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人間の歴史。  作者: TAK
漢帝国の終り~中世の始まり
34/176

えっちな人達

さて、ローマや漢が活躍し、滅びたころにようやく日本が描けるようになります。



前回、ヨーロッパがローマ史から少しだけ覗き見できたように、日本は中国王朝の歴史から少し覗き見が出来るようになります。

歴史の授業で日本人なら一度は暗記したであろう「魏志倭人伝」



ちなみに「魏志倭人伝」などという書物は現代の本屋さんには並んでいるものの、古代にはありません。


この内容は中国の歴史書だか物語だか曖昧な(それでも一番正確と言われている)三国志、陳寿が書いた本の一部です。


その中でさらに分かれている「魏書」の第30巻「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」の一部。


ちなみにその魏書は『北魏書』『後魏書』に分かれていて、二十四ある史書の一つ。

構成は、


本紀14巻

列伝96巻

志20巻


全130巻の超大作。

三国志の本編でない付録の魏書の更に1/130巻に書いてあるもの。

しかもその巻は「烏丸」「鮮卑」「東夷」と書いてあって「日本」「倭」はなし。

そしてようやく出てきた倭人「条」


まあ想像つきますが一応辞書で綴ってみました。


条: 文章や話の中の一定の部分。章。前に述べた文の箇所。前に述べた事柄。くだん。



......やってられるかぁ!!

  E|

  ||

  ノ_ヽ  ゜。゜ _

 ∥一| ∧_∧|¢、

_∥人|/(*´Д`) ̄ヽ)

\∥酒|L二⊃ ̄ ̄\ ̄

∥\ー′ (<二:彡)\

∥\∥ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∥

  ∥ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∥


なにそのミクロな扱い。

なんか過去遡って歴史の先生をぶん殴りたくなってきました。

ブリタニカ百科事典の「日本」の項目を引用するよりちっちゃそうなの。

んなもんを後生大事に扱う日本史って..


なんか陳寿だか北斎だかしりませんが、


「はー、つかれたー」


とか言いながら肩コキコキ鳴らしながら書いてたのを想像してしまいました。

あるいは週刊モーニングの傑作「蒼天航路」に出てくる暑苦しいあの顔で、ハッパ決めてらりった感じで書いたか。

きっとそうに違いない。



そしてなんかそれにゴミみたいなちっちゃなスケールで載ってる「邪馬台国」とやらを一生懸命分析して~というか大して分析するところないだろう~テレビの特番とか組んで「邪馬台国はどこだ!?」とか「卑弥呼ちゃーん」とかやってたのか。

ちょっと無力感にさいなまれました。


ついでに

「魏志倭人伝」なる書物、というか書物になっていないけどその単語がなにか調べてみると...


720年に、日本書紀にある「魏志曰く」


新井白石が江戸時代に書いた古史通或問に

「魏誌」

「左に三國志魏書第三十の本文を掲ぐべし。」

「然るに獨り『魏志』の倭人傳に至りては…」


ここらへんを略して学者たちが


「魏志の倭人伝」→「魏志倭人伝」


と略して話していたのが経緯らしいです。


なので史上最初に「魏志倭人伝」なる書物を出したのは、店頭に並んでいる岩波文庫かもしれません。

歴史の先生「ここ重要!ここ重要!」とかいってたわりにホントてきとーだな。

もっときちんとしたものと思ってました。


ついで、

それ以外に日本が記載されているのはこんな感じ。あんま重要そうには書いていない。2-3世紀頃

・山海経 :SF?巨木が映える不思議な国らしい。あってるね。前4世紀 。3世紀頃

・北史、南史:漢と取引してたよ!2-3世紀

・論衡  :食ったもんとか名物とか書いてある。1世紀ごろ。

・南斉書 :倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓とかの日本周辺の関係が書いてある。3-4世紀

・梁書  :倭の五王名や続柄。6世紀くらい?

