The Islamic world
古代と中世の境目ってどんなでしょう?
西洋史だと古代ギリシアにおける文明の成立から西暦476年の西ローマ帝国の崩壊までですね。
中国史だと、紀元前221年の秦王朝の成立から、西暦220年の後漢王朝の崩壊、あるいは907年の唐朝の崩壊まで。
イスラムだと、ファーティマ朝成立909年から1517年のマムルーク朝の滅亡まで。
日本史となると他より遅れて微妙です。
飛鳥時代の聖徳太子の政権掌握(593年)から平安時代中期の鎌倉幕府の成立まで(1185年)
各地域で違います。
文明の度合い、テクノロジーの発展度?
違いはそんな感じ。
中世の定義も昔の教科書は簡単でした。
キーワードは「封建主義」「一神教」
教科書に書いてあったのはこれ
↓
奴隷制度に頼っていたのが古代。
そうでない身分制度(封建主義)が中世とか。
まあローマの意外に健全な奴隷制度とか、中世ヨーロッパの農奴でそういう定義がたちまち崩壊しちゃいましたが。
というか奴隷制度が一番すごかったのはアメリカが独立してからだと思うんですよね。
それ以外でも千差万別です。
ヨーロッパ人はこう言います。
「奴隷じゃない!農奴だ!人権も財産所有権もあったんだぞ!」
暗黒時代や中世初期の農奴はそれ以外の時代や地域より悲惨だったと思う。
ローマ末期の身分固定制度を悪用した感じなので普通の奴隷より悲惨でした。
スパルタ人の奴隷もなりたくないです。
戦士として一流のスパルタ人は、搾取だけでなく、練習台や標的にさえ奴隷にしてました。
まあ古代ギリシャ都市国家の奴隷は全般は悲惨でしょうね。
どこぞの左巻きの人は
「ギリシャって直接民主主義。夢の世界。かっけぇ!結婚して!」
とかのたまってますが蓋開けてみると国民の半分以上が奴隷で選挙権/投票権ない、どころかローマ人が留学して民主主義を習おうとしてドン引きするほど悲惨だった奴隷たち。
ローマ人は親分なのか子分なのかわからない立場でエトルリア人を征服しちゃったので、そんな失礼なこと出来ません。
というか次代、次々代の王がエトルリア人だったので、ローマ人は
「被征服者に優しくしてよかった」
と、心底胸をなでおろしたことでしょう。
ということで封建社会は中世に必須ではないです。
そもそもその封建社会といわれる代表が「ヨーロッパ」「日本」で、さらにどちらも中身は全然違う。
というか「騎士」「武士」も全然違いますしね。
軍隊が重歩兵から騎馬とか言う人もいました。
ローマだとそれ当てはまりますね。
でも「漢」は?
騎兵は古代から大活躍なのであてはまりません。
「一神教」
中国や日本は一神教はほど遠い。
イスラム発展も一神教とは言い難いし、そもそもカソリックはまっとうな一神教「キリスト正教」からかなり外れています。
だからこそ色っぽいというのもありますが、なんとなく中世に必須なものとは程遠い。
それにヨーロッパだけは中世でしけた生活してます。
ということでなんとも曖昧なものです。
でも如実に「古代」「中世」って境目はあるんですよね。
並べて書いてみるとよくわかる。
中国でも「漢」と「唐」って明らかに違いますし、「元」が一番中世っぽいエッセンスが入ってます。
「ペルシア」と「イスラム」も外身はそっくりですが、立場や動きや中身は明らかに違う。
まあ現実は教科書のために存在しているわけではないので曖昧なのはしかたないにしても、世界全体を比べて書いてみると明らかに「古代」と「中世」は違います。
私の感覚ではこんな感じ。
・重歩兵がきちんと機能するのが古代
・国境線が明確なのが古代
・法で民衆を支配するのが古代
え、何言ってんの。
おまえ漢は騎兵で発展したっていったばかりじゃん?
ペルシアは国境線がいい加減っていったばかりだよね?
ペルシアとイスラム違いないって言ったよね?
漢って法で支配してたの?イメージと違うよ?
ご尤も。
でもそれでもそう思うんです。
同じ法や体制で支配しても、それが統治のメインだったかサブだったかとか。
きちんと軍や法で国境線が決まる「古代」は軒並み崩れ去っています。
でも国境っぽいものは中世にもあります。
それが曖昧だけど機能している。
でもそれは絶対ではない。
それを絶対としていた古代帝国は軒並み崩れ去った。
残っている帝国、新しい帝国も同じ制度でもそれは曖昧のままで良いと位置づけている。
こんな感じかなぁ。
そして曖昧になった時点で「信用」「法」が柱だったローマは崩れています。
では「唐」「イスラム」はなにで国民を縛り付けていたのでしょう?
