国の典型的な宗教観がみられます。

こちらは16世紀の明で流行した完全なフィクションであり、唐僧である三蔵法師は実在したものの、史実とは全くかけ離れています。


もともとの小乗仏教(小とは、大乗仏教からの差別語ですが)の中国に、大乗仏教をはじめ、インドにたくさんのお経を取りに行く話です。


そして仏教を中心とした話ではあるものの、神仙、妖怪の類は道教の匂いがします。


生き方や師との距離感が儒教的な考えが混じり、万国の宗教観が混じりながら形成しています。


まさに中国、いやいや東アジアの宗教観と言えるかもしれません。


ちなみに主人公の孫悟空ハヌマーンがヒンドゥーの神であることも面白い。



民衆の力を得るためには民衆の信じる宗教を支持するのが手っ取り早いです。


貴族・皇族の庇護を受けて仏教は大いに栄えました。



特に武則天となると仏教の保護は頂点に達しました。

ここらへんはローマとキリスト教の関係と似ているでしょうか。


もっともローマがキリスト教を国教としたときは、せいぜい2割くらいでしたが、

仏教は道教や儒教を圧するぐらいですからさらにすごい支持を得ていたはずです。



ただし、神の教えを中心に置く中世の統治は、結果は違えど同じような問題を抱えました。



今で言うカルト宗教でも同じ事が言えますが、出来た当初の神の教えは現実に即していたかもしれませんが、年を経ると、あるいは代替わりすると、あるいは権力を奪取する手段が結びつくと矛盾が生じます。


そもそも民衆が支持する高潔な部分、それを利用して統治の道具とした部分を含んでいる過去の教えが矛盾し始めるのです。しかも「絶対神」となると間違いを正しにくく解釈を変えると争いの種にもなり、お家騒動の原因にもなり始めます。



統治のためにちょっとばかし聖書の解釈を変えると、キリスト教国ではその結果が教皇と王の問題となり、聖書の記載と異なる記載があると、現実の科学は間違え、なかったもの、悪魔の介入となり、発達が阻害されたり、



イスラム教になると各々の現実の乖離を認める認めない、あるいは権力の奪取を目的として、いくつも国家が分裂しました。


日本では、ちょっと年を経ますが織田信長と比叡山がこれに当てはまるでしょうか。


現代では、大抵の宗教は聖なる部分をより高見に押し上げ、なるべく現実の権力や科学と乖離させて解決しています。

 #それでも天動説や税金問題、

  その他でいろいろと問題が出ています。

  宗教家でもなかなかに我欲からは

  切り離しにくいものです。

   「カエサルの物はカエサルに、

    神の物は神に返しなさい。」

  当初から説いていたキリスト様の

  言葉をもう一度見直して

  欲しいものです。



中国でも仏教は曲者でした。

同様な問題が発生したのです。


隣のチベット高原に、仏教を国是とした宗教国家である「吐蕃」があります。

当初の「唐」は、北方の蛮族も、南方の蛮族もものともせず、強大な力を持っていました。

当然ながら軍事的には「吐蕃」もどうでも良い蛮族でした。



しかし、この国はインドの王族が移り住んできただけあり、(かつインドでは仏教がヒンドゥー教に押されて廃れていたこともあり)仏教の総本山的な部分があったのです。



当初の仏教も民衆の支持の元に、穏健に広がっていたモノですが権力の道具として仏教を保護しようとしはじめると、やはり揺り戻しが生じてしまいます。


一定の力を経てしまうと、仏教ではない宗教を信じていた支配層の面々から強烈な反発を喰らいます。

それを何とかしようと逆に儒教や道教を優先しようとすると、今度は民衆が蠢動し始めます。

シーソーゲーム。


そして吐蕃はシルクロードにどでんと位置するところに。

貿易にも影響が出て、民衆の浸透にも一役買い。


その蠢動が当時の仏教の中心である吐蕃を焚き付けました。



強大な軍事力を持っていた「唐」は、それだけに逆に精神攻撃には弱かった。

それが高尚な宗教観か、低俗な支配欲だったかはともかく、唐は負けてしまい、一時期首都である長安を占領されます。


なんたる屈辱!



それを解決するために北方の突厥に頼り、吐蕃をはね除けます。


しかしこれは、たちの悪いやくざに見込まれたように、その後突厥の属国のように朝貢することになってしまいました。


また、さすがに国まで奪われてはたまりませんので仏教を禁止としました。


この排斥運動とその反動でさらに国力は疲弊します。



見事な中央集権体制を作り上げた律令制度、北方の突厥をものともしなかった強大な軍事力は、この混乱で見る影もなくなるほど衰えました。

疲弊すると、皮肉なことにその強大な官僚制度が大いなる負になるのは中国でのいつも通りです。

中央集権国家のデフォルトでしょうか。


そしてスリムにしたはずの律令制度も、貿易行為からの搾取、売買での搾取、資産を持つだけで搾取、そしてまたぞろ蠢く宦官たち。

まあ仕方ないんですけどね。

農業国家の体制で商業を何とかしようとしてもうまく行きません。

共産国家と同じ。

あんなにスリムにしても複雑怪奇にどんどん上書きされてしまいました。



きわめて効率的に動いていたシステムは綻びはじめ、いつも通りの官僚の肥大化、宦官の専横、そして塩の専売/密売でもめての争いで黄巣の乱が起こります。



乱が治まった後、唐はただの一地方政権に成り下がってしまいました。

その後、多少は生き延びますが、実質ここで唐は滅びたと言えるでしょう。



中国にとって、まさに宗教は麻薬でした。


優れた統治システム、科挙と行った自らを作り替えるシステムまで同梱し、商業まで取り込んだ強大な帝国があっさりと崩壊します。

そして商業を「統治する」という行為は、役人の肥大化、腐敗を蔓延させます。

中世の呪いは、やはり中国にも降りかかってきたのです。




ちなみにご本尊である吐蕃の方も、やはり宗教問題、仏教の排斥、反乱の3コンボで滅んでいます。

どの地域でも宗教問題はそこら中に蔓延りました。

もちろん日本でも。


元々は高潔さを支持され、また将来は現世や権力と切り離され、人の生き方の拠り所となる聖なるものに昇華している宗教も、統治の道具として使われた中世ではなかなかにどろどろとした存在となりさがっています。


いやいや、それは現代でも続いているか...



今でもカルト宗教や共産主義、主体主義、これらは形をかえて新しく出現していますか。


「絶対のもの」


を中心に置き、信者を増やすという法人としての自然な動きをしようとすると、どうしても現実の何かに抵触してしまいます。


大抵の支持される高潔なものは過去に言われていますしね。


現世諸々のに抵触しないほどに神を昇華すれば良いのでしょうが(逆に言うと信者の獲得は受動的になってしまう)、その途中はどうしても能動的にせざるを得ない...そこら中に摩擦が発生するわけですね。


しかしこの後、中国は見事に宗教や神を昇華させます。

イスラムと違った結果ですが、見事に宗教問題を解決したのが中世の後半。

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