・隋書  :魚食ってたとか朝鮮半島と関係あったとか。7世紀






ということで日本はこの頃はちっちゃなちっちゃな国でした。

狩猟採集生活する限り四季あるは植生豊かだわで幸せでしたが農耕となると別です。


山がちで森ばかり、各地は分断されて人口集中地帯がない、食糧増産がままならない、古代の科学レベルではとても肥沃にはなりえない地でした。


倭国の「倭」は女性的な意味があるので、卑弥呼や壱与といった女性の統治も多かったことから比較的平和な国であったと想像はできます。

ここらへんケルト人の足跡でもそうなのですが、子供を産む、とっても過酷な古代の環境では不利な構造の女性がリーダーになれるということは、妊娠が欠点とならない、争いが少いという証拠ですから。



日本を特徴つけたものは以下の6つです。


 ・もうすんごい多民族国家。南方系、北方形、大陸からも

  海洋民族も、南から北から様々な場所から最期に

  辿り着く場所


 ・そのころ世界の中心だった中国とは微妙な距離。

  影響は受けまくりだが、その頃の船舶技術では頻繁に

  交流できる距離でもなければ、猿まねしても意味ない

  異なる環境


 ・地形が山がち。大型動物が非常に少ない。農耕民族としては悪夢

  ついでに騎馬も軍事的に成り立ちにくい


 ・自然が豊富。森林ばっかで海も富んでいる狩猟採集民族の天国


 ・海流の影響で気候が決まる。暖流が強いと北海道で米が取れる

  寒流がつよいと北九州より北は耕作無理。おかげで古代の耕作民は

  右往左往。狩猟民はバラエティに富んだ生活


 ・「金」以外の鉱物資源がほぼ0。鉄がなかったのが致命的


こんな感じなのでそもそも古代から統一国家が作りにくい状況でした。

多民族さはわかってるだけでこんな感じ


・狗奴(濃尾平野?):典型的な縄文人。農耕民族

・熊襲(南九州): ポリネシア系?

・隼人(鹿児島):神話の世界から7-8世紀まで記述が見られ

        神話で言う「海彦」、オーストロネシア?

蝦夷えみし:アイヌ。いまでこそ北海道のイメージがありますが

         関東以東、以北全体が元々でした。ネイティブ

         アメリカンと遺伝子そっくり


そんな中で大陸から来た南方中国人(後に弥生人と呼ばれる)が大阪あたりに辿り着き、統一に乗り出したのが「ヤマト」です。

この中国人は戦乱で落延びてきた人たちで、太平洋岸のいろいろなところに辿り着いていると思います。



弥生人と縄文人、いきなり切ったはったの殺し合いになってますから。(そういう痕跡が明石とか海岸沿いにある)

が、いきなり終わってます。


すぐに縄文人と手を組むことになります。


中国の優れた技術、文明を使用しようとしても大陸とは似ても似つかぬ環境なんで全然うまくいかない。

特に濃尾平野を超えるのがとっても苦労してそうです。

そのものの証拠はありませんが「ヤマト」そのものが連合国家で、明らかに縄文人の王朝であろう部族がその一つに混じっているからの想像です。


また日本の神がそもそも「天津神」「国津神」と別れているので、最初の神話になる人物にすでに縄文人が入っていると予想できます。


ヤマトそのものは言葉から邪馬台国が母体となっているという説もありますがどうなんでしょうねぇ。

奈良、近畿地方、出雲、福岡といった範囲で連合国家ができて、その中に邪馬台国もあったというところまでは何となく正しい気がしますが、それが有名になった理由は単に中国の記述に残っていたからという程度なのかも知れません。


日本そのものは弥生時代(紀元前10世紀あたり?)から中国式をすこしづつ取り入れており、文字もそれに合わせた感じでいったので、それなり口伝と共に記録はされていたと思います。

数千年前に日本人が中国に留学した記録もあるようですし。

(まあ隋書等で仏教が伝わるまでは文字なしという記録もありましたが)

記録そのものは歴史が綴られる以前はほぼ残っていないので何とも言えませんが。

更に、なんだかんだで征服、ジェノサイドの歴史もないので跡が残っているというのも大きい。

貝塚だ竪穴式住居だとかもあるし、うちの近所の神社は縄文時代からあったと記録されてますね。

 #結構近場でも古代の痕跡があるのが面白い日本


正確か?というと中国からの伝播だし、神話って聖書と同じ何度も何度も上書きされちゃいますし。

でも、まあ想像がある程度できちゃうというのもあります。


まあそんなで日本の石器時代からそれなり中国式国家経営が出来るまでつらつらと書いていきましょうか。


---

・弥生人が飛び込んでから、あるいは飛び込む前から戦乱の世。

  ↓

・でもまあすぐに戦乱の世より開拓・開発物語の記録が増える

  ↓

・なんやかんや細かな国というか町がくっついたり離れたり

  ↓

なんかアマテラスのモデルになった人がヤマトなのかともかく国を統べた

神武天皇っぽい人がいて、それが天皇陛下のご先祖様

---


ここらへん、古事記からの想像です。


アマテラス=卑弥呼説とかありますが多分違うと思います。

伝説が上書きされた可能性はありますが。

戦乱の時代に男の王でなく女王なのはおかしいので、本来アマテラスが男性なのを卑弥呼が台頭して上書きしたという考え方もあります。


中国で記されている卑弥呼存命175年 - 247年とあるので、スサノオとかの物語をどのようにくっつけたのかなぁというところが違うと思う部分。


・なにせヤマトの元であろう奈良の古墳群が紀元前から。

・中国式の国家経営に鉄は欠かせないので、鉄鉱石を朝鮮半島に求めていたことが

 ヤマタノオロチ(八首は鉄が溶けている姿)