「宗教」「商売」なのかはわかりませんが、国民を縛るものも曖昧。
「唐」に住んでいる人は自分は「漢民族」として同様な生活スタイル、しきたり、慣習になっていく。
商売も「漢人」「唐人」として商売していく。
絶対の忠誠は誓わない。
でも意識はなんだか共有している。
イスラムも同様。
いつの間に国が分かれても、大きくなっても、小さくなっても、それはなんとなく「イスラム教」で共有している。
自分達は「漢人」ではなく「イスラム人」である。
イスラム教に絶対の忠誠は誓っても国は曖昧。
でも意識はなんだか共有している。
#そしてイスラム人が中国に
引っ越したら「紅毛人」として
なんとなく「漢」の意識を持つ。
中国風の名前がついて、たとえ
外国人でも重臣になってます。
ヨーロッパに至っては国が分かれても共有意識があって、まるで「ヨーロッパ国」があるみたいになります。
日本人に至っては、自分が何人かはわかりません。
「日本」という国は江戸時代末期にでっち上げたもので、日本人が日本人っぽい境目はあるものの「日本国」という国家意識は皆無です。
自分で書いていても国家意識の共有については想像つきません。
幼子、学生の頃の意識なんですかね?
そういえば小中高と「国家意識」なかったなぁ。
でも日本国中、へたすれば海外に散らばっている親戚と合ってもなんとなく「日本人」としての意識は共有しているんですよね。
そんな感じと考えましょうか。
では本格的に中世を説明してみましょうか。
まず中世にいた人々、とっても幸せです。
前半分はともかく後半分は特に。
中世も後半になると各国家は軒並み膨張主義が止まり、農耕、商売、開発にいそしむようになります。
王から農民、下手すりゃ奴隷までお金儲けにいそしみます。
政権交代はたくさんあって、王族その他の悲喜劇こもごもはありましたが、それでも民衆幸せいっぱい。
ただし「ヨーロッパ」のぞく。
あと中世はイスラム世界で動きます。
イスラム国家がローマの知識や慣習、強力な軍隊を丸ごと引き受けて「すべての道はローマに通ず」の立ち位置にいます。
カエサルみたいなイスラム教の英雄「サラディン」とか、伝記見るとなかなかかっこよい。
イスラムはイスラムのままですが、ヨーロッパ、ステップベルト、オアシス国家、中国、アフリカ、そこ等中にイスラム人が出てきます。
科学技術も含めてなかなか有能そう。
「世界帝国モンゴル作ったのはイスラム人」
という人もいますがなかなか説得力あります。
イスラム商人が世界の毛細血管、末端神経になって世界中を底上げします。
ただし「ヨーロッパ」のぞく。
いえ除いてはないですけど、現在イスラム国家の中世での活躍は、その後に台頭したヨーロッパ人のおかげで結構世界史(ヨーロッパ史)では否定的ですね。
現代のイスラム教徒のテロもそれを後押ししちゃってますし。
あと世界中が富んだおかげでいろいろな面白い国家が出現してます。
インドもようやくまともな国家を手に入れました。
タイ(アユタヤ)、ロシア、ティムール、アメリカ、アフリカも各地で出現してます。
その世界は....宗教国家、王国、教主と王との境目なしで曖昧、宗教の解釈の相違で激しい宗教戦争、国はばらばらで常に同族国家で争う状態、騎馬の発達、ヨーロッパ人のキリスト教徒、ゴート、アユタヤと言った蛮族が跳梁跋扈スペックだけ見ればとてもその時代の人たちが幸せと思えない戦乱の世です。
しかし実際はなんとも幸せな時代だったと思います。
その証拠に、この時代の人口は一気に増大、科学の発達、食料生産力の増大、商業の発達による富の集積、 世界中を巻き込んで一気に世界中をステップアップさせます。
千夜一夜物語をご存じでしょうか。
冒険商人が盗賊どもを翻弄し、不思議な宝を見つけ遠い異国の鳥にさらわれ、美しい姫君と結婚する。
そんなサクセスストーリーを思い浮かべられるような夢のような国が想像できます。
上のような悪条件にもかかわらず、なぜそのような世界になったのか、主要な理屈はこんなでしょうか。
・そもそも中東国家そのものが歴史的にハートランド
中東は元々海運、陸運含めてアジアと地中海を結ぶ中心にいました。
いよいよ1000-2000tクラスの大型船舶で大洋に乗り出せ、インド洋、太平洋、大西洋が地中海と同様に物流ハイウェイとなりました。