・出雲大社の元になっている出雲の社が有史以前から


ということは朝鮮半島ー対馬ー山陰のラインが確立した年代が2-3世紀では遅すぎるかなぁと。

弥生時代から鉄器ありますし、それが輸入だったのも間違いない。(日本は鉄鉱石取れない)

鉄鉱石が遠く中国から運ばれてきたとは思えないですし、北もあり得ない)

高天原がどこかは知らないですが、それもどこかで上書きされた可能性が高い気がします。


ここらへんは古事記の変遷で、太陽信仰の天を照らすアマテラスー月信仰で月の夜を見るツクヨミの主神の太陽に実在の女王をあてはめ、さらに英雄を強引に神話にくっつけたのがスサノオ。

で、いつのまにツクヨミは語られなくなって、国造りの物語がはじまっちゃう。


それにしても古事記、日本書紀は紐解くとエロいことばっかりですね。


他の国の神話は「戦った」、「殺した」、「俺つえぇー」「天下統一!」


日本は「した」「産んだ」「またした」「産んだ」「ムカついた」「離婚危機!」「ストリップした」

「仲良くした」「また産んだ」


エロいことばっかして日本国が生まれたみたいです。

女性の権力者はそういうこと?

まあいいや。


ちなみに国歌「君が代」も元は恋歌と言われています。


わがきみ(恋人)は千世にやちよにさざれいしの巌となりて苔のむすまで

おもいきれとは身のままか誰かはきらむ恋のみち

雨の降る夜の独り寝はいずれ雨とも涙とも

人は知るまじ我が仲を頼むぞ側の扇も帯も

この春は花にまさりし君持ちて青柳の糸乱れ候

花を嵐のちらすような雪に袖うち払ひ誰かおりやらうぞの

悋気りんき心か枕な投げそ投げそ枕に咎はよもあらじ

月もろともに立ち出でて月は山の端に入る我は妻戸に

そなた忍ぶと名は立ちて枕並ぶる間もなやの


日本国、有史以前は徹底的にナンパですな。

女君主だしやりまくってるし。


明治政府が一部を切り取ってわが君(恋人)を君(天皇陛下)として、なんか天皇陛下万歳的な歌に仕立て上げましたが現状はこんなもの。

まあ明治政府の適当さは洒落になりませんから。

たとえば靖国神社は「適当に戦没者を奉るの欲しかろう。大阪あたり?」という感じで大村益次郎がてきとーに作ったものです。結局大阪じゃないですし。

 #司馬遼太郎「花神」は名作です。


あと夜這いして嫁さんもらう明治政府重鎮とか、列強に対抗するための留学費用を全て酒場で飲みつくした一流大学創設者とか。

そんなノリでつくったものにいまでも争いにネタになっているのはおかしみを感じます。



ここまでが連合国家、伝承上のヤマト国ができるまででしょうね。

それが正確に記載される大和朝廷につながる物語が九州平定、東征。


---

・鉄を取れる産地(あるいは輸入できる地)を抑えたスサノオがモデルの英雄がいた

 以降、ヤマトが鉄をおさえることで権力を持つ

  ↓

・ヤマトを母体にして日本を統一しようとしましたがとても難事業。

 まずは南方系が集まっている熊襲(九州)統一がヤマトタケルの物語

  ↓

・濃尾平野はオトヒコ。弟彦とか弟とか出来すぎているので、多分誰かの英雄を

 後付でヤマトタケルの弟にした

  ↓

・神武天皇だかだれだかが更に東進。とっても難事業で長期間かかる。

 おかげで「征夷大将軍」という武の最高尊称が、東北地方を制覇した者

 紀元前660年頃?

 意外に三重県とか和歌山かもしれない。伊勢神宮とかあるし

  ↓

・さらに東進北上。関東北部で「俘囚」の語原の土蜘蛛(佐伯)と争ったり

 協力したり。

 土蜘蛛とよばれるのは手足の長い縄文人の特徴だったりするので、

 新潟だったり奈良だったり、宮崎だったり鹿児島だったり東北にも伝承がある。

 敵の総称?


---



ここらへんからそろそろ有史になります。

神武天皇がどのようにどう征伐したのかわかりませんが、土蜘蛛伝承は各地にばらまかれており、紀元前から、すでに律令制度が始まってる8世紀までひろがっているので、征服事業がとても長期だったのがうかがえます。

神武天皇が一人だったかもわかりません。


この後、古墳時代に入って更にまともな記録になります。



---

・権力者がでっかいお墓を立てることになる。前方後円墳とか。

 3世紀中頃 – 7世紀頃まで続く

  ↓

・邪馬台国、卑弥呼はここらへん前後。ここで明確に古事記の基になる口伝が書き換わる

  ↓

・中国からの伝承で、倭の五王がいたそうな。

 讃、珍、済、興、武。

 中国名なので正確かどうかは怪しい。

 ヤマトが連合国家だったのでそれを強引に中国式に当てはめたか、

 あるいは天皇陛下を歴代をならべたか...

  ↓

・古墳以外の埋葬も、結構東北から九州まで統一されてきたので、多分大和(邪馬台国?)が

 本州の大部分、九州を統一したか影響力を持ったかした。

  ↓

・任那だの伽耶だの百済だの、同盟なのか、併合なのか、従属国家なのかわからないが

 明確に朝鮮半島に経営基盤をもっている。大和朝廷の命綱は鉄鉱石

 古墳とかの年代から日本→朝鮮半島

  ↓

・なぜか朝鮮半島から新潟ー長野ー川崎まで一直線にちん○がご神体の神社ができる。

 巨木を山からドカンとおろすとかも。

 そして巨木にぶち当たって何人か死んじゃう恐ろしい祭りとか。

 明らかに朝鮮半島→日本。

 これ何?

 その後、愛媛やら名古屋やら千葉やらに伝承?

 ほんとかな?

---


このあと飛鳥時代になって明確に大和朝廷になります。

国号も「日本国」

長い間もがいて、ようやく統一した様子。

仏教も積極的に活用し、天皇陛下の名前も明確に。


---

・仏教伝来。むしころされた大化の改新。

 ま、日本書紀に書き加えられた嘘だったそうです。

 蘇我死ね!天皇陛下万歳!これから中央集権で中国式経営するよ!

  ↓

・白村江の戦い。中国復活「唐」が出来て朝鮮半島から日本の権力一掃。

 これ、後世の日本に大きな影響を与えます。鉄とれなくなる。

 戦ったのは九州の「倭」で「大和」ではないという説があります。

 倭が弱ったので日本統一できたとか

  ↓

・藤原京が出来た!いよいよ本格的に日本がはじまるよ!

---


ここら辺までがローマ、漢が輝いていて、さらに滅んだあとの影響ですかね。

この後中国が復活して「唐」になり、日本に大きな影響を与えます。


特に鉄が採れなくなったのは、私たちが考える「日本らしさ」にとっても重要な役割をします。


出雲が日本の中心だったのは鉄を仕入れる日本の拠点だからでしたし、はじめて統一国家と呼ばれていてたヤマトの役割も、鉄製の農機具の貸与管理=国の経営の代わりに税を取るとか、そういう影響力が最初でしたから。




あと仏教は本来とんがった宗教のはずですが、日本ではいきなり惰弱な宗教となります。

仏は、蕃神となりのくにのかみとして日本の神と同質の存在。

まあ中国の時点でも大乗仏教とやら惰弱なんですけどね。

本当は真理を探究することが一番大事なところなのに。


更に神宮寺として神社の近くにお寺が建ったり。

日本の神様は死を穢れとして嫌うので神社内に埋葬できません。逆にお寺は檀家があったりしてお墓に埋葬したり。初期からうまく役割分担して、あんまり一神教に近いとがった宗教の感じしませんね。

ちなみにキリスト教伝来のときも同じ感じでぐだぐだに伝来してローマ法王様も「仕方ねえなぁ」という感じで日本っぽいキリスト教になってしまいました。

日本人は根本的に一神教が理解できません。なにしろ一神教がそのままはいって自然宗教排斥とか一切なかったですから。

こんなんのも日本人らしさでしょう。



まあそんな感じで中国からはしょぼいと思われ、まともな記述がない日本国。

この頃の日本はちっちゃなよわよわな国でした。

でも色恋ばっかで楽しそう。


以上!

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