・イスラム教そのものが異教徒に寛容
宗教国家であるに関わらずいい加減、教主も産業に口出さない、それが皮肉なことに事実上「政教分離」「信教の自由」という経済の活性化する要素が生じました。
・イスラム世界そのものが権力争いで流動的でいい加減
経済への介入が最小限となり、いつの間に理想的な夜警国家となっちゃいました。
いまでこそ
「夜警国家:国は治安維持以外はしない」
という言葉は社会保障上の落ち度が多く批判的ですが、(とくにリベラルから)経済は介入が少ないほど活発な経済活動となります。
その代り貧富の差は激しくなる、とか新しい身分とパワーが騒乱のモトとかになる、とか言われてます。
実際はどこかで自浄作用が働いていたようですね。
前半生で大儲けした商人が、後半生で学校作ったり孤児院作ったりとか社会の為に人生を捧げたり。
ローマでもお金持ちはそんな感じ、江戸時代の大阪商人もそんな感じ、現代アメリカ人もそういう美談を聞きます。
それが絶対ではないし、ろくでもないお金持ちや権力者の話もたくさん聞くので「それが良い」とは言いませんが、中世が幸せという理屈はこんなこともあると思います。
・軍事技術の発達で防壁、国境という明確な線が作れくなった。
ある種割り切って他人とのべつ幕なしつきあい始めます。
中国の国家は「唐」「宋」「金」「元」軒並み紅毛人が大活躍。
アフリカや東南アジアでも太平洋の島々でもイスラム商人がそこらじゅうで顔出します。
ヨーロッパ世界とは何とも複雑な関係となります。
一方では十字軍として骨肉の争い、一方ではベネチア、ジェノバといった貿易都市と活発な経済活動。
曖昧な世界だけに、何となく仲がよいのか悪いのかなという状態です。
中国の宋はいつの間に貿易国家となって巨額の富を得ています。
文献にもアラブ人の商人の話が頻繁に出ています。
この後、この時代に集積した富は大いにモンゴル人を悩ませます。
中国の紙がアラブを通して世界中に出回り始めます。
商業にさぞかし役に立ったでしょう。
インドは、またもいくつか貿易の拠点であるイスラム系の都市国家がぽつぽつ現れ、11世紀初めにガズナ朝、ゴール朝とようやくまともな国家ができあがります。
イスラム系です。
当初のイスラム商人にとっては、インド洋というハイウェイの休み場所、そのうち仕入元、その後は貿易相手というところ。
科学ではインド数字も出回りました。0という概念はその後の世界にとてつもない影響を受けます。
十ではなくて零という意味は数学をかじった人なら偉大さがわかるでしょう。
ちなみにインドからは毒とかろくでもないものも出回り始めます。
それ以外にも北アフリカのキリスト国家がいつのまにイスラム系に。
これも貿易戦争に敗れたため。
アユタヤ帝国とかも1300年とちょっと遅れますが、東アジアや日本への拠点として出現。
続々とユーラシア大陸の中国から中近東につながる沿岸部が発達し始めました。
日本も間接的に発達します。
宋が発達すると、その貿易相手の一つが日本となり、日本の文明度が大いに上がりました。
陸路も同様です。
今の歴史では、絹の道はいかにも中国が作って、中国が守り、中国が使用したような雰囲気になっていますが、この時代はイスラム商人が主要な位置を占めています。
中国にこそあまり記録は残っていませんが、中央アジア、モンゴル、金(満州?中国の東北部)に頻繁にアラブ人が出てきます。
ユーラシア大陸を東西に結ぶローマ-中国間とその拠点であるオアシス国家や沿岸都市は紀元前から頻繁に出現していました。
しかし、この時代のアラブ商人によって北はカスピ海沿岸、南はインド洋、東は韓国や日本、西はイタリア半島、網の目のように輸送路を作り上げます。
中国の東西に結ぶ運河も、この頃が一番重要な位置づけでしたでしょう。
いままで一次産業が主要なGNPであった世界に、「商業」という文化の大動脈が出現し、この時代の富や文化をとてつもない位置に底上げします。
世界は食糧生産だけではない世界を得ることが出来ました。
(いままでは1%も満たない)
しかもアラブ人だけではなく、そこら中の国々が。
歴史に出ない中央アジアの国家も続々と富を蓄えていったでしょう。




